第63話 再会
カーテンの隙間から日差しが降り注ぐ。それがまぶたを刺激し、真っ暗な世界を明るくする。光を取り込んだ眼は自然と開けていく。そこに写るのは見慣れた場所。ではなく、眼を覗き込むような眼だ。
いや、人だ。起こされるような時間ではないと思い、スマホを掴み、時間を確認する。そこには四桁の数字があった。一つ目に1、つまり朝は過ぎているということだ。そして二つ目、ここが重要だ。そこには2と書かれていた。
つまり今は朝ではなく、昼である。それが指す意味は寝ぼけた頭でも容易に思い付くことだった。寝坊である。楽しみにしていたにも関わらず、この体たらくである。視界が万全になったところで、こちらを覗き込む者に問う。
「怒ってる?」
「おはよう。怒ってないよ」
「そう、よかった」
「でも…」
「?」
「ママがにこにこしてた」
「!?」
お母さんがにこにこする。つまり怒っていることがあるということだ。それは一体?そう思ったが今のところ悪いことをしていないはず、ならなぜ?
「ママがね、せっかく作った朝御飯をお兄ちゃんが食べてくれないって言ってたよ」
「…な、た、食べなきゃ」
うちのお母さんは怒ると可愛い。違った、怒ることはあまりない。しかし、たまににこにこしていることがある。そのときは拗ねる前を意味する。そうなると家事を放棄した上、お父さんに告げ、お父さんが怒る。それがなにより恐れていることだ。
俺は着替えることもせずにリビングに向かった。リビングにはにこにこしたお母さんがいた。お父さんは仕事だろうか。俺は朝の支度をするとすぐに自分の席についた。そこには朝御飯とお昼ご飯があったが、お昼ごはんは食べれたら食べるでいい。
しかし、朝御飯には腕によりをかけてつくっているので、絶対に食べないとまずい。そういうわけで俺はお母さんの顔色を窺いながら、朝御飯を食べ始める。お母さんはにこにこしながらこちらをガン見している。
「やっぱりお母さんの朝御飯が一番美味しいね!」
この一言を言うか言わないかで、お母さんの反応が変わる。言うとお母さんはにこにこから若干ニヤニヤに変わる。褒められて嫌な者はいない。褒められたら嬉しくなるのは親だって同じだ。
一口、また一口と食べ、そして最後の一口を食べる。そこで終わるのは三流。
「ご馳走さまでした」
「お粗末様です」
ここで終わるなら二流。
「やっぱりお母さんの朝御飯を食べないと朝を迎えられた気がしないよ」
とりあえず褒める。そう、この一言を添えるだけ、これだけでお母さんの機嫌は限界突破する。
「りゅ、りゅーくんは本当にいい子ね!」
テンションが上がったお母さんは満足するまで俺の頭を撫でた。そして抱きしめ、なぜかハイタッチをして、食器を片付けたら、完璧である。上機嫌なお母さんは「好きに過ごしなさい!」と言って台所に向かった。
「み…ミッションコンプリート」
俺にできうる限り気を遣った。やはり思った以上に疲れた。リビングでごろんと寝転がり、メッセージの確認を行う。そこには追加情報として招待券は明日、担当AIちゃんから参加方法を教えて貰えるとのことだ。
それから雪はすでにログインしていて、早く来いとのことだ。ミオに一言伝え、俺はゲームを始める準備に取り掛かった。その間に上機嫌のお母さんが部屋に入ってきては頭を撫でて去っていく。ミオはにこにこして抱きついてくる。
これはこれで面倒だとは思ったが不機嫌になるとお母さんもミオもどうすることもできないので、俺は抵抗しないしノらない。こうすることで段々とやってくる回数が減るが、機嫌は悪くならない。
なぜかというと二人が満足するから。ただそれだけだ。とは言うものの、俺がゲームに意識を没入させている間は身体の身動きがとれない。その間になにをされるかわかったものではないが、無抵抗なので、せめて無事であることを祈るばかりだ。
ヘッドギアを装着して、ベッドに横になり、目を閉じる。イタズラ心でゲームを始めた振りをする。今さら急ぐ必要はない。イベントはないし、早くいかなければいけない約束もない。
そうして数分程、経過した。すると誰かが近付く音がした。またお母さんかと思ったが、どうやら立ち止まってなにかをしているようだ。目を開けられないのがなんとも悔しいが、ここは我慢だ。
少しするとさらに近付く音がした。かさかさと音がなった、なにかを探しているのか?そう思った矢先、頬になにかが押し付けられた。おそらく指だ。だが、これはなにをしているんだ?
