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PHASE.7

 今日のお姉さんは実に不機嫌だった。ずっと口をへの字にしていて、むっつりしていた。ただお客さんに話しかけられたときだけ、若干笑顔になり、話が終わると再びむっつり顔。そして、そんな日に限って今日は客がたくさん来ていた。あたしが話題を触れるようになったとき、すでに五時を回っていた。


「ようやく落ち着いてきたね」

「そうね」


 やっぱりいつもより口数少ない。


「それで、何で今日はそんなに不機嫌なの?」


 あたしの質問に、お姉さんは驚いたように目を見開き、直後表情を緩めてにため息をついた。


「やっぱり解った?顔暗かった?」

「ずっとむっつりしていたよ」

「そっか。喫茶店の店員失格ね」


 自嘲的に笑うその表情はどこか疲れているように見えた。


「何かあったんですか?」


 みゆきが心配そうに尋ねると、


「うん。ちょうどこの前の話の続きになるんだけど」

「この前ってストーカーの方?」


 思わずあたしは前のめりになってしまった。


「ストーカーって・・・ああ、送り主不明の三千円のことね。そっちじゃなくて」


 ああよかった。もうすでに被害が出てしまったのかと思った。それで、


「そっちじゃなくてっていうと?」

「私の父親の話」


 なるほど、確かに機嫌が悪くなりそうだ。しかし、あたしとしては好都合。何せ情報を聞きださなくてはならないからな。


「それで、お父様がどうかしたんですか?」

「うん。昨日電話かけてきてね。そろそろ会わないか?って」


 おや?とあたしは思う。


「それってよくある話なんじゃないの?」


 養育費をきちんと送ってきているということは、やはり父親はお姉さんのことを憎からず思っているということ。そうなれば会いたいのは普通だろう。お姉さんは今二十三歳だ。これまで幾度となくそんな話があってもおかしくはない。加えて、そんなことでお姉さんは悩んでいるのか?この前の話を聞く限り、ばっさり切り捨てていると思ったのだが。


「うん。ちょっと前まではよく合ったんだけど、私が断り続けていたから、最近は来なくなっていたんだ」


 おお、さすがだ。しかし、復活したのか。ふむ、確かにちょっと気にはなるな。でもそこまで悩む理由は他にありそうだな。


「内容は以前と同じなんですか?」

「ううん。今度は娘が会いたいって言っているって言われて・・・」


 本当の理由はこっちか。実父の娘ってことはお姉さんにとって、腹違いの妹ってことになるな。


「本当は嫌なの。でも小春ちゃんに罪はないから・・・。でもあの男が口から出任せを言っているかもしれないし」


 確かにお姉さんの言うことをもっともだ。とにかく迷っているのだろう。怒りの矛先を間違えてしまうと、ただの八つ当たりになってしまう。それが年下の女の子(名前は小春というらしい)ならなおさら考えものだ。


「何て返事したんですか?」

「とりあえず断っておいたわ」

「伯父さんたちには相談した?」


 あたしの言う伯父さんとはお姉さんの育ての親のことだ。


「してないわ。きっと大反対する。相談するまでもない」


 つまりまともに相談できる相手がいないわけだ。まあ伯父さんたちには余計な心配を掛けたくないってのもあるのだろうけど。


「とりあえず会ってみるって選択肢はないの?」

「ない」


 会ってあげてもいいと思う。あたしだって生き別れた姉がいるって言われたら会いたいって思うもん。まあうちの場合、ただ会いたいじゃすまないけど。遺産とか跡継ぎ問題とかいろいろ出てきちゃうからね。


 でもお姉さんの言うことも解る。お姉さんと会いたい。でもなかなか会ってくれない。もしかしたら、娘の名前を出せば会ってくれるかもしれない。実父がそんなことを考えている可能性もある。それを考えると、お姉さんは会いたくないわけだ。まあ腹違いの妹って、実の父親が別の女と作った娘だからね。会いたくないって言うのも解る。あたしだったら気にしないけど。これもうちの家庭が特殊っていうことが影響しているかもしれない。


