3.5話 院長とシスター達
辺鄙な場所に建てられた修道院。そこでは神を崇め、静かに暮らしているシスターと呼ばれる修道女達が生活をしていた。
王国と帝国の間に大きな森がある。先日の件を除けばモンスターもほとんど寄り付かず、動植物ばかりの森の中、石で造られた修道院があった。
大人ほどの背の高く広い囲いの中には建物以外にも右手には小さな菜園、左手には蔵がある。厠は囲いの外に建てられている。
裏側には2つほど墓石も立てられていた。今院長を任されている私は3代目であり祖母と母のお墓なのだ。
扉から修道院の中に入ると身廊から祭壇までの続く道には4つほど横に長い椅子、椅子の左右には縦に細長い金属製の燭台、壁側には2つの大きめの部屋があり、それぞれ食堂と書室となっている。食堂の横の部屋には浴室と水を貯めこむ場所を設けている。どこも飾り気はないが古くから丁寧に使っているため壊れたことはなく年季も入っているため、この修道院の自慢、と思っている。
祭壇の上を見上げると縦に大きなステンドグラスが付いており白、赤、青をモチーフとした色合いでデザインされていた。祭壇の両横には階段ががあり片方ずつに3部屋小さな小部屋がある。小部屋にはそれぞれベットや戸棚、簡素な机や椅子が置いてあり、シスター達が睡眠を取るのは主にこの小部屋である。客人用に部屋を開けて利用することはあったが、前に来たのは祖母が生きていたころに一度あったくらいか。
ここの修道院にいるシスター達は事故や戦争が原因で身寄りがなかった者等、過去に悲惨な目に合い世捨て人となった者達ばかり。
自身も含めれば6人と都と比べると圧倒的に人数は少ない。
私はというと元孤児であり母と祖母とは血の繋がりがないものの、そんなものが無くとも記憶も曖昧で歩き始めたばかりの幼い自分を拾ってくれ育ててくれた母と祖母にはそれ以上の繋がりがある。亡くなってしまった今もその愛情が胸の内に常に残っているのだ。この気持ちは魂がこの身体から離れても消える事はないであろう。
院長、とは言われているが1年前に亡くなった母から受け継いだだけであり、歳も徳も周囲のシスター達よりも積んでおらず、まだまだ未熟と思っている。
ここにいてくれるシスターたちは過去に辛い目に合いながらも、常に周りを気にするような者たちばかりで、神への崇拝も心からのものであると長年見てきてわかっているし、今までもこれからも支えてくれている彼女たちが大好きである。
ただ、シスターとして未熟なのは年齢や経験の話だけではないのだ。
何せ、神を崇めるはずの修道院の長でありながら、私は神をそこまで信じていないのだから。
この世界には神がいた、というよくある話があるし作り話から生まれる事も当然ある。
しかし一番古い物で、3つの大いなる神がこの世界を作った伝承がある。
この修道院のステンドグラスのモチーフにもなっている白、赤、青を司る神。それが三神だと祖母が生きていた時に聞いていて、シスター達の真似をして何年も祭壇へ跪き祈りを捧げていた。
それがどうしたのか。
歩くのがやっとの自分を救ったのは母だ。
シスターたちをこの修道院に匿い、まともに生活できているのは祖母のおかげだ。
この森には存在しなかったはずの大型のモンスター、それを倒したのは身内ですらない旅の人だ。
そして、そのモンスターに追われた子供たちは必死に逃げ、建物に逃げ込むこともできたにも関わらず自らの持てるそのちっぽけな力だけで立ち向かったという。
神なぞどこにいるのか。ただ覗き見ているだけではないか?
