第124話 敗走の行く末
初めて本当の敗北を知った。粋がっていたわけでも強がっていたわけでもない。全力だった。すべてを賭けてもあの巨大な鬼には勝つことはできなかっただろう。
俺は必死に打開策を練った。けれど、すぐには出そうになかった。喪失感が俺を襲う。気が付いた頃にはログアウトして、天井を見上げていた。
「負け……か」
敗北という感情に振り回され、意識が何度も何度も敗走する瞬間を再生する。あのときどうすればよかったのか?あれは本当に最善だったのかと。後悔は募るばかり。
「あいつを倒せるのか?」
振るわれた拳はこれまで出会ったどの魔物よりも強力な一撃だった。小細工を一切許さない猛威は、糸を容易く千切り、威力を殺し切れず、自らの身体に衝撃が走った。
それも直撃ではなく、拳が発した衝撃波の一部だ。生まれたての皇魔の力じゃない。総合的な力量では上でも力のみはあっちの方が上手だった。
「俺はまだまだ弱いんだな……」
圧倒的な差とまではいかないが、確かな差は目に見えていた。何度も挑戦すれば、いつかはあの鬼に勝つことができる。けど、それじゃあだめだ。
やるなら二度目の挑戦で勝ちたい。
「勝つためには修行が必要だな。今度は、カルトに怒られないようにしないと……」
修行をするなら雪とするのがいい。雪はゲーム経験も長いし、戦闘面でも雪には未だに勝てていない。なんでもありの戦闘なら勝てる気がするけど、それじゃあ今までと大差ない。
やると決めたら早速雪に連絡を入れよう。
「ん?なんだ、これ」
スマホを開くといつものメッセージにアプリの招待が来ていた。雪だけでなく、ユッケからも来ていた。軽い説明もあって危ないものではなく、FEO公式SNSアプリだそうだ。
「おー、これはいいな。ゲーム内フレンドと連動しているのか。あれ、ルティアからメッセージが届いてる。なになに、『お兄ちゃん、ゆるさない』。ん?俺なにかやったかな?」
知らぬ間に妹の澪から恨まれていた。見覚えがないから、とりあえず澪に「なんかごめん」と返事をしておいた。
アプリの機能を探っていると拠点にいる主要メンバーにメッセージを送れることを知った。
「いきなりログアウトしちゃったし、ルカさんやフウマたちには『心配かけてごめん。また明日ログインしたときにお話しよっ!!』って送っとこ」
送信と押すとすぐに返信が来た。ルカさんからは『お待ちしております』と。子蜘蛛たちからは『ママとはなす!』『待ってる!』『修行に行ってきます』とメッセージが来た。
俺とお喋りがしたい子蜘蛛たちからのメッセージが止まらない。フウマやドーマからはあの鬼との戦いの敗走がよっぽど悔しかったのか、口を揃えて『修行に行く』と言っていた。
「俺も……立ち止まってるわけにはいかないな……」
子蜘蛛たちでさえすぐに立ち直っているのに、父親である俺がグズグズと後悔ばかりだなんて。
燻るわけにもいかない。なら、進むしかない。どんなに無様に敗北しようとも、前を見て進んでいけば、道は開かれるはずだ。
「よし、明日のためにも今日は早く寝よう!」
軽く身嗜みを整えて部屋を出ると、灯りがついていた。まだ誰か起きているのだろう。こっそり目的地に向かって忍び足で進んだ。トイレで用を済ませ、お風呂へ行く準備をするために、部屋に戻ろうとした矢先、澪に遭遇してしまった。
「「あっ」」
お互いに言葉を詰まらせ、立ち止まった。俺は意味深な澪からのメッセージのことを頭に巡らせた。俺は澪を怒らせてしまったんだろうか。
昼ご飯のときもそうだった。澪は俺に冷たい目線で睨んできた。なにか澪を怒らせることをしたんだろうと。
けれどここはなにもなかったかのように話し掛けるのが正解だ。無闇に話題を振れば、ドツボにはまり、俺は澪をもっと怒らせることになる。
「ゲーム、楽しめてるか?」
「……うん」
「そうか、それはよかった。あー、えっと、サポートAIとは仲良くしてる?」
話す話題が思い浮かばなかった俺はチュートリアルでもお世話になる担当AIについて聞いてみることにした。俺は兎人族のルカさんだったが、澪の場合はどんな種族になるのか気になっていた。
「……サポート、えーあい?……お兄ちゃん、ルカって誰?」
