PHASE.4
推理は休憩。ついにあの男が登場します。
考えてみよう、とは言ったものの、一体どう考察したらいいのだろうか。お姉さんの周囲の状況を全て把握しているわけじゃないし、お姉さんにも心当たりがないのだ。正直解らないことだらけである。まさか例の注文を請けている人とやらが書留に切り替えたとかじゃないよな。まあお姉さんに限ってそんなミスしないと思う。それに、名前もないって言っていたし。名前や住所を書かないってことは後ろ暗いと事があるってことじゃないか。そう考えると、嫌がらせなのか?しかし、お金を相手に渡すことって嫌がらせになるのか?あたしなら、ありがとう!とばかりに使ってしまうが。
やっぱりストーカーという線で考えるのが妥当だろうと思う。そう考えたほうが何かあったときに一番すばやく動く事ができるし。あたしは警察じゃない。犯人を捕まえるより、お姉さんの安全を第一に考えるべきだろう。とは言え、できることといえば張り込みしかない。これから毎日お姉さんの店に通うとしよう。ストーカーなら絶対にお姉さんの近くにいるはず。盗撮や盗聴をしている可能性もあるし、とりあえずお姉さんの周りに張り付くことにしよう。連中は総じて独占力が強い。あたしがべったりくっついていれば、きっと何らかのアプローチをかけてくる。そこをふん捕まえてやろう。そしたら気兼ねなくお金を使える。お姉さんが嫌がったらあたしが遣ってやるんだ。それで、お姉さんの店でパーッと使う。楽しみだなあ。
そうと決まれば、早速お姉さんのところに行こう。と、言いたいところだけど、少しは警戒したほうがいいだろう。ストーカーがどんなやつか全く解らないけど、成人男だとちょっと危険だ。誰か男手が欲しいな。横山がベストなんだけど、さすがにばっさり振ってしまった手前お願いしにくい。生徒会長に出世していたし、忙しいかもしれない。とは言え、他にめぼしいやつがいるかと言えば、思い浮かばない。
結局放課後になってもいい人材が思い浮かばず、あたしはとぼとぼと目的地に向かっていた。校内を練り歩いて誰かを連れて行こうと思ったけど、あまり時間をかけてしまっては本末転倒だ。
一応前進しています、といった感じでゆっくり歩いていると、あたしの目にある風景が飛び込んできた。それは昔懐かしい感じの魚屋。安売りでもしているのか、おば様方が店の前で群れを成していた。その中で一人、あまりにも場違いなやつがいた。おば様方の中に一人、男が混じっていた。しかもそいつは学生服を身にまとい、今まさに下校中だ。加えて、そいつは知り合いだった。何してんだ、こんなところで。
「あんた、何してんの?」
あたしは思わず話しかけてしまった。するとそいつは自然な動作で振り返り、あたしを確認すると、
「何だ、あんたか」
と、失礼に値するほど何の感情もなさそうな雰囲気でこう言った。ま、こいつはいつもこうだ。あたしは気にせず質問する。
「今日、部活は?」
「部長殿がクラスメートとお出かけになられてな、今日は休みだ」
何敬語使ってんの?嫌味にしか聞こえないぞ。ま、実際嫌味なんだろうけど。しかし、あの人は自由だね。他の人が帰ろうとすると、首根っこ掴んで無理矢理部室に連れて行くくせに。
「それで、何してんの?」
あたしは話題を戻し、もう一度同じ質問をした。
「見れば解るだろう」
言うと、そいつは目の前にある魚を指差した。
「何この不細工な魚」
「知らないのか?真鯒だ」
マ、マゴチ?聞いたことないよ。何それ?おいしいの?
