第132話 窮地の選択
小屋から一歩出ただけで吹雪いていることがわかった。この寒空の下、どうやって熊将軍を探すべきか。熊なら冬眠してそうだが、雪熊将軍といえば、冬眠の必要がなさそうだ。
吹雪がすべてあの雪虫であるならば、もらった毛皮のトーチでモーゼのように道が開くはずだ。風に揺られて現れた雪虫はトーチを見ると、風に逆らって離れていく。
あの男の言ったことは正しかったようだ。小屋の密集地を離れ、熊将軍を探す。雪が積もったように見えた地面には、休息していた雪虫で、巻き上がる落ち葉のように離れていった。
雪虫という障害が消えれば、まずはこのエリアの魔物がいる場所を探さなくてはならない。
第四エリアともなれば、その広さは広大だ。隅々まで探索するのは、長時間かかってしまう。できることなら目的のものだけ探索できれば、どれだけ助かるだろうか。
そこで俺はピンときた。俺の手には目的の熊将軍の毛皮がある。炙って入るが、これには濃厚な獣臭がする。臭いを辿れば、自ずと目的の熊将軍に会えるのでは、と。
「こいつは初めて呼ぶ気がする。【守護者召喚】狼魔来い!」
俺は散々放置してユークにお世話を任せていたロウマを呼んだ。ロウマは草原にいた北西の第一エリアボスで、なんか知らんけど配下になった忘れ去られた狼だ。
適当に名前をつけて全く相手をしていなかったため、どんな姿をしているか、どんな性格をしているのか未知数だ。
今日は初めて呼ぶ機会が来て少し楽しみにしている。これを気に仲良くなれたらとかは思ってなくて、こんなときぐらいしか呼ぶ機会がないから、ここで活躍してることを切に願っている。
魔法陣が光ると、段々と狼の形になってきた。
「きたっ!……は?」
現れたのは三メートルはあるだろうか。巨体の立派な狼が現れた。キリッと表情を決めたロウマは、口にバラの花を咥え、胴体にはヒラヒラしたピンクのスカートを着ていた。
あまりの格好に俺は言葉を失った。街襲撃イベントのときにユークを呼び出したときもこんな感じのことがあったことを思い出した。あれからユークと心の距離が近づいた気がする。
でも、これはむしろ距離が離れそうな気がする。
突然風景が変わったことに気づいたロウマは、呆然と立ち尽くした後、俺がいることに気づいた。
「………キャインッ!?…ウォンっウォンっ!」
「……まぁ、そんなこともあるよね」
「ウォンッ!ウォンッ!グルルルルルッ!」
哀れみの目で見ているとロウマが威嚇してきた。嘲笑ったことがそんなに嫌だったのか?
「まぁまぁ落ち着こうぜ」
「ガブッ!」
俺はロウマを慰めるために頭を撫でようとすると、ロウマに噛まれた。それも手加減とか甘噛とかそういうものは一切ない、遠慮も配慮もないガチむしゃガブリだ。
「………あぁ?」
俺はつい低い声でイラついた声を出した。それでもロウマは俺の手を離さなかった。まさか、まさかとは思うが、俺のことを忘れてる?
赤ちゃんは長期間離れていると親のことすら忘れてしまうとも言うが、まさか俺のことを忘れている?それにしても配下とは魂の繋がり的なものがあったはず。
切れることのない繋がりな上に、守護者召喚で呼ぶことができただけでそれなりの繋がりがある。
つまりこのロウマはそれがあった上での行動だ。これは許されない行為だ。
「躾が必要だな」
「グルルルルルッ!ウォンッウォンッ!」
俺はまず雷天糸を周囲に四本降ろした。そして噛みつくロウマに糸を繋げ、身体の自由を奪ったあと、拘束具を取り付けた。身動きの取れないロウマは狼狽えることもできず、気付いたら空を飛んでいた。
いわゆる逆バンジーと呼ばれるものだ。地上から上空へと飛ばされたロウマは重力に逆らえず落下する。落下地点にはなにもなく、ロウマは悲鳴を上げた。
落下死という恐怖を植え付けることはない。転移巣を張り、上空に天網を張る。転移を繰り返し、永久に落下していくロウマから情けない声がする。
懇願するような目、そして怯える視線。クゥーンという甘えた声がする。けれども俺は悪魔の囁きで返す。
「ごめん、聞き取れないわ」
木霊するロウマの悲痛の叫び。
誰に対してなにをしたのか、後世まで反省せざるを得ない。そう思わせられるほど、ロウマは怯えに怯えた。
地上に降り立つ喜び、そして悪夢からの逃避に成功した喜び。歓喜のあまり涙を流すほどに。
「で、ロウマは役に立てるの?」
安堵するばかりで俺のことを忘れてもらっては困る。たとえロウマがお腹を見せてこようと立ち位置は変わらない。使えないなら送り返すのみ。
