第125話 オシャレの基本は我慢
店に入るとまさにオアシスのように涼しい風が吹いた。ベタついた汗も今ではそれを感じさせない。
「りゅーくん、今日は夏のお洋服を買っていくよ!」
お母さんはうきうき気分で俺の手を引っ張ってお洋服が売ってるお店に向かった。その姿はまさに姉妹のようだと皆は思っているのだろうが、残念ながら親子だ。
「……去年のがあるけど?」
俺は季節に頓着していないため、特に季節モノを気にしたことがない。
「だめっ!毎年流行は変わっていくの!」
「……わかったよ」
お母さんは『流行』という言葉に敏感だ。日がなファッション雑誌を読んでいるだけそのあたり詳しい。しかし、俺とお母さんでは服のカテゴリが違う。
「いこーっ!」と言って向かった先は女子高校生がたくさんいるレディースショップだ。普通であれば嫌悪感を示されるのだが、俺とお母さんの容姿ではむしろ歓迎される。
そこには同級生もいたりするのだが、頬を赤らめるだけで声をかけてこない。救出を求みたくなるが、彼女らは俺の味方ではない。むしろ率先して服選びに参戦する。
お母さんに引っ張られ、奥へ奥へと進んでいくと、そこには子供服売り場がある。流石にここで買い物をするのにはお母さんのプライドが許さない。
ならばどうするか。それはもちろんオーダーメイドだ。そこは大人だけど身長が低くて悩む人のための服屋だ。もちろん、身体が大きすぎる人もここによく通っている。
値段は少しだけ高くなるが、子供服売り場に行って精神を削るのはファッションを楽しむよりも苦痛が勝ってしまう。オシャレに重要なのは我慢と言うが、これにも限度がある。
それをすべて解消してくれるのが、ここ『猫夜凪』だ。ネコヤナギとは花言葉で思いのままに、開放的に、努力が報われるという意味が込められている。
このショッピングモールでは店名に花言葉をテーマとしているものが多く存在している。ここもその一つだ。
「いらっしゃいませ、轟さん。今日はどのようなものをお探しでしょうか」
女性の店員さんはお母さんに向かってそう言ってきた。轟というのは俺たち家族の苗字だ。響きが格好良くて気に入ってるのだが、お母さんは可愛くないとのことであまり気に入ってないそうだ。
「もう、やめてよ。わたしのことはカノンちゃんって呼んでっていつも言ってるでしょっ」
「いえいえ、一応私と轟さんは客と店員なので……」
店員さんがまともなことを言うとお母さんはむうっと拗ねてプイッと俺の方を向いた。俺に言ってやれと言わんばかりの訴えを感じたが、俺には店員さんの言いたいことのほうがわかる。
「ここにはわたしの味方はいないのかな……」とお母さんが少し涙目になってきたので、俺は店員さんにだめだったことを目で伝えた。
「そ、そうね。轟さんにはこれまで何度も利用してくださいましたし……今日は特別にカノンちゃんとお呼びしてもよろしいですか?」
店員さんがお母さんの目線になってしゃがんで言った。すると、お母さんは「ぐすん……いいよぉ」と受け答えした。
挨拶にも気を遣わないといけないのか、と店員さんが少しだけ眉間にしわを寄せていたが、これは毎回のことなので、ぜひ慣れてほしい。
「さて、今日はどのようなお召し物が欲しいのでしょうか?」
店員さんがそう言うと、お母さんはバッと雑誌を取り出して、「これぇ!」と指さした。なんとも微笑ましい光景なのだが、これから始まるのは苛烈に襲いかかる俺への試着地獄だ。
俺はこっそりとその場なら離れようとすると、背後から肩を掴んだ者がいた。それは、お母さんでもなく、あの女性店員さんでもなく、漢の店長だった。
「あらぁ、りゅーくん。よく来たわねぇ!ささ、こっちにいらっしゃい」
オネェ口調の店長はスーツをビシッと決めたかっこいいビジネスマンそのものだった。しかし、その口調と声質がなんとも恐怖心を誘った。
それは前までの話、俺はFEOで何度もこの声に遭遇し、耐性を得ている。来るなら来い。これまで何度も味噌汁ご飯を追い返してきたんだ。
