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第155話 ご注文はくまさんですか?

 ルティアを先頭に整備された道を進んでいく。凹凸のない道はどうもこれまで歩いてきた感覚と違いすぎて感触が気になっている。まるで現代のコンクリートジャングルを散歩しているかのような感覚に陥る。


 ゲームをしているのに、そこはゲーム世界ではなく、異世界だったというオチ。これがリアルに起きたらここまで優雅に散歩することもできないだろう。


 さすがうちのエリアというべきか、すれ違う人が全くいない。すでにくまさんをクリア済みであれば他のエリアを通っていくのが、安全だろう。


 PHであれば、ここがどれほどの危険地帯かも伝わってるだろうし、PMであれば、蜘蛛に捕食されてもう来たくなくなるはずだ。


 子蜘蛛たちが俺のことを大好きだから平気でいられるが、急に牙を向けられたら、おそらく数の暴力に屈することになるだろう。


 ルティアの足取りは軽く、リズムを刻んでいた。なにやら楽しいことでもあったのか、チラチラとこちらを見つめては嬉しそうに「うふふ」と笑っている。まるで散歩している犬が大好きな飼い主をチラチラと見ている様だ。


 妹にこんな感情を抱いてしまうのは、俺が犬の散歩に憧れているからなのか、はたまた狐がイヌ科の動物だからだろうか。この気持ちは口が裂けても言うことはできない。絶対に軽蔑される。俺にその覚悟はない。


「どうしたの?こっちを見てニヤけてるけど?」


「あ、いや、なんでもない。久しぶりにルティアと散歩するなって思って」


「そう?だったら、夏休み中に散歩でもしてみる?ちょうど行きたいお店があるの」


「そうなのか?でも、暑いしなぁ」


「我慢して」


「はい」


 さすがの俺でも妹の誘いを断ることはできない。お母さんが怖いからとかでは決してない。


「あ、なにかみえてきた」


 ルティアはそう言ってそのなにかに向かって走っていった。見上げると空に白い煙のようなものが見える。どうもくまさんがいる場所にしてはおかしなものがある。


 くまさんといえば、獰猛な顔つきに、鋭い爪を持つ第一エリア最強のエリアボスだ。くまさんを前にして焚き火する余裕綽々な人なんてよっぽどレベルが高くないといないはずだ。


 おかしな現場にたどり着くと、ルティアが呆然とした様子で後退りしていた。


「なによ……これ」


 ルティアの言いたいことがわかる。心の内さえも今ならはっきりとわかる。


 そこには獰猛なくまさんがいた。大きな口を開いて、今にも襲いかかりそうな迫力がある。鋭い爪もよく尖っている。磨かれた黒い爪は簡単にルティアを貫けるほど大きい。こんなくまさんに遭遇してしまえば、ひとたまりもない。


 そんなくまさんは今、槍に貫かれ、焚き火の上でくるくると回っている。脂の乗ったお肉からは香ばしい匂いがする。今にも襲いかかりそうな獰猛な顔はよく見ると必死で逃亡する小動物にも見える。


 くまさんの丸焼きの周りには、出店が出ており、いつものように鬼人たちがせっせと屋台飯をつくり、そこに子蜘蛛たちが並んでいる。お皿と自前のフォークを抱えてワクワクしながら出来上がるのを待っている。


 俺がここに来ることはさっきルティアを襲った子蜘蛛たちから聞いていたのか、混乱は起きなかった。その代わり『くまさんの希少部位で特に美味しいステーキ』と書かれたお肉が山盛りで置かれていた。


 他の子蜘蛛が手を出さないように『ママ専用』と書かれている。これは子蜘蛛たちから俺へのおもてなしだ。断ることなんてできない。ルティアを膝の上に乗せて席に着いた。


 肉汁から身を守るためのエプロンをかけられ、カレー炒飯印の意匠が施されたフォークとナイフを渡された。


 生肉や焼いただけの肉を食べるのが一般的な蜘蛛の中に、なぜか料理スキルのレベルが高い子蜘蛛がいる。コックの帽子を被った姿は愛くるしい。


「食べていいのか?」


 コクンと頷くコック子蜘蛛の合図で、フォークを刺してナイフでステーキを切りつけた。ステーキにナイフが触れた瞬間、肉汁が弾け飛び、エプロンに付着した。


 肉に内包された脂の量が凄まじい。焼くと脂は溶け出し、肉の内部からなくなってしまう。だが、これは違う。肉本来の脂を閉じ込め、その肉をおいしく調理した上で生肉の本来の姿を残している。


 フォークが刺さった瞬間、開いた穴から溢れ出る肉汁。これを口にすることができることがまさしく光栄だ。口に含むと肉汁が暴れ出した。肉汁がこぼれないように口を押さえ、ゆっくりと味わって飲み込む。