「クゥーン」
「ごめん、聞こえなかったか?役に立てるのか?」
「ウォンッ!ウォンッ!」
甘えと情けがないことを知ると、ロウマは必死に鳴いて頷いた。
「ふむ。じゃあこの臭いで熊を探してきてくれ」
「ウォンッ!」
トーチの匂いを嗅がせると、ロウマは確信があるのか大急ぎで一方向に走っていった。
「うーん、案外使えるのか?」
ロウマが走っていったほうに歩いていくと、雪虫の群れがいなくなった。視界の開けた場所には青白い毛玉が何匹もいた。そして毛玉に押しつぶされたロウマの姿があった。
「よわっ!」
第四エリアとはいえ、ロウマは俺の配下が育てていた個体だ。弱いわけがないと心の中で思っていた。俺の憶測は間違っていたようだ。
「ロウマっ!」
俺は毛玉に近づき、拳を握りしめて殴った。すると、毛玉は重いボールのように鈍い音を立てて軽く持ち上がった。毛玉が浮いたところで、ロウマに糸を付着させて引き寄せた。
「クゥーン」
「弱いとは思わなかったけど、見つけたことはナイスだ。ご苦労!」
「ウォンッ!」
嬉しそうに尻尾を振るロウマの頭を撫でる。すこしほんわかする気持ちになっていると、毛玉はゆっくりと立ち上がった。すらっとした長い脚にふっくらとした胴体、そして特徴的な長い耳。
「うさぎじゃねぇか!」
雪虫に避けられているから勘違いしていた。彼らは雪熊将軍ではなかった。
丸まって座った姿を見ることがあるが、立った瞬間にこれじゃない感を出すことで有名な雪うさぎだった。
「褒め損だけど、雪虫が苦手としている臭いを放っていることは間違いなさそうだな」
雪うさぎの数は七匹、身体は普通のうさぎよりも大きい。むしろ熊と同等のレベルで大きい。
立ち上がった雪うさぎは額に魔力を集め、雪の結晶の魔法陣を作り出した。そこから出てきたものは、固められた雪玉だった。真っ白な豪速球は、雪虫の群れで囲まれたこの場所では消える魔球だった。
多方向から飛んでくる洗礼に、俺は真正面から食らってしまった。
「くっ!?」
来ると分かっていても視覚的に見えにくい。風を切る音で方向がわかったところで避けることはできない。
ロウマを片手に持ち、連発する雪玉から逃れるために疾走する。雪玉ガトリングを回避できないなら、追いつけないスピードでターゲティングから逃れればいいだけの話だ。
「あいつら数が多い上に厄介だな」
数の暴力がこの世を制するなんてよっぽどの異例がない限り、誰もが強いと思える戦法だ。
「逃げてばっかじゃ勝てないな。数を減らすか」
走りながら糸を生成して糸針をつくっていく。箸と同じくらいの針をつくると、後端に糸を引っ付け、先端に毒を含ませる。
雪玉を生成して撃ち出すまでにおよそ五秒ほどかかっている。連発しているとはいえ、ないものをつくるのには時間がかかる。七匹いるおかげで飛んでこない時間が存在しないが、それでも隙はある。
飛んできた雪玉を補足して飛んでくる位置を特定する。作り出した毒糸針を雪玉を放った雪うさぎに投げつける。うさぎなだけにすぐに察知してその場から退避していく。
容易に避けられるのだろう。余裕を持って移動しようとする雪うさぎだが、考えが甘い。
「加速」
飛んでいく毒糸針に向かってスキルを発動する。瞬時に速度が変わった針が雪うさぎをとらえる。刺さった箇所は血に染まり、グチュグチュと毒が侵入していく。
一匹の雪うさぎをとらえると、次の雪うさぎを狙う。先程繋げた糸に新たに作った毒糸針を繋げて投擲する。一匹、そしてもう一匹。次々と毒に犯していくことに成功する。
ロウマを片手に持っているとはいえ、俺の手は三本残っている。同時に生成とはいかないが、作ったものを投げるのと生成するという行為、そしてスキルで加速させることもできる。
個体数の違いはあれど、差を埋めるだけの技術と練度はこちらが上のはずだ。単純にレベル差があることと、雪虫を避けて生活している雪うさぎが、度重なる戦闘経験を積んでいる俺に勝てるとは思えない。
二本の針が別々の個体に刺さると、二匹の間には糸がある。それに引っかかると、拘束するだけでなく、糸に染み込んだ毒が付着して弱らせることができる。
弱ったうさぎは得意の跳躍力が封じられ、簡単に捉えることが可能になる。雪玉の魔法はか頭からしか出せないようで、糸でぐるぐる巻きにしたら抵抗できなくなっていた。
「意外と呆気ないな」
