第94話 変わらないもの
オウマを殴り飛ばした俺はオウマが生きていることを確認して精霊蜘蛛と精霊が集まった場所に戻った。
不安そうな顔をする精霊たちは俺が一人で帰ってきたことに嫌悪感を示した。
キッと睨み付ける精霊に俺は視線を合わせると、逃げるように精霊蜘蛛の後ろに隠れた。
帰ってきた俺に対して話しかけてきたのは一人しかいなかった。
「あんたにしては厳しいわね」
幼女精霊が俺になぜか笑みを浮かべて言った。説教されて頑張った者を殴り飛ばした俺に対してもっと苛烈な説教をするかと思っていたが、そんなことは起きなかった。
「父親だからな。子供にだって厳しくすることもある」
「ふーん、そう言うことにしてあげるわ。でも、あんたの言ってることは正しい。確かに邪精霊相手にこの子たちは有効だった。でも、他は?もっと強力な魔物が現れたら誰一人も欠けることなく勝つことができる?」
「今のままでは無理だろうな。俺でもきついことがあるしな」
「そうよね。あんた隠密は得意だけど、顔を見合わせた戦いにはまだ慣れていないでしょ?」
「今、実戦訓練をしてるところ。まだまだ足りないけどな。俺よりなにもかも強い相手と戦ったことないのがなぁ」
「そうよね。今のあんたより強いのなんてそれこそ、南西の不浄の主か、南の鬼の仙人くらいなものよね。どうせあんたのお友達かなにかでしょうけど」
「カルトとカレー炒飯か」
「なにその美味しそうな名前」
「本人が好きなんだと。今度つくってもらうか?」
「いいの!?」
「世話になってるからな」
「ありがとー!……あら、まだあの子はやる気みたいよ。完膚なきまで叩きのめしなさい!」
「そこまでやる気はないんだけどな……」
「いいのよ。それくらいしてやらないと……あの子頑固だから!」
オウマとの付き合いが長いだけあって幼女精霊はオウマの性根をよく理解していた。確かに俺に対しての呼び方から堅さが目に見える。
「わかってくれたか?」
「いいえ、まだ私は負けていませぬ!」
「そうか?そのボロボロの身体でどうにかできると思うか?」
「……私はこの精霊蜘蛛の中で唯一【精霊化】をマスターした蜘蛛です。その私が本気を出せば母上に傷のひとつ、つけることができる。このまま負けたままでは格好がつきませぬ……胸を借りますぞ、母上!」
オウマの身体が緑色のオーラに包まれ、浮遊していく。精霊は飛べる者であり、精霊魔法という特殊な魔法を使える。
そして浄化することもできるので、聖骸をつくる際にはカルトに呼び出しをされ、長時間の拘束をされてしまうのだ。
その代わり、お金ももらえるし、欲しいものはできるものならなんでも用意してくれる。超優良物件の仕事ができる種族である。おっと、話が反れてしまった。
そんな精霊になれる【精霊化】だが、マスターしたからといって俺に勝てるかといえば、答えはNOだ。硬い甲殻を貫通することもできず、動きを止めることもできない。できることがあるなら教えて欲しいものだ。
「行きますよ!」
「来い」
オウマは俺に迫ると見せかけて姿を消した。視覚的には失われたオウマだったが、精霊は魔力の塊と言えるほど、濃密な魔力で覆われている。そのため、【魔力探知】をもつ俺からしたら無意味に等しい行為だ。
後ろから襲いかかるオウマに対して後ろの爪で弾き飛ばした。動揺するような雰囲気を感じたがこの程度で驚かれても困る。
「終わりか?」
その問いにやる気を示すように魔法が飛んでくる。しかし、どれもひ弱で手で払い除けるだけで打ち消されてしまった。
それでも果敢に攻めてくるオウマだったが、俺は赤子の手を捻るように手加減をしながら防ぎきった。
「そうだ。オウマには見せていなかったが、俺も強くなってな。こんなことができるようになったんだ」
姿の見えないオウマに視線を合わせ、左手をかざして魔力を込めていく。警戒するオウマはその場から立ち去ろうとするが、すでに遅い。
「これは【雷術】と言ってな。俺達の域にたどり着けば似たスキルを使えるようになるんだ」
左手から放出された雷は瞬時にオウマのもとへとたどり着くと、オウマの身体を貫通した。雷に貫かれたオウマは姿を現し、ぐったりしながら落下していった。
「そういうわけだから、オウマたちは弱いんだよ」
このまま落ちていけば、落下の衝撃でオウマがリスポーンしてしまうことは目に見えているので、天網を落下地点に設置してオウマを回収した。
ぐったりしたオウマは幼女精霊に預け、目が覚めるのを待つことにした。
他の精霊蜘蛛たちはすでに心が決まっているのか、進化を受け入れる有無を伝えてきた。それに対して精霊たちは反論することはなく、受け入れることにしたようだ。
