第130話 夕立の蝉時雨
土礫を乱発する。土の塊をできるだけ脆いイメージへとすり替えた。土がペタペタと樹液に貼り付くと動きが鈍くなっていく。
身体に異物が混入していくと樹液は後退していった。身体の重さが増したのだろう。逃げる樹液の元へやってきたのは別の樹液。
ユークのちょっかいで怒った樹液。土がついた樹液とぶつかり合って少し怯む。樹液同士で絡まり合い、お互いが引き剥がせない状況になった。
違う色の絵の具を同時に水の中へと投入して、カップで一つの色だけを取り出すことは至難の技。それと同じで絡まりついた液体を剥がすことはできないだろう。
さらに粘度の高い糸を投入すればどうなるか。お互いの身体に混ざり込んだより強力な粘度を誇る蜘蛛の糸。相手をとらえて離さないその胆力により絡まりつく樹液たち。
糸を操り、巨木を削って木片をペタペタと樹液に貼り付けていく。物質をもたないものが物理的な身体を有していく。それも燃えやすいもので形成されていく。
「本当は使いたくないんだけど、蜂蜜ってどうかな?」
糸玉を作り出しそこへ蜂蜜を投入し、さらに毒も混入。植物に効きにくいと予測される毒だが、あくまで効きにくいだけで無効というわけではないはず。
蜂蜜味の毒糸玉を放り投げると樹液が弾け飛んだ。よっぽど身体の中に入れたくなかったのだろう。樹液を分裂させて追い出していた。
木片なんかは射出して取り除いているのにこの反応。悪くない。実に愉快だ。この森を制圧しても悪くない。樹液の相手をしていると、空から液体が降ってきた。
あの食虫植物を溶かした蔦はどうやら巨木とは別の魔物のようだ。カマキリとハリガネムシのように共存しているのかと思っていたが違ったようだ。
酸のように溶かす液体を詰め込んだ蔦は先っぽを斬りつけることでストッパーがなくなり、際限なく垂れ流しになった。蔦は動きのある魔物ではないようだ。蛇のように襲いかかってくることがなくて良かった。
酸の雨は植物に多大なダメージを与える。樹液に染み込んだ毒は広がり、目に見える形で効果が現れ出した。周囲の巨木が変質し始めたのだ。酸に適応しているわけでもなく、段々と黒ずんできた。
ジャングル特有の緑っぽい、苔に蝕まれた幹が黒くなり、ボロボロとクッキーのように砕けていった。
巨木が倒れれば空を覆っていた葉が消えていく。カサカサに枯れ落ちた葉に生気は見られない。樹液もまた萎びれていく。
勝ち誇るクナトとユークの顔を見て俺も安心して宣言した。
「勝った……なぁ!?ゆ、揺れてる!?」
だがすぐに次がやってきた。その場を離れ、震源地を探す。
「ッ!?真下か!?」
ぼけっとするクナトは巨木に叩きつけるように投げつけ、ユークの腰を持って加速して上空へと避難する。すると、地面が割れ、白い巨獣が三体現れた。
細いストローのようなの口のような口を持ち、白い小さな羽を持つ虫。
「あれは、まさかセミなのか!?」
数年土の中に籠もり、求愛して子供を生むためだけに地上へと出てくる虫。儚い夏の象徴とも言える、近所迷惑の巨匠。積み重ねた死体の数では夏で勝てるものはいない。
そのセミが空を覆い尽くした巨木の傘がなくなったことで夏でも感じたのだろう。照りつける太陽を眺めながら成体へと進化していく。
「進化するのか!?」
「八雲様、なんだか危険な気がします!今のうちに!」
「待て!俺はあれがどうなるか見てみたい!」
落下しないように天網に乗り、空から眺める。進化には時間が必要そうだ。
待っている間にエリアボスがいると思う方角の観察をする。遠くに巨木が並ぶジャングルの中に一際大きな巨木が見えた。おそらくあそこにエリアボスがいるのだろう。
ユークがグルグルと警戒しているセミがついに進化を終えて羽化を始めた。セミは木に引っ付いて羽化をするのだが、このセミは地面でも問題ないようだ。
出てきた羽は白と黒のコントラストが美しい、そして肢体はどれもきれいな黄色で身体は金色だった。メタリックなボディは彼のかっこよさを引き立てる。
さてこのセミはなにをするのかな?