糸から逃れられる魔物が今後現れることに期待してうさぎたちにトドメを刺した。解体して毛皮を得ると、ロウマに糸で括り付けた。
「これで雪虫の攻撃は受けないはずだ。今度こそ熊を探し出してくれよ」
「ウォンッ!」
圧倒的な戦いを見せたおかげかロウマがすんなり言うことを聞いた。逆バンジーの恐怖もあるとは思うが、心の距離が縮まった気がする。
モーゼのように避けていく雪虫の姿は幻想的だ。ホワイトアウトした霧がロウマが一歩踏み出す度にひらけていく。異世界への扉が開くように景色が変わる。
「ウォンッ!」
「いたか?」
ロウマが一声をあげ、俺はロウマが睨みつけた先を捉えた。そこには血に染まったまんまる毛玉のうさぎが横たわっていた。血溜まりの中で蠢く真っ赤な悪魔がいた。
大きな口でうさぎに噛みつき、骨をも砕きながら咀嚼する。幻想の中でもどこにいても弱肉強食の世界では、死は近いものだった。うさぎに罪はない、捕食者にもない。
死臭が頬を撫でた。震えるロウマが弱々しく鳴いた。捕食者が獲物を頂く空間で声を上げるものがいれば、それは次の標的となる。ロウマに鋭い眼光が突き刺さる。
次はお前だ、と。
弱気なロウマは俺の影に隠れた。そんなロウマを置いて、俺は捕食者の目の前までやってきた。怖気づいたロウマはついてくることはなかった。
「やっと見つけた。会えて嬉しいよ。じゃあ死ね」
握り締めた拳を雪熊将軍の肩口にぶつけた。軽々しい相手ならば、これで吹き飛ばすことができた。しかし彼の熊公は違った。
なんでもないように受け止め、反撃の爪を振り下ろした。俺はそれを背中の両腕で受け止めた。
「やるな」
黒い目をした白熊は戦闘態勢に変貌を遂げる。両腕に伸し掛かった重みが時間とともに増していく。見上げると、熊公の身体が大きくなっていた。
二倍どころか五倍に膨れ上がっていく。重すぎる腕から逃れるために一歩引くと、その巨体が顕になった。
二メートルほどだった体躯が十メートルの巨体へと至った。
「でっか」
見上げるほど大きくなった雪熊からは冷気が溢れ、積もった雪で遊んだ犬についた雪の塊のようなものが雪熊に生成されていった。毛に絡まって取りにくそうな雪の塊は次第に形を成して、雪熊を覆い尽くす鎧へと変化していった。
「グマァァァアアアッ!!」
咆哮をあげ、雪熊は巨体を活かした重い爪を振り下ろした。雪熊と雪の重さでよりスピードは遅くなったが、回避するだけでなく地面に接触する前に遠くへ逃げることを強要された。
十分に離れたはずだったが、雪熊が与えたのは衝撃だけでなく、冷気と風が合わさり、雪が吹雪いた。何度か回避してみたものの、近づくことができず、隙を狙っての攻撃ができなかった。
毒糸針は分厚い雪の鎧に阻まれ、軟な糸は容易に躱された。圧倒的力と絶対的な防御を併せ持った強者である雪熊将軍は、嘲笑うことなく鋭い眼光で俺の動きを見極めていた。
「やるな……」
柔軟な糸では熊公を相手取ることはできなかった。距離を保ちつつ、熊公の動きを止めるには繊細な糸の操作が必要だ。意識を糸の先端に向ける。
すべての動きを把握して操作することはできない。頭の処理が追いつかないだけでなく、意識を集中するということは熊公から意識を逸らすことになる。
リスクを高めることは余程のメリットがない限り選択肢として考えるべきじゃない。それでもリスクがあるからこそ、ゲームが楽しいってのもある。
危険じゃない冒険は夢を追い求める冒険じゃない。決められたルートだけを進むゲームはつまらない。寄り道して切磋琢磨しながら試行錯誤することが楽しいんだ。
だから俺は距離を取る必要がある熊公との戦いで逆に接近して戦いを挑む。
振り下ろされる爪を後方へ回避するのではなく、熊公の懐へ潜り込んだ。隙きはない。いくつかの思惑が熊の目にはあった。飛び込んだ俺にのしかかるように脱力する熊に為す術もなく押し潰される。
熊が重い?だからどうした。身体が動かなくとも、糸は動かせる。天糸を生成して身体に密着する熊を這い、糸で貫ける場所を探して侵入していく。
勝ちを確信できる態勢ではあるが、これは競技ではない。殺し合いなのだ。ノックアウトは必ずしもブラックアウトではない。体重がさらに荷重されていくのがわかる。
ミシミシと身体が軋む。それと同時に上から悲痛な唸り声が聞こえる。逼迫するこの状況下で、俺は笑みを浮かべる。
俺から離れれば俺を仕留めることはできない。俺に近づけば糸がより絡まり逃げることができない。今度は熊公が選択する番だ。
社畜は辛いね。




