第55話 商談
「んっ…終わった…楽しかった」
俺はヘッドギアを外しながらイベントの感想を呟いた。視界に入った時計を見るとすでに深夜一時を回っていた。いつもなら眠っている時間だ。
このまま夜更かしをすれば確実にお母さんから怒られてしまう。
簡単に身嗜みを整えて寝る準備をするために部屋を出た。部屋の外は真っ暗で家族は全員寝静まっている。電気をつけても目覚める人はいない。
用を済ませてリビングに向かうとラップのかかったご飯が並べられていた。
書き置きが残されていて、そこにはお母さんからと妹からのメッセージが書かれていた。
「もし、朝まで起きなかったら、ゲームを没収します。母より」「起きないから、顔に落書きしといた。妹より」
危なかった。もし、あのまま寝ていたら夏休みの宿題漬けにされていた。メッセージには空白があり、そこに起きた時間を書き、近くに置いてあったタイマーを止める。この手法は遊びに行った時にも適用され、遅れたら高確率で嫌なことをされる。
女装させられたときは発狂した思い出もある。なぜ兄の俺が妹の服を着させられなきゃいけないのか。俺男なんだけど。
確かに身体は華奢だし、女の子みたいと言われることもあるが、俺からしたら…男らしいから…うん。筋肉つかないけど。
「落書きか…風呂で落ちるかな…」
妹に落書きされることは多々あるが、油性ペンでされることがほとんどだ。背中に書かれたら1人では簡単にとれない。というか気付かない。
夏に祐貴とプールに行った時に発覚したときは冷や汗をかいた。
「顔ならまだセーフか?」
まだ手の届く範囲だからだ。鏡を求めて洗面台に向かうと頬に赤く「ずるい」と書かれていた。一体なにが?と思ったが、そういえば抽選から外れて参加できないと言っていた気がする。あまりにも楽しすぎて忘れていた。
「次の抽選はいつかな?」
今度祐貴か雪に聞いてみよう。なにかしら知っているはずだ。水で軽く頬をさらってみたが、簡単に落ちそうなものではなかった。風呂支度をして汚れを落とす戦場に参ろう。
なぜかイベント終了した夜中にも関わらず風呂のお湯は暖かいままだった。誰が用意してくれたのか、ありがたい。頭、身体を洗っていざ行かん。
「あっつぅ!?」
誰だ、こんなに熱々にしたやつは。だが、それもいい。伸びた髪が湯に浸かるが、ここは銭湯でも温泉でもない無礼講だ。手で毛先を拾って眺める。
「あいつら、ちゃんと寝てるかな…」
物思いにふけるのは子蜘蛛たちのことだ。イベント帰りに早々に眠りについてしまった。
ルカさんがいるかいないかなんて気にしてなかったが、よくよく考えればルカさんもあの場所では家族だ。
「ルカさんが帰ってきてから落ちたら良かったな…また、明日謝っとくか」
肩まで風呂で浸かってゲームの疲れを癒す。明日何をしようか、と考えながら満足まで入った。上がる頃には身体は火照って視界が霞んでいた。華奢だからこそ熱には弱いのかもしれない。
「ふぅ…逆上せた」
真っ赤になった身体をタオルで拭きながら、鏡に写る自身を見つめる。特に代わり映えはないが、どことなく疲れているように見える。よほどゲームに夢中になっていて疲れるということを気にしてなかったのかもしれない。
「これは、明日昼起きかな?」
パジャマに着替え、寝支度してリビングに向かう。ラップのかかっていたご飯を冷蔵庫に投入する。
そのときになって気が付いたが、夕飯食べたはずだ。じゃあこれは誰の?と思いつつも机の上で腐ってもらうのも困るので、冷蔵庫にしまっておいた。
「寝るかな…んんっ」
手を組んで上に挙げ、伸びをする。
なぜ伸びをすると少しだけ色っぽい声もしくは高い声が出てしまうかは、おそらくリラックスできて気持ちがいいからだろう。
良からぬことを考えてしまったが、別に変な気持ちにもなるものでもないので、さっさと自室に向かう。
ベッドに横になるとパジャマのフードが邪魔になる。なぜか俺のパジャマはお母さんと妹からごり押しされて着ぐるみパジャマになっている。
正直なところ寝れるならなんでもいいので断る必要も感じなかった。
ただこの格好で家族以外の前で出たいとは思わなかった。確かFEOの森のくまさんは着ぐるみをドロップしたはずだが、あれを着てるPMはいるのだろうか。
似合いそうなのがミントさんと、人型になっていた味噌汁ご飯くらいしか浮かばない。
姿はあれだが、味噌汁ご飯は男である。やっぱりミントさんしかいないな。それかルカさんならいけそうな気がする。すでにうさ耳を持っているから着る必要もないが、いつもメイド服なので別の服を着てもらいたい。
「そうだ、街との交流が進むなら服も買えるだろうし、ルカさんの服も買えるかもな。そう思うと、街との交流が楽しみになってくるな」
