第133話 毛皮布団の代償
糸が辿るは熊将軍の体内。ドクンドクンと伝わる鼓動に合わせて流し込む毒。重い布団をかぶさった俺はじーっと機会を待った。もがき苦しむ布団が息絶えることを。
そしてそのときはすぐに訪れた。力を加える加重から脱力して自然なままに力が降り注ぐ荷重へと。
終わった。
あとは布団から出るだけだ。這いずって出ると、ロウマが遠くでちょこんと座っていた。
「終わったぞ」
「クゥーン……」
戦いに勝利した俺に対してなぜか申し訳無さそうな顔をするロウマ。首を傾げていると、ふいに近づけた手から濃厚な獣臭がした。
「あっ……」
そう、これは雪熊将軍と寝技で戦ったことで染み付いた臭いだ。それも毛が剛毛な雪熊将軍と長時間密着していたおかげで一部位ではなく、全身が臭った。
「………」
俺は黙ってロウマに歩み寄ると、座っていたロウマは立ち上がって後退った。
「…………ウォン」
「近寄んなってか?」
「ウォンッ!」
「逃げられると思うなよっ!」
「ウォンッウォンッ!」
俺は逃げるロウマを追いかけた。大人気なくも父性モードに切り替えての横暴だ。四足歩行のロウマに一瞬で追いつくと糸で絡め取り、地面に這いつくばらせた。
「クゥーン」
「ふっふっふ、これで逃げられまい」
「ウォンッ!」
追い詰めたとばかり思っていたのも束の間、ロウマは守護者召喚の帰還を使い、忍者のごとく消え去った。
「逃げられたか……」
今回は相手が悪かった。
渋々と雪熊将軍のもとへ戻ると、解体して毛皮を剥ぎ取った。これをあと四回以上繰り返さないといけないのかと思うと、時間がかかりそうだ。
約束を違うことはできる。俺は約束を破ることはできることならしたくない。だって約束を破るってことは自分も破られる可能性をつくることになる。
お互い様と帳消しにできる仲ならわかるが、俺とあの住人は初対面だ。簡単に切るのはもったいない。できることなら仲良くなっておきたい。
そういうことで、俺は残りの熊公を狩らないといけないのだが、そろそろタイムリミットだ。雪熊将軍と戦っていてアドレナリンがドバドバ出ていたけど、今はリアル時間だと夜中だ。
寝ないといけないので、一旦ここから退却する必要がある。だからキョテントを建てる場所を探しに行かないといけない。
マップを見れば小屋の場所がわかるけど、あそこはPHも来る。俺が急に現れることになるとパニックが起きるはずだ。主にあの男が。
マップを吟味して行く場所を決めた。雪虫が多い場所にしよう。そこに魔法で穴を掘って地下に巣をつくろう。それが一番賢いやり方だと思う。
今自分がいるところは、雪熊将軍の縄張りの可能性が高い。穴を出て「こんにちは」したら、目の前で熊公がにこにこしながらお出迎え。なんて恐怖体験はしたくない。
リスク管理大事。これじゃないうさぎがいたところまで戻り、そこから少し離れたところに岩場が見えた。土魔法の土穴で方向を決めて掘削機のごとく穴を広げ、ひとつの洞窟をつくった。
入り口には雪熊将軍の毛皮を埋めて雪虫が入ってこないようにした。それから洞窟の壁と床に糸を敷き詰めて蜘蛛以外の侵入を阻止するようにした。
キョテントを建てて看板を設置した。ここに来たことがあるPMが出入り口として使用する可能性がある。勢い余って糸に引っかかるなんてことがあると困るからな。注意書きは必要だ。
キョテントを通って広場に行くといつものごとくどんちゃん騒ぎしていた。
酒盛り蛇と泥酔鹿が暴れているのはいつものこと。酒を運ぶ健気な精霊の姿もあった。
露店や屋台があるのだが、それだと物足りなくなってきたのか、扉が鳥居みたいな大きさの建物が建てられていた。できたら今度、子蜘蛛たちを連れて行きたいと思う。
新たにやりたいことも見つかった。今日の俺は眠いので特に誰にも話しかけずに拠点に戻った。入った瞬間、いつもなら出迎え一番に抱きつこうとしてくる子蜘蛛たちがなぜか遠巻きに見ていた。
踏み出そうとしていた子蜘蛛もいた。けれど、なぜか出した足を戻していた。
「あ、あれ……?」
俺が不思議そうにしていると、ルカさんが鼻を指で摘んで立っていた。俺と目が合うと、ルカさんは開口一番にこう言った。
「臭いですぅ!」
「っ!?」
「「「ママくさい……」」」
「ッ!?」
