第47話 常闇の波
進化は無事終えたが、やはり脱皮の糸がへばりついたままなので、子蜘蛛たちに剥がしてもらった。もう進化も子蜘蛛がいないとまともにできないなんてどっちが親なのかわからなくなってくる。それでも子蜘蛛たちが嬉しそうに手伝ってくれるので、子蜘蛛たちがやさしい子に育ってくれてよかった。
ルカさんも手伝おうとしてくれていたが、さすがに照れくさかったので遠慮してもらった。剥がれた糸はルカさんがなぜか服のポケットにしまった。今更だが、ルカさんは最近メイド服を着ている。
人参もそのメイド服のポケットにしまっている。今もポケットから取り出した人参の香りを楽しんでいる。人参の虜になったルカさんはああなると周りが見えなくなる。今も子蜘蛛がスカートの裾を引っ張って遊んでいるがなにも反応がない。さすがに頭の上に乗れば降ろされるが、反応がにぶい。
人参がやばいものにしか見えなくなってきたのは俺だけだろうか。ルカさんは置いといてあれから数時間経ったため、もう夜になっている。子蜘蛛の中にはうとうとしてる子もいるので、寝床に運んで寝てもらう。抱き着いてくる子蜘蛛がいたので、寝るまでなでなでする。
子蜘蛛がみんな眠ったところで一旦ログアウトして休憩する。ゲームとはいえ、体力の消耗があるので、補給という名の晩御飯を食べて、再びログインする。
まだ子蜘蛛たちは寝ているが進化した身体を慣らすために一人で街へ向かう。
拠点から出るとすぐに復帰したばかりの鬼やスケルトンがいた。状況を聞くと、今は街の間際まで進軍していて、結界を二つほど破壊して硬直状態なのだそうだ。あと一つ破れば街へ侵入できる可能性があるそうだ。
「教えてくれてありがとな」
「いえ、八雲殿はお館様の友人ゆえ、この程度で礼を言われるほどではありませぬ。私達もすぐに復帰しますので、お館様の援護に行ってください」
鬼は礼儀正しかった。カレーの部下とは思えないほどだったが、これも成長といえば成長かもしれない。鬼に手持ちの食べ物を贈呈して別れた。
森を疾走して街へ急ぐ。身体の大きさは変わらないので動きは悪くない。森の中で拾った枝に糸を巻き付けながら、魔糸の木杭を作成していく。森を抜け、誰もいなくなった草原を走り、街までたどり着いた。
PHは街のそばで結界の外に向けて魔法や矢を放っているが、戦士系の近接系のPHは見当たらなかった。おそらく装備が品切れしたのだろう。
さすがに装備なしでの特攻では勝てないのだと悟ったのだろう。今はちょいちょい出てくるPHを乱獲していた。
そこに突っ込んでいって加勢するのもいいが、進化した力を試すのにはわざわざ激戦区にいく必要がない。今回の進化を含めて前の進化のときに手に入れたスキルをあまり使っていなかったので、試験的に使ってみることにした。
スキルの説明は熟読している。あとは実践するだけだ。
「まずはこの説明を読んでもわからない【守護者召喚】からだ」
スキルを発動すると魔法陣が現れ、そこに一つの塊が出てきた。夜なので多少目立ったが、ここにわざわざ攻めてくるPHはいないはずだ。塊は微動だにせず、魔法陣は消え去った。
「…これさ、フウマじゃない?」
塊は先程寝かしつけたフウマだった。起きる様子はなかった。どうすることもできないので、頭を撫でてから送還した。使えるスキルだが、今は使えないことがよく分かった。
次は【天網】と【雷天糸】だ。【天網】は一度試したことがあるので、なにができるかわかる。これは任意の場所にレベル×レベルの大きさの巣を形成するスキルだ。つまり、なにもない場所に突然巣をつくれるということだ。これにキョテントを張れば、空からリスポーンできる。ただし、あまり高い場所に設定すれば落下で死ぬ。
