1話 さきちゃんとぬしちゃん
さきちゃんとぬしちゃんはとても仲良し
ー 2019年5月
「ふんふふーん♪」
ここは園児たちの集う幼稚園バスの中。
ご機嫌そうに歌詞のない鼻歌で歌うのは、今年で5歳になった小桜 咲ちゃんはお友達と一緒に わかば幼稚園へと向かっているのであった
頭には黄色い帽子、チェックのスカート、黄色いバッグ、『こざくら さき』と書かれたひまわりの可愛いネーム。制服は嵩張るからと、家から幼稚園に向かう際も最近ではピンクの女の子用スモックを着るようになっていた。
他の子たちと違うとしたら、その白がかった髪の色と花咲くような可愛らしい笑顔。
「ねぇ!さきちゃんはどうしてニコニコしてるの?いいことあったの?」
「えへへー!えっとね!」
咲ちゃんの満面の笑顔に不思議に思ったのか、となりの座っているお友達が咲ちゃんに聞きます。
「ようちえんにいくとね!ぬしちゃんにあえるんだよ!」
「ぬしちゃん?」
咲ちゃん達がお勉強をしている“ひまわり組”にはそんな名前の子はいないので、うーん、とお友達が考えていると咲ちゃんはこう言います。
「だからね!ようちえんだーいすき!」
咲ちゃんはニコニコ笑顔。
終始楽しそうにしている笑顔には、お友達も楽しい気持ちになってきます。
そう、ぬしちゃんは咲ちゃんにとって世界で一番のお友達なのです。
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「はーい!つきましたよー!足元に気を付けておりるのよー!」
先生からの声を合図に乗っていた子供たちがぞろぞろとバスから降りると、わかば幼稚園に到着です。
築40年のそこそこ古い幼稚園は、ところどころに綺麗に修繕された跡が残っており、少しずつ評判の良くなってきた幼稚園である。
小学校くらいのグラウンドのように広い庭園が特徴であり、災害が起きたときは避難所としても活用されているとか。
庭園と路上に繋がる門は2つあり、入り口とは違って遠くにある門はいつも閉じたままです。
バスから降りた園児達の行動は多種多様、予想がつきません。
走って園内に入っていく子や、友達と手をつないで歩く子。歌を歌いながら歩いている子もいれば、隅っこにいるらしい蟻の行列に挨拶する子もいます。
いろんな園児たちがいる中、咲ちゃんはというと、園内に急いで入るなり、辺りをキョロキョロと見まわします。
「ぬしちゃん!おっはよーー!!」
咲ちゃんのお目当ての子が見つかりました。
「おはよーなんだ」
なんだ言葉を話す、ぬしちゃんです。
サラリとした黒髪で、吸い込まれそうになるほどに綺麗な青い瞳。咲ちゃんとまったく同じ格好で、ネームを付け忘れているぬしちゃんが、お地蔵さんのように立っていました。
いつもボーーっとしている表情で、空いた口から涎が垂れそうな女の子に咲ちゃんは向かっていくのでした。
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ぬしちゃんは咲ちゃんがわかば幼稚園に入園してからのお友達の女の子。
普段は仏像のようにぼーっとしているのんびりやさんだけど、足が速くて、いろんな遊びを知っています。
咲ちゃんがやってくるや否や、フィギュアスケーターの如く回転をやってのけ、咲ちゃんを驚かせました。
