PHASE.12
翌日の話。次回最終話。
そして翌日。あたしはお姉さんのお願いどおり、またしてもここに来ていた。
「この辺はだいたいでいいから。今日もお客さんあまり来ないと思うし。ただ、常連さんには気をつけてね。結構味にうるさいから」
「気をつけてってどうすればいいのよ」
ただし、今日はいつもとは違うぞ。ただいるだけではないのだ。なぜならあたしは今、カウンターの内側にいる。なぜって?お姉さんに頼まれたからに決まっている。
「まあ適当に謝ってくれればいいよ」
それで店に来なくなっちゃったらどうするんだ。お姉さんの口調が嫌に軽くて逆にあたしは緊張している。うーむ。サイフォンを扱うのは当然初めてだ。
ちなみにここにいるのはあたしだけではない。もう一人、スペシャルゲストがいる。
「成瀬君は料理できるのよね?今日だけ、ランチやってますって看板出しちゃったから、適当に注文受けてね」
そう、成瀬だ。なぜこんなことになっているかというと、なんと、今日はあたしと成瀬がこの店を任されるからだ。ま、お姉さんははずせない用事があるのだ、仕方ないね。
「何で俺がこんなことを・・・」
ごちゃごちゃ言うな。ここまで来たんだ、腹を括れ。あんた、男だろ。
「文句言うならお姉さんに言って。それに、今日のことは無関係じゃないでしょ」
「俺は責任取らないと言ったはずだ」
「だから、文句はお姉さんに言って」
全く女々しい野郎だ。正直あんたの愚痴を聞いている暇ないんだよ。あたしはサイフォンの相手で忙しいんだから。てか、今日教えてもらって、うまく淹れられるのか?あたしは無理だと思う。だから、客から見えないところにはコーヒーメーカーが置いてある。これは内緒の話である。
そうして、あたしにとって初めてのアルバイトは始まった。正直久しぶりに緊張したね。最初は四苦八苦したが、慣れたらずいぶん楽しめた。本格的にここで働こうかと思ったよ。しかし、今日に限って忙しかった。皆さん、気軽にランチできる場所を探しているのかな。などと思うほど、成瀬の料理は好評だった。もしかしたら成瀬はスカウトされるかもしれない。
しかし、お姉さんはずっとしかめっ面で、何か考え事をしている様子だった。それもそうだろう。お姉さんにとって、今日は特別な日だ。一世一代と言っても過言ではないだろう。もし、今日あたしがオーケー出さなかったらお姉さんは店を開けなかったかもしれない。お姉さんは緊張していた。
そして、ついにそのときが来た。
店に新規の客が来た。その客は親子連れ。父親と娘だ。その二人はカウンターの前まで来て、注文するより先に、
「樋口勇人です」
「樋口小春です」
と名乗った。つまるところ、お姉さんは会うことにしたのだ。そのためにあたしと成瀬はここに呼ばれたというわけだ。
「お待ちしてました」
親子のそれとはかけ離れた会話だ。しかししょうがないだろう。二人は今まで親子ではなかったのだから。その曖昧な関係を変えるために今日会ったのだ。さて、その決意はどちらに傾くだろうか。
お姉さんは二人を一番奥のテーブルへ案内する。視覚的にも聴覚的にもあたしたちは介入できない位置だ。これから語られる話はどんな話になるのだろうか。願わくば、誰にとっても幸せな話でありますように。
それからが長かった。客が減ったら『コーヒーのおかわりはいかがですか?』とか言って乱入しようかと思っていたのに、一向に客は減らなかった。そして、ようやく客足が途絶えた午後六時ごろ。三人はカウンターに姿を現した。
「今日はわざわざありがとうございました」
相変わらず硬い挨拶だ。ま、しょうがないのかな。家族とは言え、さすがにそう簡単に打ち解けることはできないだろう。今まで心を許していなかったのだからなおさらだ。理解していても、あたしは少し寂しかった。しかし、
「小春ちゃん、今いくつだっけ?」
「十三歳です」
「そっか。今までお年玉上げなくてごめんね」
「いえ。とんでもないです」
「だから、今日まとめてあげる」
「え?」
お姉さんは金庫から封筒を取り出した。あ、その封筒って。
「はい。お年玉」
小春ちゃんはずいぶん分厚いその封筒を受け取ると、その中身を取り出した。封筒の中からは、
「・・・・・・・・・!」
大量の千円札が出てきた。もちろん何枚あるか、数えることはできないが、あたしはそこに何枚の千円札があるか想像できた。おそらく、三十三枚。三万三千円のお年玉だ。中学二年生にしてはちょっと多いかな。でも、別に問題ないでしょ。だって、元はと言えば彼女のお金なのだから。
