34話 崖の淵
命を支えるは両の腕
手放しては崖の下に落ちてしまうだろう
生きている限り 怪我をしようと 病気にかかろうと
ずっとずっと続くのだ
自ら手放すとするならば 辛さか 諦めか 勘違いか それはわからない
そして
また1人
無理矢理起こした身体が酷く重い。変形した鎧が身体を圧迫し呼吸がつらく、荒い。プラプラと揺れる両腕が今になって激痛となって襲い、過去に素人ではあるが雷撃を浴びた時のように体中を駆け巡る。
これから自身の目指す末路はなんとも馬鹿な行いだと警鐘が耳鳴りとなって伝えてきているようだ。
それでも、立ち回るしかない。それしかない。できない。
魔蛇を見ればお互いの持つ牙はもうボロボロだ。ほぼ半身を失い、垂れ千切れた視神経で脳髄にまでダメージが入っているせいで動きはこれまでより明らかに鈍い。それでも体格差には圧倒的に負けており、こちらにいたっては小突かれただけで倒れ込んでしまうだろう。
剣を持たない剣士に誘われるように魔蛇の片目となった視界に追われ、ぎこちない動きで向かっていく。笛の呪いは絶大だ。肉片となっても攻撃し続けるかもしれない。
激痛の走る身体に鞭打って左前方へと進み、残った右目を晒すように誘導し・・・。
「いけぇっ!!!」
さっきから叫び声の似合わない男による鋼鉄の矢が放たれる。それほどに仲間も必死なのだろうと考えると、頬が自然と緩んでしまう。
・・・そのトドメとなるであろう一発は、外れた。
回避されたわけではない。長い尾を失ってバランスの崩れた動きは弓使いにも読めなかったのだ。
目を狙った鋼鉄の矢はあろうことか魔蛇の口の中へと入りこんでしまったのだ。粘液と角度が悪かったのか、痛みを感じているような素振りをまるで見せず・・・失敗だ。
「逃げろぉっ!!」
どこに逃げろって?
絶望的状況となったのに剣士は可笑しさで笑ってしまう。おかげで圧迫された腹が余計に痛い。多分骨も折れており、内臓を引っ掻くような痛みで痛痒い。
魔蛇の身体が空高く持ちあがる。
上からの降り下ろしだ。だが、身体が・・・曲がらない。ぼやけて見えにくい。
俺はここで終わるのだ。あの世で同じ運命を辿った父が情けない息子を待っているだろう。本当に、情けない。
せめて・・・仲間と子供だけは、逃がしてやりたかった。
紫鱗の魔蛇、水晶の鱗による無慈悲な断頭台が・・・剣士に振り下ろされた。
「今っ!!」
強風に運ばれたかのような女性の声が耳に入る。なんだ?
「やぁあああああああ!!!」
甲高い、未成熟な少女の叫びがさらに入り込んでくる。いったいなにが?
そう思った剣士の足元近くから、光の壁が突如として持ちあがるようにして現れたのだ。
それは痛みと重さで前のめりになっていた剣士の髪先すれすれに現れ・・・腰を抜かした。
なんでって?
