幕間:教皇クロネッカーという男
ノーラが連行される数日前――。
ヴェリステルの魔法ギルドにある会議室に、ユーニス教会の教皇であるクロネッカーが招かれていた。
クロネッカーは五十代前半といった年齢の男性で、短い白髪に紫の瞳という外見をしている。教皇という教会において聖母に次ぐナンバー2の地位につくだけあって厳格な雰囲気を漂わせており、いかにもキレ者といった印象を受ける。
そしてもう一人、クロネッカーのすぐ後ろに控えている女性が≪神槍≫の二つ名を持つユーニス教会騎士団親衛隊隊長のベアトリスだ。二十歳くらいの美しい顔立ちをした若い女性で、橙色の瞳と燃えるような赤い髪を高い位置で纏めたポニーテールが特徴的。
この会議室にはクロネッカーとベアトリス、魔法ギルドのギルドマスターを務めるミレイ、そしてサブマスターを務める男性二人の計五人だけが存在していた。
「ミレイよ。わざわざ儂を呼び出すということは、例の計画に進展があったと考えて良いのだろうな?」
「ええ、その通りですクロネッカー様。以前から申し上げていたとおり、例の計画を進めるにあたり大きな課題は三つありました。今回そのうちの一つである、幻想種クラスの魔物から手に入る極めて高純度な魔石が手に入るめどが立ちました」
「ほう」
「イニスカルラの魔法ギルドに持ち込まれたのはドラゴンの魔石とのことで、それを持ち込んだ冒険者は現在こちらに向かっているそうです」
ミレイは淡々と事実を述べるように言う。
「そしてまた別の課題の一つである、術式の高度化に関しても私の方で研究を進めていましたが、こちらも動物を対象とした実験ではすでに上手く行っており、後は細部の調整を残すのみとなりました」
「その調整には如何ほどかかる見込みだ?」
「最大でもひと月……早ければ十日ほどの概算です」
「そうか。となれば、実質残す課題は一つということになる」
「ええ。それが冥剣ヴェズグラズの入手です」
「神代に作られたと伝えられる、幽世への道を開き斬られたものを直接そこに送る剣、か」
「今回クロネッカー様をお呼びしたのは、そのために是非お力を貸していただきたく」
「だがあれは文献により所在こそ分かっているが、現代の魔法では解明できない封印が施されているという話だっただろう。そこが解決されぬ限り、儂が貸せる力などないはずだ」
クロネッカーの持つ力は主に金とユーニス教会騎士団の兵力。
そして何より、教皇という地位がもたらす多大な権力だ。
しかしそのどれもが、神話の時代に施されたとも言われる高度な封印に対しては、一切役に立たないものに違いない。
「現代の魔法は常に進歩しつづけていますが、確かにあの封印を何とか出来るレベルにはまだ達していません。しかし私の見立てでは、ある人物の協力があればあの封印も解除できるはずなのです」
「ほう。つまりその人物を、ユーニスの名において協力するよう求めれば良いのだな?」
「ええ、その通りです」
「それで、その人物の名は?」
「ノーラ・アンテロイネン。本業は学者ですが魔法にも精通しており、特に儀式系魔法に関しては魔法ギルドに所属する誰よりも高い適正を持つ稀有な存在です」
「ノーラ……だと? ……ふ、ははははは! そうかそうか、ここに来てついにあれが儂の役に立つのか!」
「……クロネッカー様? ノーラという人物が、どうかされましたか?」
「いや、すまんな。こちらの話だ」
「……左様ですか」
ミレイはクロネッカーの反応を不思議に思いながらも、立場的にそれが許されないという事情もあって、深く追求はしなかった。
クロネッカーがそんな反応を示したのにはもちろん理由がある。
それは十六年ほど前、戦争中の北の国々を、停戦交渉の仲介役として訪れた時の話。
停戦交渉が決裂に終わり、その国の劣悪な環境と無駄足に苛立っていた当時のクロネッカーは、妻子ある身でありながら現地の教会の若いシスターを無理やりに犯した。
その後クロネッカーは何事もなかったかのようにイニスカルラに戻ったが、犯された女性はその時に子供を孕んでしまっていた。
ちなみに中絶などというものはこの世界には存在せず、孕んだ子供は生む他ない。
本当のことを言っても信じてもらえないと思ったその女性は、結局誰にも真実を打ち明けられないまま女児を出産した。
しかし真実を語らなかったために、誰とも知れない男と関係を持ったということで、その女性は教会を追放されてしまう。
その後何とか働き口を見つけて女手一つで子育てを試みたが、三年ほどで体を壊して女性は亡くなった。
そうして残された子供には罪はないとして、ユーニス教会が営む孤児院に引き取られた子供――その子供こそがノーラだった。
つまりノーラは正真正銘、クロネッカーと血の繋がった親子なのである。
もちろんクロネッカーはそれを知っているし、ノーラも母親が今わの際に言い残した言葉でそれを知っていた。
だが一度として二人は顔を合わせたことがない。
クロネッカーはノーラの存在は知っていても特に興味は持っていなかったし、ノーラにしても死んだ母親のための復讐などということに関心を持たなかったからだ。
だから血は繋がっていながらも、二人の人生はこれまで一度として交わることはなかった。
けれど何の因果か、長い年月を経てついにクロネッカーとノーラの人生は交わることとなる。
「儂の優秀な血を引いているのだ……その力、せいぜい儂に役立ててもらおうではないか……」
クロネッカーは誰にも聞こえないように、ぽつりとそんな独り言を呟くと、嫌らしく口角を上げてニヤリと笑みを浮かべるのだった。




