隣国でのこと
マルロが住んでいるのは、静謐の国と呼ばれる湖の多い国だ。
その中心地には、巨大な湖があり、その側には『墓所』と呼ばれる王城より大きな建物が存在している。
国で一番大きなムーシュマッヘの湖。
底知れない深さのある湖で、冬のどんなに凍てつく日でも、決して凍ることのない不思議な湖だ。
そして、巨大な影の目撃が後を絶たない怪しい湖でもある。
その側にあり『墓所』は、霧に覆われている為か、内部を知る者はほとんどいない。
外観すら見たこともないだろう。
その『墓所』の日も射さない暗い奥の部屋のことだ。
城でもないのに、ズラリと並んだ肖像画。
王冠を戴いた者や華美な軍服に幾つもの勲章を提げた者などの在りし日の姿が描かれている。
「お前は、忌々しい程小者だったな」
こむらさき色の真っ直ぐな髪を肩下辺りまで伸ばした美貌の女が、手にしたペンを投げれば、それは先程の肖像画の一枚に軽く刺さった。
ペンから漏れたインクなのか、まるで脳天から血を流しているように見える。
「忌々しい」
女が、伸ばした××で刺さっていたペンを抜くと、そこには元の美しいままの歴代の王の肖像画が並んでいた。
「彼奴らの仲間がわらわの土地に入り込んだわ!」
元から蒼白な顔色なのか、冷酷に見えた。
「今度の者は、わらわのお陰で弁が立つ。小賢しいことよ」
今度は、握りしめたペンを粉々にしてしまい、替わりを持たせるついでに、すぐに弁の立つ男(王)を呼びつけるよう申しつけたのだ。
■
こちらは、隣国捻れの国。
「父上、何処の輩か知れない者をイライアの傍におくと聞きました。どういう事でしょうか?」
「父上などとエセル、お前は侮れんのう」
「お褒めの言葉と受け取りましょう」
エセルは皇太子なのだから、優秀である事は喜ばしい事ではある。
だが、今は困る。
末の王子のイライアスは、待ち望んでいた娘のように愛くるしいのだ。
そんなイライアスからおねだりされて、カルヴィン・ド・ハームズワース王は心浮く程嬉しかったのだ。
それをエセルは、家族の話しとして私に意見を言うつもりなのだろう。
「お前の言いたい事は承知している」
自分に似た男らしい精悍な息子を牽制する。
「少なくとも、父上はイライアを可愛いがっておいでのように見えましたが、それは今も変わらないのですね?」
「当たり前であろう。グヴィネス(妃)の幼少時のような愛らしい子なのだ」
エセルバートは、父王の愛好を崩した顔に呆れ、矛先を変える事にした。
一方、第二王子のルーシャンはイライアスの部屋を訪れ、新しい従者の品定めを始めていた。
「もう一度訊く。何処で知り合った?」
「ルーシャン兄様! しつこい」
まだあどけなさの残る片頬を膨らます。
その頬に人差し指でイタズラ仕掛けるルーシャン。
「生意気だな。仕置きするぞ」
と蠱惑的に笑う。
ルーシャンは、王族の中では一番に美男だ。
そして、冷酷で不良な性格とは反対に、笑うと目を離す事も出来なくなる程柔らかな雰囲気を醸し出すのだから、万民は成す術もなく引き寄せられてしまうのだ。
ただ、そんな魅力的な美しさとは異なるティスディルの人形は、抗えない麗しさがあったのだ。
『崩れた壁画から助けてくれたと父様には話したけど、ティスディルがただ者ではないとルーシャンは気づいているのかも。それから、疑っている事をティスディルに知らせている?』
「ほぅ、疑うか?」
ティスディルがとうとう対峙してしまった。
この場合、王族の話しに加わると言うマナー違反は当て嵌まるのかどうか。
早速、ルーシャンは教養のない相手だと考えたようだ。
「ルーシャン、ティスディルはとても賢くて強いんだよ。それは、シェルビーが保証してくれる筈。だから、構わないでくれる?」
「兄に向かってそんな頼み方があるか?」
「……」
「どうなんだ?」
そう言われてイライアスは嫌々お願いをする。
「兄様、イライアスのお願いです」
この瞬間のルーシャンの脳内では、舌足らずなイライアスに「お兄ちゃま」と言われていたのだった。