「あら?なんだか、FEOにいる八雲に似ている気が……」
「……!?」
「でもさすがに違うわね。だってもう少し幼かったもの。それにこれまで何度も会ったことあるりゅーくんだもの、ゲーム内で会ったら一発でわかるものね。ごめんなさい、他の人と勘違いしちゃったわ!」
オネェ店長がFEOで俺と会ったことがあるようなことを言ってきた。俺はこんな人をFEO内で見たことがない。見たことがあったら絶対に忘れないはずだ。きっと俺も勘違いしてるのだろう。
「あ、ええ、はい」
「もうっ!そんなに緊張しなくても大丈夫よっ!私が完璧な女の子に仕上げてあげるわ!」
「いや、俺は男の……」
「そうね。男の娘よね!」
「そうですよ。俺は男の子ですよ」
「うんうん、ささ、格好良くて可愛くて、とっても可愛くしてあげるわっ!」
オネェ店長は俺を試着室にドナドナしていった。オネェ店長は俺のことをちゃんと理解しているので、普通の青年用の服も用意してくれている。
それがせめてもの救いだった。これがなければお母さんとの買い物は断固拒否していたところだ。
そしてまるでメインイベントのように俺の回避不可の試着会が開始する。それは、男であるはずの俺にはあってはならない禁断のイベントだ。
「さぁ、みんなりゅーくんに似合う服は用意したかしら?」
オネェ店長が試着室を見渡すと、そこには店に集まった女性客がいた。もちろん、俺のことを知らない人もいれば知っている人もいる。中には男性もいるのだが、そこには見慣れた人もいた。
「りゅー、僕に任せてよ。立派なレディにしてあげるからね!」
どこからか聞きつけてきた雪が明らかに女の子が着るような服を持って現れた。
このイベントだが、俺がいるから始まったものではなく、誰もが主役になるイベントだ。
私服がダサいけど、どうにかしてモテたい男の子がいれば、店長がアドバイスもしてくれるし、オシャレの仕方も教えてくれる。そして開かれるのは店に集まった客を集めての試着会。
オシャレが好きな女性たちは都合のいい着せ替え人形が来てくれて楽しい。人形はオシャレになれて嬉しい。メイクはAZALEAの近くにある美容・ヘアメイクの学校の学生さんに来てもらって本格的なものをしてくれるのだ。
お互いにWin-Winになるようなイベントなので、毎日のように行われている。しかも容姿がよければ、密かに来ている芸能関係のスカウトを受ける人もいたりする。
試着会では主役をどれだけ着飾ることができるかがランキング化される。見事一位に輝いたひとは猫夜凪のポイントが貰えて買い物が割引される。
そして一位の衣装はAZALEAのホームページに掲載されて、セットでの売り出しがある。オシャレに興味があるけど、上下の合わせ方がわからないという人が購入していく。
このシステムは主役だけでなく、参加者やお店側も満足していけるようになっている。服の購入に関しては主役がお財布と相談しなくてはならないが、プロからのアドバイスを無料で貰えるだけでも大サービスである。
話は戻って俺の試着会だが、俺だけイベントの方向性が変わっている。なぜなら、俺は男の子であるにも関わらず、みんなが持ってくるものが女の子のものだからだ。
スカートは当たり前、中には下着から試着させようとしてくる人もいる。もはや公開セクハラである。しかし、俺が止めようとしたところで、持ってくるのはお母さんである。
さすがに見ず知らずの人が下着を持ってくるわけない。と思いがちだが、知らない人だからこそ下着を持ってくるのだ。しかも悪意がない。一方的な善意だ。
胸の形が崩れる?「俺は男だから気にしないんだよ!」と熱弁したところで、お母さんが「胸の大きさは関係ないんだよ、りゅーくん。胸があるから着けるんだよ」と真顔で言ってきた。
もう、勝手にしてくれ。これが俺の結論だ。
俺は着せ替え人形に徹しながら、これこそ一番の辱めではなかろうかと考えていた。衆目に晒され、俺を見た人々は一様に大興奮で「かわいい」を連呼。果たして俺は立派な男性になることはできるのだろうか。