オウマの番だけは俺に対して睨み付けていたが、他の精霊や精霊蜘蛛に諭されてなんとか踏ん切りをつけることができたようだ。
あとはオウマが目覚めるのを待つだけだ。
その間にここへ来た本来の目的を幼女精霊に相談することにした。俺が幼女精霊のもとへ行くと、預けていたオウマを精霊たちが幼女精霊からかっさらっていった。
それを遠目に眺めた後、目的を幼女精霊に話すために、あるものを取り出して、事の経緯を伝えた。すると、返ってきたのは驚愕と金切り声だった。
「その種を不浄の主に渡すですって!?」
「あぁ、俺には植物のことなんかさっぱりだからな」
「それにしても限度があるでしょ。不浄の主よ、不浄の主。またその種が汚染されるじゃない!」
「カルトは邪悪なる者でもあるけど、聖なる者でもあるんだ」
「どういうこと??」
「カルトはどちらでもあるから、種が汚染されることはない。立派に育ててくれるよ」
「うーん、言いたいことはなんとなくわかったわ。でも確証がないから、ここに連れてきなさい」
「汚染されるんじゃ?」
「その時はそのとき。あんたに責任とって浄化してもらうわよ」
「わかった。呼んでくる」
「その前にこの子たちを進化させなさい。そして鍛えて不浄の主を浄化できるほどになってから、そのカルトとやらを連れてきなさい。わかったわね?」
「わかった。約束する」
「任せたわよ!」
幼女精霊がない胸を張って、「えっへん」と言ってきたので、すぐさま頭を撫でることにした。それを幼女精霊が受け入れて「えへへ」とニマニマするが、すぐに気付いて手を払った。
「そういうことだから、さっさと行きなさい!」
種についてはオウマが成長した後になったので、幼女精霊の言う通り、オウマを進化させることにした。
オウマのもとへ行くと、オウマのつがいとなった精霊が俺の前に立ち塞がった。
「オウマをもう傷つけないぞ」
「貴女に言いたいことあるの!」
「なんだ?」
「強くて可愛いからって、オウマは渡さないから!」
「……お、おう?」
精霊は「ふんっ!」と言うと道を開けてくれた。一連の意味はわからなかったが、それとなく許してくれたことはわかった。
オウマをしばらく眺めていると、ピクッと脚が動いたと思えば、眼を微かに開き始めた。
「起きたか」
「わ……たしは……負けたのですね……」
「あぁ」
「そう……ですか……」
「筋は悪くなかったと思う。だけど、やっぱり素の力に差があった。だからオウマは俺に負けたんだ。そのためには―――」
「―――進化するしかありませんか……」
「そういうことになるな」
落ち込むオウマにかけられる言葉はない。けれども、進化しないと俺と対等に戦えないのは理解したはずだ。
だが、最終判断はあくまでもオウマに任せる。なぜなら、厳しく当たったのは現実を見せるためのもの。
現実を知り、弱さを知り、心の強さを知った。それでもなお、オウマはどのような選択をとるのか、緩みそうな口元に力を込めて抑え込む。
「俺のこの手をとって進化するか、今のままの弱い自分のままでいるか選べ」
俺の差し出した手にオウマはじっと見つめた。他の子蜘蛛たちはすでに決まっている。ここでの長であるオウマの一存では、もしかしたら進化しないと言う選択肢も生まれるかもしれない。
だけど、ここまでやって選ばない信念をオウマがもつというのなら、止めることはできない。頑固だからじゃない。それよりも大切な何かが今のオウマにあるのだとわかったからだ。
「さぁ、どうする?」
俺は目を閉じてオウマの選択を待つ。しかし、手が触れる感覚がない。
そうか、オウマは進化しないことを決めてしまったか。そう思い、差し出した手を引っ込めようとすると、オウマよりも軽いなにかが手に触れた。
目をそっと開けると、そこには精霊の小さな手が添えられていた。
「……!?」
オウマは八つの眼を大きく見開いて、手を触れた彼女を見つめた。
「わ、私は、い、嫌じゃない。オウマが強くなっても変わってしまっても、オウマはオウマだから」
その一言にオウマはさらに驚きを隠せなくなった。それだけでなく、言葉の意味を理解していくうちにオウマの顔は茹でダコのように赤くなっていった。
「そうか。なら、遠慮する必要はないな」
俺はオウマの進化先を見て、力も口元も緩めた。進化先は子蜘蛛たちに決めさせるのだが、オウマだけは俺が決めることにした。
進化先が決まると、オウマは真っ白な繭に包まれた。
それを追うように次々と繭に包まれていく子蜘蛛たち。子蜘蛛たちの姿が見えなくなってあわてふためく精霊たち。その様子に幼女精霊も笑みを浮かべた。
幼女精霊とたわいもない話をしながら待っていると、オウマの繭から一本の腕が生えた。腕には黒の甲殻に緑の紋様のあった。それだけでオウマが特殊な進化を遂げていることが容易に想像できる。
