第57話 釣り人と囚われの姫
じっと見つめる糸の先は波に揺られて微力に振動する。波が次第に大きくなるに連れて、より神経を尖らせていく。浮きの沈みが必ずしも波のせいとも限らない。獲物はそれが罠とも知らずに、悠々と餌を貪る。
口の内の僅かな痛み、なにか変なものを口にしてしまったか。いつものように吐き出す。おかしい、痛みがとれない。なにかに引っ張られる感覚。この世にこんな生き物がいただろうか。
この生き物の身体はどこまで続くのだろうか。これはいつか見た糸というものか、ならば千切ることもできるはず。綱引きを口でするように、下へ下へと潜っていく。
その糸は反発するように上へと引っ張る。かかった獲物は逃れることに必死だった。だが、それも無意味に変わる。糸から伝ってきた微弱な電気が身体の動きを止める。もう限界だ。
諦めの境地の果てにはまだ見ぬ美しき天の空が。湖の覇者と呼ばれたわしをこうも簡単に釣り上げるものがいようとは。長きに渡る戦も、終われば呆気ない。
「…」
「…」
ここがわしの生き抜くことができぬ大地か。呼吸もできない、せめて死ぬならあの夢のような七色の岩場で死にたかった。
「魚って喋るんだね…」
「そうだな…気持ち悪いし、逃がすか」
「そうだね…」
僕は目の前の魚を蹴飛ばして湖にリリースした。喋る魚は未だになにかを語っているようで、湖でぷかぷかと浮いていた。あんな魚が近くにいては釣れる魚も釣れない。僕達はポイントを変えることにした。
穴場といっても、元々釣りをする人が少ないのがこのゲームのだめなところだ。色んな職業があって、その全てを堪能できるのに、彼らは生産職、戦闘職を選びたがる。それだけではこのゲームはやっていけない。
彼らは固定観念に囚われすぎている。他のゲームでは一つだけ、それを極めれば強くなれる。より上位の職業につくものが強いと。このゲームではよく多くの職業とスキルを極めたものが強くなれる。職業をもつPHと持たないPMが同じ土俵で戦っているわけがない。
今の段階でPMと敵対行動を取るのは愚策だ。やるなら徹底的に職業を極めてからだ。僕は元々敵対する意味を感じないからPM寄りだけどね。
「ここにしよう」
「あそこの岩場にいそうだね」
「よく見えるな」
「狩人のスキルだよ。今度教えるからエドガーもジョブチェンジしようね」
「あぁ。俺は強くなれるならそれでいい。でもまさか俺達もお前らと同じく職業を変えられるとはな」
「だから固定観念に囚われすぎなんだって。できないと確信するまでやればいいのにさ」
NPHもなぜか職業を変えられないものと考えていた。だからひたすら上位の職業についていた。おそらくこれが運営の罠だ。NPHが上位の職業につくことが常識となっていた。
そのため、NPHにジョブチェンジの説明を受けた者は必然的に上のみ目指す。これでは運営の思うつぼである。本来の仕様を把握していたらあんな無様な結果には終わらなかっただろうね。
明日以降からは人がガクンと減って狩り場が空く。まだ一週間しか経っていない。それなのにやめる人が出るのは仕方ない。精神を鍛えてやり直してもらおう。
このゲームのソフトはダウンロードするだけではプレイすることはできない。ソフトに入っているコードをホームページに入力して登録することで初めてプレイすることができる。
そのため、一度使用したコードは登録者にしか使えない。つまり転売はできない。そのため、ソフトを手にいれてもコードが使用済みならごみに等しい。そしてこのソフト、有効期限がある。購入から一週間以内にコードを使用しなければ無効になる。無効になれば払い戻しはできるが、新しいソフトと交換はしてくれない。転売屋殺しのゲームである。
