第76話 至高の人参
ログインすると、ルカさんがまるで予期していたかのように、目の前に立っていた。
「おかえりなさいませ、八雲様」
「ただいま、ルカさん」
アラクネになり、目線の高さが上がった今でも、ルカさんを見上げている。いつになったら同じ高さになるのか。
「今日は俺の妹がこのゲームを始めるから、ここにいるよ」
「あ、八雲様。今日はチュートリアルだけですので、ここまで来ることはできません」
ルカさんは少し慌てて教えてくれた。予定がさっそくなくなってしまった。
「え、そうなの?そっか、じゃあなにしよう。そういえば、毎日一本だったね。昨日分も含めて二本にしよう」
そう言って久しぶりにフリーマーケットを開く。ポーションをさくっと買うこと以外はほとんど使わないので、最近は全く見ていなかった。立ったまま見ていると、ルカさんが手招きしてきたので、誘導された場所に座った。
そこはルカさんの膝の上だった。確かに見やすいが、俺が恥ずかしい。ルカさんの顔が間近にあるのもそうだが、落ちないようにするためにぎゅっと抱きしめてくる。
「ルカさん、これはちょっと見にくくない?」
「……嫌です?」
「いや、ではないけど……」
拒否ができる状況でもないことは理解している。しかし、この状況は不味いと思ってしまう。なぜかフウマたちが羨ましそうに見ている。代わる?と無言で尋ねるとフルフルと首をふった。
後ろから圧を感じたので振り返ると、にこにこしたルカさんがキョトンとした。気のせいだったか。
気を取り直してフリマを眺める。スクロールして、どんなものがあるか確認する。大体が中古の武器や素材だ。これらはPHが流したもの。新品同然でこだわりの強そうなものは、PMがPHから剥ぎ取った装備品だ。
そんな中でも野菜やら食べ物を売り買いする者はあまりいない。空腹値などは適当に食べて戦闘に駆ける者がほとんどだ。ちなみに鬼達はここでは買わずに自分達で調達している。
だから人参を買いまくる俺は特殊なのだ。むしろ人参とポーション以外なにも買っていないとも言う。しかも人参は値段に糸目をつけない。
「ルカさん、これでいいかな?」
選んだのは無農薬はもちろん、高級で栄養価の高いものを選んでいる。生産者はいつものPHの農家さんだ。名前は伏せられている。よく見ると生産者が違うが、同じような値段で売られた人参があった。
だが、俺は高額で買い取らせる罠だと直感でわかった。人参の色がよくない。それに説明から人参のよさを伝える気のなさが滲み出ている。これは人参を使った詐欺だ。
すぐさま出品者を検索から除外する。至高の人参だからこそ、ルカさんを喜ばせることができるのだ。
「はい!それがいいです!」
ルカさんは前のめりでフリマ画面を覗いた。目を輝かせてはしゃぐ姿は子供のようだ。うさ耳をピクピクさせて喜びの感情を露にしていた。
「これを購入するとして、他に欲しいものはありますか?」
顔が近すぎて振り向くことは出来ないが、ルカさんが興味津々で見ていることはわかっている。耳元で「うーん」という悩む声がする。おねだりすることに躊躇しているのか。
「なんでもいいですよ。俺もそれが欲しいかもしれませんし」
「では、この方のキャロットジュースを飲んでみたいです……」
この方というのはPHの農家さんのことだ。しかし、この人はジュースも作っているのか。キャロットジュースと聞けば、野菜ジュースのイメージが強いが、ルカさんが言っているのは人参100%のジュースのことだろう。
農家さんの出品物の一覧を見ると、人参関連の商品が複数あった。それもどれも値段が高く、高品質だ。レビューもつけられていて、NPHもこの人参については高評価だ。
「すごいな、ここまで人参に力を入れてる農家さんも珍しいな」
「まさにうさぎ界の貴公子です」
そこまでルカさんが評価するのも珍しい。いや、人参に関して言えばいつも通りだ。人参ショックもこの前あったばかりだ。元気になってくれるなら、ちょっとぐらい奇行をしてもいいか。
「これは何本か買おう。子蜘蛛たちも興味ありそうだ」
自分の分は丸々一本あるからか、特になにも言わない。俺も一本飲むつもりでいる。朝入ってすぐにこの状況なので、お腹は空いている。
取引はすぐに決定される。出品者が上客である俺が購入を押すとそのまま買えるようにしてくれてるのだ。人気のある武具ではオークション形式でどんどん高価になっていくので、普通はこんなすんなり買えることはない。
というか人参を買ってるのは俺くらいなもので、たとえオークションになっても買うのは俺だけだ。NPHで買う人もいるが、財力が違う。どんな高価格でも買い取る自信がある。
