第153話 劇場版カエル
更地になった沼地に散らばっていた空魚は、残った大きな獲物の周囲を囲い始めた。例えるなら砂糖の山に群がる蟻。回遊する空魚は魔法を使い、空へと続く水の竜巻を作り上げた。
吹き荒れる空魚の嵐の中で身を潜めるルティア。この中で守り抜くのは至難の業。突撃をいくつか受けるだけでもルティアのHPは底をついてしまう。
この戦いにおいて俺と空魚の立場は、釣り人と餌を狙う魚だった。今では形勢は空魚に傾きつつある。追い詰められたのは俺たちだ。
しかし、戦力が一点に集中したことで、空魚たちは自ら危機に瀕することになる。
広い沼地では拡散されるチカラが俺を中心に集まることになる。猛毒を手のひらから零す。水面に触れた瞬間、足元に群がっていた空魚が毒状態になり、一頻り暴れ回ったあと、静かに水面へと浮上する。
毒による虐殺が始まる。自ら描いた渦の中に毒が混入されたことで次々と息絶えていく。嵐は一度起きるとしばらくは災害を発生させる。しかし、嵐は消えゆくもの。人知れずなくなったものが目の前から消えていくのはスッキリする。
「ルティア、終わったぞ」
「え?え?」
ルティアは突然終わった戦いに困惑している。無理もない。さっきまで吹き荒れていた嵐が消えたのだ。
「先へ進もう」
呆然とするルティアを愛でながらボスエリアに直進する。死屍累々の沼地を歩き、ボスエリアに着いた頃、ようやくルティアが目覚めた。
「ど、どういうこと!?」
再起動したルティアが真相を聞いてきた。素直に毒殺したことを教えた。すると、ルティアはジト目で見てきた。悪い手じゃない、このときは最善だと思っていた。
のちに空魚の支配地域だったこのエリアは俺の毒により、死の沼地へと変化することを知ることになる。
新エリアを元々の綺麗な状態で楽しめるのは、初めて到達したプレイヤーの特権だ。これこそがこの世界を攻略する上での目標にもなり得るだろう。
新天地へと向かうためのボスエリアにたどり着くと、そこは蔓のようにねじれた木々で空まで覆われた鳥籠だった。空から照らされた光の真ん中には小さな沼地があった。
「これがボスエリア?」
ルティアは閉ざされたボスエリアに初めて来たそうだ。確かに第一ボスエリアはすべて解放されてオープンワールドになっている。ルティアは物珍しそうにあたりを見回す。
ルティアも子蜘蛛たちも俺の背中や肩に乗っていたが、蔓の地面に変わったことで、歩く意欲が湧いたのだろう。沼地は気分も気持ちも奪っていく。ルティアと遊ぶ場所の選択を誤ったと少し後悔している。
沼には小さな島と金色のカエルがいた。カエルは近づくたびに、詩を歌い出す。透き通った綺麗な歌声だ。まるで劇場のような、演劇場のように。歌が広がり、蔓の間からカラフルな音符が溢れ出す。
カエルは楽しそうに歌う。エリアボス戦だということを忘れるほど、歌に心が奪われた。
「きれい……」
ルティアが無意識に漏らした。シュガーとソルトも楽しそうに前脚でリズムを刻む。
ある瞬間から声が途切れる。声が消えると、蔓の間の光が消え、真ん中にいたカエルが静まり返る。空から落ちていた光も小さくなり、カエルは沼に沈んでいく。
「な、なにっ!?」
カエルの様子が怖くなったのか、ルティアが俺の腕の中に収まった。ひょっこりと顔を覗かせる狐。チャンスだ!と思って頭を撫でようとしたら叩かれた。
終幕のあと、カエルは再び蘇る。沼の水を全部飲み干したかのように黒褐色に染め上げられ、口から臭い息を吐く。鈍く汚れた瞳は蔓の床を溶かす涙を流す。
今までが嘘だったかのように、カエルは低い汚い声を発する。その声が戦いの始まりの合図だった。
カエルは歌い出す。聞くに堪えない不快な音楽を奏でると、蔓の間から音符ではなく、黒い魚のようなものが滲み出てきた。
「来るぞ」
視線を泳がせたカエルが一声あげると、黒い魚が突進してきた。その場から退避すると、魚は蔓の床に衝突して黒い液体に変わった。床からわずかに煙が発生した。
「当たると危ないな」
腕の中にいたルティア以外はそれぞれ行動を始める。シュガーは光魔法で辺りを照らした。すると、黒い魚はシュガーを避け始めた。光を恐れるからこそ、このエリアは暗闇に包まれている。そう考えたソルトが風の魔法で蔓を切り始めた。