羽をはばたき、羽を擦り合わせ、キィーーーンと音を鳴らした。すると、ジャングルの各地で土煙が上がった。どうやら仲間に夏を知らせる音のようだ。
それから食事をするためか近くの巨木を羽で切り裂き、樹液を飲み始めた。どうやらあのセミの主食らしく、樹液をひたすら吸い付くし、巨木を枯らしていた。
次々と巨木がなくなっていくからか、ジャングルを覆い尽くしていた傘がなくなり、平面だった傘に穴が空いていった。そして腹を溜め込んだセミは求愛を始める。
「ミーンミンミンミンミンミィィィーーン」
世間一般的なミンミンゼミの鳴き声に落胆したのだが、その効果が悪魔的だった。鳴き声を発したセミの周囲の木々が音波によって粉々に砕けたのだ。
「うわっ!?うるさっ!」
「み、耳が……割れそう」
空にいた俺たちでさえ耳がやられているから、間近で伸びているクナトは気絶してるはずだ。
好奇心が勝ったことで災難に出会うのはこれで何回目だろうか。
鳴き合うセミたちはパートナーを見つけるとジャングルを破壊しながら行為に及び、そして息絶えた。勝手に死んでくれるのは助かるが、被害が尋常じゃない。
眼下に見えるものだが、気絶した虫が数多く見られる。巨木は樹液を一滴残らず吸いつくされて死んでいく。巨木が死ねばまた新たなセミが現れる。
それから求愛を始めるループが続く。何度か続けば数を減らし、そして気づけば残り一体になっていた。だがいくら鳴き喚いても新しいセミは現れず、セミは鳴くのをやめた。
そしてセミは脱皮を始めた。求愛という一瞬の出来事に命を費やすのではなく、これからを生き抜くための進化をする。羽は音を鳴らす機能を捨て食べることを主とする六本の先が注射針の触手へと変わり、爪は虫特有の鉤爪から猿のような手に変わった。
求愛が成功していった裏切り者の肉を喰らい、成長を繰り返す。ジャングルを駆け回り、捕食を終えると、空にいた俺たちに目をつけた。
空を飛ぶことができずとも音を発することができる。音の衝撃波が俺たちに襲いかかる。揺れる空気の振動が空へと定着していた天網を引き剥がした。
「落ちるぞ!」
「ッ!?」
自由落下していく俺は糸を操りターザンのように木々を掴んで衝撃を和らいだ。樹液を出す巨木はなくなってしまったが、他のただの木は残っている。
それらを駆使して着地すると、殺気が身体に絡みついてきた。見上げると注射針を伸ばしたセミの姿があった。もう気づかれたのか!?
ユークを投げ飛ばして俺も回避しようとしたが、速度はあちらのほうが上だった。注射針が俺の脇腹にヒットして吹っ飛ばした。
そして即座に飛んでいく場所へと移動したセミが飛んでいった場所で六本の注射針を構えていた。
「されてだまるかッ!」
空を掴むようにして手を伸ばしてそこへ小さな天網を張る。一瞬速度を落とし、止まった瞬間にセミに毒液を飛ばす。危険を察知したセミがその場から退いた。
地面に足をつけ、滑り止めをして全方向に土槍を飛ばす。空を飛べないセミは土槍を針で破壊した。音が鳴った方へと再度毒を飛ばすと、今度は土魔法で壁を使って防いだ。
このレベル帯だと相手も魔法を扱う。進化したてとはいえ、相手は数年間土に潜っていた歴戦のセミ。土に関しては勝てる気がしない。だが経験差ならある。
引きこもっているだけのセミに戦闘経験は皆無。経験の差が物を言う戦いにおいて対応方法の選択肢の数が多いものが勝つ。これをセミが対応できるか?