ルカはサポートAIに関してまだ聞き慣れていないようで、不思議そうにしていたが、わずか数秒で狩人のような目線に変わった。
「ルカさん?俺のサポートAIだけど、どうかしたのか?」
「ふーん、別にっ」
澪は少し拗ねたように言った。ルカさんとは仲良くしているがゲーム内で一番話すキャラクターであるのは間違いないのだし、澪が気に触るようなことではないはずだ。
「……えっと、レベルはどれくらいに上がった?」
「15だけど……」
「すごいな!もう進化できるのか!」
「べ、そ、そんなにすごくないし……」
澪の成長具合は俺の予想を遥かに超えていた。最初から戦いに勤しんでいることがわかる成長スピードだ。
「レベル帯もすぐに追いつかれそうだな。そうなると一緒にエリアボス戦もできるな!」
「……いっしょ。お兄ちゃんはレベルいくつなの?」
「俺は……」
澪に質問されてレベルに関して考えてみた。すると、驚くことに最近全くステータスを見ていないことに気づいた。
「うーん、いくつだったかな?ちょっと思い出せないけど、50は超えてるよ」
「!?そんなに差があるの?」
びっくりする澪。俺も正確なことは言えないから、これがすごいことなのかもわからない。明日、雪に聞いてみよう。
「ねぇ、お兄ちゃんがレベルを上げるのによく倒した魔物ってなに?」
澪は興味津々に聞いてきた。一番良く戦った相手といえば、誰もが通る道である森賢熊だな。何度も子蜘蛛たちのために通ったことを覚えている。
そのことを澪に伝えると、引きつった顔をされた。それから少し不機嫌になりながら、「そうなんだ……」と低い声で返事をした。
「くまさんになにか嫌な思い出でもあるのか?」
「え、お兄ちゃんがそれを言うの?」
「え?」
澪の表情から察するに、どうやら俺は地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「お兄ちゃんのせいでどれだけ熊に追われたと思っているの!?」
「え、あ、ごめんなさい?」
「もう、あんなに執着されたら、ゲームがちゃんと楽しめないわ!」
「……ごめん」
「いいよ、もう。終わったことだから……」
澪は俺から目を背けて許してくれた。それがなんだかほっとけなくて、俺はつい澪を抱きしめてしまった。
「へにゃっ!?」
「ごめん、俺が悪かった!」
澪が変な声をあげたような気がするが、そんなことは今はどうでもいい。澪に許してもらうことが先決だ。
「熊は俺がなんとかするから、澪はゲームを楽しむことに集中してくれ!」
「ちょっ、わっ……やぁ、お、おにいちゃっ……」
「可愛い妹に手を出す輩はお兄ちゃんが倒してやるから、安心してくれっ」
「かわっか、かわいい!?おに、お兄ちゃんがっ……か、か、かっ、かわいいって!?」
澪が段々と壊れたオモチャみたいになってきてる気がするが、いつもの様子からして想像がつかない。きっと俺が求めるかわいい妹の理想から幻聴が聞こえているんだろう。
「おに、おにいちゃん……離れて」
なんだか澪の体温が温かくなっている気がした。よくよく考えたら今は夏だ。俺が澪を抱きしめたら暑くなってしまうのも仕方がない。それに俺はまだ風呂に入ってないし、ゲームから帰ってきたばかりで汗ばんでいた。
「ご、ごめん!臭かったよな!」
「ううん、臭くなんか……」
「むしろいい匂いが……」なんて小声が聞こえた気がするが、澪がそんなことを言うはずがないので、これまた幻聴だ。
「えーっ、あ、そう!熊がちょっかいかけないように対策たてとくから、澪は安心してくれ」
「う、うん……だいじょうぶ」
なんだか澪がぼーっとしてる気がするが、本当に大丈夫なのだろうか。心配だ。
「今日はもう寝るのか?」
「ううん、もうちょっと遊んでから寝る」
「そ、そうか。じゃあ、おやすみなさい」
「うん、おやすみなさい」
俺は澪の頭を撫でて体温を測る。高熱ってほどじゃないから大丈夫なはずだ。きっと俺に抱き着かれて暑かったんだろう。そうに違いない。
澪と別れて支度を済ませてリビングに向かった。すると、そこもなぜか電気がついていた。不思議そうにしていると、食卓にラップに包まれたお皿があることに気づいた。
そこには『りゅーくん、明日はゲーム禁止』と書かれた貼り紙があった。