しかし、蔓は思った以上に丈夫で、切れ目はつくが、それ以上は風の刃が入り込まない。カエルが音調を変えると、蔓が再生を始めた。さらに辺りを漂っていた黒い魚が形を変え、足が生えてきた。
「えっ、お、オタマジャクシだったの!?」
ルティアの言う通り、魚はオタマジャクシだった。尾ヒレが魚のそれにしか見えなかった。歌声はオタマジャクシを成長させるものでもあった。
蔓の除去ができないとわかったソルトが目標をオタマジャクシに変えると、オタマジャクシは逃げ始めた。足が生えたものは意思を持つようだ。
シュガーが火の矢をオタマジャクシにぶつけると小爆発した。そして、無意識のオタマジャクシが弾けた黒い液体に引火した。オタマジャクシは油で出来ているのか。
想定外の出来事で慌てていると、中央にいたカエルが笑ったように見えた。そしてカエルは沼の中に沈み、鳥籠の中から姿を消した。
「あいつ、逃げやがった!」
燃え広がる火の中、ソルトがシュガーの頭を撫でながら慰めた。俺もソルトに見習ってルティアの頭を撫でようとしたら、またしても叩かれた。なにがだめだったのだろう。
焼け落ちる蔓。水属性の魔糸で蔓を弾いていくと、空が出てきた。蔓が全て除去されると、そこはジャングルだった。木々は背の高いものばかりで、普通の木の十倍以上の太さをもつ根が、そこらじゅうに蔓延っていた。
沼地もそうだが、ジャングルも足を取られやすい。根の上に立っているのだが、ツルツルと滑る。足をとられながら周りを散策していると、汚い歌声がした。
巨大な切り株の上で上機嫌に歌っているカエルを見つけた。カエルはすぐに俺たちに気づいた。カエルがまた笑ったように見えた。
カエルが空に向かって歌い出すと、空に何かが通り過ぎ、影に覆われた。それは雲ではなく、オタマジャクシの群れだった。それも足のないオタマジャクシ。無意識の爆弾が雨のように降り注ぎ始める。
目標に目掛けて落ちてくるものじゃない。エリア全体に降り注ぐ雨だ。オタマジャクシは災害だった。ジャングルの木々はオタマジャクシによって更地に変えられた。
俺たちとカエルを残し、エリア全体が真っ黒な液体に覆われた。カエルはまた笑う。黒い液体は燃える。つまり、ここは火気厳禁の危険地帯だ。火も雷も使えない。
これまでカエルの属性がわかっていない。攻略法がわからないままラスボスに連れてこられた気分だ。
「お、お兄ちゃん、ど、どうすれば!?」
動揺の隠せないルティア。シュガーとソルトも不安そうだ。どうすればいいか分からないが、とりあえずカエルを倒せばクリアできるはずだ。
カエルに近づこうとすると足が動かなかった。黒い液体は燃える液体、油だと思っていたが、別の液体だった。これは石油、燃える水と呼ばれるものだ。
カエルだけは黒い液体の上を飛び跳ねることができた。カエルが飛び跳ねるたびに黒い液体に波紋が生まれた。波紋が重なると、そこから新たな黒褐色のカエルが生まれた。気づけば、カエルに囲まれていた。
手が届かない位置でカエルは足を止め、口を開いて歌い始めた。汚い声色で耳を犯し始める。頭がおかしくなりそうだ。耳を押さえても音が響く。
「う、うわっ……なんだよ、これ」
「気持ち悪い……」
歪む視界、ふらつく身体。姿も形もそっくりなカエルが動きも詩も揃えて歌い出す。不協和音の連続で思考が停止していく。すると、急に音が聴こえなくなった。
視界がぼやけて、段々と暗くなっていく。まばたきをすると、視界が明るくなってきた。ハッとすると、そこは黄金のカエルが歌う鳥籠だった。
「なんだ、これ……えっ、足が飲まれてる?」
黄金のカエルの周りから生えた蔓が俺たちを地面の中にゆっくりと取り込んでいた。シュガーとソルト、ルティアもいたが、三人は完全に蔓の中に取り込まれようとしていた。
あの悪夢のようなカエルの詩は聴こえず、透き通った綺麗な声が響き続ける。聴き入っていると、蔓に飲まれるスピードが加速した。どうやらカエルの詩と蔓は連動しているみたいだ。
歌い続けるカエルを雷で脅すと歌うのをやめた。同時に蔓が動きを止めた。集中していたカエルは、俺が目覚めたことに気付かなかったのだろう。ひどく驚いた様子だった。
ぴょこぴょこと飛び跳ねて俺から逃げようとする。魔糸槍を投擲すると、簡単に仕留めることができた。歌声には絶大なチカラがあっても、それ以外はただのカエルだった。