買ったキャロットジュースを子蜘蛛たちに小分けにして配る。俺とルカさんは筒状のビンに入ったキャロットジュースを傾けて飲んだ。喉ごしはすっきりしている。人参はみずみずしく、味わいはとても甘い。
「え、これが人参?」
俺の感想に同調した子蜘蛛たちが深く頷いていた。
ルカさんはというと、一口含んだ状態で頬を緩ませていた。よっぽど美味しかったのだろう、目を閉じて人参の真相神域まで迫る勢いで昇天していた。
一心不乱に人参を貪り食うよりも上品な味わい方だ。まるで高級ワインの芳醇な香りを楽しむ美食家。人参の滑らかな舌触りが喉を官能的に喜ばせ、フルーツのような甘さが脳を刺激していた。
これは人参であって、人参ではない。これこそ神の野菜。至高の人参。
「ルカさん?」
ルカさんはキャロットジュースを飲んだ状態で静止した。気絶ではない。人参界へ一時的に昇天したのだ。決してキャロットジュースの入ったビンを落とすことはない。その意志が手にこもっていた。
「……ルカさん?」
微動だにしないルカさんは俺を抱きしめる手を緩めた。不本意ながら解放されてしまったので、ルカさんの拘束から脱出した。
今日のルカさんもまた別世界に旅立ってしまったため、会話ができない。とりあえず、キャロットジュースの風味が抜けてしまうので、ビンの蓋を閉めた。
ルカさんが帰ってこないので、今日もまた、攻略に出掛けることにした。今回は第一エリアボス制覇で得た、全部回れば配下で回る必要がなくなるという情報があるので、それぞれ種族のトップだけを連れていくことにした。
蜘蛛の一族以外にクナトとユーク、くましゃんズを連れていく。あとは新しく入ったペット枠のスラマとロウマも。少しくらい強くなるはずだ。
今回のメンバーを召集したのだが、何人か欠員がいる。まず、シーズナーたちは季節を感じに行くとかで全員いなかった。毒蜘蛛たちはカルトに呼ばれてここにいない。
あとガンナーたちはカレー炒飯に土下座されて招待されたので、同じくいない。日本文化とガンナーたちを繋げると火縄銃を思い浮かぶのだが、まさか作らないだろうな?
欠員多数で、今回は俺を含めたいつもの七人と魔を冠する蜘蛛の曇魔。ロウマとスラマを散歩に連れていこうとしたクナト、ユーク、くましゃんズがいる。
ロウマが不服そうにしていたが、行動範囲がとても広がる。散歩と同じだろ。
ロウマをリードに繋げ、それを連れるのはクナト。スラマをユークが抱え、くましゃんズが後に続いた。クナトがスーツを着て、ユークが珍しくワンピースを着ていた。この六人だけを見れば、お嬢様と執事、メイド二人に、ペット二匹だ。
なんだか邪魔した気分になったので、六人が勝手にロウマが元いた北西の草原に向かったので、俺たちは東のボスエリアに行くことにした。
東は岩蜥蜴がエリアボスだったエリアで、力を試すにはちょうどいいはずだ。ロックリザードに似通ったエリアボスなら、頑丈で防御力特化であるはずだ。
ちょうど殴り合いをしてみたかったのだ。俺たちは技巧派だが、これからは武器も使うし、己の肉体だって使う。糸だけでは勝てない場合もある。この身体の大きさなら、肉弾戦に追い込まれることもあり得る。
今の内から近接戦を鍛えておかなければ命取りになる。そう考えれば、硬い相手なら手間はかかるが、別段問題ではない。
ロックリザードがいた鉱山にたどり着くと、鉱石を求めたPHや鬼が、コツコツと壁を砕きながら仕事をしていた。お互いに争わないのはここが狭いからか、それとも戦わないような協定でもしているのか。
俺達に気付いた鬼たちは作業をやめて挨拶しにくる。それに答えて軽く挨拶し、奥へと進んでいく。ちらほらと、PHがいるのだが、気付いても気付かないフリをしてくる。一体彼らに何があったというのか。
聞くこともできないので、お互いにスルーだ。坑道を抜けた先にはいつもならロックリザードが待ち構えているのだが、いないようだ。おそらくエサを求めて徘徊しているのだろう。
ロックリザードは俺よりもかなりレベルが低いので、脅威になり得ないが、初心者にとっては不運でしかない。エリア内で一番強い敵が定位置ではなく、ランダムで遭遇。悪夢でしかない。
一体、誰がこんなことを引き起こしたのか、小一時間ほど問い詰めたいところだが、相手が誰か予想がつかない。仕方ない、今回は逃がしてやろう。
一人で茶番をしている間に、坑道を抜けた。子蜘蛛たちも薄暗がりの坑道よりも、明るい外の方が嬉しそうだ。