ノースリーブで脇が出るものになると、お母さんからのストップが出た。「りゅーくんのかわいいお脇を晒すのはだめですよ」と。もはや意味がわからん。
途中○Tを殺すセーターなるものを着せられたせいか、観衆の中から男性が消えた。抹殺されたのか、もしくはこのイベントに耐えられなくなってしまったのか。
まともだったのはコーディガンやダッフルコートを着せられたときだ。これがもし、メンズのものだったら普段遣いできそうだった。しかし、このイベントではそんな高尚なものは着させてくれない。
下は当たり前のようにスカートだった。ズボンを履くことはあったが、どれも丈が短かった。
参加者曰くこんな機会に男の娘に美脚を隠すような衣装は外道。脚は出してなんぼ、なにより生脚最高です。とのことだ。
欲望にまみれたこの世界から抜け出すことは可能だろうか。
そして優勝したのは、黒を基調としたオフショルダーワンピースだった。「透けて見える美脚がえちえち」との評価をしてくれたのは、いつからいたのかわからない鈴華。
「涼しそう」と言ったのはヒデと裕貴。
「えっちだよ!その肩と背中……あわわわ、そんなに脚を出して!?ねぇ、スマホの背景にしていいかな?」とお母さんは戯言を言ってきた。もちろん、阻止できなかった。
「完敗だよ、まさか僕が負けるだなんてね……」と呟いていたのは、試着会に水着を提案してきた雪。そんな薄着、着るわけないんだよなぁ。と言いつつ着させられた俺。
勝敗うんぬんではなく着せることが目的だったのは明白。雪には俺の次の犠牲者にしておいた。なぜかノリノリの雪。なんだろう、この敗北感。
ファッションショーが終われば、待ってましたとばかりに群がる化粧品メーカーDahliaのみなさん。着飾るのにはもってこいの衣装はできた。ならば、あとはメイクを施すだけだね。なんて言って俺は拉致された。
優勝賞品はなぜか店長からプレゼントされる俺。購入するつもりが皆無なので、店長はご厚意と名ばかりの宣伝目的で着せたまま送り出すのだ。
だから俺はここを魔窟と呼んでいるし、あまり来たくもない。メイクする前に一度美容院に連れて行かれ、髪のケアをしてもらう。そこに俺の意思はない。
解放されるまでは大人しくするのが吉。あれこれ終わったら俺は自由だ。そして完成したのは男の子という概念から遠く離れた存在。
ゆるふわのヘアースタイルに、夏デートに行きそうな涼しげなコーディネート。小さめのバッグを持ち、美脚を強調するために履かされたハイヒール。
「りゅーくん、笑顔だよ。にこーってするんだよっ!」
お母さんのアドバイス。俺をこれからどこに行かせるつもりなのかな?
「りゅー、いや、ゆりちゃん。僕がエスコート、してあげるからね!」
雪はどこぞの俳優ばりのかっこいいスタイリッシュなジャケットコーデ。ポニーテールでメガネをかけた雪は幼さを兼ね備えた美少年。
だからどこに行くんだよ、とツッコミを入れたくなったが、ここでは我慢。
雪に手を引かれて訪れたのはショッピングモール内にあるカフェテラス。そこにはステージがあり、若いカップルがたくさんいた。
鈴華に強引に手を引かれて腕を組んでいるヒデ、裕貴を羽交い締めしてるオネェ店長。裕貴が助けを求めるような目線を送ってくるが、助けてほしいのはこっちも同じ。
裕貴は別の危機に襲われているかもしれないが、俺はここに着てからすでに抵抗する元気がない。張り付いたような笑顔をしてるだけで精一杯。
雪は隣でにこにこしている。これからなにが始まるのか待ちに待っていると、ステージに一人の幼女、もといお母さんが入ってきた。
嫌な予感がした。
「これより、カップル選手権を開催します!」
お母さんは意気揚々と宣言した。そしてお母さんは俺にウインクをした。雪は「がんばろうねっ!」と煽り混じりにエールを送ってきた。
どうやら俺はこのためにオシャレさせられたらしい。
脚っていいよね