そんなゲームの運営が簡単なシステムを作るとは思えない。つまりもっと探せば色んな要素が出てくるはずだ。
それを探すのも大事だが、まずは目の前の糸先に集中しよう。これが釣れれば今日は坊主じゃなくなる。さっきのあれ?知らないね。
「ん?」
「どうした?」
「あっちの方で人が集まってるね」
「なんかイベントでもあるのか?」
「さぁ?ちょっと掲示板見てみるね。釣り竿見てて」
「おう」
掲示板は情報交換の場として優秀だが、全員に公開されているため、密談には向かない。掲示板をたてることはできるが、鍵をつけることはできない。誰もが平等に見ることができる。だがそれが本当に正しいかはわからないため、情報を掲示板で得ても自身で検証する必要がある。
掲示板のリストをさらさらっと見ていると気になるものを見つけた。
「なるほどね」
「どうだった?」
「『悪夢』の子供を捕獲したってさ」
「悪夢って言えば、カルトの友達じゃなかったか?」
「そうだね。それにしてもなんてことをしてくれるのかな。彼らは」
悪夢と言えば蜘蛛の魔物だ。PMの中で最もなにをしでかすかわからない存在で、神出鬼没である。ここのところどの事件にも関わっている。そんなPMに喧嘩をうるとはね。この時間ならいないかもしれないけど、PMは横の繋がりがある。
もし、もしだが子蜘蛛がいなくなったことに気付いた蜘蛛達がいれば、その情報はPM全員に伝わるだろう。そうなるとどうなるかは予測できない。カルトも言っていたが、「全員が好きなことをやるから、なにが起きるかわからなくて面白い」だそうだ。
「これは困ったね。なんとかその子蜘蛛を解放しないと大変なことになりそうだ」
「大変なこと?」
「精霊樹でのんびり暮らしてた蜘蛛達が全員その子蜘蛛を探して回るとどうなる?」
「そりゃあ精霊樹が手薄になる?」
「それは問題じゃない。どうせ残る蜘蛛もいる。問題なのはそんなことをして蜘蛛達が怒らないわけがないだろ?片っ端からPHを殺し尽くすだろうね」
「そこまでの戦力があるのか?」
「あるよ。だってカルトの情報では少なくとも30レベルを越えてる蜘蛛が100匹はいる。上位の職業に脳死で上げてる奴らが一対一で勝てるわけないだろ」
「た、大変じゃねえか」
「だからそう言ってるだろ。それにこれに関して言えば蜘蛛だけじゃない。鬼もカラスも蛇も子蜘蛛が誘拐されたとわかれば手を貸すに決まってる。はやくしないと動くかもしれない。いや、もう動いてるかも…こうしちゃいられない。エドガーはカルトの町に行ってここのことを知らせてくれ。僕はあいつらから子蜘蛛を解放してくる」
「わかった。死ぬなよ」
「僕は死なないよ」
釣竿を回収してエドガーを見送る。装備を戦闘用に切り替えて武器をもつ。防具は悪夢の糸で一番強いものを使用した布装備だ。糸は僕の好きな青色に染色している。布装備のいいところは軽くて動きやすいことだ。防御力はないが、現状では鉄よりも硬い。
武器は小刀三本と投擲用の骨針多数、小盾に長剣一本、そして釣竿だ。今日まで釣りを極めた僕ならこの釣竿で子蜘蛛を回収できるのではないか、と目論んでいる。
「できることなら人と戦いたくなかったけど、今回は回避できそうにないよね…」
自身に言い聞かせて先程見掛けた集団に近づく。人数は20人ほど。全員フル装備だが、戦闘があったのか壊れかけだったり傷が目立っていたりした。彼らはあるものを囲うように立っていた。
それはまさしく蜘蛛だったが、拘束の仕方が僕からしたらアウトだった。手足は糸で拘束され、脚と脚の隙間を剣や槍を突き刺して身動きを取れないようにしていた。蜘蛛の身体は傷だらけで、小刻みに震えていた。
「誰だ!」
遠くから見てただけなのに気づかれた。索敵系の脳死ジョブか?
