第152話 コンコンと眠り、コンコンと諭す
約束の日、寝坊の許されない朝に俺は爆睡していた。いつものことだと許されたかと言えば、そういう未来のある話は無事に修羅場を乗り越えられたら話そう。
いつまでも起きてこない兄。静まる朝食の場。不機嫌になるお母さん。目が合った瞬間、お父さんはすーっと目を逸らし、見なかったことにしようとする。逸らした先で不敵に微笑むお母さんに見てしまう。
「こ、こら!だめだぞ、りゅー!」
ぐるんっと視点を回転させ、逆再生して叱るお父さん。その目は「許せ、りゅー」と言わんばかりの葛藤。お父さんも不機嫌なお母さんには勝てないのだ。
反省する色を見せ、粛々と朝食の席に着く。お皿と食器がぶつかる乾いた音が響く。沈黙の食事はお母さんの要求で終わりを告げる。
子供が嫌がる勉強という試練、そして宿題という悪魔。恨みがこもった冷たい視線。巻き込まれ事故で宿題の海に飲まれた妹の姿に本当に頭が下がる。
昼まで続いた紙とペンが擦れる音。にっこにこのお母さんに表彰式のように両手で手渡す宿題の山。ページをめくる音が耳の奥底まで轟く。
「まぁ、良かろう」と、お母さんからのお許しの言葉を賜る。続いて巻き込まれ事故を起こした妹からの提出。
「うんっ!うんっ!さすがママの娘!」
お褒めの言葉を頂き、お小遣いまでもらう我が妹。俺にはないの?なんて口が裂けても言えない。これが俺の現状だ。
ふらっとお父さんが現れ、お母さんにお小遣いをたかろうとする。
「うん、だめ」
流れで貰えなかったお父さん。お父さん型なしである。可哀想に。俺以上に惨めだ。とぼとぼ立ち去るお父さん。お母さんからお小遣いを簡単にもらえる日が来るのだろうか。
お昼ごはんの時間がやってきた。このままではゲームする時間が失われていく。ゆっくり食べる俺の向かいで、澪の奥義を目の当たりにする。
急ぎながら、それでいてお母さんの機嫌を損なわない、計算し尽くされた手つきで食事を進める。俺には真似できない。チクチク刺さる二つの目線が動きをよりぎこちなくする。
手間取った俺への視線はより冷たくなった。完食すると、休む間もなく手を引かれ、妹とゲームをしないと出られない部屋に監禁された。
ドアノブに手を伸ばしてそーっと扉を開けると、扉とは反対側に腕を組んだ妹がいた。
「あっ……」
「だめ」
「はい……」
脱出失敗のお知らせとともにスタート地点に戻されるホラゲーのように、俺はここで妹と遊ぶイベントをクリアしないと出られない。
ログインすると群がる子蜘蛛たち。「遊びたい!遊びたい!」とおねだりしてくる。
俺も遊びたいが、ルティアとの約束がある。どうしても引かない子蜘蛛たちに戸惑い、いつものように振り切れずにいた。
どうすべきか悩んでいると、ルカさんが妥協案を出してきた。それは、子蜘蛛たちでじゃんけんをして勝った子蜘蛛だけついていくという名案だ。
俺一人だとルティアのレベル帯に合わず、ルティアを退屈させてしまうかもしれないという配慮。考えられたルカさんの案に感動する。
ほわほわしてた子蜘蛛たちの雰囲気が一変する。ルカさんのリークだと、ルティアのレベルは20弱。俺は50を越え、ELv帯に入っている。勝負にならないどころか苦戦を強いられることなどまずない。
そんなレベチが颯爽とルティアと共闘したら絶対楽しくない。楽しめるのは変わり者の全自動蝙蝠抹殺機のパノンさんぐらいだ。そういえば、あれも一種の姫プレイと呼べるものだ。
姫プといえば、ミントさんがいるが、あれは、うん、もうパノン以外絡んでない。介護要員のミルフィーユとティラミスを遣わしたカレー炒飯とカルトの手腕がうかがえる。
メンヘラから逃れるための犠牲者だが、AIによる完璧な対処をしてくれる。メンヘラが暴走しない楔だ。ミントさんを優遇しすぎだと言われるかもしれない。必要な措置なんだとわかってほしい。
二人のことは、ひとまず置いておこう。じゃんけんの決着がつきそうだ。
気づいたら、コクマとハクマが参加していた。過剰戦力なので棄権を言い渡したら、絶望していた。この前遊んだでしょ?って他の子蜘蛛たちから抗議を受けて撤退していった。
最終的に残った子蜘蛛たちは、言い方は悪いが自動で名付けられた子蜘蛛たちだ。俺が名付けた子蜘蛛たちは皆、ELvに入っていて参加不可。ちょっと残念な気持ちはあるが、俺の子蜘蛛であることは間違いない。