岩どころか、鋼の剣ですら圧し折る水晶のような鱗ですら敵う未来が無い白髪の少女の『守護の奇跡』。
それが灯した明かりのように出現したのではなく、高速で下から昇るように出現したわけだ。
そんなものにぶち当たった生き物が・・・無事なわけがないだろう。
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なんとも不幸で、不運であって、悲劇。そうとしか言いようがない哀れな存在について語ろう。
まず、その者は身体が巨人の放つ巨大な大槌にでもぶん殴られたのだろう。柔軟なはずの身体が直角に折り曲げられたかのように折れ曲がる。顎周りの水晶の鱗が破片となって打ち砕かれた。
まるで大木が圧し折れた時の音が響いてくる。実際に圧し折れたわけだ。巨木のような骨が。
目が飛び出るような痛撃。いや・・・実際に残った目も飛び出てしまったのだ。もう、何も見えない。
そして、自慢の巨大な顎が・・・開かない。骨が粉々に折れてしまえば開きっぱなしになるはずだが、細く硬い鋼のような針が無理矢理閉じられた口内に突き刺さり・・・開けない。
紫鱗の魔蛇の最大の武器は水晶のような鱗ではない。巨大な体格からの重量による攻撃が主なのだ。のしかかるだけで小さな生物は潰れるのだから、それだけで勝てるのだ。
その重量は大きな仇となり、反撃となり、時速80kmの4tもする大型トラックに直撃したかのような重く、鈍く、拉げ、潰れる音を出し・・・完膚なきまでに打ち返されたのだ。
生物として、有機生命体として生きていく事のできないであろう巨大な化け物に向かって、パラパラと何かの破片のような物を散らばしながら白き物体を投げ込まれ、土俵にバサりと落ちた。
「あんたさぁ・・・これが嫌いなんでしょぉ?」
恨みつらみ、呪詛が込められた風使いの意地の悪い声が魔蛇に向けられた。届いているかなどどうでもいい。見えて無かろうがどうでもいい。
とにかく憎い、仲間を脅かしたこいつが憎いのだ。
準備万端と言わんばかりに、彼女の背後にはすでに大気の大渦が1つ。
『巻き上げろぉ!!』
ビュウビュウと風音を鳴らし、渦となって巻き上げたのは黒髪の少女の力が込められた・・・紙。
散り散りとなった紙吹雪が魔蛇に引っ付き始め・・・
ボウッ!! ボウッ!! ボウッ!! ボウッ!!ボウッ!!ボウッ!! ボウッ!! ボウッ!!ボウッ!!ボウッ!!ボウッ!! ボウッ!!ボウッ!! ボウッ!!ボウッ!!ボウッ!! ボウッ!!ボウッ!! ボウッ!!ボウッ!!ボウッ!!ボウッ!!
散弾どころの騒ぎではない。上空からの爆撃で聴覚が数を処理しきれない。
数撃ですら怯えるほどに怯んでいた一撃が3桁を越える様は過剰殺戮にも等しい。
巨大な顎を塞がれた魔蛇には悲鳴すら上げる事も出来ず、ついに・・・大地へと沈み、倒れた。
まるで眠るようにピクリとも動かない。
彼ら一行は、紫鱗の魔蛇と大蛇の群れとの戦いに勝利したのだ。
魔蛇が、地に伏した姿を見て動かない事を誰もが悟る。
「・・・つっ!!」
「無理するな!肩を貸す」
抜けた腰を持ち上げようと弓使いが剣士に寄ってくる。肩に伸ばした腕から垂れている血で弓使いの装備が汚れる。
「俺より、あいつ、ぬしは・・・!?」
「・・・っ」
言葉のでない弓使いの反応に剣士の血相が流れ出た血よりも酷い物に変わる。
「お、おい・・・早く、連れてけ、はやく!」
「ああ・・・わかっている」
歩幅が乏しくも足早に男2人は目的地へと向かう。
そして・・・初めて黒髪の少女、ぬしちゃんの状態を見た剣士は目を疑った。
癒しの奇跡による僅かな明かりに照らされた5歳の子供の身体は・・・
「俺より、酷ぇじゃねぇかっ・・・!!!」