「すごーーい!いまのおどってたのはなぁに?」
「ぐるぐるおどりである」
「咲もね!こんどみんなとおどるんだよ!」
「すごい」
「がんばるね!」
「おうえんしてるんだ」
「そうだ!ぬしちゃんはいつもどうやってきてるの?」
「はしる」
「こんどいっしょにバスにのってかえろうよ!」
「がんばる」
ヘンテコな語尾のことを、咲ちゃんはなんだなのか言葉と覚えています。
わかば幼稚園でこの言葉で話すのは、ぬしちゃん以外で聞いたことがありません。
「咲ちゃーん?そこでなにしてるのかなー?」
咲ちゃんのことが気になった先生からの呼びかけに咲ちゃんはびっくりします。
「せんせいによばれちゃった!ぬしちゃんまたね!」
「うん、おたっしゃなんだ」
先生に怒られてしまう前に咲ちゃんは、ぬしちゃんとまたねとあいさつをしてその場を離れる。
ぬしちゃんといっぱい遊べるのはお昼休みなので、咲ちゃんはいつもお昼休みが楽しみで仕方ありませんでした。
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日が昇ってお昼頃。
お昼ご飯を食べ終わった子からお昼休みが始まります。とにかく早く食べ終われば長く遊ぶことができるので、咲ちゃんは急いで給食を食べ終わります。
「ごちそうさまでした!」
「さきちゃんはやーい!」
ぬしちゃんはいつもお外で遊んでいるで、咲ちゃんは急いでお外に遊びに行く準備をします。日課と言ってもいいほどです。
よいしょよいしょと上履きから外履きに履き替えて、外へいざ出陣。
「ぬしちゃーーん!いっしょにあーそーぼー!」
外に出るなり元気な声で咲ちゃんはぬしちゃんを呼びます。
ぬしちゃんは耳がいいので元気に叫ぶとすぐに駆けつけてくれるのです。
・・・
「ぬしちゃーーん!どこーー?」
返事がないのでもう一度声を掛けても ぬしちゃんは出てきません。
ぬしちゃんもまだご飯を食べているのかな?
そう咲ちゃんが考え始めて歩き回っていると、幼稚園の裏口の近くで困った顔をしている男の人と、真っ黒な変わった服装をしている男の人がおはなししていました。
1人はわかば幼稚園の園長先生、もう一人は・・・誰かがわかりません。
そんな2人を咲ちゃんが遠くで眺めていると、後ろから声を掛けられました。
「咲ちゃん。どーしたの?」
「せんせい!えんちょうせんせいと くろいおじさんはなにをしているの?」
ひまわり組の先生だ。
見知らぬ人が気になって、咲ちゃんは先生に聞いてみます。
「うーんと、私も園長先生から聞いたんだけど、幼稚園に悪ーいお化けさんがいるらしいのよ」
悪いお化けさん?
何のことか咲ちゃんはさっぱりわからない。
「でもね、その悪いお化けさんをやっつけてくれる人が来てくれたからもう大丈夫!」
「やっつけちゃうの?」
お化けは何か悪いイタズラでもしたのだろうか?
ふと気になって、もう一度園長先生達の方へと顔を向けて、咲ちゃんは驚きます。
「ぬしちゃん?」
ぬしちゃんがちょうど黒い服を着た男の人の影になるように立っていたのです。ぬしちゃんを囲って話しているのを見ていると、先生は言いました。
「あそこには園長先生と除霊士のおじさんしかいないから先生と向こうで遊びましょ!」
「え!?」
何を言っているのだろうか?
