第136話 空鯨の晩餐
前回帰還時に作成した洞窟は健在だった。雪虫が漂うこともなく、誰も足を踏み入れてきていないことがわかった。カレー炒飯がつくった槍を背中の腕で持ち、角待ちを警戒しつつ洞窟の外に出た。
「さすがにいないか……」
仲間の匂いを辿って雪熊将軍が近くにいる可能性もあったが、この吹雪の中じゃ、遠くにいる仲間の位置すらわからないだろう。警戒しつつ、探索に入る。
宛もなく歩き続けていると、珍しく強い風が一方向から流れてきた。風は雪虫が起こす吹雪は何度も見てきた。しかし、これほどまでに大きな風はこのエリアでは感じたことがなかった。
「なんだ……あの黒い影は!?」
雪虫の群れの向こうに何かがいる。それも空を飛んだ黒い影だ。目を凝らして見ていると姿を現した。
「クジラだ!」
白く巨大な歯の列が現れたかと思えば、その列は二つに別れた。黒い体躯に遥か遠くに尾ヒレが見える。水場のないこのエリアにおいて、このクジラは異質だ。
空飛ぶクジラが口を大きく開くと、雪虫を吸い取り、数百匹にも及ぶ数を一飲みで捕食した。さながら雪虫はプランクトン、もしくは小魚の群れだ。
「かっ、風が……」
巨体を動かす推進力だけで風を巻き起こす。指の隙間から覗き見ると、ぽっかりとあいた空の隙間に誘われるように雪虫は飛んでいった。
クジラはその隙間を何度も形成しながら捕食を繰り返した。俺のことなど見向きをしていない。
ただ、そこにある雪虫という餌があるから食べていた。クジラはそれだけのことをしているだけなのに、俺はその行為に介入したくなった。
これだけ大きな存在が自分に興味すら湧いていない状況で勝負を挑んだら、彼はどんな反応をするだろうか。俺を餌としてみるのか、邪魔者としてみるのか、それとも敵と見なして本気で殺しにかかってみるのか。
強敵がいるのだから戦わずしてなんになる。立ち止まっていても戦いは始まらない。戦いはどちらかが仕掛けるからこそ始まるのだ。
「悪く思うなよ」
食事を終えた彼は、空の彼方へと飛ぼうとする。あれだけの巨体だ。ただの槍が刺さっただけでは見向きもしないはずだ。やるならとっておきで釘付けにする。
「紫電」
槍に毒と雷を纏わせ、紫電の槍にしたものを投擲する。狙いはクジラの腹だ。食事をした者にとっては怒らずにはいられない。槍は軌跡の雪虫を殺戮しながらクジラへと飛んでいった。
クジラに接敵する瞬間、なにかにぶつかった。槍はそれと正面衝突し、轟音を鳴らしながら突き破り、クジラの腹に突き刺さった。鮮血が舞い、耳を劈くような叫び声がした。
その叫びはエリア中に響き、間近にいた雪虫はの灰のようにパラパラと下へと落ちていった。クジラはそこで初めて下界に視線を送った。
クジラが俺を見た。その瞬間、俺に重圧的な殺意が降り掛かった。感じたことのない恐怖に身体の震えが止まらない。まるで神を目の前にしたかのような恐怖。
だが、逆にそれがいい。怖さを感じないってことは余裕があるってことだ。いまはそれがある。あのときの雪辱はなにも感じることもなく、ただ負けた。
けど、今はその差を理解できるだけの強さを身に着けたんだと思う。だからあのクジラの一睨みに身体が反応してしまった。戦いに身が入っているんだ。
両手に二対の槍を持ち、いつでも応対できるように構える。クジラの叫び声によって雪虫がいなくなり、空が晴れた。初めてこのエリアの本当の空を見た。
空には無数のクジラの姿があった。どのクジラもこちらを見ている。おそらく仲間が傷を負ったことに気づいたんだろう。空を見ていると、クジラが口元になにかを溜めているのが見えた。
「まずいっ!」
その場から逃げるように離れた。次の瞬間、氷塊が降ってきた。いくつもの塊が隕石のように落ちてきた。どれも俺が元いた位置に落ちていた。
氷塊の雨を避けながら槍を投擲する。巨体は的がでかい。紫電は威力が高い上、毒を含む。毒が効きにくい巨体といえど、量が多ければ侵食は進む。
槍を投げて存在感を見せつけながら、クジラの背中の上に転移巣を生成する。視覚外の奇襲にはどう反応するか。落ちてくる氷塊の真下に移動して転移巣を使う。
この瞬間、クジラたちの視界からは俺を倒したように見える。けれど形勢は俺に傾いている。クジラの背に乗った俺はそのクジラに紫電の槍を突き刺し、さらに上空にいるクジラに紫電の槍を投擲した。