カエルを仕留めると、エリアボス討伐のファンファーレが鳴り響いた。呆気ない終わりだった。なんだか映画を見終わった感覚に似ている。討伐のエンドロールが流れる。
《幻響蛙を討伐しました。》
《称号【幻響蛙討伐者】を獲得しました。》
《スキル【真眼】を獲得しました。》
《PM専用報酬:幻響蛙の音符クッション、幻響蛙のオルゴール、幻響蛙の鳥籠、キョテント1つ、生存ポイント1000P,スキルポイント10SP,ステータスポイント10JP》
映画の最中に寝てしまった狐さんと子蜘蛛がいる。蔓に捕らえられて頭だけ出すルティアを見つけた。
俺は無防備で眠りこけているルティアの頭を撫でるのはどうにかイケナイ気持ちになる。狐さんの頭をもふもふしたい手を全力で抑え込み、埋まっている三人を掘り出した。
蔓から抜け出してルティアと子蜘蛛たちを起こす。
「え?なにぃ……?」
寝ぼけるルティアを正気にさせて討伐画面を見せる。
「え?ええっ!?なんで!?」
「なんでだろうな?」
ルティアだけじゃなく、シュガーとソルトも「なんで?なんで?」と聞いてくる。状況としてカエルに意識をどこかに持っていかれ、カエルに悪夢を見せられていたことを説明した。
集団催眠のようなことができるらしい。第2エリアボスでこんなことができるなら、精神的に追い詰めてくる性格の悪い魔物がいそうだ。
ルティアと報酬を確認していく。今回はカエルの音楽にまつわるオルゴールが出てきた。あのカエルの声を聴くと、どうしても悪夢に連れて行かれるのかとソワソワしてしまう。
これは封印するか、俺のいないところでルカさんたちに聴いてもらうことにした。ルティアは弱っていた無形粘体のエリアボスを単独で倒したことがあるらしく、報酬は初めてではないそうだ。
次のエリアに行ける資格は十分ある。ルティアと次のエリアボスも討伐したい有無を伝えると承諾してくれた。出番がなさすぎてやることがなかったのも承諾してくれた理由の一つだ。
レベル差があると遠慮してもこうなってしまう。エリアでの戦闘も含めて、俺はシュガーとソルトに指示を出す司令塔になることにした。後ろから見学だとつい手が出てしまうので、半分当事者になれば、どうにか手を引っ込められるはず。
新エリアはカエル劇場で見たジャングルだった。さすがにオタマジャクシが降ってくることはなさそうだが、木に化けるトレントの可能性は否定できないため、十分に注意して進むことにした。
途中、休憩を挟んで探索を再開すると、初めて魔物と遭遇した。木の根をスルスルとくぐり抜けるまだら模様の蛇だ。狙いはルティア。狙いを定めて身体をバネのようにくねらせる。まだルティアは気づいていない。
「ルティア、狙われてるぞ」
「え?誰に?」
「あれ」
ルティアに気づかせると、蛇はすでに跳躍していた。向かってくる蛇は顎を大きく開き、丸呑みする勢いだ。ルティアは焦る様子はあったが、即座に飛び跳ねて回避した。
一発で仕留められなかった蛇だったが、うまく反動を利用して、再度ルティアに襲いかかった。しかし、ルティアは空を蹴ることで空中で向きを変えた。
形勢逆転したルティアは、空中で無防備になっている蛇に風魔法を御見舞して討伐した。それを機に次々と蛇と遭遇するようになった。狙われるのはルティアばかり。蜘蛛は好かれない模様。
ジャングルの木はうねっていて隠れれる場所が豊富だ。前ばかり見ずに上も見ないと蛇が降ってくる。注意が必要だ。このエリアには素早い機動力を持つ者が有利なのだろう。
蛇以外もオウムがいた。鳥が高速で飛んできたら撃ち落とせる自信はない。あくまで撃ち落とすことはできないが、罠を張ることはできる。シュガーとソルトに指示を出して罠を仕掛ける。
見えない糸はオウムの翼を捕らえ、暴れれば暴れるほど糸が粘着して絡まっていく。シュガーは嬉しそうに俺に渡してくれる。ちょうどお腹空いていたので、食べると、なぜかルティアに絶句された。
「お兄ちゃん、拾い食いはよくないわよ」
「そういうゲームだから」
ルティアがゲームに染まった頃、空腹になり蛇を食べ始めた。俺が毒味したのだが、毒にやられてビクンビクンしてた。
「お兄ちゃん!助けて!」
毒は収まったが、俺への食事中の信用がなくなり、拾い食いに慎重になる狐さんであった。