何度かつつかれたが、それ以上なにかをされることはなかった。そしてその誰かは離れていった。一瞬目を細めると、見慣れた後ろ姿がそこにあった。なるほど、イタズラしに来たのか。なんだか可愛く思えるものだが、妹のミオにしては軽いイタズラだったな。
今度は寝たふりをせずにゲームを始めよう。連れ去られていじめられたという子蜘蛛が心配だし、ルカさんのことも気になる。あとは進化だ。四回目の進化はどんなものになれるのかな?
意識が溶け出し、この世で一番温かい草原に降り立った。目を覚ますと目の前は真っ暗だった。仄かに甘い匂いがした。それは幾度か嗅いだことのある優しいものだった。手足をバタつかせると、甘い香りの持ち主が俺を高く持ち上げた。
「おかえりなさいませ、八雲様」
「ただいま、ルカさん」
やはりこの人の笑顔は素敵だ。そう思っていた矢先、視界の端になにかが横切る。それには糸がつけられ、先には魚がいた。ルアー付きの釣竿だろうか?
「だめでしょ、ハクニシ」
「ッ!?」
「危ないから外でしなさいって言ったでしょ?」
「…ごめんなさい」
どうやらあの子が連れ去られた子蜘蛛ようだ。思っていたより元気でよかった。すぐに他の子蜘蛛と外に出掛けたところを見るに、もう平気のようだ。
「申し訳ありません、八雲様」
「ルカさんが謝ることないよ。それより元気そうでよかったよ。聞いたよ、誘拐されたんだね?」
「はい…主犯の方はカルト様が牢屋に投獄しております。依頼主は味噌汁ご飯様が処罰しました」
「主犯と依頼主?」
「主犯は実際にハクニシと精霊に手を出したもので、依頼主はハクニシと精霊を捕らえるように傭兵に指示を出したものです」
「そうなんだ。それにしてもよく1日で解決したね…俺が寝てる間に…」
「ユーク達や他のPM、その配下の皆さんの協力があってのことです」
「そっかぁ。じゃあ今度お礼しにいかないとな」
子蜘蛛も精霊も無事で本当によかった。もし、無事じゃなかったら子蜘蛛達を連れて町を二日連続でボロボロにしていたかもしれない。そう考えると俺が暴走しないようにしてくれたカルトと味噌汁ご飯には豪勢なお礼をしないといけないな。そう考えるとちょっと嫌になってきたな。一体どんな要求をされるのやら。
「あ、そうだ。ルカさん」
「はい、なんでしょうか?」
「昨日?前?眠る前?に一言、言わずにログアウトしてごめん…」
「いえいえ!私が遅くなったのがいけないのです!」
「いや、俺が!」
「いえ、私がっ…あっ!?」
「取り込んでるところ申し訳ないのですが、八雲様にお客様です」
自身が悪いと主張し合っていると、ルカさんからユークが俺を取り上げた。実は話してる間、ずっとルカさんに抱えられていたのだ。慣れすぎてて、その不自然さに気付かなかった。俺を取り上げられたルカさんはユークを睨み付けた。
それを物ともせずユークは淡々と話を続けた。お客さんか。それにしてもユークは俺が寝てる間に大人っぽくなった気がする。
「客?」
「は、い…巣の外…で、お待ち…して…ます!」
「待たせるのも悪いし、俺一人で行ってくるよ」
「い、いえ、私がお連れします!」
「悪いよ…うん、離して…」
「い、嫌です!」
「八雲様は…私のものです!」
「離して!俺が千切れちゃう!」
ユークが俺を奪い取ったことで、ルカさんは俺の脚を引っ張った。それに負けじとユークも抱き締めながら引っ張った。まるで仲の悪い子供に取り合いされる玩具になった気分だった。
無事、解放された俺は暇そうにくるくる回ってる子蜘蛛を連れて、その客のもとへ向かった。ルカさんとユークには仲直りして貰い、ユークに案内して貰った。場所は精霊樹の近くの小屋だ。
ここはカレー炒飯が作ったもので、採取などをしてお茶を飲み、楽しむことを目的とされていたが、子蜘蛛たちに見つかり今では遊び場となっている。そこには人だかりができていた。
「ユーク、あれか?」
「はい、町の代表の者が八雲様に交渉しに参りました」
「交渉?交易の?」
「それとは他にハクニシの誘拐に関わった者の代表も来ました」