天網を空へと配置して糸を垂らす。その先はセミの触手。視線を俺に釘付けしているセミに、上からの攻撃が対処できるだろうか。
土槍を放物線を描くように放ち、触手でガードさせる。なんでもないかのように見える攻撃は、触手の対応能力を測るためのもの。
素早いセミだが触手はそれほど早くはなかった。足の早さだけはあるが、触手はそうでもない。本来、あの管のようなものは食事をするためのもの。戦いで使用できるかは別だ。
糸を巡らせ、セミへの包囲網を敷く。なんとなくだが、あのセミは目が悪いような気がした。拍子抜けだが、糸傀儡を使うまでもなく、捕まえることができた。
暗闇で長年を過ごしてきたせいで明るい場所での対応が鈍くなったのだろう。特に糸は細く透明に近い。網戸にぶつかるセミもいるくらいだ。糸が見えないのかもしれない。
糸針を生成してセミに突き刺す。中まで入ったら糸に毒を染み込ませた。
虫が巨大になるとかなりの脅威になることは間違いなかったが、虫であるがために知能が低く、簡単に倒すことができる場合があることがわかった。
毒を染み込ませて少し経つと、なぜか視界が揺れ動き出した。セミは身動き一つしていないのに。一体何が?
あまりを見回しても変わったものはなかった。だったら他になにか見落としているものがあるのかも。セミから手を離した瞬間、その揺れはまるで嘘のように消え去った。
「まさか!?ユーク、離れろ!」
「えっ……」
ユークに振り返った瞬間、爆音がして音が消えた。そして遅れてくる衝撃波。
穴の開いたボールのように不規則に身体が投げ出された。木々を破壊しながら飛ばされる。後にも先にも残されたものがない。衝撃波がその場にあったすべてを消し去った。
一度目の羽化をようやく終え、さらに孤独な進化をした蝉は、自らの命を脅かす敵から身を守るためにさらなる高みへと飛翔する。
戦いとは食事をするための手段であり、目的であることは少ない。その手段は地上へ降り立った自身よりも幼き蜘蛛に完膚なきまでに叩きのめされた。
ただの糸に捕らえられた屈辱は計り知れない。ただただ、死を待つことしかできない思いはどれだけ心を削ったか。土の中で長い時を過ごした蝉にとって、暗闇とは安息でもあり苦痛でもあった。
羽化したにも関わらず、自らの願望に反して訪れた暗闇に怒りを覚えた。身体を蝕む毒が生きる実感をより与えた。身動きがとれない中、蝉は地中に目をやった。
そこには自らを孤独にした裏切り者たちがいた。次の産卵のために深い深い地の底で眠りにつく次の世代の蝉。どうせ生きているのか死んでいるのか、わかっていない。
この状況を打破するために喰らうのも悪くない。蝉は網の隙間を縫って地下へと管を伸ばした。
そしてひとつ、ふたつと食らっていった。まるでたんぽぽの根のように深い深い地の底まで喰らい尽くした。
裏切り者の骸を喰らった蝉は辺りを消失させ、さらなる進化を遂げる。
五本の鉤爪を携えた腕を生やし、人のように立つことのできる二本の脚。喰らうことだけでなく、戦うことに特化した新しい羽。
その羽はひとつひとつ畳め、傘のように尖らせることができ、花のように咲かせることもできる。
クワガタのような短いハサミの口の間から無数の触手の管が生えた。蝉からはかけ離れた存在となった蝉は、咆哮の夜蝉帝へと進化した。
土塊の壁を築き上げた皇帝は音を轟かせて獲物の位置を特定した。ただの虫には目もくれず、気絶したふりをする一人の男のもとへと駆け寄った。
「ジジジジジィッ」
地響きのような唸り声を上げて鉤爪を振り下ろすと、そこには誰もいなかった。見上げるとネクタイの位置を調整するクナトの姿があった。
「誰だか知りませんが、このスーツを汚した貴方を私は許さない……」
怒りを顕にするクナトだが、気絶させてスーツを汚したのはどちらも寝たふりをする俺だ。どんどん進化していく蝉を見ていると、ついついどれだけのものになったのか気になって心の中で実況してしまう。
クナトも俺のそういうのを理解しているはずだ。クナトがどれだけ成長したのか見せてもらおう。俺も蝉に対抗するために観察するとしよう。
さっき進化したばかりだが、目に見えるくらい強くなっているのがわかる。背中から生やした傘の羽が地中に伸びている。あれでレベルの底上げをしている。
もう少しで俺と同じレベル帯になる。このまま野放しにしておくとそのうち俺のレベルも越してしまうだろう。
それが楽しみで仕方がない、そう感じている自身の思考回路に驚いているが、歓喜しているのは間違いない。
クナトがやられたら次は俺が相手をしよう。楽しみは最後までとっておこう。今はクナトの無事を祈るばかりだ。