数字とアルファベットの羅列の子蜘蛛を連れて行くのは、ルティアへの印象が悪い。新たに名付けるのが良さそうだ。
「君たちは今日からソルトとシュガーだ」
ソルトは空色の甲殻を持った水属性と風属性の魔糸を操ることができる特殊な子蜘蛛だ。
頭を撫でてやると、ペチッと手で払い除けて顔を伏せてしまった。伏せた表情は照れていた。塩対応なところが特徴だから、ソルト。
シュガーはソルトと真逆で甘えん坊。光属性と火属性の魔糸を操る。天真爛漫に笑う姿は炎魔と白魔に似ていた。
感情表現がわかりやすい二人を連れ、向かった先は指定されたエリア。俺が未だに深くまで探索したことがない、スラマと出会った西エリアだ。
初めて遊ぶ場所がここでいいのか?と思えるチョイスだが、場所なんてのは遊ぶうちに関係なくなっていくものだ。遊ぶ人が好きな人であれば、場所なんて選ばない。
ましてや血の繋がった妹だ。ルティアと遊ぶのに、不穏な空気が漂う墓地だろうと、カラッと乾いた風が流れる砂漠だろうと、俺はどこでも構わない。
「それに、俺が断れる立場なわけないだろ」
「……なにがないの?」
聞き慣れた声がした振り向くと、そこには誰もいなかった。視線を下げると、そこには子犬くらいの大きさの一匹の狐がいた。
「なによ?」
狐は不機嫌そうに言う。俺はそれがルティアだと認識するまで思考が停止した。聞いていた姿かたちを知っていたが、改めて実物を見るのでは大きく印象が変わる。
「かわいいな……」
ルティアは妹だが、それ以前に彼女の姿は狐そのもの。口元が緩み、つい手が伸びる。ペチッと払い除けられ、正気を失っていたことに気づく。
「ごめん、つい」
「まったく……お兄ちゃんはどうしてそう……か、かわいいものに目が……なんでもないわ」
ルティアはごにょごにょと独り言を呟いたあと、俺を見上げて「遅い」と小言を言った。しばらくルティアからの説教を食らったあと、連れてきた子蜘蛛の紹介をした。
「この子はソルト、それでこっちはシュガーだ」
「お兄ちゃんの子供?」
「そういうことになるな」
「相手は誰なの?」
「相手?」
ルティアの質問の意図がわからず、しばらく考え込んでいると、ソルトが卵を取り出した。
「あっ!そういうこと?卵から生まれるんだよ」
「だから……相手は?」
「いやいや、え?どういうこと?」
理解できず苦しんでいると、今度はシュガーが気を利かせてくれて、どういうことか教えてくれた。どうやらルティアは俺と誰かで卵を生んだと思ったらしい。
「いや、俺がひとりで産んだんだよ」
「……そ、そうなの」
ルティアが勘違いしてそうな雰囲気がしたが、それ以上深く掘り下げると、嫌な予感がしたので追求しないことにした。
「それで、ルティアはどこ行きたい?」
「うーん、どうしても次に進めないところがあるのよね。そこに行ってもいい?」
「そうなの?どこ?」
「マップでいう、西エリアってところ」
「あー、俺があんまり行ったことないところだな。でもいい機会だし、そこにしよう」
行き先が決まり、森の中を進んでいく。シュガーとソルトは木々を飛び回りながら、ルティアは枝や幹を飛び跳ねながら走っていく。寄り道などせず、真っ直ぐ目的地へと進む。
しばらく進むと、湿地帯にたどり着いた。この奥に無形粘体のエリアボスがいるのだが、俺が第一エリアを制覇したおかげで、エリアの境がなくなっている。
「お兄ちゃん、気をつけて。ここには暴食の化け物がいるから」
「え?なにそれ?」
「知らないの?放し飼いになったエリアボスが手当たり次第にこの湿地の魔物を食べ尽くしてる話。わたしは何度も喰われたわ」
そんな恐ろしい魔物がいるのか、ルティアといるときには会いたくないが、今度子蜘蛛たちを集めて討伐しに来ても良さそうだ。
「それはやばいな。ここも広いエリアだし、会うことはないだろ」
「やめて、お兄ちゃん。お兄ちゃんはなんだかんだ運がいいんだが、悪いのか、ないって言ったことに、何度も遭遇して泣いてるとこ見たことあるよ」
またまたぁ、俺は意外と運がいいんだ。ないと言ったらない。俺は強運を信じてる。そうして数分後、俺の強運が凶運だったことを思い知ることになる。
「ん?ソルト、どうした?あっち?」