ルカさんの臭いも効いたが、子蜘蛛たちの臭いはもっと効いた。俺は衝撃のあまり膝から崩れ落ちた。加齢臭が原因で娘に拒否される父親の気分だ。
うちのお父さんはそんなことない。いつか臭いと感じることがあるのか?俺はお父さんを臭いで拒否する日が来るのか。そんなの絶対嫌だ。臭かろうとお父さんはお父さんだ。
あ、でも加齢臭以外だと拒否するかも。直せるなら直してほしい。
「ママ、お風呂いってきて!」
「お風呂?」
「鬼のおじちゃんのお風呂!」
鬼のおじちゃんといえば、カレー炒飯のところか。このまま臭い臭いと言われていたら俺の精神が持たない。子蜘蛛たちのためでもなく、ルカさんのためでもなく、俺のためにお風呂に行こう。
「……いってきます」
「急いでください!」
とぼとぼ出ていこうとするとルカさんに催促されてしまった。よほど臭かったんだろうな。
広場に戻り、配膳をしていた鬼のひとりを捕まえてお風呂に案内してもらった。顔をしかめていたので、彼からしても臭かったんだろう。
お風呂は男湯、女湯の他に男の娘の湯というものができていた。俺は間違いなく男湯なので、迷いなく進んでいくと、入り口にいた受付の鬼に止められた。
「なんでだよ!」
「八雲様はあちらの男の娘の湯をお使いください」
「……えぇ」
仕方なく男の娘の湯に向かうと、女湯の鬼に止められた。
「今度は何?」
「どうしてもと仰るなら女湯でもやぶさかではないですよ」
そう言ってきた女性の鬼はにこにこしながら女湯に案内しようとしていた。ちらりと中を覗くと人を殺せる目線で睨みつける鬼が手をワキワキさせながらジリジリと近寄ってきていた。
命の危険を感じた俺は返事もせずに男の娘の湯に駆け込んだ。なんて危険な場所なんだと再確認した。前来たときもきせかえ人形にされて抗う事ができなかった。
改めて女性の怖さを知ってしまった。
男の娘の湯には何人か見知った人がいた。少女の姿をした漢の娘の味噌汁ご飯、双子の姉妹のように同じ顔をした男の娘のジュリアーナ。
「あら八雲じゃない?」
「こんばんはです」
二人は俺に気づくと挨拶してきた。
「こんばんは」
挨拶し返して脱衣所に入っていくと、あからさまに味噌汁ご飯が顔をしかめた。
「八雲……あなた、どうしたのその臭い?」
「ちょっと雪熊将軍と戦ってな……」
「雪熊将軍?それってエリアボス?」
「違うな。あれはノーマルエネミーだ」
「ふーん、どっち方面の敵なの?」
「北の第四エリアかな?」
「北ね。今度行ってみるわ。そんなことよりも今は八雲のその臭さをなんとかしないとね。ジュリアーナ、お手入れの時間よ」
俺の全身を一通り見ると、味噌汁ご飯はジュリアーナと呼んだ。二人は湯上がりのように見えたが、どうやら俺のために人肌脱いでくれるらしい。
「はい、ミシルさん」
呼ばれたジュリアーナは味噌汁ご飯のことを略して呼んでいるようだ。確かに名前が長い。インパクトはあるのだが、日常的に呼ぶには面倒だ。
「八雲は私達にとっても大切な友人だからん。お肌のケアは任せなさい!たくさんの子を持つマダムの気苦労を取り払うのはオシャレのスペシャリストである私達の誇りよ」
味噌汁ご飯はそう言って俺を浴室に連れて行った。俺に座るように言い、お湯をかけて軽く臭いのもとを洗い流した。それでもだいぶ臭いが抜けたが、味噌汁ご飯は満足しない。
濡れた髪は備え付けのシャンプーで頭皮から毛先までしっかりと洗われた。潤いを残しつつさっぱりとした仕上がりには味噌汁ご飯も満足。
甲殻はボディソープで磨くだけでは関節の隙間まで入り込んだ熊の毛が取れなかった。そこでジュリアーナが提案したのはラファムボディを使って洗うという手法だ。
蜘蛛が糸を出せるようにラファムも粘液体を生成できるのだとか。作り出したそれは冷たくぬるっとした液体で、甲殻についた微細な汚れも一瞬で取り除いた。
脚も腕も全身洗い終わった頃には雪熊将軍の獣臭なんて最初からなかったかのように消え去り、ふんわりとした石鹸の匂いが身体を包み込んでいた。
「最後にお肌のケアに入るわ。でも、その前に……温泉に浸かりましょ。そのあとはサウナ、冷水風呂、そして外気浴。最後に温泉に浸かるのは好みね。これを二回繰り返したら、お肌のケアよ」
「結構長時間入るんだな」
「当然よ。サウナと冷水風呂は汗を流すものよ」
汗を流すのはいいことだ。でもそれってゲームの世界でも通用するのか?