「うますぎるッ!」


 高級料理と呼ばれるものに縁もゆかりもないが、このくま肉の美味しさだけはわかる。


 子蜘蛛たちの愛のカタチだからというだけではない。洗練された技術に舌を喜ばせる味付け。その積み重ねがこのひとときを生み出している。


 感動のあまりコックの帽子を被った子蜘蛛に『シェフ』と名付けるほど美味しかった。くま肉のステーキに手が止まらなくなる。そうして皿いっばいに積み重なっていたステーキを食べ尽くしてしまった。


 お腹いっぱいなった頃合いである小動物が姿を現した。匂いに誘われて我慢の限界を迎えたルティアが出てきた。


「私もたべたい!! えっ、ない!?」


 あれだけ積み重なっていたお肉様はつい先程、俺がぺろりと食べ尽くしてしまった。


「ごめん、もう食った」


「なんでよ!」


「いやぁ、うますぎたんだよなぁ」


「ねぇ、もうないの?」


 お狐様がシェフに聞くが、残念ながら狐語を習得していないため、首を傾げるだけで返答はない。


「え、ないってこと!?」


「違う。言葉が通じてないからなんて言ってるの?って首を傾げるんだ」


「ああ、そういうこと。ねぇ、ないの?」


「聞いてみる」


 シェフにおかわりを尋ねると希少部位なだけ追加はなかった。わざわざ希少部位を上げる必要もないので、出来合いで良いものを持ってくるように頼んだ。


 すると、すぐさまステーキが用意された。食べやすいように細切れにしたものがルティアの前に並べられた。シェフがドキドキしているように見える。ルティアはひとくち食べると、口を開けてぼーっとした。


 その表情は緩みきっていた。流れるよだれ。妹がよだれを垂らしてるところなんて寝ぼけてるときくらいしか見ない。美味しいものを食べるとよだれって出てくるものなんだなと感心した。


 しばらくルティアが夢中で食べてる様子も見たくなったが、本来の目的はくまさんの討伐にある。


 くまさんの丸焼きを作っている子蜘蛛に生きているくまさんの位置を聞いてみると、すでに捕獲済みで今焼いてるくまさんの順番待ちをしているそうだ。


 やはり新鮮さが大事で焼くなら生きたままという酷くグロテスクな思想を持っていた。まったく誰に似たのか。肉にまっしぐらお狐様が食べ終わるのを見計らって現場に向かうことにした。


「美味しかった……あれ、どこに行くの?」


「ここには何をしに来たんだっけ?」


「なん……そうよ、そうだったわ。食べに来たんじゃなくて倒しに来たんだった」


 目的を思い出したところで、衝撃のくまさんの姿を見に行くことにする。ルティアの足取りは重い。


 くまさんは復讐相手とも呼べる強敵。そんな敵に勝てる戦力を揃えたとしても一度覚えた恐怖を前にして前を進むのは難しい。


「あれね」


 遠くに見える身構えたくまさんの姿を捉えてたじろぐ。近づくにつれくまさんの姿がはっきりとしてくる。手足に槍が貫通してもなお必死に抜け出そうとするくまさんの姿。


「あれだ」


「いや、え?」


「どうした?」


「どうしたもこうしたも、おかしいわよ!」


「なにが?」


「だってあの、ねぇ、待って! ちょっと考えさせて」


 現実を前にして逃避するのも仕方ない。助けを求めるくまさんに差し伸べる手はない。次の食材の下準備にタレをかけられているくまさん。下味は大切だ。


 魔女裁判は魔女を悪魔と称して虐殺するものだが、これはくまさんを食材と称して料理するものなので生き物としては健全だ。


 しらすの踊り食いをするのに、くまさんの丸焼きは許せない思考は存在しないはずだ。


 知らないだけで生きたまま調理される生き物はいっぱいいるのだ。生きたまま食べることもある。弱肉強食だ。食物連鎖だ。これは合法だ。


「落ち着いた?」


「ん、んんっ、そうね。ようやく現実を直視できるようになったわ」


「じゃあ……ルティア、シェフ出番だよ」


「は?」


 丸焼きをするには槍に刺さったくまさんを焚き火の上で回転させなくてはならない。片方を新たに名付けた子蜘蛛のシェフ、もう片方をルティアが担当する。


 息を合わせていっしょにくまさんをくるくるとじっくり焼いていく。その過程でゴリゴリとHPが削られ、くまさんが弱体化していく。


 くまさんには第二形態なんて贅沢な仕様があったが、暴れることはできず、最後の雄叫びが調理場に響く。少し強化されたぐらいで槍が壊れることもなく、火がブワッと風になびいただけだった。