坑道の先にあったものは岩場だ。それも小石などではなく、落石してきたら、俺たちが押し潰される程の大岩だ。それがゴロゴロ転がっており、斜面にあるため、少しでも衝撃を与えれば、転がってきそうだ。
その斜面だが、木が一本も生えていない肌を露出した山に繋がり、少し遠くに崖のようなものが見える。おそらく、キャラメイク時の選択肢にあった深い崖だ。崖はいくつもあり、底が見えるものもあれば、地底が全く見えないものもある。
落ちた場合、助かる確率は低いだろう。そんなことを考えつつ、エリアボスを探す旅に出る。マップを埋めながら行動したいが、マップを気になりすぎて、歩きスマホのように不注意事故が起こるので、今回は周囲を探索しながら行う。
拾える木の実もないので、崖に糸を張りながら探索していく。底の見えない崖に対して、小石を落としてみると、なかなか地面に落ちた音がしなかった。が、まさか爆発が起きるとは思っていなかった。
天網を張りつつ、崖を下っていくと、そこには真っ赤な花が一面に咲いていた。それも炎のようにメラメラと揺らいでいた。
花に拳ほどの小石を落とすと、花がつぶれた瞬間に、カッと光ったと思えば、花が爆発した。それも連鎖的に爆発し、辺り一面にあった花は崖の底に凸凹のリフォームを施し、すべてが消え去ってしまった。
なんとも危険な崖下だ。近寄りがたいその場所に用はない。早々に離れてエリアボスのもとへ向かった。今どれくらい全クリアがいるかわからないが、おそらくまだいないはずだ。
俺がクリアしたことによってエリアボスが定位置にいないため、探す時間もあり、最悪の場合、エリアボスが逃走する。そんな状況下で昨日の今日で終わらせる人はいないだろう。
子蜘蛛が崖に落ちかける事故未遂はあったものの、無事ボスエリアにたどり着くことができた。今回の定員は六人だ。人数が少ないので二周だけで済みそうだ。
お留守番はドンマとフウマだ。ドンマとはまだ徹底した連携がとれないかもしれないので、お姉さんであるフウマに戦い方を教えてもらう。
ボスエリアに入ると、小石でできたガタガタとした地面に、ゴロゴロ転がっている大岩。そして、その中央に鎮座する禍々しい球体。その球体が真っ黒なオーラを滲み出すと、エリア全体が揺れ始めた。
俺たちがバランスを崩しそうになっているところで、球体の周りに地面から噴出した砂が貼りつき、どこに球体があるのかわからなくさせた。そして今度は小石が覆いつくし、最後には大岩までもその球体に貼りついた。
そして球体の岩の塊は宙に浮かび、周りに細々とした小石を浮かせた。
準備ができたようなので、俺たちは散開し、ヒットアンドアウェイの要領で、殴っては離れるを繰り返してみた。当然、岩なので殴ったら痛いが、甲殻に包まれた拳なら問題なかった。
岩は砕け、粉々になるが、岩の塊は何事もなく浮いたままだ。岩が砕けたことへの弊害を感じていなかった。
今度はこちらの番だと言わんばかりに、その塊は回転し出した。浮かんだ石も同じく回転する。それが一直線に俺のもとへ飛んできた。
殴って対処はできないので、天網を瞬時に2つ発動して、転移巣で前にきたそれを上空から地面に転移させる。真っ直ぐに進むことしかできないのか、地面に直撃し、表面の石をも粉々に砕いた。
そしてその砕いた小石を俺たちに飛ばしてきた。砕かれた石は鋭い部分もあり、甲殻がない肌へ刺さると痛そうだ。
天網では防ぐことができないので、天糸で軽く防いだあと、風重圧を二回発動して飛んできた石を砂レベルになるまですりつぶした。
他の子蜘蛛たちもそれぞれの方法で回避していた。エンマは火で溶かし、スイマは氷の壁で、ドーマは土壁で、コクマが闇で鈍化させ、ハクマと二人で石を糸でからめとっていた。
相性がいいのか、どの攻撃も防ぐことができた。もっと硬いイメージだったが期待はずれだった。石を飛ばそうと質量で襲おうとも、すべて糸で防げた。
「もしかして第一形態が岩で、第二形態が砂ってオチじゃないよな?」
そんな期待外れなことはあって欲しくないが、果たしてやつはこれで終わりなのか?それとも形態変化を隠し持っているのか。
飽き始めた子蜘蛛が糸を放出し、浮遊している石もろとも拘束していると、最初に起きた地震がまた起きた。
糸で覆われた砂は球体から離れ、地面から銀色のなにかと真っ黒な砂が登っていき、球体を覆った。そしてその球体は段々と人の形に変わっていった。大きさは俺たちより頭一つ分だけ大きいが、それ以上の特質はない。
「それだけ?」
そう言った瞬間、目の前で静止していた人形は今までにない速度で俺に近付き、殴りかかってきた。