「こんにちは」
「誰だと言っている!」
「通りすがりの冒険者Aです」
「お前…変な名前だな。ここに何しに来た?」
このゲームではふざけた名前のプレイヤーが数多く存在しているため、適当に言っても大体の人はそれに納得してしまう。
「ここには釣りを。人が集まってるのが見えたから来たんだ。逆に聞くけど何してたの?」
「俺達は…」
「まて、あいつが掲示板見て来た可能性もある。聞いてみろ」
「わかった…掲示板を見てきたのか?」
「どちらかと言えば君達を見てから掲示板を見たかな。悪夢の子供を捕まえたって言ってたけど、それがその子蜘蛛?」
「そうだ。これから掲示板の通り、この子蜘蛛を痛め付けて俺達の鬱憤を晴らすところだ」
「ふーん、それって他の蜘蛛に気付かれたらどうするの?」
「返り討ちにすればいいだけだろ?」
あ、こいつ。戦力差がわかってないやつだ。
「イベントであんなにボコボコにされたのに勝てるの?」
「あれは調子が悪かっただけだ。俺達が弱いわけがないだろ」
馬鹿な上に自尊心とプライドが高いだけの雑魚か。こんなんでよく捕まえられたものだ。
「今回は調子がよかったのか?僕の見間違いなのかボロボロに見えるけど?」
「え、エリアボスに挑んだ帰りだったからだ」
嘘だな。この湖はボスエリアから離れた湖の近くだ。こんなところに来るのはよっぽどの物好きか釣り人くらいしか来ない。エドガーの話では水着で泳いでる馬鹿もいるらしい。でかい魚の魔物に食われてそれ以降は見てないとも言っていた。
「一つ聞いてもいいかな?」
「なんだ?」
「君達のレベルはいくつなの?」
「なぜ言わないといけない?」
「蜘蛛が来たときに本当に対処できるのか確かめたくてね」
「ふっ、25だが?」
「職業レベルは?」
「42だ」
うーん、これはだめだな。脳死レベル上げで種族レベルが低い。職業については頑張ってる方だけど、一つの職業だとどうしても偏ったスキル構成になってるはず。これなら僕でも勝てるな。
「なるほどね。わかった、ありがと」
「まてまて、俺が言ったんだから、お前も言えよ」
「種族レベルは45、職業レベルは17かな」
「なっ!?」
「う、嘘だ!情報屋の情報だと最高レベルは41のはずだ!」
「情報屋は嘘も流すよ?都合のいいようにね」
「高い金を払ったんだぞ」
「それは知らないだけだよ。僕は一人の情報屋にしか言わないし、彼女も言わないようにしてるからね」
長々と話していることで全員の視線がこっちに集まった。子蜘蛛もそれを察してはいるが恐怖で動けずにいるみたいだ。もう少し時間を稼ぐか。
「知り合いが言っていたな…このゲームでは情報が最も価値のあるもので、最も隠すべきものだと」
「そういうことだね。僕は釣りを嗜んでるんだけど、ここにいい釣り場ないかな?」
釣竿を取り出して行きたそうにそろそろする。
「それだったらあっちの方にある湖から繋がる川はどうだ?」
「そっか、ありがとう。これは餌に使えるからもらっておくね」
「あぁ、え、んん?お、おい」
「あそこの湖には喋る魚もいるくらいだからね。餌は豪華じゃないと」
取り出した釣竿の糸の先の針を子蜘蛛に投げつけ、拘束する糸に引っ掛けて釣り上げる。飛んできた子蜘蛛をキャッチして抱きしめる。それと同時に釣竿をしまう。
「か、返せ!それは俺達が捕まえたものだぞ!」
「そうだ!てめぇ、まさか手柄を横取りしようってか!?」
「横取り?違うね。僕はこの子を助けに来たんだよ」
抱きしめた子蜘蛛はまだ震えている。勇敢に戦ったのだろう。子蜘蛛は僕の服、つまり悪夢の糸を猫が甘えたときのように押していた。
『ママ…ママの糸…?ママはどこ…ママぁ…』
『ごめんね、僕はママじゃないけど、そのママの友達の友達だ。安心してくれ。必ず家に帰してあげるから』
『ママのともだちのともだち?』
『そう、カルトっていう女の子みたいな男だ。知ってるだろ?』
『骨の人?』
『そう。骨の人だ。今は骨じゃなかったはずだけど、そんなことはいいや。解放するから戦ってくれるかな?僕一人だと手数が足りないんだ』
『やる。あの人たちきらい』
『ありがとう。お礼はこのあと釣り上げる予定の魚でどうかな?』
『おさかなさん?たべたことない…』
『うーん、とりあえず食べてみたらいいよ。でもそろそろ相手さんがしびれを切らしてきたから、始めるよ』
『うん』
拘束を小刀で少しずつ解放していると、怒鳴り付けてきた。見るとすでに武器を手に持ち、臨戦態勢だった。
「さっきからごちゃごちゃと何を喋ってやがる!」
「渡さないんだったら…殺してやる」
「僕は勝てない戦いはしない主義でね。君達のような雑魚には負ける気がしないよ」
「て、てめぇ!?ば、く、蜘蛛を逃がしやがったな!?」
「逃がすだなんてとんでもない。これからするのは即席の共闘だよ」