「あの・・・・・・」


 みゆきが静かに口を開く。


「何でそんなにお父様が嫌いなんですか?」


 それだ。あたしだってお父様のことは好きじゃない。というか、あたしの場合あまり会えないから、という理由もある。けど、あたしたちやお姉さんくらいの年齢の女子はあまり父親と仲良くないと思う。好き嫌いの度合いはそれぞれ違うと思うけど、大好きだと言える女子はあまり多くないだろう。しかし、そこはやはり親子。普通はそこまで嫌いになれないし、そこまできつい言葉を掛けられないだろう。そこに至るまでにはとても大きな壁を越えなくてはいけない。お姉さんはそれを越えてしまっている。一体何があったというのだろうか。


「・・・・・・・・・」


 お姉さんは口を開かない。当然だ。自分の一番深いところ。あまり他人には知られたくなくてもしょうがない。お姉さんの代わりに再びみゆきが口を開く。


「あ、あのすみませんでした!少し調子に乗ってしまいました。質問を取り消します」


 空気に耐えられなくなったのか、みゆきは思わず謝った。いやみゆきは悪くない。普通は気になる。それに、みゆきは興味本位で聞いているわけじゃない。お姉さんを心配しているのだ。


「言いたくないなら、言わなくていいよ」


 今度はあたしが口を開いた。


「でも、あたしやみゆきの気持ちも解ってくれるよね?あたしたちはお姉さんが心配なんだ。確かにあたしたちは部外者だし、何もしてあげられないかもしれないけど、相談くらいになら乗れるよ。もし手伝いが必要なら手を貸す。あたしたちができることなら何でもするつもりだよ」


 もちろん本気だ。お姉さんの邪魔をするつもりはない。お姉さんのしたいことをすればいい。会いたくないなら、それでいいと思う。でも本当は会いたいのに、そうしないのであれば話は別だ。少なくともあたしはお姉さんの味方をする。


 それからしばらく店の中は沈黙が続いた。あたしとみゆきは黙ってお姉さんの決断を待っていた。


「二人ともありがとう」


 突然お姉さんはお礼を言った。まだあたしたちは何もしていないぞ?


「本当は誰にも言うつもりはなかったんだけど、もうここまでしゃべっちゃったし、もしかしたら心のどこかでは誰かに相談したかったのかもしれない。もういい時間だけど、話聞いてくれるかな?」


 もちろん。あたしとみゆきは間髪いれずに頷いた。それを見て、お姉さんはいつもの笑顔でにっこり微笑んだ。そして、


「まずはお店閉めちゃおう。手伝ってくれる?」

「うん」

「はい」


 


 あたしたちは店を閉め終えると、お姉さん宅のリビングに場所を移した。


「うーん、何から話したらいいのかな?」


 お姉さんは困ったように笑い、話し始めた。


「私の実の母は、私を産んでからすぐに亡くなっているの」


 予想していた展開だった。だが、やはり気持ちの変化はある。つらい話であるのだが、当のお姉さんは平然と話を続ける。


「確か、私が二歳のときだったかな?もちろんはっきりした記憶はないし、つらいかと聞かれても、正直解らない。写真でしか見たことないし。でも私は母に似ているみたい」


 それからゆっくりマイペースに話を進めた。


 今からだいたい二十年ほど前。樋口製菓という洋菓子専門店が経営していた工場の倉庫に車が突っ込む事故があった。倉庫を跡形もなく燃やし尽くすほどの大事故だったにもかかわらず、死者は一人。負傷者は数十名に上ったがどれも軽傷で、入院患者はゼロだった。その唯一の死者は樋口美花。当時二十四歳。彼女の運転する乗用車が工場の倉庫に突っ込み、炎上。運悪くその倉庫には大量の小麦粉が保管してあったため、舞い上がる小麦粉に引火し、大爆発を起こした。その日は風がなかったため、周りの民家や倉庫に被害はなかったが、それでも例の倉庫全てを燃やし尽くす大火事となった。完全に鎮火するまで、実に十時間もの時間を要し、火が消えたときには何も残っていなかった。


 遺体は焼け焦げていて、被害者を特定できる状態ではなかったが、車のナンバーから持ち主を特定し、後に鑑定結果から、乗用車の持ち主樋口勇人の妻美花であることが判明した。


 原因は不明だったため事故として処理されそうになった。だが、話はそう簡単なものではなかったらしい。


「父さんたちは殺人だって言っているの」

「理由は?」

「二人の結婚はすごく反対されていたみたい」


 お姉さんの実父樋口勇人の両親丈二と知恵は古い時代の人だったらしい。家柄や学歴っているものを重要視する人だったみたいだ。その点、お姉さんの実母小林美花の実家は商店街の小さな和菓子屋。