私が間違った考えをしているのはわかっている。今回の件だってもしかしたた神の巡り合わせによって結果的に全員助かったという見方もできるではないか。皆幸運に恵まれていたではないか。
そう考えれば自身の考えなど卑屈なものでしかない。そうに違いないのだ。
おそらく、きっと。
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モンスターが倒された日から4日ほど時が過ぎた。
助けた女の子たちは2人。
白がかった髪、茶色い瞳、感情豊かで元気な子が小桜 咲ちゃん。
黒い髪、薄い水色の瞳、ぼーっとしており妙に落ちいついた子が をことぬしちゃん。
2人は日本と呼ばれるらしい国に住んでいるらしいが、こことは場所がまったく違うらしく情報が来るまでは修道院にて預かることした。
咲ちゃんの書いてくれた文字は書室のどの本にも載っておらず、見たことがないものだった。
ひらがな、カタカナ、漢字という3種類を使い分けて言葉にするようで、咲ちゃんの名前を書いてもらったが、どれも分からない。にも関わらず普通に私たちと会話はできるのが不思議である。
咲ちゃんは5歳のようだが、ぬしちゃんに聞いたところ「さきちゃんとおなじでいい」らしい。
同じでいい、とはなんなのか。幼稚園でのクラスではぬしちゃんの方が上らしいが歳は同じ、とのこと。
咲ちゃんは、明るく元気で5歳だというのに教育がしっかりされている。お風呂やトイレ等簡単な事なら自分ででき、シスター達の作業も率先して手伝いに行ったり、この世界の文字にも興味があるらしく「おしえて!」と言われたシスターの1人が喜んで書室に連れて行き勉強しているくらいだ。
ただ、当然と言えば当然であるが、元気に見える反面家族に会えない事で不安が大きいのだろう。夜になって辺りが暗くなると途端に甘えんぼになり、眠るときは誰かと一緒にいないと泣いてしまうのだ。
なんとかして家族の元に返してあげたいが、今は抱いて頭を撫でてあげることしかできない。王国にある教会にこの子たちを任せる必要も出てくるかもしれない。
ぬしちゃんは・・・、なんといえばいいのか。謎の一言だ。
例を挙げると、
食事を用意したときに、食べ物を食べたことがないと訳が分からない事を言い始めたのだ。その食べ方は野菜を使ったスープを手づかみで飲もうとしたりスプーンでパンを串刺しにしたりと乳幼児に近い。
食事を終え棒立ちしたかと思えば、そのまま立ち尽くしたまま用を足しはじめたのだ。オムツの癖が抜けていないのか今まで厠などに行ったことがないという。
そのまま汚れを取るために湯を沸かし浴室に連れて行ったのだが、あろうことか川に石が落ちるが如く横に倒れ湯船に全身を突っ込み始め、慌てたシスターが急いで引っ張り上げ安否を確認し返ってきた言葉は、
「みずが、おくちにはいってくるんだ」
当たり前である。
水を呼吸をするように全力で飲み込んだところを見ると、今まで水に浸かる事すらなかったのがわかった。
まさか、寝方もわからないと言い始めるかと不安に思ったが、「もりのなかでおぼえた」ため睡眠は取れるという予想の斜め下を行き、誰もが頭を抱えた。
だが、一緒にいたはずの咲ちゃんに聞くと幼稚園ではこんなことは1度も無く、それどころか先生から一度も叱られることもなかったという。
つまり、もしかしたら、怪我の後遺症で記憶障害が起きているのでは?とシスター達と相談をして話がついた。そうとしか考えられないのだ。
ここに2人が運ばれてきたときに咲ちゃんは打ち身程度であったが、ぬしちゃんは恐らく・・・モンスターにやられたであろう打撲の跡がお腹、背中にも叩きつけられたらしい酷いアザがあり、頭からは出血していたのだ。
これらの怪我は癒しの奇跡でなんとかなり1日しっかり休んでいれば完治はするが、記憶までは効果は及ばない。
ただ、忘れているであろう事は一部であり、覚えはかなり良い方なので4日たった今のところしっかり生活ができている。
咲ちゃんも含め目を離さないように気をつけねば。