「ああっ!?」
よくよく考えたらそうだ。昼ご飯を食べたあとにログインして、ログアウトした時間が真夜中ってのもおかしい。確かに夜ご飯を食べた覚えはない。
あの森は苔が光っていてずっと昼間だと思っていた。あの根の化け物と戦ったときも夜目があったから暗さを感じなかった。いつの間にかゲーム内の日を跨いでいて、俺は夜ご飯を食べるタイミングを見失っていたのか。
やらかした。本当にやらかした。
ゲーム内でも敗走して現実ではこれか。今日は厄日かもしれん。俺はラップに包まれた食事を温めた。そして保温されている炊飯器からご飯をお茶碗についだ。
いつもように紙に食べた時間を書いて、噛みしめるようにご飯を食べた。
「おいしい……」
時間が経っていても変わらない美味しさを保つことができるお母さんの料理は最高だ。明日のことを考えると少し憂鬱だけど、過ぎたことは仕方がない。
明日に備えて早く寝よう。
風呂に入って自室に戻る途中、澪の部屋から声にならない叫び声が聞こえた気がするが、きっと俺が疲れてるせいだ。そうに違いない。
次の日、俺は壊れた生活リズムを元に戻すため、早起きをした。当たり前のようにすでに集まってる家族。おかしいなぁ、早起きって二番目くらいに起きれる気がするんだけど、あんまり変わらなかったな。
「おはよう、澪」
「お、おは、おはよう……お、おにいちゃん……」
あれ?まだ澪が壊れてるんだけど、なんで?
澪の様子に不思議がっていると、お父さんとお母さんがひそひそと俺と澪をちらちらと見てニヤけていた。
「今日はゲーム禁止かぁ……」
俺が落ち込んでいると、お母さんが突然立ち上がり、こう宣言した。
「りゅーくんが寝坊助なのがいけないの。だから今日はお母さんといっしょに、お買い物に付き合ってもらうよ!」
いつものお母さんではあるが、久しぶりのせいか、ウキウキが止まらないといったテンションが前面に出ていた。
「私も行こうかと思っていたけど、今日は残念ながら立花さんとの打ち合わせがあってね……」
お父さんは残念そうに言っていたが、その内容に少し気になる点があった。
「え?なんで立花おじさんと?」
立花とは、雪の苗字だ。
「あれれ?雪くんから聞いてないのかい?来週の土日に海へ花火を観に行くんだけど?」
それは初耳だ。
「え?聞いてないけど……」
「立花さんの話では雪くんとりゅーは少し変わったスタイルで夏祭りに参加すると言っていたが、雪くんとは相談したのかな?」
「ええ!?それも聞いてないよ?」
「……ふむ、これは私から言うべきではなさそうだね。あとで雪くんに確認してくれ」
「う、うん……」
なんだか嫌な予感がするのは気のせいだろうか。そして澪よ、なぜ俺を見て、顔を両手で塞ぐんだ。俺の顔になにがついているっていうんだ。
朝食はいつもより早い時間に終わった。お母さんの支度を待っている間、夏休みの宿題を済ませた。その間、澪はゲームすることもなく、対面のソファに座って俺を見ていた。
俺が澪の方を見ると顔を逸らされ、俺が別の方を向くと澪が俺の顔をガン見してきた。落ち着かない時間を過ごして、いよいよ買い物に出掛ける時間になった。
お母さんの身長では車を運転するのは難しいため、徒歩でショッピングモールに向かった。日傘をさして行くには遠すぎる道のりだ。ぬるい風が頬を撫でた。
帰りはお父さんが迎えに来てくれるので、この時間を生き抜けばそれだけで十分だ。運動をしていない身体は否応にもなく重い。足に鉛でもついているのか、行きたいのに身体がついてこない。
膝の可動域がいつにもましてせまい。なんだか違う人の身体を使っているようだ。ゲームしている間が長すぎたのかもしれない。アラクネの身体で動き、現実では寝たきりだった。
筋力が落ちて当然のことだ。これなら、数日おきにゲーム禁止日があってもいい気がする。人間、運動していないと生きていけないってのが実感できるな。
数十分間歩いて着いたのは近所で最も大きなショッピングモール、AZALEA。
俺はここにいい思い出がない。
なぜなら、俺はここの店員に毎度のこと、レディースショップに連れて行かれるからだ。
リアルが欲しい、との要望に応えておきました。




