ノーラの家
三か所での水の採取を終えた俺たちがヴェリステルに戻る頃には、すでに日は傾きだしていた。
そのままの足で、依頼書で指定されている住所を訪ねる。
それは学術ギルドなどが集まっているすぐ隣の区画で、立地としてはかなり良い場所のようだった。
「へえ、ノーラってこんなところに住んでたんだ……」
「立地は良さそうだけど、建物は何というかかなり簡素だな」
見た感じノーラの家は小さいという訳ではない。決して豪邸ではないが、それでも一人で暮らすには充分大きすぎるくらいだろう。
ただ何というか、外観に一切の飾り気がなかった。
無駄だから必要ないと、そんな風な家主の声が聞こえてきそうな雰囲気だ。
「うむ? この家、何やら結界が張ってあるようじゃが……見たこともない術式じゃのう」
クリスはそんなことを言う。
結界とは儀式系の魔法に分類されるもので、主に指定の範囲内に特殊な効果をもたらすもののことを言う。
例えば俺たちが旅をしているときの野営で、クリスが見張りの代わりに周囲を警戒する魔法を発動していたが、あれも指定の範囲内に何者かが侵入したら感知する効果を持った結界だった。
「見たこともない術式?」
「基本は儂などが使っている感知系の結界と同じもののようじゃが、どうやら複数の機能が独自に追加されておるみたいじゃ」
「ねえクリス、それって凄いの?」
「かなり凄いのう。魔法使いの間では、結界は原則的に一つの術式に一つの効果というのが常識なのじゃ。複数の効果を求めるなら結界自体をいくつも張る必要が出てくるのじゃが、複数の術式を一人で維持するのは結構難儀でのう。普通は術者を複数用意することになるのじゃが……この結界の術式なら複数の効果を一つの結界で実現できるから術者は一人で済むし、術式の維持も普通の結界と同じ感じで出来そうじゃ。まあ儂にはこの術式がどうやって組まれておるのかさっぱり分からんのじゃがな」
つまり普通なら何人もの術者が集まってようやく実現できる効果の結界を、ノーラはたった一人で実現しているということだ。
それは長い歴史の中でずっと魔法使いの常識とされていたことを、たった一人で打ち破ったということに他ならない。
ノーラ・アンテロイネン。この世界の学問を一人で一気に十年以上進めたとまで言われる百年に一人の天才学者。
どうやらその看板に偽りはないらしい。
「そっか。クリスほどの魔法使いが認めるなら、やっぱりあの子凄いんだ……」
そう呟くように言ったステラは、それがまるで自分のことであるかのように嬉しそうな表情をしていた。
その表情を見るだけでも、ステラがノーラを大切に思っていることが伝わってくる。
そんな風に家の前で話をしていたら、不意にノーラの家の扉が開いた。
そこから姿を見せたのは他ならぬノーラ本人。昨日会ったときと同じく、露出過多な踊り子の衣装みたいな服装で、ジトっとした半眼をこちらに向けている。
そんなノーラの姿を見た瞬間にステラは名前を呼びながら彼女に駆け寄ると、そのままの勢いで抱き着いていた。
「ノーラ! やっと会えたぁー!」
「ん……ステラ、苦しい……」
「いいでしょ、ちょっとくらい。もう、本当にノーラは相変わらずクールなんだから」
「ステラは……相変わらず、暑苦しい……」
「酷い!」
そう言ってシクシクと泣き真似をしながらも、ステラはノーラを離そうとはしなかった。
嬉しそうにころころと表情を変えるステラに対し、全く表情を変えないノーラ。
対照的な二人だけれど、お互いに深く信頼しあっているということは傍から見ていても理解できる。
「それより、何でステラと……昨日の変な人が、一緒にいるの……?」
「あ、紹介するわね。こっちの変な人がシンで、そっちの可愛いのがクリス」
「変な人のシンだ」
「美人魔法使いのクリスじゃ」
「ちょっと縁があって、今は三人で一緒に旅をしてるの」
「ん、理解した……。踊り子を休業したって聞いたから……心配してたけど、元気そうで何より……」
「え、心配してくれてたの!? ありがとうノーラ! さすが将来を誓い合った仲ね、私の想像の中でだけど!」
「ん、どういたしまして……」
そんな風に俺とクリスはしばらくテンションの高いステラと落ち着いているノーラの、どこかズレたやり取りを微笑ましく見ながら、時折会話に参加したりもした。
それにしても本当に、普段からは想像できないくらいステラのテンションは高かった。でもたぶんこれも本来のステラが持っている明るくて魅力的な少女としての一面なのだと思う。
そう考えると俺はクリスのこともステラのことも、まだまだ知らないことばかりだった。
まあこれからも旅を続けていけば、そんな風に知らない一面を知っていくことになるのは間違いないので、それが少し楽しみだったりもするのだけど。
「――とりあえず、話の続きは家の中で……」
そうして話がひと段落ついたところでノーラに家の中に招き入れられたので、俺たちはノーラの家に上がることになった。