「カサゴ目コチ亜目コチ科の魚だ。夏が旬の高級魚だ。見てのとおり、平たい体と突き出た下あごが特徴で、身は歯ごたえのある白身。刺身・洗い・寿司種・煮付けなど、いろいろな料理で食べられる」
そんなこと言われて、どんなリアクションをとればいいんだ、あたしは。そんなにいろいろ言われても、あたしは、知らねーよ、としか言えないぞ。
「こんなところでお目にかかれるとは思わなかった。釣ってからまだ二時間しか経ってないらしい。買って帰りたいが、家まで距離がある。これでは家に着くまでに鮮度が落ちてしまう」
真剣な顔をして、何悩んでいるかと思えば、そんなことか。そういえばこいつ、結構料理うまかったな。食べたのは一度だけだったけど、どれもかなり洗練された味だった。それにしても行動や言動が高校生っぽくないな。こいつは主婦なのだろうか?いや、主夫って言うのか?
おっと、こうしちゃいられない。あたしは急いでいたのだ。時計を見ると、すでに四時を回っていた。
あたしは別れの挨拶をしようと、そいつの顔を見た。そこでようやく思いつく。そういえば店に行く前に一つやる事があったのだ。すでに諦めていたから忘れていた。
「あんた、このあと暇?」
「何で?」
そう聞き返すってことは暇なんだな。よし、こいつをお姉さんの店に連れて行こう。ケンカになったとき役に立つか解らないが、まあ一応男だ。大丈夫だろう。それに、ケンカ以外なら間違いなく頼りになる。こんな強力なカード、使わない手はない。
「ちょっと付き合って。成瀬」
「例の三千円の件、伯父さんたちに聞いてみた?」
「うん。やっぱり知らないって」
店に着き、二人の紹介を終えると、いつものように紅茶を注文し、世間話の感じでさりげなく探りを入れてみたのだが、やはりそう簡単にはいかないか。
「心当たりもなし?」
「うん」
「伯父さんたちは何か言ってた?」
「気にする必要ないって」
進歩はなしか。ま、仕様がないね。簡単にいくとは思ってなかったし。
ところで、あたしは今とても気に入らない事がある。それは三千円のことじゃない。では一体何かというと、
「・・・・・・・・・」
目の間にいるお姉さんがいつも以上にニコニコしていることだ。
「何よ」
「べっつにー」
何やらご機嫌な様子。お姉さんがご機嫌であることは、喜ぶべきことであって決して嫌がることではないのだが、今日に限って言えばちょっと嫌だ。一体何だっていうんだ。別にやましいことなど何一つないというのに、何でこんなに居心地が悪いんだ!えーい、いらいらするな。
「成瀬君、お茶のおかわりどうかな?」
「ありがとうございます。いただきます」
一方、成瀬は特に何も感じていない様子。まあこいつは普段から無感動なやつなので、普通と言えるが何かムカつく。何であたしだけこんなに恥ずかしいんだよ!あんたも少しはそんな雰囲気出せよ!敬語なんて使いやがって、全然似合わないぞ。まああたしが言えることじゃないけど。
「どうかしたのか?」
あたしの異変に気付いた成瀬が、不意に声をかけてくる。どうかしたのか、じゃないよ。あんたのせいでもあるんだぞ。確かにここに連れて来たのはあたしだけど、何かムカつく。理不尽なのは解っているけど、何かムカつくんだよ!あんたも少しは照れろよ!『べ、別にこいつとはそんな関係じゃないですから!』とか言えよ!全然イメージないけど。そうじゃないとあたしの気がすまないんだよ!
「ところで、何の用だ?」
「はあ?」
成瀬はあたしを放っておいて話を変えた。こいつはあたしに全然興味ないのか?
「何でここに連れてきたんだ?あんたのせいで真鯒を買うことができなかったじゃないか」
まだ言っているのか?マゴチなんか知らないよ。
「どうせ買わなかったでしょ」
「そんなことはない」
「鮮度が落ちるとか言ってたじゃん」
「それは交渉して何とかするつもりだった」
「そんなこと知らないよ」
あー、こいつどうでもいいことばかり言いやがって。
「ねえ。二人はどういう関係なの?」
今度はお姉さんが話しかけてきた。次から次へと忙しいな。少し落ち着く時間が欲しいね。で、何だって?