「ルティア、トドメの一回転だ!!」


「うるさい!こんなのおかしいわよ!!」


 槍がくるっと回転するとくまさんの丸焼きが完成し、エリアボス討伐のファンファーレが鳴り響いた。


 ルティアの目の前にはくまさんの料理完成のお知らせとエリアボス討伐の表示が同時に起きたことだろう。


 こんなエリアボス討伐も悪くないと思うが、それと同時にこんな結末をルティアが満足するとは思わなかった。


「また今度、ちゃんとしたエリアボス討伐行こうぜ」


「もういい!お兄ちゃんと行くと変なのしか会わない!友達つくってその人と行く!!」


「あれぇ?」


 なぜか飽きられてしまった。西のエリアボスであるカエルは相性が悪かった。くまさんについてはタイミングが悪かった。ぷんすかと怒る姿にどうするべきか考えたが答えは出なかった。


 こういうときは経験豊富な人に意見を聞いてみるのがいいだろう。カルトや味噌汁ご飯に相談してみよう。いやでもカルトは闘技場壊しちゃったからだめかもしれん。カレー炒飯が直してくれてたら聞いてくれるかもだけど、直ってから聞いてみよう。


 ルティアは無事?くまさんに復讐できた。これでしばらくは安心してゲームを楽しめるはずだ。


「フレンドだけど、どうする?直接会って登録する?それともサポートAIに送ってもらう?」


「せっかくだから会ってみたい」


「わかった。でも言葉が通じないとあれだから、一度送ってからまた集合しよう」


「ねぇ、フレンドってそんな簡単になれるものなの?」


「さぁ?勝手にフレンドになってるから、よくわからん」


「はい?」


 困惑する気持ちはわかる。ある日突然、知らない人と言葉が通じるようになっているのだから、おかしな気分になる。自分のスキル習得力が上がっている、と勘違いしてしまいそうになる。


 結果はルカさんの好意でフレンドになっていた。貴族もののファンタジーでありげな知らないうちに婚約者が出来ていたに近い。でもこれは正直助かってるから、今度いいにんじんを仕入れてこよう。いつものお礼も兼ねて。


 くまさんの丸焼きの切り分けをしてもらってる間に、ルティアにはサポートAI経由でフレンド申請をしてもらいにいった。せっかくつくったのだから丸焼きを手土産にすることにした。


 個性的な面々だが根は良い人が多い。こういうのを無下にする人はいない。他のエリアで町をつくっているカルトやカレー炒飯のところには行かず、広場で会える人に会うことにする。


 観光地にもなっているのに、このタイミングで行くよりは自らの足で見つけるほうが楽しみが増えるはずだ。


 無事にフレンド申請を終えたルティアが帰ってきた。


「ん?その帽子どうしたの?」


「これ?カルツマがせっかくならおしゃれしたほうがいいってくれたの」


 カルツマというのはルティアのサポートAIらしい。ルティアが被っている帽子は小さな黒いシルクハットだ。マジックでハトが出てくるあの帽子と似ている。


「それじゃあ行こうか」


「うん!」


 少し前にジンとマルノミ、アーガスで集まったときから摩天楼になっていた広場がわずか数日でさらに拡大していた。空を突き抜けていた桜の大樹に提灯が吊るされていた。


 ここはいつでもお祭り騒ぎなんだなと楽しい気持ちになった。肩の上でポカーンと口を開いていた。


 エリアごとの別世界観もすごいが広場はもっとすごい。日々進化する情景に来るたびワクワクが止まらない。それにここに住んでるの?っていうぐらい人がごった返しになっている。


「こんなにPMっているの?」


「いや、ほとんどがNPMだよ。配下たちがここで商売したり、俺たちPMを楽しませたりしてるんだ」


「はぇーー、すごいわ」


 屋台やらお店やらを覗いては食べ物をもらい、ルティアが満足するまで広場を散策した。その中でひときわ人だかりができている店を見つけた。


「であえい、であえい!本日は、ななな、なんと!あの伝説の魚、アーサーの解体ショーをするぜぃ!」


 まな板の上には死んだ目をした空魚のアーサーがいた。どうやら彼はまだ生きているらしい。解体ショーを行う料理人は、カルトから一時的に解放されたと思われるカレー炒飯だった。


「なによ、あのでかいマグロみたいな魚」


「なんだろうね。でもどっちもPMだよ」


「え?」


 プレイヤーすらも食べてしまうフレンドの関係に身震いをする。あれは一種のギャグみたいなものだ。


 毎度、カレー炒飯に捕まるアーサーもどうかと思うが、フレンドを切られていないのはそれだけアーサーも楽しんでいる証拠。特別な関係なのだ。


「私はああならないフレンドを探すわ」


「良い人を見つけられるといいね」


「うん。おすすめの人はいる?」


「うーん、レベル帯があってるPMは知らないなぁ。ああでもそうなったら子蜘蛛の中から気になった子を連れて遊びに行ったらいいよ」


「見つからなかったらそうするわ」


「そろそろ夕飯の時間だからログアウトしよ」


「うん!」


 キリの良いところでルティアとの遊びは終わった。いつになるかわからないけど、同じ目線で戦える時になったら誘ってみよう。

ごちくま堪能しましたか?それならよかったです。

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