細く短い左腕は半分以上も裂け、中の骨も見えており止血の痕すら痛々しい。
容態を見るために晒された左半身がどこも内出血だらけで足は風船のように赤く、青く膨らんでおり、内臓破裂も起きているかもしれない。熟れ過ぎた果実の表面のような傷跡を塞ぐように薬草がかぶさっている。
元々白い肌が、死んだ人間のように酷く青ざめており・・・それが剣士の頭の中で最悪な想像が駆け巡ってしまう。
まともな防具も整っていない5歳の子供が化け物の一撃を受ければ、こんなことになるのは当たり前なのだ。
生きていたとしても・・・折り紙を折る事は2度と叶わないだろう。
「た、助かるか?な?な!?」
剣士の頭にはすでに傷だらけで今にも絶命しそうな子供に塗り替えられ、弓使いの肩から離れ息を上げながら風使いに話しかける。
「何とか・・・言ってくれ・・・!」
魔蛇の冠による一撃ですら目に浮かべなかった涙が、彼の目には浮かんでしまっていた。
「・・・教会に、すぐにでも行かないと・・・だめ」
「なら、それで!」
「ここから何時間、かかると思ってるのよ!!」
泣きたいのはこっちもだ。そう涙声で訴える風使いは奇跡を止めないままに剣士へと睨みつける。休憩無しで丸1日全力疾走ができれば可能だろう。
可能であれば。
「あたしの、力じゃ・・・止めるのが精いっぱいなのよ・・・!!」
何よりも、彼女の奇跡の力は弱かった。今も教会にいるシスター達であれば、もう少しマシな回復を見込めたであろう。
だが・・・この場にいる彼女には才能は無いに等しい。守護の奇跡であれば技術でどうにかできていたが、癒しの奇跡のような純粋な力では命を繋ぎとめるだけで精一杯だ。
「薬草・・・!薬草がまだあるだろ!?」
「もう少ししか無い・・・!」
「なら、それも」
それも、と風使いに迫るように一方的に話かけ、残る薬草に血まみれの手を伸ばそうとした剣士に・・・弓使いが腕を使い止め始めた。
弓使いの手で握られたのは剣士の怪我をした、腕。途端に激痛が走り剣士の動きが嫌でも止まる。
「お前も重症だ・・・!」
「俺、俺よりも早く」
「誰がこの子を守る?ここから出られる保証は!?お前も倒れたら俺達はどうなる!!」
「・・・っ!クソったれ・・・!!」
正論の殴打を受け、剣士は大人しくその場に座り込む。身体を支えようと癖で地へと伸ばした両腕にまた痛みが走る。目の前がぼやけて見えるのは涙か疲れか。どれもだろう。
弓使いに防具を一つ一つ丁寧に外されていく。歪んだ防具の内側はなんとも酷い有様であり、意識があるのが不思議なほどだ。
「・・・ぅ・・・ぁぃぅ」
一同が飛び跳ねるように一点に集中する。
ぬしちゃんの意識が戻ったのだ。
「・・・ぃたぃ・・だ」
「だ、大丈夫!ぬしちゃん大丈夫よ!」
痛いという表現が彼らの胸に鋭く突き刺さる。治癒の奇跡を止めてしまえば危うい状態なのだから。
「ゲボッ・・・ごぶっ」
身体を横に寝かせていた頭から血の塊のような物が吐き出され弓使いと剣士が手に持っていた物を落としてしまい、黒髪の少女の元へと慌てて向かいだした。
「おお、おいぬし!?ぬし!ど、どうすりゃいい、なぁ!?」
「とにかく、血を拭いて、えと、出して!窒息しちゃう!」
「俺がやる・・・貸してくれ!」
風使いの持ち物から弓使いは手ぬぐいを拝借し口元当て、開いて処置を施し血に染まる。小さな体から吐き出される怖気が走るほどの血の量に弓使いの手が震える。
「を、こと・・・ねむぃ・・・だ」
僅かな言葉を聞き取れた風使いの疲れの見える顔が冷めていくように白い物へと変わる。
「だ、だめ、寝ちゃだめ!だめ!!」
「なっ・・・!?」
彼女の見立てではあるが・・・寝るとは、そういうことらしい。