オウマたちを待っている間にもとの姿に戻っておいた。あの姿も嫌いじゃないが、精霊たちを威圧してしまい、不安にさせてしまうので、今しておく必要はないのだ。
オウマたちには第四進化と第五進化を同時に行った。そのため、進化時間も長いが、その分一度に進化することができる。
糸の繭から次々と出てくる子蜘蛛たちは、果たしてあの身体を使いこなすことはできるだろうか。
最初に出てきたオウマも苦戦に強いられていた。元の身体とは全く違うものになっているのだから、無理もない。
「オウマたちの姿も見れたことだし、俺もそろそろ行くよ」
オウマたちから視線を外して隣の幼女精霊に告げた。
「いいの?まだオウマたちは生まれたての小鹿みたいよ」
「俺の子だぞ。これくらい使いこなすさ」
コクマたちは別の使いこなしかたを見つけてしまったが、この子たちなら問題ないだろう。なぜなら彼らには人型の精霊が近くにいるのだから。
結局、種をカルトにプレゼントすることはできなくなった。それを見兼ねた精霊樹が頭の上に太い枝を数本落としてくれた。振り返ると幼女精霊が「仕方ないから、それをあげるわ」と言わんばかりにウインクしてきていた。
精霊樹の枝と葉っぱをいくつか譲り受け、拠点へと帰ると、待ちくたびれたのかクシャが幼子蜘蛛たちと寄り添ってお昼寝をしていた。
長い間待たせてしまったと反省しつつ、悪いとは思いつつ、クシャの肩を揺らして起こした。
「……?ふぁ……や、八雲、遅かったですね……」
「ごめん、遅くなった。寝てるところ悪いな」
「いえいえ、私も寝ようと思っていたわけではないのですが、この本を読んでいるといつの間にか寝てしまっていて……」
「……本?」
「はい。これです」
渡された本は見慣れないもので、タイトルには『ダブロー戦記Ⅲ』と書かれていた。パラッと捲ってみると、そこには小さなトゲのようなものを頭に二本生やし、腰布を巻いた小人の戦士が城をつくる話が描かれていた。
「これは……?」
「それはカレー炒飯様がくださったものです」
「なんで?」
「おそらくコクマが以前手にいれた『ゴブリンの日記3』をカレー炒飯様に翻訳してとおねだりしたのがきっかけかと……」
そういえばそんな本を手にいれた記憶があった。
「その翻訳したものがこれ?」
「そうです」
「うーん、一応もらっとくか。Ⅲってのも微妙だし、ⅠとⅡをもってる人がいるか聞いておくよ」
「ありがとうございます」
「いいっていいって。それよりはやくカルトのとこに行こう。ずいぶん待たせたからな」
クシャと寝ぼけて離れない幼子蜘蛛を連れてカルトのもとへと戻った。
俺がまるでこの時間帯に現れることを予測していたのか、カルトの執事であるカイルが、キョテントの近くに立っていた。
「お待ちしておりました」
「遅くなった。カルトは怒ってないか?」
「いいえ、カルト様は事前にこれくらいかかるだろうと予測しておりました。あちらで待っておりますので、行きましょう」
カイルの背中を追っていくと、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「あははははっ……あー、おかえり」
「ただいま。ずいぶん楽しそうにしてるな」
「あれは無理だよ」
カルトが指を差し向けた場所には、コクマが上半身の人の部分を脱力させて、下半身の蜘蛛が激しく移動していた。移動する度に身体が持っていかれ、なぜか白目をむく。
「進化したてのときは俺以外はみんなあれだった」
「それはさぞや面白かったんだろうね……ん?そ、それはまさかダブロー戦記3巻!?」
「え、そんなに驚くこと?」
「当たり前じゃないか!だって50周しても3巻は出なかったんだよ!」
「これ、そんなに面白い話なの?」
「いや、別に。ただ全5巻で3巻だけ持ってなかったから。もしよかったら、売ってくれない?」
「これはカルトにあげるよ」
「いいの?」
「それでみんなに1巻から見せてくれ」
「それくらいなら構わないよ」
プレゼントも終わり、商売の話に入った。交渉はクシャに任せた。なにせ物の価値もわからないのに取引の話がわかるとは思えないからだ。
査定が終わるまでは子蜘蛛たちとスキンシップを多めにとることにした。大人ぶることもあるが、お姉さん気質のフウマも俺からしたら子供に変わりない。
恥ずかしがることもあるが、それでも嬉しそうにしているので、俺のしていることは悪いことではないと思った。
時折、カルトから「なにしてるの?」とジト目で見られることもあったが、いつものことなので、スルーした。
楽しい時間はクシャとカルトの交渉が終わるまで続いた。




