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《SS》姉弟の願い

空は青く、雲は自由に飛び回る。見上げた世界は広く、美しい。窓から空を眺めながら、彼はある人を待っていた。部屋にはベッドと机と椅子、そして車椅子があった。


広々とした部屋にも関わらず、家具はそれしかなかった。まるで生活感のない部屋。ものは少なく、寂れた部屋で彼は何を思う。


ガタリと物音がする。誰かがこの家にやってきたのか、それとも待ち人が現れたのか。彼はそちらへ一瞬振り向くが、すぐに空を見つめる。


彼しかいない部屋に物音が近づく。音の少ないスライド式の扉が開かれ、一人の女性が現れた。妙齢の女性は彼を見つけると、ふわっと目を見開き、顔を綻ばせた。


「ただいま」


彼はあまり開かない口で「おかえり」と言った。


それだけで彼女は嬉しそうに微笑み返した。


椅子を引いて彼の前までくると、一つの箱を机に置いた。


「今日は(ジン)にプレゼントがあるの」


「……」


「最近話題のVRがあるでしょ?」


ジンには聞き覚えがあった。確か彼女がオープンβに参加していたはずだ。毎日、毎日楽しそうに話していたから、よく覚えている。


「オープンβ参加者には特典として正式サービスで一人だけ、プレイヤーを招待できるの。ジンが嫌じゃなかったら、一緒にやってみない?」


彼女はなぜか照れながら言った。


ジンはそれを横目にまた空を眺める。


「なんで……ともだちとやれば、いいでしょ……?」


ジンは震えた声で拒絶した。


哀れみがあるのではないか。素直に喜べない。施しを感じる。これはジンの心が生み出した壁だ。


「私がジンとやりたいの。それじゃあだめかな?」


「なんで……?」


「私はジンの笑った顔が見たいの。あの頃のジンが戻ってきてほしい……これは、私の夢なの。お願いよ……」


「そうっすか……うん。姉さんのお願いだから、やらないと……」


横になったジンに姉はそっとヘッドギアを被せた。意識が溶けていくジンをそばで見つめ、手を握りしめる。これは姉の賭けだ。


ジンも昔は明るい性格をしていた。けれど、事故に遭い下半身不随になってからは毎日空を見上げて呆然としているばかり、食事の際も食べることには食べるが、おいしいなどの感情はない。


ただ生きているだけの毎日。そんな弟のことが心配じゃない姉がいるはずがない。


つい、握った手を力がこもってしまう。


「ごめん……」


目の前で眠るジンにすがり付く。


「ごめんなさい、もうこれしか思い付かないの……」


最後の希望といえるのが、このゲームだけだった。思い出の場所も家族との楽しかった記憶もジンには意味はなかった。


歩くことも走ることもできないジンに残されたのは車椅子という代理の足だけ。移動はできる、車椅子で走ることもできる。けど、それは本当の足での歩行ではない。


誰からも気を遣われ、大人にも子供さえも見上げて見るしかできない日常。視線を合わせても恐怖が芽生える。見下されるのではないか、そんな不安にかられる。


ジンは走ることが好きな少年だった。なぜ自分が代わりに犠牲にならなかったのか、なぜジンだけ奪われなければならなかったのか。


自問自答を繰り返したところで、それは自己完結にしかならない。


自分の心が落ち着いてもジンに影響はない。あくまでも自分だけ。自分だけがいい思いをするだけ。


それが常に身を削っていく。空を見上げたジンは現実から逃避していく。彼女がどれだけ必死に元気付けようと、ジンの欲しいものは帰ってこないのだから。


「……うっ」


ジンがうなり声を上げたのが聞こえた。ふと、ジンの顔を見ると、そこには一滴の涙が流れていた。


「……ジン?」


次第にジンの目からは涙が溢れた。戸惑いを隠せない彼女は何度も「ジン」と呼び掛けた。しかし、VRの世界に旅立っている彼は応えることはできない。


けれども、ジンが苦しんでいないことはわかった。


「ジンが、ジンが……笑ってる」


あの感情を欠如していたジンが笑う。それはここ数年で見たことがなかった感情だ。それも演技ではない、本当の笑顔だ。


「ジン……よかった……」


ジンがこの世界で再び目を覚ましたのは、数時間後のことだった。


目を覚ましたジンは身体が重いことに気がついた。


「……そっか。ここはゲームじゃなかった。けど、なんでかな。いつもより懐かしく思えるのは……」


ゲームの中で触った草の感覚、匂い、音、その全てが新鮮だった。まるであっちが現実のような、そんな気持ちになっていた。


「……姉さんに感謝しないといけないっすね」


夕暮れの空を見上げ、目を閉じた。


地面を踏みしめた瞬間、足に力を入れたとき、そして駆け出した時の感動。何度も何度も踏みしめた原っぱを思い出す。


そして、空を飛んだあの気持ち。忘れられない、忘れたくない躍動感。


現実にはなかった。いや、忘れていたこの気持ちをまた思い出させてくれたのは、ゲーム。でもこのゲームに出会わせてくれたのは紛れもなく、自身の姉である舞美お姉さんにお礼を言わなくては。


目線を下げて、そこにいたであろう姉を探す。見つけることはできたが、どうやら自分に覆い被さって眠っているみたいだった。


「姉さん、ありがとうっす」


握られた手を握り返す。すると、込められた力が人肌の優しさを教えてくれる。


「姉さん、今までごめんっす。こんな不甲斐ない弟で。本当は素直になりたかった。姉さんと笑っていたかった。けど、ゲームをする前の自分には受け止められなかった……」


ジンの呟きに、ピクリと動く。


「だけど、ゲームの世界で歩いて、走って、飛んでわかったっす。あの感動はゲームの中でしかもう得ることはできないけど、現実には現実の感動があるってことを」


その言葉に身体の震えが止まらなくなる。


「視野の狭まった自分には見えてなかっただけだったんだ。だってずっと見ていた空模様も今ではこんなに鮮やかに見えるから……」


ジンの横顔を盗み見ていた舞美は、伸びてきた手に気づかなかった。


近付く手は舞美の頬にそっと添えられた。


「ありがとうっす、姉さん。自分を誘ってくれて」


ジンは見つめてきた姉を見つめ返し、満面の笑みを浮かべて感謝した。すると、見開いた姉の瞳から涙が溢れ出した。


止めどなく流れる涙を拭うジンは微笑みを崩さなかった。


けれど、涙だけは抑えることができなかった。


「姉さん、本当にありがとうっす……」


「どう……いたしまして……」


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