その言葉を聞き、最低限の処置を終えた弓使いが入口に置いていた荷物へと走り、小さな包みを持ってきた。
取り出されたそれは薬でも医療道具でもない。
彼が包みから取り出したのは・・・茶色いチョコの塗りたくられたコタコタだ。
「ぬし!これを見ろ、見えるか?ほら、コタコタだぞー」
まるで、子供をあやす父親のような言葉使いで彼は指でつまんだコタコタをぬしちゃんの近くで見せつけ始める。
すると、重たい瞼を少しずつゆっくりと見開いて幼く血痕の付いた顔がそちらへと向かう。
「起きたまま帰ったら、コタコタをいっぱい・・・食べられるぞ」
「・・・こ・・・た」
「たくさん買って、たくさん食べられるから、寝たらだめだぞー」
彼の声は赤ん坊へと語り掛けるように優しいが・・・声色が震えていた。こんなこと、物で気を引くなどと・・・気休めでしかないのだから。
「ど、こ・・・んだ」
「ぬ、ぬし・・・!!」
ぬしちゃんはまだ動く幼い右腕が力なく、ぶんぶんと振り始めるが空を切るだけだ。
目はこちらを向いているのに・・・見えていない。青く吸い込まれそうなほどに澄んだ瞳から生気が失っていく。
手に力が入ってしまいコタコタが割れてしまったことに気にも留めず、弓使いは悲痛を帯びたように名前を叫ぶ。
そして、風使いの様子も問題となった。奇跡を唱えて伸ばしていた両腕がどんどんと降りてきている。
「はぁ・・・・はぁ、まだ、まだ・・・っ!!」
内包された魔力は無尽蔵ではない。
最後に残された魔力が尽きる時・・・それが何を意味するか。
「強壮剤・・・取って・・・」
「そんな物に効果は!」
「無いより、マシよっ!!」
魔力は精神力から来るものであり、どうにかして倒れまいとする彼女の一声に正論を言うが彼女以外に希望が無い彼らは従うしかなかった。
「さ、きちゃ・・・ど、こ・・・」
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咲ちゃん。
その名前を聞き、彼ら3人は姿の消えていたもう1人の少女の行方を探すが、すぐに見つかった。
「ぬじ、ぢぁん・・・」
風で吹き飛ばされたはずのボロボロで元は白いカバンを両手で担いでいた咲ちゃんが離れで立ちすくんでいた。
飛んで行った親友の落とし物を拾いに行っていたのだ。砂利や砂、魔蛇か大蛇の血にでも触れたのか、酷く汚れており、今のぬしちゃんの状態を表したかのようなカバンを。中身はほとんど吹き飛んでしまい、すっからかんだ。
咲ちゃんは血まみれで倒れ、薬草漬けとなったぬしちゃんの元へとトボトボと歩き近寄っていく。
剣士、弓使い、風使いの目に伏した姿に・・・咲ちゃんはたった一度だけ、見覚えがあった。
おじいちゃんが、病院で死んじゃう前のお父さんとお母さんの姿と同じだ。
「咲は、ここだよ・・・!」
手に持っていたボロボロのカバンを置き膝を付いて座った咲ちゃんはぬしちゃんの右手を両手で握った。
手が冷たい。
これも、同じだ。
涙がどんどんと溢れてくる。
「ぬじぢゃん、しんだら、いやだよ・・・!」
約束は、どうなるの?
お母さんのシチューを食べることは?お家で一緒に住むことは?まだ幼稚園も卒業できていない。やりたいことがいっぱいあるのに。
「だ・・・じょぶ、なんだ・・・」
どこが大丈夫か、教えてほしい。こんなに、手が冷たいのに。
間違えた事はよくするけれど、ぬしちゃんは嘘はつかないはずなのに。
どうして?どうして大丈夫なの?
「ま・・・た」
また。
「・・・あえる、ん・・・・・・・」
会える。
黒髪の少女の手から力が抜け、ダラリと手から滑り落ちる。
ああ、これも同じだ。 同じだ。 だめ。 同じ。
ぬしちゃんは・・・息を引き取った。