「ふーん、それで?」
「端的に申しますと、馬鹿が勝手にやったことだが、義理は通さないといけない。とのことです」
「うーん、わかった。話を聞くだけ聞いてみよう」
俺が現れたことに気付くと、小屋から離れて整列した。前の方にいる者が代表だろう。見慣れた人がいる。あのスーツに鎧着てるのが領主で、他に杖を付いた老人と恰幅のいいおじさんがいた。
「「「◎●*○¥₩$▽♪△〒▽●○&」」」
うん、何言ってるか、さっぱりわからん。おそらく俺に謝罪している。しかし、言葉の壁は厚い。生存ポイントで人語を習得すればいいのだが、果たしてポイントが足りるだろうか。
「ユーク、なんて?」
「大変申し訳ありませんでした。だそうです。それと謝罪を受け入れていただきたいそうです」
「そう言ってたのか。でも、誰がどれに対するものなのか、わからないから。一人一人、話を聞いてみよう。まずは町の代表から」
俺がそう言うと、ユークは町の代表の肩を叩いて、こちらに連れてきた。他の二人は頭を下げたままだ。この場合、俺はどうすればいいか、わからないので、ユークに二人には待ってもらうように言っておいた。
「それで、町の代表はなんて?」
「はい、町の者が子蜘蛛誘拐に関わっていたことを謝罪したいそうです」
「なるほど。でも町の者って言っても、全員が協力して行ったわけでも、代表がそれを支援したりしてないんでしょ?だったら、代表に罪はないよ。そう伝えといてくれる?」
俺が言い終わるとユークは町の代表に伝えた。すると緊張が解れたのか、胸を撫で下ろしていた。
「次はおっさんで」
恰幅のいいおっさんは俺の前まで来ると土下座した。へぇ、この世界って土下座文化あるんだ。まず、そこに感心した。それから何言ってるのかわからないけど、すごい気迫で頭を地面に擦り付けた。
「なんて?」
「商人ギルドに所属していた者が精霊と子蜘蛛を誘拐したことに対して謝罪しています。あと精霊樹周辺の希少な素材の採取のために、八雲様の支配領域に土足で踏み入ったこと、それから八雲様や子蜘蛛たちの糸を無断で回収したことなど、数多くの無礼を謝罪しに来たそうです」
「蜘蛛の糸はいいかな?放置してる部分もあるから。さすがに子蜘蛛がずっといる巣はやめてほしいけど。精霊樹周辺の侵入も気にしてないな。ただ、見つけ次第、捕らえるだけだから。あとはこれも町の代表と同じ理由で問題ないよ」
ユークがそれを聞いておっさんに伝える。するとユークに手振り羽振りでなにかを話していた。するとユークは不機嫌そうに伝えてきた。
「八雲様…この男、殺していいでしょうか?」
「いきなりどうした?今の間に一体なにがあったの?」
「この男は調子に乗っています。すぐに八つ裂きにしましょう。いえ、今すぐ処刑しましょう」
よほど怒っているのか、蜘蛛の聖霊を出して、おっさんを地面に頭から埋めていた。それを遠くから見ていた町の人達は恐怖で震えていた。ユークが怒るほどだ、よっぽど酷いことを言ったのだろう。
おっさんはしばらくの間、子蜘蛛たちの玩具になってもらおう。殺しはしない。だが、ここに簡単には立ち入れないように恐怖を植え付けるだけ。ちょうど話に飽きてきて、拾った木の実を食べたり、木の枝にぶら下がってゆらゆらしてる子蜘蛛がいるので、糸でぐるぐる巻きにして目の前に差し出す。
興味をもった子蜘蛛たちが集まったところで号令をかける。
「整列!」
ノリのいい子蜘蛛たちは、いい声で返事をした。
「「「いえっさー」」」
「君たちに任務を与える。この者を殺さずに恐怖を与えなさい。そして精霊樹の周りを三周ほどして帰ってきなさい!」
「「「いえっさー」」」
子蜘蛛たちは前脚で器用に敬礼をした。おっさんは糸に繋げて、凧揚げの要領で連れ拐っていった。帰ってくる頃には元気もなければ、交渉する気力もない。子蜘蛛たちの数を知り、ようやく自身の愚かさに気付くだろう。
「それで、おっさんはなんて言ってきたの?」
「嫁に来ないかと…」
「…」
「…」
「だめ!うちのユークはあげません!」
「八雲様、大好きです!」




