第86話 怒りの天性
二投目。
ブクブクと悔しがるカニはその泡を量産していった。口だけではなく、身体の至るところから噴き出した泡は風にあおられ、エリア全体に広がっていった。
泡はふわふわと浮かぶシャボン玉のようにゆらぐ。アーガスは目の前にきた泡をハンマーで叩いた。泡はハンマーの衝撃を吸収した後、数秒おいて爆発した。
目の前にいたアーガスは、あまりの衝撃に後ろに仰け反った。
「ぬっ……これはまずいぞ」
爆発する泡はエリアを埋め尽くすほどあり、目の前で割ってしまえば、泡の処分はできるものの、こちらにダメージが入ってしまう。
泡が段々と増えていくなか、カルトは予備の剣を取り出し、泡の検証を行っていた。間近で斬り捨てるとダメージを負う。なら、投擲ならどうか。これも爆発する。魔法ならどうか。これも爆発する。
「うーん、やっぱ遠距離だけだな。味噌汁ご飯、泡の処理を頼める?」
「いいわよ」
「探索しつつでいいからね」
「任せて」
「ありがとう」
味噌汁ご飯を送り出し、カニへと一歩ずつ近付いていく。泉の目の前まで来ると、急に泡の量が増えた。それを闇魔法で誘爆させる。闇の晴れた先には未だに泡をブクブクとさせたカニがいた。
「あれは止めるにはどうすべきか……泉内は危険だろうし……ここはビックリ箱の八雲に任せるか」
カルトがカニに攻撃を仕掛けた後でも、カニは泉の中心でブクブクしたままだ。心なしか泉の水位がさらに下がった気がする。これ以上増えると身動きができなくなってしまう。早々に処理をしないとゲームオーバーになるのだろう。
「ユーク、離れてろ」
「嫌です」
「戦いの邪魔だから」
「嫌です」
「そうか、なら行ってもらうか」
俺がユークを転移巣で彼方に飛ばそうとすると、腕に絡み抱きついてきた。
「どうですか!?こうすれば、どうすることもできないでしょ?」
自慢気に言うが、その程度で防げると思っているのか。地面に巣を張り、天網をカニの真上に張る。
「ユーク、ラストチャンスだ。離れろ」
「離れられませんからね」
「そうか」
俺は巣の真上で【守護者召喚】を行った。それを興味深く見るのはユークだ。自身が光を帯びていることも知らず、観察していたユークは次の瞬間、巣へと召喚された。
「え、八雲さま?」
「いってらっしゃい」
「まっ―――」
ユークがなにを言おうとしたのかわからないが、転移したユークは悲鳴をあげていたことだけは理解できた。空高くに打ち上げられたユークは保身のために、背中から巨大な骨の腕を出し、周囲にある泡を割った。
「くっ……まったく、八雲さまは強引なんだから……」
ダメージは少ないが、量がある。小さいダメージでも重なれば大ダメージだ。場所が場所なだけあって数が多い。あのままではユークが危ないかもしれない。自分で送ったが、なんてことをしてしまったのか、後悔の念を抱いた。
「あのまま落ちると最悪……帰ってこい、ユーク、送還」
ユークは守護者召喚で召喚しており、送還をすると元の場所に戻ってくる。転移巣は俺が発動させることで起動する。俺が発動をしない限りは転移することはない。
「え……」
「おかえり、ユーク。反省したか?」
すぐに謝りたい気持ちを抑えて、ユークに問う。元々の目的を聞き出した。
「は、はい……」
「俺の援護を任せたぞ。そろそろカニを黙らせる」
気力を消費したユークはしばらくの間、地面に手を当てて心を落ち着かせていた。そんなユークを垣間見て、後でなにかお詫びをしようと画策する。
「カルトかカレー炒飯の町で買い物にでもいくか。女の子は買い物好きそうだし、ユークは女の子だからな」
妹のミオも買い物に連れていってクレープでも食べさせたら、機嫌を直してくれる。きっとユークも怒りはすれど、許さないなんてことはないはずだ。ご機嫌とりもあるが、カルトに遊びに来るように言われていたし、ちょうどいいだろう。