「また会おうね」
「はい!」
お姉さんは笑顔だった。どうやら完全に今までと変わりなしではなかったようだ。この変化が悪い変化であるはずがない。
お姉さんは、小春ちゃんから視線を移動させ、樋口勇人を見た。
「いずれまた会いましょう」
「ああ」
「今度は母の話を聞かせて下さい」
この言葉に、樋口勇人は目を見開いた。だが、それも一瞬のことだった。
「ああ。もちろんだ」
樋口勇人は大きく頷いた。その目に涙がにじんでいるように見えたが、きっと気のせいだろう。こんな嬉しい瞬間に涙を流すはずがない。だって涙は悲しいときと悔しいときに流すものだ。
そして二人は帰って行った。その後姿を見送るお姉さんの顔は、どこかすっきりしているように見えた。
「よかったね」
あたしは思わず声をかけていた。
「うん?何が?」
そう来たか。役者だね、お姉さんも。
「何でもないよ。それで、お金はどうするの?」
「いらないって言ったんだけどね。お母さんとの約束だから、使ってくれって言われちゃって。だから少しずつ使うことにするよ」
「そっか。で、小春ちゃんのほうは?」
「あっちはちゃんと断っておいたわ。さすがに妹にお金をもらうわけには行かないからね」
なるほど。妹ですか。
「何変な顔しているのよ」
変な顔とか言わないでよ。かわいく微笑んだんだよ!
「それで、次はいつ会うの?」
あたしの質問にお姉さんは苦笑。うん?あたし、何か変なこと言った?
「しばらく海外赴任するみたい。何でも海外展開を考えているみたいで、社長自ら出かけるみたいよ。単身赴任みたいだけど」
「それはいつまで?」
「さあ。でも一年や二年の話じゃないみたい」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
成瀬の言ったとおりだな。何でこのタイミングで再び面会の話を持ちかけてきたのか。その答えがこれってわけだ。せっかくまた会えたのに、しばらく疎遠になってしまうのか。
でもお姉さんは前を向いた。これまで目を背けていた問題と再び向かい合ったのだ。これが変化のきっかけにならない訳がない。
「じゃあこれからは小春ちゃんと二人で会えるんだ!」
あたしは明るく言った。今日はいい日のはず。悲しんで暗くなるのはおかしいでしょ?
「そうだね。そう考えると、悪くないかも」
お姉さんも笑ってくれた。いつもとは少し違う、子供っぽい無邪気な笑顔で。
「とにかくこの問題は全部片付いたわ。ありがと。ゆかりちゃんには感謝しているわ」
「どうしたしまして」
一応こう言わせてもらったけど、あたし役に立てたかな?それよりもっと感謝しなきゃいけない相手が他にいるでしょ。
「成瀬君もありがとう。全部あなたの言うとおりだったわ。さすが、ゆかりちゃんの見込んだ人ね」
なーんかおかしなこと言ってないか?
「俺は何もしていませんよ。今回のことでお礼を言うなら、この小説の作者に言って下さい」
この男は一体どこまで・・・。
「そ、そうだね・・・」
ほら見ろ。お姉さんも引いてしまっているじゃないか。だいたいあんたは自分のしたことを軽んじてみている節がある!少し考えれば解ることじゃないか。確かに、あの小説がなければ事件の真相にもたどり着けなかったし、お姉さんたちに進展はなかったよ。でも、あの小説があっただけではどうしようもなかったのは事実だろ。あんたが小説と事件の繋がりに気付いて、お姉さんに教えてあげたから、今日三人は会えたんでしょ。こいつ、本当に解っていないのか?正直信じられないレベルまできているぞ。謙遜しているだけじゃないのか?謙遜にしても度を越えているぞ。
しかし、これ以上言っても仕方ないことも、あたしは知っている。前回のことで学んでいるよ。こいつはこういうやつなんだ。何度言ったって変わらないと思うよ。お姉さんも、何となく理解しているようで、もう繰り返しお礼を言ったりしなかった。
「さて。じゃあお店閉めちゃおうか?」
「えー!」
今日もですか?最近いつもじゃん。平気なのか?この店は。
「今日は二人ともありがとね。慣れないことやって疲れたでしょ?お礼に私がご馳走しちゃうから」
いやー、それはありがたいんですけど、何というか、とにかく店は平気なのかと問いたいね。成瀬もどこか困ったようにしている。ため息を吐く仕草がいつもと違う。
ま、いいか。あたしにとっても今日はいい日だ。お姉さんも上機嫌だし、断る理由はほとんどない。あたしは奮って参加することにしよう。