朝の食事が終わり、菜園での作業も終わり、今の時間はお昼前くらいか。子供たちが来てからというもの、この修道院は賑やかになったものだ。
シスターたちは孫ができたとばかりにはしゃいでいるほどであり、子供たちの遊びに付き合ったりして楽しんでいる。
もともとシスターと呼ばれる修道女には異性恋愛など御法度ではあるが、いざ可愛らしい子供と生活できるとなると気分が跳ねるように良くなるもの、らしい。それもこんな人はたまに見かけるくらいの辺鄙な修道院では子供と会うこと自体王国にさえ向かわなければ一生無いものなのだ。
今では午前の作業を早めに終わらせて、子供たちの元に向かい遊ぶのがシスター達の日課になりつつある。咲ちゃんたちが手伝いに来てくれたら天使でも舞い降りたかのように喜び、どっちが子供かわからない。
とは思いつつも、恥ずかしながら・・・院長である私もその内の1人なのだが。
さて、今日はどんな遊びをしているのか?そればかり考え修道院の扉を開け中へ入る。
すると身廊の先には・・・神像の姿が2つあった。
1つはこの修道院ができてからある三神を象った物で祭壇の後ろに配置されている。男性を模した神が両手を横に広げ、その手にはどちらにも玉を乗せており、もう1つの玉は首からぶら下げていている。この玉が三神を表しているのだ。
ではもう1つの神像はというと。
ついさっきできたばかりであろうその神像は、三神の玉を持っている男の神像を真似て両手を横に広げ、その両手の上には見事と言わせる程の鳥を模した紙、折り鶴を持ち、首には外に生えていた花の首飾りをぶら下げている。首飾りは咲ちゃんお手製のものだろう。
菜園の手入れに行く前にはなかったはずの、黒い髪にぼーっとした顔、プニプニしたほっぺの女の子の神像があったのだ。
祭壇にある三神ではなく、もう1つの神像に咲ちゃんとシスター達が囲むように跪き崇めていた。
シスター達は心なしか笑いをこらえているように見える。どうやらこの神様は笑いを司る神といったところか。その状況を見た途端に自分もクスクスと笑みがこぼれてしまうのだからそうだろう。
とはいえ、これはどう収拾を付けるべきなのか。院長として諭さねばなるまい。
「おお!幼き神よ、ぬし神様よ。どうか哀れな私たちをお救いください」
『そのおねがい、ききとどけたんだ』
私の声が届いたらしく、なんと神からのお声も頂いたのだ。
するとどうしたことか。その神像は片足立ちになり横に広げた両手を斜め上へと伸ばし始めたではないか。
その姿は荒ぶるタカ、というよりニワトリである。そのほうがかわいい。
瞬間、神には抗える事ができずシスターたちは堪えきれず大笑いをしだした。咲ちゃんも自分もそのコッケイな姿につい笑ってしまう。
その神像、いや、もういいだろう。
三神の神像を真似た、ぼーっとした顔をしたプニプニほっぺのぬしちゃんがそこにいた。何を目的とした遊びかはわからないが、笑いの神の面目躍如といったところか。
そのくせ笑わせてくる本人はずっと無表情なのだからタチが悪い。その姿には後光でも指しているかのように輝いている。実際ステンドグラスから差し込む日の光に晒されているのだから、そりゃそうか。
明らかにミスマッチなのに板につきすぎてるのだから余計に笑いを誘うのだ。
悪乗りした結果、余計に収拾がつかなくなってしまったではないか。それが楽しくてしょうがない。
この天使のような2人の女の子が来てから、この修道院は雰囲気が明るくなった。こんな森の中で質素に生活をし、神を崇めるだけの私たちにはあまりにも過ぎたる幸運である。他のシスター達もそう思っているだろう。
この楽しい日々がいつ離れていくかはまだわからない。
家族が見つかればそれでよし、時間がかかるようならその時に手を打てばよい。
またこの子たちに危険が及ぶようなら・・・大げさかもしれないが、命を懸けてもいいかもしれない。
今更信心深くなるのも遅いのかもしれない。
それでも、もし、本当に神様がいるのなら・・・。
どうかお慈悲を。
この子たちの行く先に、光あれ