「父さんの話によると、母は大変な嫌がらせを受けていたみたい」


 美花とお姉さんの育ての父小林誠二は姉弟である。仲のいい姉弟だったらしく、そういった話もよく聞いていたみたいだ。お姉さんの育ての母小林ひかりも美花とは仲がよかったみたいで、お義姉さんと呼んで慕っていたらしい。誠二とひかりが勇人に対していいイメージを持っていないのも納得できる。


「じゃあ今の妻はどうなの?子供がいるってことは、今樋口勇人は再婚しているんでしょ?」

「うん。今の妻は自動車会社の社長令嬢みたい」


 そういえばそんな話をつい先日聞いたな。今の妻は豊口自動車という自動車メーカーの社長令嬢豊口未来。


「じゃあ勇人は今二つの会社で社長を名乗っているの?」

「ううん。樋口製菓は弟の樋口才人が継いだみたい。私は会ったことないんだけど」

「じゃあ豊口自動車の社長?」

「そうみたいね」


 お姉さんはよく知らないみたいだ。まあ二つの会社の社長を名乗るのは難しい。しかし、弟さんは運がいいね。あの事故のおかげで社長になれたんだから。おっと、不謹慎だったな。


「とにかく父さんたちは樋口家を信じなかった。残った私を樋口家に渡すわけにはいかないと思ったらしく、裁判を起こして親権を取り、私を引き取ってくれた」


 父さんとは育ての父小林誠二のことだろう。これで状況は理解できた。


「父さんたちは今でも殺人だって言っているの。私は聞いた話だけど、殺人でもおかしくないと思っている。たとえそうじゃなくても母は死んで、あいつは幸せになっていることは許せない。父親とは認めない。だいたい勝手なのよ。そっちの都合で別の女と結婚して、お金ができたから養育費送って、時間が取れるようになったから会わないか?全部あっちの都合。こちら側のことなんか一切考えてないじゃない」


 お姉さんの言うことはもっともだ。確かに結果を見れば恨みたくなる。この件に関してあたしは何も言うつもりはない。問題はそこじゃない。


「でも小春ちゃんは別。あの子は私に嫌われるようなことを何もしていないの。樋口勇人の娘っていうだけで嫌ってしまうのはよくないと思うの」


 お姉さんはいい人だ。肩書きや見た目で人を判断しないのは、口で言えるほど簡単ではない。あたしだってとんでもない肩書きを持っているから、様々な憶測で解釈されることがある。それはとても腹立たしいことだ。だからあたしは人を見た目や肩書きで判断しない。お姉さんもきっと同じなのだろう。


 お姉さんは小春ちゃんのことが嫌いじゃない。でも会いたくないという。それはきっと好きになってしまうのを恐れているのだと思う。恨んでいる男の娘というだけで、嫌うことは嫌だが、恨んでいる男の娘と仲良くなるのも嫌ということだろう。そんなことを恐れるということは、漠然とした予感があるのではないか。私はきっとその子と仲良くなる、という予感が。


 口先だけの言葉を信じるならばお姉さんは会いたくない。しかし悩んでいる。ならば会わなくていいように説得すればいい。そうすればお姉さんの願いを叶えてあげられる。相談を受けた側の仕事をこなしたと言えるだろう。しかし、本当は会ってみたいと思っているなら、あたしは何をしてあげることが最良なのか。


 お姉さんはすでに断ったという。ならばなぜまだ悩んでいるのか。その返事を後悔しているのか?それともまた連絡が来ることを見越しているのか。どっちにしてもまだ悩んでいることに疑問がある。心は決まっていない様子。


「ま、今更悩んでもしょうがないよね。それに結局決めるのは私なんだし、こんなこと相談されても困っちゃうよね。ごめん、ごめん」


 お姉さんは話を終わらせ、無理矢理明るい雰囲気を作ろうとしている。いつもみたいに笑えてないよ。


「はい。この話はここでおしまい。二人とも聞いてくれてありがとう。すっきりしたよ。お礼といっては何だけど、二人とも紅茶に興味ない?一緒にブレンドしてみない?」


 あたしとみゆきは頷くことしかできなかった。


 今日あたしは問題を解決するためにここに来たのだが、新たに一つ問題を抱えることになってしまった。あたしもお人好しなのだろうか。



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