ブクブクと泡を出し続けるカニに掌を向ける。空を見上げてタイミングを見計らう。泡の軌道は風にあおられる性質がある。ここは俺たちが来た方向とは逆から風が来る。そのため、泡はこちらへとふわふわ浮いて移動してくる。なんとも不利な状況だ。
泡同士がぶつかると消滅する。そのため、カニに近いほど泡の密集度は少ないが、カニから離れた時間が短いからか、俺たちを狙ったかのように軌道をすることがある。おそらく近くならカニも操作が可能なのだろう。
カニの天上に位置した天網から落ちた雷の糸は泡を透過してカニの口に直撃する。その間、泡への接触は皆無だ。突然の上からの奇襲に、カニも驚く。と、同時に生成したばかりの泡と雷天糸がぶつかり、弾け飛ぶ。
泡の衝撃が直撃したカニは泡の生成をやめた。新しい泡は生まれていないが、空でプカプカ浮いた泡は残ったままだ。カニは泉から大きな波を起こしながらこちらに歩いてきた。
泡の生成がなくなったことでヘイトが薄らいだカルトは、味噌汁ご飯に大剣の回収を頼んだ。
「味噌汁ご飯、頼む」
「おっけー、受け取りなさい」
「助かるよ」
味噌汁ご飯に投げ飛ばされた大剣をキャッチしたカルトは周囲にあった泡を斬り捨てた。先程まではインベントリから出した予備の武器を投擲して泡を防いでいたが、大剣だと豪快に斬っていた。
「今度はこっちの番だね。僕は本体をやる。アーガスはカニの足を狙ってくれ。味噌汁ご飯は引き続き泡の処理を任せた」
「俺は?」
「カニのヘイトをとれる?」
「それくらいなら」
「じゃあ頼んだ」
「おう」
カルトが上陸したカニに襲い掛かる。それをわかっていたカニは右のハサミを掬い上げるように振った。砂煙をたて、なにかを飛ばした感覚のあったカニは「やった」と密かににやつく。しかし、そこにあったのは、攻撃を仕掛けた者ではなく、見たこともない死体だった。
奴はどこにいった?カニはカルトを巨大な目玉でキョロキョロと探す。不意に影ができたことに気付いたカニは空を見上げた。
「ここだよ」
カルトはカニの巨大なハサミの関節に大剣を合わせた。しかし、強固な甲殻がそれを阻み、傷をつけることすらできなかった。それも当然だ。一撃で仕留められるなら、硬い甲殻をも切り裂くことも可能になってしまう。
「やっぱり無理かぁ。足ならいくらかマシかな?」
カルトはカニの追撃を避けながら思考する。巨大なカニは陸に上がったことで、股下が、がら空きだった。カニの目は身体の上の方にあり、巨大なハサミが邪魔をして見えないのだろう。
背後に回ったカルトは同じく接近していたアーガスと共に一本の足に対して攻撃を仕掛けた。巨大なハサミとは違い、傷をつけることに成功した。と、同時にカニに位置を把握されてしまった。
一歩踏み出すごとに砂煙を発生させるカニは獲物に攻撃を与えるべく、その場で回転した。しかし、そこには敵がいなかった。カニは動揺をするが、それを見分けられるものは存在しない。
カニは正面からの攻撃には強いが、間合いから外れた攻撃にはとても弱い。特に身体の真下は特にその傾向が見られる。何度も足を斬りつけられたカニも馬鹿ではない。下にいることを仮定して足を大きく開いて身体を地面に打ち付けた。
すると、その衝撃であぶり出されたネズミが出てきた。カニはそれを見つけ、追撃を加えるべく、身体ごと向けて両方のハサミを地面に叩きつけた。その場所から岩がボコボコと浮き上がり、カルトたちの方へと迫った。
咄嗟に回避することができたのは身軽なカルトだけだった。
「ぐおおっ!?」
「アーガス!?」
追い討ちを掛けるようにカニはもう一度繰り返した。体勢を完全に崩したアーガス。助ける術を持たないカルトは自分だけでもダメージを回避するためにそこから離れた。
そのアーガスはなんとか防御姿勢をして衝撃に備える。まずい、と思った瞬間に視界がぶれた。
