亀の魔物
俺たちは指定された最後の場所を目指し、川に沿って歩いていく。
少しすると川が少し曲がりくねったような場所に出る。川の中には大きな岩がたくさんあり、それによって流れが止まっている箇所や、逆に早く流れている箇所があった。
「この辺だよな」
「そうじゃのう……たぶんあの辺りのことを指しておるのじゃろう」
クリスが指で示したのは、岩に流れがせき止められていて葉っぱなどがたくさん溜まっている場所だった。
「しかしさっきまでは分からなかったけど、ここはかなりマナの濃度が高いな」
「そうなの?」
「うむ、理由は分からんが、ここら一帯だけユモレス森道と同等かそれ以上のマナの濃度をしておる。確かにこれなら魔物が出現した場合、Cランク以上の冒険者でなければ危険じゃろうな」
アサルトウルフやキラーグリズリーくらいの強さの魔物が出現するなら、おそらくはクリスの言うとおりなのだろう。
俺は容器を持って岩を足場に飛び移り、手早く水を採取する。そうして蓋を閉めた、次の瞬間――。
「――ん、なんだ?」
さっきまで何もなかった水面が、突然光りだす。
直後、それを見たクリスから慌てたような声が聞こえた。
「シン! それは魔物が生まれる予兆じゃ!」
そういえば今まで旅をしてきて、魔物が生まれる瞬間というのは初めて見る。
光った水面から、ゆらゆらと青白い火の玉のようなマナが上がると、徐々にそれが一か所に集まっていった。
人の命を脅かす危険な存在である魔物。
この世界の多くの人に、おそらくは忌み嫌われている存在。
そんな魔物の生まれる光景だけど、どうしてか俺は恐怖感や嫌悪感というものを感じることはなくて。
――綺麗だ、と。そんな感想を抱いた。
などといったことを考えているうちに、マナは明確な形をなしていく。
そうして現れたのは全長三メートルほどの巨大な亀だった。全身が金属の鎧のようなもので覆われていて、見るからに堅そうな魔物だ。
「ステラ、これを頼む!」
戦闘に備えて、俺は手に持っていた容器をステラに投げる。ステラは戦闘こそ出来ないものの、踊り子ということもあって運動自体はかなり得意なので、それを難なくキャッチしてくれた。
さて、どうしたものか。今立っている岩は形がいびつな上に濡れていて滑りやすい。正直この足場の悪さでの戦いは避けたいところだけど。
「クリス、この魔物のことは分かるか?」
「いや、初めてみる魔物じゃ」
クリスも見たことがない魔物か。となると強さも行動も予想できないだけに、安全策を取った方が良さそうだ。
そう考えて俺は一旦距離を取るように動き、近くの大きくて平らな岩に乗る。
しかしその直後、亀の魔物は体内でマナを循環させると、術式を発動させた。
――魔法。
「シン、足元じゃ!」
クリスの声を聞いて、俺は瞬時に横に跳ぶ。それとほぼ同時にさっきまで俺が立っていた岩が、地面から現れた岩の槍に貫かれて粉々に砕けた。
間一髪、と安心する間もなく、今度は石の矢が俺に向かって飛んでくる。
俺はいくつかの岩を足場に跳びながら回避し、一旦川辺にいるクリスたちと合流した。
「……川の中から動く気はないみたいだな、あの魔物は」
「動かなくとも魔法で攻撃出来るようじゃからのう」
「結構厄介な状況だよな……さて、どうするべきか」
「いつもみたいにシンが剣で倒せばいいんじゃないの?」
「まあ俺はそれしか出来ないんだけど、足場が悪いのがな」
川は俺の膝くらいまでの深さがあって流れもある。いくら渡り人の力で身体能力が上がっているとはいえ、さすがにあの川の中では満足に動けない。
あの亀の魔物がいる場所までは一応飛び飛びの岩が足場としてはあるけれど、ルートが限定的なので俺が次に跳ぼうとした岩を先に魔法で狙われると、確実に俺は川の中に落とされてしまう。
それにさっきの魔法の使い方を見る限り、あの魔物はかなり知能が高そうだった。
それに見るからに防御力が高そうなこともあり、仮にあそこまでたどり着けたとして、一撃で倒せるかは微妙なラインに思える。
「だったら逃げちゃえばいいんじゃない? ノーラの依頼内容は水の採取だけであの魔物を倒すことは含まれてないんだし、それにあの魔物はたぶん追ってこないんでしょ?」
ステラがふとそんなことを言った。
確かに一理ある。プロの冒険者の仕事として考えるなら無用なリスクは避けるべきだし、何より仕事以外でただ働きするべきではないのだろう。
それはプロ意識の高い踊り子のステラならではの考え方だった。
実際逃げることさえ難しかったドラゴンの時と違い、あの魔物から逃げること自体は簡単そうでもある。
――まあ確かに、積極的に戦う理由はないよな。
「クリス、正直に答えてくれ」
「何じゃ?」
「あの魔物は、放っておいても大丈夫だと思うか?」
「そうじゃのう……この辺りは資源が豊富で、採集系の依頼で訪れる冒険者は多いじゃろうな」
クリスは言外に、放っておいたら危険だと語っていた。
「じゃあダメだな」
「……まあ、そう言うじゃろうとは思ったがの」
「知ってはいたけど、シンって本当に……」
「何だよ?」
「お人よし、じゃろう?」
にやりと笑ったクリスの言葉に、呆れたように無言の肯定を返すステラ。
危険な魔物が出る場所で遭難した人間は見捨てるのが当然だというこの世界では、俺の考え方はたぶん一般的ではないのだろう。
現実の厳しさを知らない、甘くて青い考え方。
けれど俺はこの世界で、自分がやりたいように生きると決めたのだ。
そして幸いなことに、それを押し通せるだけの力はあるのだから。
「……まあ、そんな心が綺麗なシンだから私は一緒に旅をしたいって思ったんだけどね」
何でもないような雰囲気でそんなことをステラは言う。
そう言われて嬉しく思いはするけれど、正直言ってそれ以上に恥ずかしい。
ただ今は照れている余裕もない。何故なら一応、戦闘中なのだから。
俺は川の中にいる魔物を観察する。距離は十メートルほどあった。
近づいて斬るには、少し距離と足場に問題がある。
「ふむ。となると儂の出番じゃな」
そう言って自信満々のドヤ顔で胸を張ったクリスは、言うが早いか直後には杖を構えて魔物に向かって魔法を放っていた――。