ソルトが指差す方向を見ると、木々を飲み込む泥色の触手が姿を現した。それが家だろうが、車だろうが関係なく喰らい尽くす自然の脅威、嵐を同じように無慈悲に襲い掛かってきた。
行く手を阻むように触手が目の前を覆い隠し、空を覆った。暗闇の中、隙間を埋めるように粘体の海が迫ってきた。逃げられない、抵抗もできない、そうして心の闇を深くする。それが絶対的な脅威というもの。
ルティアは目を閉じて俯く。
「もう諦めるのか?」
「だって……こんなのって」
「俺に任せとけ」
俺がルティアの闇を払う。
手のひらに雷を込め、毒で染める。触手が猛毒の雷に触れた瞬間、刺激物に触れたかのように、弾け飛んだ。喰らうことのできない毒を体内に取り込むのは、誰もが避けること。
紫電を帯びた魔糸を放出し、今度は暴食の悪魔に襲いかかる。触れた瞬間に弾け飛び、空が明け、光が差し込む。逃げるように触手はある方向へ向かって引っ込んでいく。
「逃がすか」
一瞬のうちに触手へと迫り、追いつき、追い越して、触手の根源へとたどり着く。泥色の塊が紫電の主である俺を見て、恐怖で震える。
触手を生やし、全力で抵抗をし始める。触手はただの蜘蛛糸でも切り刻むことができた。根源がそれを取り込むと元通りになるが、粘体の体内に操糸を仕込むと、瞬時に動けなくなった。
紫電の魔糸で拘束すると次第に身体がドロドロに溶け、体積を大幅に減らしていく。手乗りサイズにまで収縮したそれを糸で作った袋に詰めて持ち帰る。
ルティアのもとに帰ると、ソワソワしたルティアがいた。シュガーとソルトは俺のことを完全に信じてくれていたみたいで堂々とした立ち振舞だった。
俺が帰ってきたことに気づくと、ルティアは胸元に飛び込んできた。よっぽど心配だったのか、「キューンキューン」と泣いてしまった。妹なのに、妹じゃないみたいだ。こんなに感情的になるとは思わなかった。
「もう大丈夫だから」と俺が頭を撫でようとすると、ペチっと払い除けられた。頭を撫でるのはだめらしい。俺と目が合うとハッとして腕の中から逃げてしまった。そのまま目的地の方向へと歩き、振り向いて「行くわよ!」と言ってきた。
さっきの出来事をまるでなかったかのように扱うルティアを見て、俺がにまにましてると、「キモい、キモい」と言ってきた。なんだかんだ、かわいい妹だ。たまにこういうのを見るのも悪くない。
環境に汚染されたエリアボスは、隔離されたエリアにいたときよりも数倍の強さを持っているように感じた。エリアの中で進化するのもあるのだが、ここでは経験値となる敵が多くいる。そのおかげで成長スピードは計り知れないだろう。
今後、そういうエリアボスが増えていくことが予想される。そのうち、ハロルドなんかも歩き回るのかな。旅先で最強のエリアボスに遭遇する恐怖。考えるだけでゾットする。
思考に浸ってる間に、目的地のエリアに到着した。マングローブの森が出迎える。ここは強敵がいて、ボスエリアに行くのにも困難なんだとか。
ルティアに着いていくが段々と足場が悪くなっていく。足が取られるのにイラついていると、接近するものがいた。それは弾丸のように速い。突発的にそれを掴むとヌルリと指の隙間から逃げ出した。
「魚?」
「くっ……来たわね!」
ルティアが警戒を示すと、次々と魚が飛び跳ねてきた。それはまるで水族館で渦を描くアジの群れのように現れた。飛び跳ねる魚は、空魚と呼ばれる魔物だった。
蜘蛛の巣を張っても魚たちの勢いは止まらず、次々と飛びかかり、蜘蛛の糸に絡まっていく。終いには、蜘蛛の巣を破壊してしまった。彼らは自らを消耗品の弾丸だと思いこんでいるのか、死ぬことに戸惑いがない。
すべての群れの突進が終わると、今度は水場から足場を奪うように、マングローブの根を食い散らかし、木々を沼地へ引き込んでいった。ルティアは引き込まれないように俺の肩に飛び乗ってきた。
「どうしよう……もう、逃げ場が……」
震える狐が可愛い。じゃなかった。ここは俺の見せ場。ルティアに兄のかっこいいところを見せつけるチャンスだ。
年に一度の憂鬱イベントをようやく終えたので、
頑張って投稿していきます。
みなさんは、夜景好きですか?私は、どちらとも言えません。
デートに誘うとき、夜景を見に行くのいいと思いますか?
人によってはいいでしょう。
ぜひ行く前に、高いところが嫌いか聞いてください。
あなたが見せたかった景色を楽しむ余裕がないかもしれません。