「ずいぶん仲よさそうだけど。ゆかりちゃんは部活とかやってないよね?クラスメートとか?もしかして・・・」
「どっちかって言うと、部活で知り合ったかな」
あたしはお姉さんの話を遮って言った。しかしお姉さん、ずいぶん楽しそうだね。目が糸みたいになっているよ。
「ゆかりちゃん、部活やってたっけ?」
「やってたけど辞めた」
間違いじゃない。ただ、重要な部分を大幅にカットしただけだ。省略ってレベルのカットじゃないけど、もう終わったことで心配させるのは無意味だろう。いずれ話すかもしれないけど、それはまだ今じゃない。昔話ってのは面白おかしくしなければ。
「それで、今日はどうしたの?」
触れて欲しくないことを察してくれたのか、それともあまり興味なかったのか、お姉さんは話題を変えた。正直、そっちもあまり触れて欲しくないんだけど。
「話を聞いていると、成瀬君を道すがら見つけて拉致してきたみたいだけど」
拉致じゃないよ、任意同行。
「いや、あたしにも事情があって、考えなしにこんなことしているわけじゃなくて」
「その考えを聞こうとしているんだけど」
うーん、ばっさり切られたね。いつものいい笑顔が嫌な感じだ。
さて、どうしよう。素直に言おうかな。でもお姉さん、絶対納得してくれないと思うし、反対されると困るんだよな。だからといってうまくはぐらかさないと、きっと怪しまれちゃうし。
「あ、もしかして・・・・・・」
何かに気が付いたように、お姉さんがポンと手を打った。まさかあたしの思惑がばれてしまったのか?
「もしかして、本のこと?」
「本?」
思わず聞き返してしまった。
「あれ?違ったかな。ほら、私が頼んだ例の推理小説」
あー、あれか。なるほど、その手があったか。いや、決して忘れていたわけじゃないよ。
「そうそう。そのことで成瀬に相談しようかと」
少しわざとらしかったかな?
「やっぱり難しかった?あれ」
むう。そう言われるとちょっと嫌な気分だな。実はもうほとんど解けているんだけど、背に腹は変えられないか。ここは流れに任せよう。嗚呼、あたしのプライドが・・・。
「へえ。それで、成瀬君はそういうの得意なの?」
「得意中の得意」
もちろん、これはあたしのセリフだ。あたしはそう思っている。しかし、得手不得手ってそこに自覚が介在しないと成立しないのではないか。成瀬がそんなこと思っているとは思えないが、今はそんなこと知らん。少なくともあたしはそう思っている。それで十分だ。異論は認めないぞ。
「そうなんだー」
「おい。何の話だ?」
お姉さんの笑顔がいっそう濃くなった直後、成瀬が口を開いた。もう少し黙ってろよ。
「あんたには後で話すよ」
だから少し待っててくれ。もう少しで誤魔化せそうなんだから。
「今話せ」
むう。空気を読まないやつだな。それとも面倒ごとに巻き込まれることを空気で察したのか?勘のいいやつめ。
「あれ?まだ話してないの?」
あたしと成瀬の会話で、お姉さんが気付く。まずい。成瀬のせいで嘘がばれてしまう。何とか誤魔化さなくては。
「う、うん。本当にさっき会ったばかりでさ、話すタイミングがなかったんだよねー」
これは嘘じゃないぞ。
「そっか」
あたしがどぎまぎしていると、お姉さんはあたしから目線を移動させた。今度は何だ?