「かたじけない、ユーク殿」
「気にしないでください。私は私の役目を果たしただけです」
アーガスを助けたのはユークだった。アーガスの危うさを危惧した八雲は自身ではなく、アーガスの援護へと切り換えていたのだ。
それを不服そうにしていたユークだったが、命令をされる前に盗み聞きした買い物の話が楽しみだったため、容易に引き受けた。それを不思議そうにしていた八雲は女性の地獄耳を知らないのであろう。
「私が援護しますから、カニへの攻撃は頼みましたよ」
「承知した。では、参る」
二度の大技をしたカニは静寂に包まれていた。反動で動けなくなっているのではなく、獲物を見失ったのだ。自身がたてた砂煙により視界は最悪だった。それを巨大なハサミを振り回すことで多少改善されたものの、未だに見つけることには至っていなかった。
そんなカニの様子を遠くから観察していた八雲はヘイトを稼ぐ方法を思案していた。
「あの様子だと見失ってるのか?それとも特殊行動?まぁいいや。俺の居場所を報せればいいだろ」
カニと言えば、熱に弱いイメージがあるが、こんな砂漠に住んでいるようなカニが熱に弱いとは思えない。なら、手探りでやるしかないだろう。まずは風、その次に火、水は可能性がないので、土だ。
「《風槍》《火槍》《土槍》」
順番に発射された魔法はこちらに見向きもしていなかったカニに直撃した。突然の衝撃にビクリと身体を震わせたカニは、自ら姿を現せた敵を見つけ、にやついた。しかし、それをよく見たカニは更なる衝撃を受けた。
それはこれまで見たこともない絶世の美女だった。あれほど美しい存在がいるのかと思えたほどの衝撃だった。小者に構っている暇などない。カニは早速、自身の素晴らしさを見せつけるために、彼女のもとへと訪れた。
「え、すごい勢いでこっちに来るんだけど!?そんなにダメージ入ってるようには見えなかったんだけど……」
誰もが魅了される容姿をもつ八雲だが、まさかカニに求愛されるとは思っていなかった八雲は逃げることにした。
「なんで、追いかけてくるんだよ。助けて、カルト!」
「え、うん」
カルトからしても状況が理解できず、困惑するばかりだった。なぜなら通りかかりに足を斬りつけ、一本どころか三本ほど斬り飛ばしたにも関わらず、八雲を追いかけることをやめなかったからだ。
「ああ、もう、しつこい!」
あまりのしつこさに面倒になった八雲は逃げることをやめ、カニに対抗することにした。カニはついに受け入れてくれるのだと、静止をしてポーズを決め出した。それはカニなりの求愛ポーズだったのだろう。
しかし、追いかけられた八雲からしたら、煽ってるようにしか見えなかった。
「ふざけるなよ……」
八雲が怒りの炎を燃やす度に、八雲の身体は変化していった。素肌が露出していた部分に甲殻が出現していったのだ。八雲の怒りに反応したのは謎めいたスキル、【天性】だった。
【天性】することで、八雲の身体は全身甲殻に包まれ、背中からは更に一対の爪が生え、青の関節は赤黒く変化していった。甲殻は覆い尽くすだけでなく、さらに凶悪な姿へと変わっていった。
【天性】はカルトが邪骸から聖骸へと至った【聖転】スキルと同等のポテンシャルを持っている。つまり、モードチェンジできる姿はひとつだけではない。
助けに入ろうとしていたカルトは八雲のあまりの変貌ぶりに呆然としていた。このエリアにいた誰もが同じ気持ちだった。「あれはなんだ、一体なにが起こっているのか」と。
変化が終わり、身体に漲った力を感じた八雲は突然、姿の変わった求愛対象にびっくりしたカニのことなど気にせず、殴りかかった。それを求愛へのお返しではなく、攻撃だと気付いたのは殴られた後だった。
身体の中心に突き刺さった腕は甲殻を突き破り、中の蟹味噌を溢れさせる攻撃はカニをダウンさせるには十分な威力を持っていた。怒りのおさまらない八雲は腕の先に魔力を集わせ、放電させた。