そしてこの【雷天糸】は【天網】で作られた巣から雷を帯びた糸を落とすスキルだ。しかも発動後も糸は残るので、それなりに使える。天から飛び降りるのではなく、無傷で降りることができるようになる。だがメリットだけでなくしっかりとデメリットもある。
雷天糸により天にある巣を容易に燃やせる。なのでそれなりに工夫するかしないと使えない。あとは【転移巣】と【領域侵略】だ。
【転移巣】は名前からして巣から転移することができるのだろう。領域侵略はなにかの領域を侵略できるスキルかな?使ってみて試してみよう。
「まずは【天網】を街の上に設置するか」
街の真上に【天網】が発現するように意識すると、空に小さな雲が集まり、小さな点が出来上がった。ここからは把握できないが、おそらくバレていないだろう。
「次にもう一つの巣を作るわけだが、やっぱりリアルな蜘蛛の巣を作るべきだな」
糸はすでに使いこなしているので作り方はわかる。というか蜘蛛の巣のネット状態で糸を出せた。やってみたらできたので、至るところにまるで罠を置きましたよといった感じで配置する。
これで【転移巣】に指定した巣を紛らせて壊される確率を減らせた。あとは土を軽く被せれば立派な罠の完成だ。【天網】で設置した巣も【転移巣】に指定する。もう一つほしかったが、このレベルでは2つが限界だった。
「いってみるか」
【転移巣】に乗り、転移することを意識すると視界が一瞬ホワイトアウトした。戻った視界を確認すると、真下に球体のドームに包まれた街が見えた。どうやら成功したみたいだ。
かなり強力なスキルだったが、デメリットとしてMPを大量消費することがわかった。【天網】がレベル×10、【転移巣】が1つ設置するのに100MPだ。俺のMPからしたら賄えるが、よっぽどMPに振り分けておかないと使えない。
「ここにきたが、あとはどうする?」
周囲に【天網】を張り巡らすのが、逃げ場を増やすことができるが、その分、空に不思議な物体が浮いてることに気付かれやすくなる。だが、ここに止まるだけではなにもすることもできない。
下を眺めてみるにPHにそう簡単に気付かれることはないだろう。だったらこの場でできることがないか模索することは価値があるはずだ。
結界は魔物の攻撃により幾つもの衝撃の波で揺れていた。波は次第に消えていったが、これほどの衝撃があるなら、そろそろ壊れるかもしれない。
糸を真下の結界まで垂らして近づき、試しに結界を殴ってみると硬いゴムのような弾力感があった。つつくと小さな波が生まれ、殴ると大きな波ができた。水辺で石を投げて遊んだことを思い出す波だ。
結界は触れても波を生み出すだけで突き破ることは出来そうにない。何度か触れて気付いたことがある。
「これってもしかして結界に乗れる?」
ちょっとずつ前脚に力を乗せていくがびくともしない。どれだけ力を込めても壊れない結界に思いきって乗ってみると、何事もなく乗ることが出来た。乗ってみるとわかるが、かなり揺れる。
波が押し寄せてくるのをタイミングを合わせて軽く飛ぶことで揺れをかわすことが出来た。何度か繰り返すことで、この結界は責めるには苦労するが、遊ぶにはもってこいのトランポリンだと気付いた。
踏み込めば強い弾力が上に押し上げてくれる。それを何度か繰り返すうちにさらに上へと飛ばされた。それだけでなく、結界に伝わる波も俺を起点に強くなっていく。
宙に浮かぶ間は少し怖いが、何度か飛んでると楽しくなってきた。最初はただ跳ねるだけだったが、今では宙返りや捻りを加えるほどの余裕さえ保つことが出来ている。
そこまでいくと結界を壊すと言う目的を忘れてただひたすらに跳び跳ねることと楽しむことに勤しみ、結界が壊れるものだということも忘れていた。
「あ、いいこと思い付いたぞ」
俺は蜘蛛であり、糸は性質を変えられる万能糸だ。このトランポリンは強い弾力があって俺を楽しませてくれるが、ここで俺の糸をトランポリンとは反対側に設置すればどうなるか?