その楽しみを味合うためにさっさと眠ろう。あくびも抑えきれない程出てくる。眠るには十分な疲労もある。お布団がいつもより甘い匂いがする気がするが、おそらく気のせいだろう。
「おやすみ…ぐぅ」
一方その頃、子蜘蛛たちとユークはというと、いなくなってしまった精霊と、精霊を乗せた子蜘蛛を探していた。子蜘蛛の話では鬼ごっこの終わりの時間に集合場所に集まっていなかったという。そしてその近くでこそこそしているPHをみたという。
もしかしたら彼らPHに子蜘蛛と精霊を誘拐されたのではないか?そう考えたユークと子蜘蛛はそのPHがいたという場所に向かっている。
子蜘蛛たちを総動員しての探索だ。もし、なにも知らない者が見たらパニックになるかもしれない。
「いましたか?」
「いない」
「こっちはだめ」
PHがいたという場所にはすでに子蜘蛛たちがおり、キョロキョロと辺りを見回していた。ユークは子蜘蛛たちに話しかけたが、ここにはいなかったという。子蜘蛛たちにさらに広範囲に探索を頼み、一人ユークは協力者を得るために拠点の広場に向かった。
「すいません、今日はカレー炒飯様はいらっしゃいませんか?」
「ん?、おお、ユークちゃんか。今日は八雲様はいないのか?」
訪れたのはカレー炒飯の経営する屋台だ。色々な食べ物や素材、武具などを取り扱っていて子蜘蛛たちもよくお世話になっている。この人は鬼のダイコンだ。なぜ野菜なのかはわからないが、気さくで時々武器の使い方を教えてもらっている。
「はい、今は深い睡眠に入ってまして…カレー炒飯様はいらっしゃいますか?」
「すまねぇ、お頭は昨日までの戦いで疲弊しちまって明後日に帰ってくるそうだ。急ぎの用か?」
「はい…私たちの大切な精霊様と一緒にいた白2cがいなくなって…どこにいるかもわからず…」
「そうか、ちょっと待ってな。手が空いてる者に捜索を頼んでみる。いたのは精霊樹様の森か?」
「はい」
「そうか、なら俺達は近くの森を捜索してみる」
「ありがとうございます」
「いいってことよ!俺達に任せてな!」
そう言ってダイコンさんは屋台を近くの者に任せて仲間を呼びに行った。次はクナトがいまだに帰ってきていないカルト様のところだ。ついでにクナトも連れて帰れたら心強いのだが、果たしてクナトは無事だろうか。
カルト様のいる場所は南西の第二エリアだ。私たちが八雲様と出会えた場所の先だ。ここには八雲様は行ったことはないが、私達はカルト様に連れられて何度か行ったことがある。
カルト様はそこに地下墓地を建造して住まわれている。なぜ地上ではなく地下なのか。カルト様が言うには「え?だってアンデッドといえば地面から這い出てくるでしょ?地下墓地がない?だったらつくればいいじゃないか」だそうだ。
正直何言っているかわからなかったけど、カルト様がおっしゃるなら正しいのだ。私は大精霊様がいるような明るい場所の方が好きなのだけど、聖霊たちは暗い場所も好きだと言っていた。
主人格の私は八雲様と子蜘蛛たちがいればどこでもいいそうだ。確かにその通りだが、観点がずれている。
それはさておき、私は今、その地下墓地にやってきている。ここも変わった。少し前までは廃墟のような瓦礫が積み重なっていて人の住めるような場所ではなかった。今では聖骸と邪骸たちが暮らす立派な町になっている。
私は顔パスでいけるが、PH共は厳重な審査の末、入ることが許される。ちょっとでも難癖をつければ、即リスポーンさせるほどの武力を持っている。カルト様がいるのは町に中心にある館ではなく、町にある墓地の地下だ。
館はPHを寄せ付ける罠。入ったが最後、新しい住民として迎えられる。そのためには一度死んでもらわないといけない。つまり生まれ変わる必要があるということだ。PHを迎え入れるが武具などは売らず、素材や食べ物だけだ。PMやNPM、NPHにだけはなんでも売っている。
PHだけ差別?いえいえ、今までの行動を考えれば自ずと答えは出てくるはずだ。ここは町ではあるが、カルト様の家でもある。そんな家に土足で踏み入れて強奪しようとすれば対応も変わってくる。当たり前じゃないか。
私は八雲様の庇護下にあるからこそ厚待遇だが、そこらへんのNPHの豪商だろうとここでは低姿勢だ。なにせ相手は町を滅ぼすことも出来る魔物の王だ。機嫌を損ねるわけにはいかない。
「あら、ユークちゃんじゃない。どうしたの?こんなところで」
「味噌汁ご飯様もいらっしゃったのですね」
「もう~かたいわね。気楽にしていいのよ。そうだわ、今度八雲に相談があるのだけれど、伝言してもらってもいいかしら?」