全身が雷により中から燃やされ、蒸し焼きにされたカニは芳醇な香りをさせながら倒れた。腕を引き抜いた八雲は更なる敵の存在を危惧し、警戒する体勢を崩さなかった。それは八雲だけではない。
「これ、二段階目があるよね。アーガスもユークも油断しないでね」
「わかっとる」
「心得ております」
背中合わせでどこから敵が来るのか警戒を始めた。はぶかれた味噌汁ご飯は同じくあたりを見回し、なにが起きてもいいように爆弾を用意していた。
蒸し焼きになった蟹が取られても困るので、解体してしまっておくことにした。蟹をインベントリにしまった瞬間、エリア全体が震動した。
「いったい何が起ころうとしているんだ」
カルトの呟きに答える間もなく、地面が隆起した。段々と全容が現れてきた。それは先程倒した蟹の背中に似ていた。それも何倍もの大きさにしたものだ。
先程の求愛蟹の背中には水溜まりができるほどの窪みがあり、今現れた蟹にも似通った場所があった。それはあの泉だ。
それほどまでに巨大な蟹は背中にいたオスの蟹の存在が消え、怒りを顕にしていた。身体を揺らし、背中の異物を取り除こうとする蟹だったが、限りなく小さな衝撃、されど、的確に負わせたダメージで動きを止めた。
身体に突き刺さったそれはそこを起点に身体の神経を麻痺させていった。すでに動くことさえままならない部位が出てきたほどだ。これほどまで小さな者に翻弄されるとは思っても見なかった蟹は背中に届く腕でその異物を叩き落とそうとした。
しかし、腕は逆に払われ、撃退することはできなかった。八雲にばかり構っていたが、他にも蟹にとっての重大な出来事があった。それは、自慢の甲殻に刻まれた多数の傷だ。
それはある者たちの手加減なしの攻撃によってつけられたものだった。時は少しだけ遡る。八雲が蟹を解体して新たな敵が現れた頃、八雲の無双に感化された者がいた。
「八雲ばかりに格好いいとこ見せられたら、僕も我慢できなくなっちゃうよ」
カルトは八雲の暴れっぷりに引火されていた。全力を出すべく、そのために扱う獲物を取り出していた。片手で持っていた大剣をもう一振り取り出し、さらに槍を三本取り出した。
槍の一本は遠くで爆弾を構えていた味噌汁ご飯へと投擲した。この状況で爆弾を使われるとどうなるかわからないための策だ。これには味噌汁ご飯も渋々賛同していた。
「アーガスにも一本貸そうか?」
「いや、自前がある」
「そうか、こっからは手加減なしの本気モードだ。アーガスも好きに暴れてくれ」
「久々の強敵じゃな。腕が鳴るわぃ」
「強敵とは程遠いけど、硬いのは確かだね」
「テンションが下がることは言いなさんな。でかさだけなら十分、強敵じゃわい」
「それもそうだね。じゃあ、開戦といこうか。【邪聖転】」
聖骸の姿をしたカルトは片手を顔の前まで持ってきた。するとそこに真っ黒な頭蓋骨が生成されていった。それは人のものではなく、どちらかといえば、竜といっても過言ではないものだった。
それを終えると両手にそれぞれ大剣を持った。その間にも全身に骨の形成され、鎧のようなものへと変化し、竜の尻尾と背中には竜の腕が二本生えた。その腕で槍を掴み、行動を開始した。
一方、アーガスは持っていたハンマーをしまい、精神統一を始めた。
50の壁を越え、その姿を竜人へと昇華させたアーガスは竜の血脈であり、竜の力を扱うことを許された武人だ。そして竜人は始祖である竜の力を扱うことのできる。竜、そのものになる道もあったが、鍛冶師でもあるアーガスにはそれで十分だった。
竜の力を宿したアーガスの身体は蜥蜴のようなツルッとした肉体ではなく、竜の鱗で覆われた竜そのものへと変化していった。
「さっきは不甲斐ない姿を見せてしまったが、今度は八つ裂きにしてやるわ」
インベントリから取り出した強靭な槍を片手に戦場へと赴いたのだった。