警戒していない場所からの不意打ちは思い通りにことが運ぶ。数本の槍をクジラの背に突き刺すと、槍の柄に糸を引っ掛け、別の槍に繋ぎ、他のクジラに投げた。
クジラとクジラを繋げることによってお互いにバランスを崩していく。槍の先端にはかえしがついている。獲物を逃さないための工夫だ。釣り針についているのと同じものだ。
魔物を狩るために作られた槍だが、俺の子蜘蛛には釣り好きな子がいる。最近では釣りだけでなく素潜りにも挑戦していて、槍で突くこともあり、この槍もその影響でかえしがついている。
もちろん、武器としての槍だとこのかえしは邪魔になるが投擲する分には逆に有用性が上がっている。これで捕まえたクジラは痛みで暴れ、バランスを崩しながら落下していった。
そして俺も落下していた。
「おちっ……!?」
クジラに刺した槍を持っていた俺は振り落とされないようにしがみついていた。この巨大に潰されるのだけは回避するつもりだが、上空から振り落とされれば、俺の場所を把握した他のクジラに集中攻撃を受けることになる。
だったらクジラに埋もれるくらいの穴を作ればいい。爪を突き立て、槍を突き刺し、雷で燻し、焼き魚を解すようにクジラの体内に侵入していった。
血肉と脂まみれになりながらの特攻にクジラがもがき苦しんでいる様子が伺える。それでも中へ中へと突き進んでいく。そうしてたどり着いたのは、クジラの臓器だ。
赤いなにかに手を置いた瞬間、地響きが足に伝わってきた。地面まで到達したのだろう。ここで手を止めるつもりはない。トドメを刺して体外に脱出した。
呆気ない死だが、まだ敵は大勢いる。毒に侵されたクジラを解体すると、まだ生き残っているクジラのもとへと向かう。
海辺に打ち上げられた魚のように尾ひれをバタバタと揺らしていた。身動きがとれないように見える。あまりの巨体に見上げるしかない。軽く10メートルは越えている。
「でけぇな……これ、子蜘蛛たちと分けたら何人分になるんだろう……」
肉を目の前にするとつい食べるときの想定を考えてしまう。紫電に侵されてしまったクジラは食用には向かないが、まだ空を飛んでいるクジラは無毒だ。
瀕死のクジラを殴り殺すと、空を飛んでいるクジラに狙いを定め、雷だけ纏わせた槍を投擲した。しかし、槍は刺さることはなかった。
「逃げたか」
槍はクジラに届くことなく落下した。間合いを把握されていたようだ。空へ向かうことができるが、氷塊を壊しながら進むには手数が足りない。団子式に氷塊を降らされたらどうすることもできない。
「……今回は諦めるか。また、フウマたちと来よう」
届くまで登り続けるのも楽しいが、子蜘蛛たちと一緒にする狩りはもっと楽しい。最近あまり話せてない子蜘蛛たちの楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと……全然聞けていない。
「また一緒に遊びたいな……ここが終わったら、久しぶりに誘ってみるか」
雪虫の群れが視界を覆い尽くし、空と別れを告げると、周囲に白い影が浮かんできた。
「そうだよな、肉の匂いがしたら当然来るよな?」
逃げ場がないように囲っているのは数十匹の雪熊将軍。そして一際身体が大きく、顔に傷がついた赤眼の黒い熊。
「お前が王か」
「グゥゥゥマァァァァァーーーーっ!!!」
雪熊将軍の女王様、雪熊紅女王が甲高い雄叫びをあげた。
その瞬間、雪虫が弾けた。空は見えなかったが視界がひらけた。
雄叫びが終わると、一匹、また一匹と襲いかかってきた。爪の振り下ろし攻撃を避けると、その先にも雪熊将軍がいる。密接な状況下で大きな動きは自分を窮地に陥れるだけだ。
だからここは敢えて受け入れ、そして攻撃を流す。攻撃をそらすと、熊さんは噛みつこうとしてくる。そこにインベントリから取り出した槍を突き刺せば、急所で一撃だ。
クジラ臭くなってるおかげで熊さんたちは大層興奮している。よだれを垂らしているのがなによりの証拠だ。そのおかげで爪の次は大体噛みつき攻撃だった。
王様に命令されようとも食欲に勝つのが難しいのが獣だ。待てを覚えた犬に比べると知能はより低い。彼らに待てを覚えさせなかった王様が悪い。
解体したクジラのブロック肉を数個、インベントリから取り出し、空中に投げると、襲いかかろうとしていた熊さんまでもが視線を上にあげた。
その隙に目の前にいる二匹の雪熊将軍の頭を掴んで雷を流した。麻痺状態になるのを確認すると、眼球を抉りながら指を入れ、体内に直接雷を流してトドメを刺した。