「ええ、勿論です」
「それで、なにかあったのかしら?」
「それがですね…」
少女の姿をした味噌汁ご飯様は一段と美しくなられていた。今日はここに買い物に来ているらしく、白のワンピースを着ていた。私と同じくらいの子供に見えるが、強さは八雲様と同等だ。無闇に無礼を働くわけにはいかない。
現状を味噌汁ご飯様に相談すると何もないところを触ってなにかをすると「私達に任せなさい!」と言ってどこかに走り去ってしまった。追いかけるにも早すぎて追い付けなかったので見送った。
カルト様がいる墓地に直接行ってもいいが、時々商人と面会することがあって館の方にいることもあるので、まずは館に向かう。中に入るとレッドカーペットが敷かれ、美術品が飾られている。
ここにある調度品は全てカルト様の配下がつくったものだ。これらも気に入られれば交渉次第で買い取ることができる。美術品についてはよくわからないが、NPHに人気だそうだ。
案内人の聖骸に連れられてやってきたのは応接室だ。私も聖骸の種族なので仲間意識がある。ここでは娘のように扱われるので照れくさい。扉をノックして開いた先には商人と交渉するカルト様のお姿が。
「カルト様、お客様です」
「ん?ユークか。ちょっと待ってね。今は商談中だから。あっちの部屋にクナトが待機してるから」
私はカルト様の指示に従い、部屋を後にした。なかなか帰ってこなかったクナトがいるという部屋に向かった。部屋でクナトは机にかじりついて勉強に励んでいた。案内人が言うにはこれから街との交流があるなら、NPHの世界についての知識が必要となってくる。
クナトはそのためにここで勉強しているそうだ。私はクナトの邪魔にならないように部屋の外でカルト様の商談が終わるのを待つことにした。
ユークがここに来たということは僕と商談している異様に偉そうな商人の言っていたことは事実となる。彼は言った。
「いい商品が手に入ってね。これはここだけの話なのだが、彼の精霊を捕獲することができたのだよ。これ、どういうことかわかるかね?さぁ、絶大な力を手中におさめた我にここを明け渡せ!」
だけどね、正直のところあの大精霊を捕まえることは不可能だ。あの八雲の配下が数百と徘徊している精霊樹だよ。多分だけど、この前見かけた保護した精霊のことを言っているのだと思う。
口振りからして精霊が大精霊なのかそれともただの精霊なのか見分けがついていない様子だ。しかも大げさに手を広げて宣言するだなんて面白すぎる。この事実に気付けるのはいつかな。楽しみだけど、その前に。
「それがどうしたの?精霊?僕達が精霊に負けるような存在だと思ってるの?」
「ふふふ、ははははは。強がっていても無駄だぞ。精霊はアンデッドを浄化することができる。そんなことも知らぬのか!これだから低俗な魔物なのだよ!」
こいつ、調子に乗っているね。しかも僕がただのアンデッドだと思っているみたいだね。反論するのは簡単だけど、気付いてないなら面白そうだと無視しよう。
「その低俗な魔物に誘拐した精霊がいないと、怯えてここにすら来れない君に言われてもね」
「たわけっ!ワシがそんな魂か!これでも食らえ!聖なる雷は邪を滅する。愚者なる敵を穿て、精霊魔法『聖なる雷』」
僕に手を向けて放ってきたのは真っ白な雷。こんな至近距離で撃つような魔法でもないだろうけど、それにしてもなんて恥ずかしい台詞だ。PHもいつもこんな呪文唱えてるけど、羞恥心持ってないのかな?
顔に直撃した電撃はピリッとしただけでなにも起きなかった。当たり前だ。今の僕は邪聖骸ではなく、聖骸だ。雷は効くが聖属性は回復するだけだ。雷と聖でプラマイゼロだ。
「それで?」
「馬鹿…な…あり…えない」
茫然となりかたまる商人は隙だらけだ。なにもせずに魔法を受けてみたが、ダメージはゼロに等しかった。レベル差が主な要因だけど、雷の耐性は持っていなかったな。今度鍛えるとしよう。
「カイル、拘束しろ。精霊誘拐犯だ。それとユークを入れてくれ」
「はっ!すぐに」
「馬鹿者!近付くなっ、ぐっ…うぎぎ…」
カイルは音もなく現れると、商人のうるさい口と逃げる足を拘束して黙らせた。扉を開けたカイルはユークを呼ぶとすぐに引き入れた。
「ユーク、よく来たね」
「はい、相談なのですが…」
「大丈夫だ、精霊を捕まえた誘拐犯は捕らえた。あとはどこに精霊を捕らえているのか吐かせるだけだよ」
「え?え?」
きょとんとしたユークがなんとも可愛く見えた。いつものユークは大人びていて油断も隙もない感じだった。子蜘蛛たちと仲を深めて物腰が柔らかくなったのかな?ちょっと可愛いからこのまま眺めておこう。理解するのにも時間がかかりそうだしね。




