14 夫婦同衾
「温泉は堪能できたか、レオナルド」
「ああ、くつろがせてもらったよ」
肉を嚙みちぎりながら言ってくるワルドに、俺はそう返し、今いる場所を改めて見回した。
草を編んだ茣蓙のようなものを敷き詰めた広間は、履物を脱いで上がるしきたりらしい。
各人の前に小さな卓が置かれていて、そこにさまざまな容器に盛られた色とりどりの料理が並んでいる。
俺とシスティリアは、ドワーフの使うという「箸」に悪戦苦闘しつつも、山菜や川魚、イノシシ肉なんかを使った料理に舌鼓を打っていた。
「この箸ってのは難しいな」
「慣れない者はそう言うが、慣れてしまえば便利なものだ。もともとは、ドワーフが鍛治に用いる火箸がルーツだと言われておる」
ワルドは人間語が堪能だ。
ワッタのほうも、聞くだけならそれなりに理解できてるっぽい。
ワッタがものおじしない性格の割に言葉少ななのは、もともと無口なタイプなのだろう。
「ひとつ詫びねばならんのだ」
「詫び?」
「ああ。今回、モンスターどもがいつになく増えておったのは、ドワーフ側の怠慢のせいだった」
「どういうことだ?」
「あの温泉は、つい最近掘り当てたものでな。そのせいで、ドワーフの里はお祭り騒ぎになっておったのだ。みんなで酒をかっくらい、温泉に入って汗を流してから、再び酒を浴びるほどに飲む。モンスターの狩人までそんなことをしておったせいで、モンスター狩りがおろそかになっておったのだ」
ドワーフが酒好きだっていうのは有名だが、酒と温泉を交互に「浴びる」なんてのは、人間が真似したら大変なことになりそうだ。
「そういうことだったのか。張り紙に気づくのが遅れたのも?」
「さよう。もともとワッタは一人で山をさまよい歩くのが好きだったから、さほど心配もしておらなんだ。そのあいだに温泉騒ぎが持ち上がったせいで……」
「すっかり忘れてた、と」
俺がワルドを見る目が、じとっとしたものになってしまう。
「……とうさま」
「すまん、ワッタ!」
ワッタからも責めるような目で見つめられ、ワルドがパンと手のひらを合わせてそう言った。
「ひどい。おんせん、むすめ、どっちがだいじ?」
「もちろんおまえだとも!」
「……ほんとう?」
「本当だ!」
娘の信頼を大いに損ねた父ドワーフが、平身低頭謝ってる。
俺とシスティリアは顔を見合わせて小さく笑い合い、食事の残りを味わった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「〜〜〜〜〜〜」
俺、システィリア、ワッタが声を合わせる。
「満足してくれたようなら何よりだ。もっと食いたければ言ってくれ」
「十分堪能したよ」
食い過ぎてお腹が苦しいくらいだ。
俺はドワーフの醸した酒ももらってるので、頭が少しふらふらしてる。
(と、いけねえ。聞いとくことがあった)
俺は給仕のドワーフが出してくれたお冷やを飲み干してから言った。
「なあ、ワルド。モンスターについてだが、今回のようなことがまたあってはまずい。今回はドワーフの問題だったが、こっちだって何かのっぴきならない事情でモンスター狩りがおろそかになることだってあるだろう」
「うむ。その通りだな。
それに加えて、どちらがどこまでの範囲の面倒を見るかが、いまひとつはっきりしておらぬ。
現場の狩人のあいだでは、暗黙の了解があるという。
だが、あくまでも暗黙のものだ。今回そちらが代替わりしたように、こちらだって体制が変わることもあろう。そうした場合に引き継ぎがうまくいかず、ドワーフと人間、いずれの目も届かぬ領域が生まれるのは、双方にとってよくないことだ」
ワルドは、さすがに長らしく、俺の言いたいことを既にわかってくれていた。
さっきから酒をぱかぱか空けてるから、大丈夫かと思ってたんだけどな。
「アスコット村とドワーフの里のあいだで、パトロールの範囲を擦り合わせておくべきだろうな」
「賛成だ。パトロールの範囲は、若干かぶっておるくらいがよいだろう。あまりはっきりした境界を引きすぎるのも、互いに遠慮が出て、モンスターに湧く余地を与えないとも限らんからな」
「俺もそう思う。ただ問題は……」