「外気浴は身体のリセット、現代における鬱蒼とした頭もクリアにしてくれるわ。リアルだったらPCで仕事して、休みもスマホ。こんなの脳が休めるわけがないじゃない」
言われてみればその通りだった。感覚は休憩でもやってること同じだ。これはあとでお父さんに言っておこう。目の疲れも取れるはずだ。
「外気浴では服を身に着けないから開放感が最高よ。空や植物を眺めて、何も考えずにぼーっとするの。心も身体も癒やされるわ」
それはいいことだ。俺もこれだけゲームしてるからそういう時間を作るべきなんじゃないかって考えてた。
「ゲームの世界だから関係ないって思ってるでしょ。でもそれはそう。けど、ゲームの世界でやったことは脳内で実際に体験したと錯覚するから。頭のリセットと心の癒やしには繋がるわ」
そんな効果があったのか。今度から温泉に通おうかな。
「だからいってらっしゃい。私達は4セットしたから後片付けしてるわね」
味噌汁ご飯たちはついてこないらしい。
まずは温泉に浸かる。二足歩行だったら悩まない最初の一歩に悩みつつ、ゆっくりと浸かっていく。足先がお湯に入っていくと身体の冷たい部分がお湯から逃げ出すように駆け上がってきた。
全身まで浸かると身体の深層部に位置していた冷気がジュワジュワと溶け出し、外側から内側に向けてぽかぽかし始めた。
「あっ……あ、あぁ〜」
温泉に浸かるとつい声が出てしまう。遠くから味噌汁ご飯の「あれは危険ね」という声がした。何が危険なのかわからないが、気持ちいいから心が裕福になっている。なんでも許せそうな気概がうまれた。
五分ほど浸かると、サウナに移動する。中には全身真っ赤な鬼がいた。彼は炎属性の鬼なのでいつもここでサウナの管理をしているそうだ。男湯も女湯も担当する鬼がいるそうだ。
扇で熱風を煽られながらじわじわと染み出た汗を流した。虫なせいなのか熱に弱いのか、ここでは甲殻が少しだけ柔らかくなった。火だけでなく、熱い風にも弱いのか。
新たに弱点を知ることができてよかった。いかんいかん、ここでは頭と身体を休ませるのが目的だった。しっかり流すとサウナを出て今度は冷水に浸かった。
最初に温泉に使ったときとは逆で熱が奪われる感覚がした。一瞬頭に過ぎったのは、サウナを北の第四エリアに置いて、雪熊将軍の毛皮をつけずに外へ出る。
一瞬で身体から熱を奪わせ、またサウナに入る。なんだか良さそうな気がした。
でも熱強奪雪虫に包まれたら一瞬でHP全損してサウナに戻れない可能性もありそうだ。
冷水から出ると外気浴に向かった。ここには風属性の鬼がいた。冷水に浸かっていたので気を利かした鬼がぬるい風を送ってくれた。冷たくては風邪を引き、熱ければ次の温泉が辛くなる。
そのちょうど中間をとってくれたおかげで快適に過ごすことができた。
今の時間帯は夜だ。用意された椅子に座って月を眺めた。なにも考えずに眺めた時間はわずか数分にも関わらず、長時間いた感覚に囚われた。
「つ、次行くか……」
もう一セットしてまた外気浴に来ると、今まで乱雑に絡まった悩みが急にスッキリとした。味噌汁ご飯の言うように、外気浴は頭のリセットにもってこいだった。
最後に温泉に浸かると色んな薬剤を持った味噌汁ご飯が出口で待っていた。
「さ、このベッドに……よこ?うーん、ここに」
「わかった」
俺はベッドに乗っかると上半身の人の身体のリンクを切った。
「これならいけるか?」
「そんなこともできるのね」
甲殻に包まれた下半身の蜘蛛は肌のケアは必要ないので気にする必要はない。味噌汁ご飯とジュリアーナにされるがままの上半身。作業が終わるまで味噌汁ご飯とジュリアーナのお礼を準備することにした。
あげられるものは今回の遠征で手に入れた素材か俺の素材だ。糸をインベントリから取り出した木の枝に巻き付けて毛糸玉のようなものをつくった。
味噌汁ご飯とジュリアーナが満足してから上半身の感覚を戻すと、別の人の身体のように急に身体が動かしやすくなった。
「マッサージもしてあげたから。血行もよくなるわよ」
「ありがとな。これはお礼だ」
「あら、いいのよ。気にしなくても。でも気持ちって言うなら貰っておくわ」
「それと今回の遠征で手に入れた素材は今度あげるよ」
「いいの?」
「使わないものだからな。ここで出さないのは察してくれ。臭くなった原因だ」
「それはそうね。今度お願いするわ」
味噌汁ご飯にお礼を言って、俺は二人と別れた。そして待ち受けるにこやかな女鬼たち。
「………」
「………ふふっ」
「捕まってたまるかっ!」
俺は全スキルを駆使して温泉から逃げ出した。