答えは簡単だ。【天網】をトランポリンの反射角度に合わせて配置。そこにちょうど跳び跳ねた自身が飛ぶように調整。宙返りが自然と出来るようになった俺はトランポリンと【天網】を交互に移動しつつ、魔力回復ポーションを飲み干す。
【天網】を張り巡らせた空中トランポリンは俺を加速させていった。その速度はジェットコースターになったような人工的なものではなく、自らが動いた結果であり、恐怖を与えるものではなかった。
更なる快感を求めた俺は【天網】を重ね、弾力にさらに力を込められるように工夫した。そして有り余る命の結晶を食して速度に極振りした。
「楽しい!すごく楽しい!」
誰の注目も集めず真夜中の街の上で一人、はしゃぎまわった。この瞬間に終わりが訪れることは段々と現実を帯びてきていることに八雲は気付くことはない。
そんな蜘蛛を置いてきぼりにして戦況はさらに加速していっていた。それはなぜか、昼間着々と戦力を集めていたPMたちが本領を発揮したからだ。
この闇夜によってその姿を完全に隠蔽した烏の群衆は高速で結界への突撃を繰り返す。その姿を捉えることのできないPHには至るところで現れる結界の波に混乱したことだろう。
だが、それに気付けるほどPH達は余裕ではなかった。この戦争で死んでいったPHの数は万を超す。そのすべてが甦り、そのすべてが街へと襲撃を仕掛けたらどうなるか。空の闇は瞬間的に現れる影だとすれば、街の周囲を埋め尽くす闇はこの世界の終わりを告げる常闇と呼べるだろう。
街の明かりによって浮かぶ常闇がPHを絶望へと叩きつけた。昼間の有象無象が森から猛威を奮っていたあの襲撃がお遊びに思えるほどだ。
衝撃はこの程度ではない。その常闇は隊列を組み、漆黒のローブを身に付け、武器を掲げて立ち止まる。誰もその恐怖の集団から目線を外すことが出来ない。
雲隠れした空の月が静まった街へ月明かりを照らす。その月が赤いことに誰も突っ込みを入れることもなく、誰もがこの状況に固唾を飲んだ。
止まった音の中で、一つの音が響く。その真っ赤な月に向かって孤高の狼が遠吠えをあげた。すべての注目を奪った狼は街に眼光を向けて歩きだした。狼が進めば、闇の群れは道をあけた。
孤高の狼が一歩踏み出す度にその後ろから一回り小さな狼が姿を現した。幻のような存在が現れる度に威圧感が増していった。
孤高な存在も異質さだけを残したままなにもせずに結界の前で立ち止まる。
次に動き出したのは世界観を壊した城の主だ。己の拳だけでなにもかもを破壊してきた男の腰にはまだ誰も発見することも造ることもできていないはずの刀を携え、和の鎧を身に付ける。
鬼達は刀を片手に持ち、もう片方の手にはそれぞれの得意とする属性の魔法を纏わせた。いつもの騒がしさも嘘のように沈黙を保つその姿はお互いを知る者からしても困惑させるだろう。
街の対岸に位置する森にはこの祭りをさらに盛り上げる者たちがさらに集結しつつあったが、まるで邪魔者扱いされているかのように始末されていた。ある者は大蛇に飲まれ、ある者は溶かされ、またある者は生きたまま植物に寄生されていた。
彼女達はこの祭りを盛り上げるべく、今回は裏方に徹した。その貸しは彼らからしたら大きなものだが、果たして満足できるものを用意できるかは神のみぞ知るものだ。
今回の祭りはPMの戦力の高さを見せつけ、ついでに街も手に入れようというPMたちの遊びでもある。そのため、個人の力がすべてとするものは遠くからその劇を楽しんでいた。
そこにはまだ始めたばかりのPMも含まれている。もちろん、すでに50を到達したものもいるが、もしあの戦力でも勝てなかった場合は参戦するつもりでいる。
孤高の狼と幻の狼の群れ、闇夜の烏の群衆、世界観の破壊者である武士達、世界の終わりを告げる死の支配者、そして一人はしゃぎまわる蜘蛛。
誰もが静寂を保つこの戦場は空から落ちる、一つの流れ星によって始まりを告げた。