「せんせい!あそこにぬしちゃんもいるよ!」
ぬしちゃんもそこにいるのに。
「・・・ねえ咲ちゃん、ずっと気になってたけれど・・・ぬしちゃんなんていないわよ?」
「ぬしちゃんいるもん!くろいふくのひとがさわってるもん!あそこ!!」
ぬしちゃんが悪いお化けだとでも言いたげな先生に、咲ちゃんは怒ります。
どう見てもぬしちゃんはそこにいるし、園長先生達も何かを話している。
「だからね?咲ちゃんあそこには園長先生たちしかいなくてぬしちゃんなんていないのよ?ほら、ちゃんとみなさい」
「いるもん!いるもん!」
涙目になりながら咲ちゃんが騒いでいると黒い服を着た男の人がしゃがみ、そのままぬしちゃんの頭をつかんだのだ。
「せんせい・・・、せんせいは・・・ぬしちゃんがみえてないの・・・?」
「・・・もしかして咲ちゃん、そのぬしちゃんって悪いお化けさんだったんじゃないのかな?先生には見えないかな〜」
悪いお化けがいて、やっつける。
「ちょっと、咲ちゃん!?」
お化けでもなんでも無い、ぬしちゃんをお化けと間違えてしまっていると気づいた咲ちゃんはぬしちゃんのところへと駆け始めました。
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「ん?どーしたのかな?」
駆け寄った咲ちゃんが気になったのか黒い変わった服と着た男は屈み出す。
「えぃ!!」
「ぶぁあっぷっっ!!??」
「え!?何が」
そんな隙だらけの男の顔面に咲ちゃんは砂を叩きつけてやったのだ。
「咲ちゃん」
「ぬしちゃんこっち!」
慌てふためく園長先生が疼くまる男を心配している間に咲ちゃんはぬしちゃんの手を繋いでその場から逃げ始める。
「ぬしちゃんはわるいおばけなんかじゃないんだから!!!」
砂のついたじゃりじゃりとした小さな手でぬしちゃんの手を繋ぎグラウンドへと急いで向かう。
このままでは、お化けと間違えられた ぬしちゃんが南無阿弥陀仏をしてしまうのだ。
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咲ちゃんは気付く。
入り口に向かえば良かったのに、広いだけで逃げ場のないグラウンドへと足が向かったことに。足が外で遊びたいモードに入ってしまっていたのだ。
このままではぬしちゃんと一緒に捕まってしまうと思ったその時、奇跡が起きる。
「ガラガラあいてる!」
ガラガラとはグラウンドのもう1つの入り口である柵状の扉のことで、ガラガラとうるさいからガラガラであり、何故か今日は開いているのだ。
先生達はまだ追ってきていない。
咲ちゃんはぬしちゃんを連れて、大急ぎで開いている門の前まで走り抜け・・・
「咲ちゃん、あぶないんだ」
「え?」
ちょうど門の外へと出るかというところで ぬしちゃんに止められてしまったのだ。
確かに道路は危ないけれど、今なら車の通っていない。手を上げて渡ればいいのだ。
「おい!!!まてっ!!いくなっ!!!」
そうしていると、顔に砂をつけた男が鬼のような形相でこっちに向かって来ており恐ろしい。
まだ距離があるうちに急いで逃げようとするのだが、問題が起きる。
「ダメである」
「わわっ!?」
本当にお地蔵さんにでもなったが如く、ぬしちゃんが微動だに動かなくなったのだ。
「だめなの!おそとににげるの!」
「ダメなんだ」
「ぬしちゃんつかまっちゃうの!」
「ダメである」
綱のない綱引きのような引っ張り合いは ぬしちゃんの圧倒的優勢であり、お互い微動だにとして動かない、平行。
ペシッ
「え?」
釣り合っていたはずのシーソーが突然、何者かに叩かれたかのような感触を咲ちゃんの手に残る。
力いっぱいに引っ張っていた力によって、咲ちゃんの体を路上へと飛び出してしまう。
「いたっ!?」
コンクリートにぶつけたところが痛い。
強い耳鳴りが咲ちゃんを襲い、何かが近づく気配。
咲ちゃんの意識は、そこで途切れてしまう。
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風がぶつかる感じがする。ザーッという音が聞こえてくる。何の音なのか。
ちょっと眠い感じがした。いままで眠いと思ったことはなかったけれど、そんな感じ。
目をごしごしとこすりながら目を開けてみる。
周りを見てみると夕方なのか真上を見ると夕日が見えるが、周りを見ると木 木 木・・・。
ザーッとは風に吹かれた葉っぱの擦れる音であり、ここは木がいっぱいの森の中。
動かした右手に、ぷより、と何かにぶつかった気がして振り向くと、咲ちゃんのほっぺただ。とっても柔らかくて、一緒に眠っていたらしい。
右見て、左見て、上を向いて、向き続ける。
「・・・をことぬし、おそとにでられたのか」
をことぬしという珍妙な一人称、通称ぬしちゃんは見も知らない森の中で目が覚めたのだった。