「成瀬君。お願いがあります」
「・・・何ですか?」
お姉さんが真剣な表情でこんなことを言う。成瀬は何かを察したようで、すでに迷惑そうな顔をしている。これはひょっとすると、
「ある推理小説を読んで、犯人を捕まえて欲しいの」
「はい?」
やはり、お姉さん自ら成瀬に依頼し始めた。これはラッキーだ。半年前に面倒な事件を持ち込んでしまったあたしでは断られるかもしれないと思っていたのだが、さすがにお姉さんからの依頼は断れまい。
「どういうことですか?」
「実は・・・・・・」
と言って、事情を話し出すお姉さん。成瀬は適当に相づちを入れて一応真面目に聞いている様子。ま、内心どんなことを考えているか解らないけど。たぶんあたしや岩崎さんが頼んだら、最後まで話し終える前にばっさり切って捨てられる気がする。そう考えると何となく悔しいが今はいいや。
「というわけなんだけど、どうかな?頼まれてくれない?」
話を終えたお姉さんが、少し上目遣いで成瀬に今一度頼んだ。その様子はまるで、たった今犯ししまった失敗について主に許しを乞うメイドのよう。その憂いを帯びた表情、潤む瞳にはきっとどんな強面だって数秒持たずに陥落してしまうに違いない。
しかし、敵も然る者。そんな様子で懇願するお姉さんを直視しながら、いまだ表情を崩さずにいる。いや若干、数パーセント困惑が混じっているように見える。きっとあたしの気のせいではないはずだ。
妙に盛り上がっているあたしだったが、不意に成瀬がこちらを向き、少しドキッとした。な、何だよ。そんなににらんだって、金貨とか吐き出さないぞ。あたしは気圧されないように、成瀬をにらみつけていたのだが、そこでようやく気付く。成瀬はあたしをにらんでいたわけではなかった。そのときの成瀬の目。あたしは見た事があった。感情は読み取れないが、その目はとても深い色をしていた。以前この目をしていたとき、成瀬はすでに何かに気付いているようだった。もしかして、あたしの考えている事が解ったのか?その上でお姉さんの話を聞いていたのか?
全てはあたしの想像だ。全部外れているかもしれない。でもあたしはそんな可能性は一切考えなかった。
「お願い!」
あたしは、成瀬に向かって両手を合わせた。もしかしたらお姉さんの目に、あたしの行動はおかしく見えたかもしれない。滅多に人に物を頼まないあたしが、どうしてこんなことでここまで真剣に頼んでいるのか。でもそんなことは知らないね。あたしにもあたしの事情があるのだ。
そんなあたしの様子を見た成瀬は、再びお姉さんのほうに向き直り、
「解りました。一応引き受けましょう」
「本当?」
お姉さんが歓喜の声を上げるが、成瀬はそれを遮るように、
「ただし、」
と言った。
「俺は明智小五郎じゃありません。その小説を読んでみないことには何とも言えませんが、お手上げという可能性も十分にあります。そのときは許して下さい」
こいつ、本当に自分のこと信じてないな。何か逃げ道を作ることに慣れている気がするぞ。確かにあんたは明智小五郎じゃないかもしれないが、相手も怪盗二十面相じゃないから大丈夫だって。
「はい。大丈夫です、怒ったりしませんよ」
お姉さんだってこう言っているし。それに、小説に関してははっきり大丈夫だと言うことができる。すでに目処はついているし、正直あたしだけで解決できるレベルだ。あたしは自分でプライドが高いと自覚している人間だ。これくらいは一人で解決しないと、あたしというアイデンティティーが揺らいでしまう気がする。もし今日中にやれと言われれば今日中にできる。それくらいの気概は持ち合わせている。問題はそっちじゃないのだ。例の現金書留が悪意によるものか解らないが、怪しいのは間違いない。成瀬にはこっちを協力してもらう。
ここで小説の話は終わり、そのあとはずっと、あたしと成瀬の関係に興味を持ったお姉さんが、質問をし続け、それに対してあたしが四苦八苦しながら答えるという、ちょっとつらいイベントが待っていた。