ただの肉塊になった雪熊将軍の頭を持って投擲する。どれだけ巨大でチカラが強かろうと同じ巨体を受けるには態勢を整えなくてはならない。
ドミノのように雪熊将軍を倒す頃には、クジラのブロック肉にかぶりつく雪熊将軍が出てくる。臭いに惑わされた雪熊将軍にはクジラがやられるほどの毒に勝つことはできない。
仲間が目の前で倒れれば、毒を盛られたことにようやく気づく。慌てふためき、毒を持った俺を探す。けれど見つけることはできない。
【隠滅】スキルを使用して存在感を限りなく消した俺に気づくだけのチカラが雪熊将軍にはないだろう。頼りの鼻も仲間の血肉とクジラ肉のせいで使い物にならない。
背後に回って首に槍を一突きし、すぐに別の個体へと攻撃を加える。叫ぼうとすれば口を糸で塞いだ。暴れようとすればすぐさま拘束した。
雪熊将軍にできることはゆっくりと近づく死に恐怖を抱きながら安らかに眠ることだけだ。
残されたのは群れの長だけだ。王といえど配下がいなければなにもできないようだ。前に戦った雪熊将軍と比べると強かったが集中力が高まってゾーンに入っている俺にとっては弱く感じた。
あの王はバッファーの役割があったのだろう。雪熊将軍に連携されていたら、クジラ肉という切り札がなければ負けていた。
群れに入ることで経験値が分配されて孤立している個体よりも弱いという可能性もあるが、数の暴力の前ではどうにでもなる。俺が集団戦になれていたのも有利に立ち回りできた要因かもしれない。
逃げ腰の王様には特別に紫電のクジラ肉のステーキを食してもらおう。まずは逃げる手立てを封じる。背中を向けて逃走する王様の足に槍を投擲し、地面に縫い付けるように槍で串刺しにする。
足が止まったら糸で硬く拘束して、仕上げに雷で麻痺状態にする。
頭だけ動かせる王様の前にクジラ肉のステーキを置く。まだスパイスは加えていないので食べれば麻痺するだけで美味しいはずだ。
こんな状況でもよだれを出してしまうのが獣だ。最後の晩餐だ。とくと味わってくれ。
ステーキに猛毒のソースをかけて、紫電で炙る。いい匂いがしてきた。食べれば即死のステーキに、王様の身震いが止まらない。はやく食べたくて仕方がないらしい。
涙を流して大喜びだ。ソースのおかわりを懇願するように俺のことを見ている。そうかそうか、もっと欲しいか。
俺は追加の猛毒のソースをかけた。瀕死の雪熊将軍がバタバタと倒れていくのが見えた。どうやら匂いだけで昇天してしまったらしい。
「さぁ、お食べ」
「く、クマァ……」
槍に突き刺した猛毒クジラステーキを王様の前に持っていくと気絶した。というより死んだ。食べるまでもなく存在だけで昇天させてしまったらしい。
「せっかく腕によりをかけて作ったのにな。漫画で強大な敵にとって毒は刺激的なスパイスでしかない。絶品料理たまらないぜ!ってあったけど、あれは嘘だったのか……」
ある漫画を参考にここぞとばかりに手料理を振る舞ってみたが失敗に終わってしまった。
「カルトが昔、「俺がつくるものだったら僕以外なら食べてくれる」って言ってたけど、全然食べてくれなかったな……」
一度俺の料理を食べた者は二度と食べてくれなくなる。特に手の込んだものだとなおさら食べてくれない。簡単なものだとそういう事故が起こらないから、って澪が言ってた。
料理が事故ってなんだよ。
毒を含んだものも含んでないものも雪熊将軍の肉を回収した。拠点近くだったこともあり、いらないものは預けに行くのに時間はかからなかった。
毛皮を持って住民の小屋に行くと、毛皮と魔導ランタンを交換してもらえた。これを持っている限り雪虫がいるエリア限定で視界を広げることができるらしい。
実際に使ってみると、雪虫がランタンから避け、円状に視界がひらけた。これで雪熊将軍の接敵に素早く反応でき、戦闘を回避できるようになるそうだ。
正直、もういらない。けど、きれいだからルカさんと子蜘蛛たちへのお土産として三つ交換した。
怖がりの住民は外出しているおかげで遭遇することはなかった。次のボスエリアへの方向を聞いてその家をあとにした。
ボスエリアは氷山にあるそうだ。
魔導ランタンの光を頼りに進んでいくと、標高数千メートルはありそうな氷山に到着した。そこで初めて本物の雪を知った。
寒くなってきたので風邪を引かないようにお布団に入ってぬくぬくしましょう。




