3話
『まずは、白をイメージしてよ』
「白?」
星空を歩くのではなかっただろうか。白って、彼の描く星空はそんなに星が多いとでもいうのだろうか。
『はじめから星空なんてイメージしてもつまらないからさ、手順をふんでみようよ。真っ白な紙に、一から絵を描いてみるんだ』
「時間がかかりそう」
『眠れないならいいじゃないか。時間をかけて考えたほうが、案外頭が疲れて眠れるかもしれないよ』
宝くんは、あたしを眠らせるためにこの話をしている。それに気づいて、あたしは再びまぶたをおろした。
「どうせなら子守唄でも歌ってくれればいいのに」
『ごめんね、僕音痴なんだ』
「眠れなそうね」
『気絶はするかもしれないね』
軽口を叩き合って、電話口に笑いあう。こんな時間にあたしたちはなんて話しをしているんだろう。恋人同士だったら、きっともっといい話をしているに違いない。
『それじゃあ、あらためて』
「うん」
『まずは白を、青くします』
「アバウトね……」
頭の中に、一枚の紙を思い浮かべればいいのだろうか。でもそうすると味気ない。あたしは思い切って、まぶたいっぱいに青い色を広げてみた。
「――あ」
『どうかした?』
「水色になっちゃった」
さほど絵に詳しくないあたしは、豊富な色の名前を語ることができない。でもせめて水色じゃなくて空色と言えばよかった。今あたしの目の中にあるのは、太陽がのぼりきったときのような、高く澄み切った空色だ。
『じゃあ、日を沈ませなきゃいけないから……夕焼けの色を、すこしずつ広げてみて』
彼の淡々とした口調を、乱してみたいとちらりと思う。けれどなぜか、あたしは彼の声に口を挟むことができなかった。
夕焼けの色。あたしの頭ではオレンジとしかいいようのない色を、空の片側からすこしずつのばしてみる。彼の指示にしたがって、そこから徐々に、濃い青を……紺色を、藍色を。とにかく、夜空の色を広げていく。
「……だんだん、なってきた」
『じゃあ、まずは一番星』
まだわずかに夕焼けの残る空に、ひとつ、星を。
『その調子で、星を増やしてみてよ』
ふたつ、みっつ、よっつ。星を増やして、たくさん瞬かせて。
「……なんか、水玉模様になっちゃった」
『それは気持ち悪いね』
「もうさ、宝くんの絵を教えてよ」
笑われて、むっとしてしまう。けれどずっと目は閉じたまま。身体も、横向きになったまま、動いていない。さっきまであれほど寝返りをうっていたのが嘘のようだ。
『僕の絵は……そうだなぁ、天の川とまではいわないけど、星が道を作っているよ』
「その道を歩くの?」
『違うよ。その道は、ずっと上。それこそ本当に空にあるんだ。それで絵の真ん中に、筆で白い道を描く。細くて、人ひとり歩くので精一杯の、どこまでも続いていく長い道』
白い絵の具で塗っても、先に描いた空の色で、綺麗に色は出ないんだけど。彼のその細かい説明も、ちゃんと頭にイメージする。
道を描けば、そこが地面だとわかる。地面、空と、あたしの頭にもだんだん奥行きが出てきた。
「じゃあ、地面には何があるの?」
『地面はないよ。道が宙に浮いているんだ』
宙に浮いた道。不安定で、波打っていて、先がゆるやかなS字になっている気がする。
『足元にもまた、星空が広がってる。その星をどうしようか今悩んでるんだ。見上げた空をそのまま鏡にうつしたみたいに、上下対称にしてみるのも面白いかも』
「……そうすると、なんか窮屈で嫌だな」
彼に言われる前に、あたしはもう、その道の上を歩いていた。
よくテレビで目にするような、宇宙のような星空ではない。夜にしてはすこし明るい青色があたり一面に広がって、こんぺいとうのような星が、上にも下にも右にも左にも、とにかくすべてで輝いている。でも不思議とまぶしくはなくて、今にも消えてしまいそうなぐらい儚い光でもあって。色は白のようで、蛍の光にも似ているようで。
ゆらゆらとゆれるリボンのような道の上を、一人で歩く。服は今着ている白いパジャマ。裸足にすっぴんで、髪もボサボサで、でもなぜだか、顔色はいい。