「わかっておる。国境の話であろう? パトロールの範囲はあくまでもパトロールのためのものであって、国境ではない。そう明文化しておこうではないか」
「助かる。すまないな。ドワーフはあまり国境を気にしないと聞いてるんだが」
「人間どもが領地を明確に区切りたがることくらいは知っておる。ドワーフだって、もっと数が多ければそうした争いが起こる可能性もあろう」
「互いの狩人を交えて話し合う場を持つべきだな」
「うむ。とはいえ、ドワーフにはやはり、人間どもに警戒感を持つ者も多い」
「互いに人選には気を使う必要があるか」
「そうしてくれ。どこか中間地点に仮小屋でも建てさせ、そこを会談場所にしよう」
俺たちがドワーフの里に乗り込むのも、ドワーフがアスコット村に乗り込むのも、どちらも相手を刺激してしまう。
また、乗り込んだ側が圧迫感を覚えれば、交渉に影響が出ないとも限らない。
(交渉か。人間側としては、水源や木材、牧草地。ドワーフ側は鉱石の採掘権がほしいだろう)
今回のことで一歩近づいたとはいえ、人間とドワーフ、二つの種族のあいだにはまだ不信感が横たわってる。
その中で利害の調整を行うのは骨が折れそうだ。
そこで、システィリアがおずおずと言った。
「あの……それでは、パトロールの件だけでも書面にしておきませんか?」
「ふむ……どうであろうな。具体的なことはまだなんとも言えぬのだが」
「モンスターの発生を防ぐため、アスコット村とドワーフの里はパトロールの範囲を打ち合わせることで合意した、という程度のものでいいと思います」
「その程度ならばよいか。言った言わぬになっても面倒だからな」
「わたしはドワーフ語がわかりますし、ワルド様は人間語がわかります。双方の言語で認めておけば誤解もないと思います」
「そういうことならば、用意させよう。用心深い奥方であるな、レオナルド」
「だから嫁じゃないんだが」
気分を害したかとひやりとしたが、ワルドも長らしく、そういう手続きの大事さはわかってるようだ。
その後はよもやま話に花を咲かせ、疲れてるだろうからと、あまり遅くなる前にお開きになった。
俺とシスティリアは、客間に案内された。
さっきの広間と同じような茣蓙が敷かれた部屋だ。
問題は……
「なんで一緒の部屋なんだよ!?」
「部屋は別がいいかと聞かれたので、一緒で構わないと答えておきました」
システィリアが得意げに言った。
(こいつに通訳を任せたのは失敗だったかも……)
ドワーフの里では着実に、システィリアはアスコット村の代官夫人として認識されつつありそうだ。
部屋の真ん中には、二枚の布団が並べて敷かれていた。
仲睦まじく並んだ布団を見て、おもわず黙り込む俺とシスティリア。
「……こ、こうして見ると気恥ずかしいですね」
「完全にそういう関係だと思われてるじゃねえか」
「わたしはそういう関係になりたいんです!」
「俺はなりたくないんだってば」
そりゃ、なりたいかなりたくないかと言われればなりたいに決まってる。
でも、そんな空気を出したら最後、システィリアは行くところまで行くだろう。
「さすがにいろいろあって疲れたな。今からそんなことを致す余力はねえ」
「そ、そんなこと……!?」
「なんだよ、自分で煽っておいて。いや、余力があってもしないからな?」
「いえ、まあ……わたしも秘呪を使って結構疲れてます。肉体が、というより、精神が、なのですが」
「そういうことならもう寝ようぜ」
俺とシスティリアは、灯篭を消し、布団の中に潜り込む。
「……言っとくが、布団の境目からこっちには来るなよ?」
こそこそとこっちに忍び寄ろうとしてたシスティリアがぎくりとする。
「それ、女の人が言うセリフじゃないですか?」
「狙われてる方が言うセリフだよ」
互いに疲れているせいか、そこで会話が途切れ、しばらく間が空いた。
そっと隣を見る。
システィリアも同じタイミングでこっちを見てた。
システィリアが柔らかい声で言った。
「……おやすみなさい、あなた」
「馬鹿なこと言ってないで早く寝ろ」
俺は反対側に寝返りを打つ。
赤くなった頬を布団にうずめた。
まだ温まってない布団がひんやりしてて気持ちいい。
「おやすみ、システィリア」
なんとかそれだけつぶやくと、俺は急速に眠りの中へと落ち込んでいった。