5話
「じゃあ、今度一緒に行こうよ」
『……僕、今度とおばけには会ったことがないよ』
「ずいぶん古臭いこと言うのね」
あたしが今度を今度のままで終わらせてしまうと、彼は言いたいのだ。
「今はほら、あたしも予定とかわからないからさ。今週中には連絡するから」
『僕には旅行資金がないけど』
「あたしが連れてってあげる」
太っ腹、と苦笑する宝くんにつられて笑おうとして、あたしは口元に手をそえた。
『……もしかして今、あくびした?』
「した」
したと同時に、口の動きが鈍くなってくる。
これは、いよいよ、きたかもしれない。
『眠くなってきたんじゃない?』
よかったね、と微笑む宝くんの声が、とても遠い。とろけていくような脱力感。星空の散歩道が、少しずつゆらぎはじめた。
「……ありがとう、宝くん。ごめんね、忙しいのに」
『いいよ、べつに。僕も煮詰まっていたところだしね』
じゃあ、そろそろ大丈夫? その声までもが、あやふやに聞こえる。あたしはんーと声を漏らすだけで、それにまた、彼が笑った。
力が抜けていくあたしの手を、彼が強く握りなおす。それが想像なのか、それとも夢なのか、実に曖昧だ。
『おやすみ、美咲さん』
「おやすみ、宝くん」
言葉になりきらない声とともに、あたしは通話を切った。
ケータイを手離して、どっぷりと枕に顔を埋める。もそもそと、体を布団の中にうずめていく。
星空の中に、宝くんはいない。あたしが一人、星空の真ん中に立っている。
川の水が、引いていく。
星の砂が、崩れていく。
星空が、遠のいていく。
あぁ、
眠れる……
「……眠れない」
もう、頭を抱える気力ですらなかった。
あれだけ、眠れそうだったはずなのに。
遠ざかっていく星空とともに、眠気まで去っていってしまったのだ。
「どうしよう……」
もう一度星空を思い浮かべようにも、先ほどと何かが違う。宝くんと一緒に見上げた星空が、どうやっても出てきてくれない。
もう一度彼に電話をかけたら。そう思うけど、一度切ってしまった手前、またかけるのもしのびない。彼ももうすぐ眠るかもしれない。絵を描くかもしれない。もしかしたら、バイトの時間かもしれない。
これ以上、宝くんに頼るわけにはいかない。
でも、自力では眠ることができない。
「あぁ、もう……」
呟きを布団の中にこぼして、あたしはにじんだ涙を乱暴にこすった。
眠れないのが、こんなに辛いとは思わなかった。
眠くて眠くてたまらないはずなのに。眠すぎて眠すぎて、身体がふわふわしているのに。それなのになぜか、目が冴えてしまっている。
もうどうしていいかわからなくて、祈るように手を組んでしまう。その手が小刻みに震えていて、胸に押さえつけて何とか止めようとする。
自分で自分の手を握っているはずなのに、うまく力が入らない。握り握られている手が、なんだかとても弱々しく感じてしまう。
星空の中でつないだ宝くんの手は、とてもたくましかった。
大きくて、あたたかくて。本当にここにいるような、すぐ隣にいてくれるような、ずっとつないでいたくなるような手だった。
彼と手をつないでいられたら、あたしはすんなりと眠れるような気がする。
手をつながなくとも、話をするだけで、隣にいてくれるだけで、安心すると思う。
一人でいるのが、とても心細い。
別に、普段から一人でいるわけではない。よく、友達と遊びに行ったり、職場の人たちとお食事に行ったりしている。
けれど、どこか心が物足りなかった。
楽しみにしていたはずの一人暮らし。親に口うるさく言われることもなくて、掃除や洗濯は面倒だけど、好きなものを好きに食べて、好きな時間に好きなことができる、一人暮らしはとても楽しかった。
けれどやっぱり、物足りない。
電気のついていない、暗い家に帰ってきたとき。自分で作ったご飯を、一人で食べるとき。テレビを見ながら、一人で笑ったとき。
ささいなことが、なぜかむなしかった。




