人を殺すということ
クリスに指摘されて俺はその問題に初めて気づく。
――俺は人を殺せるのかどうか。
確かにそうだよな。俺はこの世界に来てから魔物とは何度も戦ってきたが、人間と戦ったことは一度もない。
けれど、この世界で冒険者として生きていくなら、遠からずそうした状況には遭遇するはずなのだ。
実際、盗賊団の討伐依頼というものが冒険者ギルドからは出されている。
仮にそうした依頼を避けていても、向こうから襲ってきたなら俺は戦うしかなくなるだろう。
「なあ……クリスは人を殺したことはあるのか?」
「もちろんじゃ。長いこと一人で旅しておれば、野盗の類に狙われることも多かったのでな」
「だよなぁ……」
そういう類の相手は、追い払ったところで逆恨みされるだけだ。復讐のために人数を集めて再度襲撃してくることもあるだろうし、そうでなくても自分以外の被害者が増え続けることは明白だった。
少なくとも改心して野盗から足を洗うなんてことはないだろう。
だからこそクリスはそうした相手を殺してきた。それがこの世界の正しい生き方、ということだ。
「あの、ごめんね。私には二人が何をそんなに問題にしているのか分からないのだけど」
「うむ、北の国出身のステラは特にそうじゃろうな」
「ん、どういうことだ?」
「何、単純なことじゃよ。この世界ではおぬしが思っているほど、人ひとりの命は尊くもなければ、価値のあるものでもないというだけじゃ」
クリスは続ける。
「例えば、危険な魔物の出る土地で誰かが遭難したとする。どうするべきじゃ?」
「どうって、そりゃ助けるべきだろ」
「違うわ。二次被害を防ぐためにも、見捨てるべきなのよ」
「ステラの言う通りじゃ。すでに死んでいるかも知れん者のために、多大な危険を冒すのは合理的ではないじゃろう?」
「それは確かにそうだが……だったらステラのケースはどうなる? それも見捨てるべきだったって言うのか?」
「どうもこうも、見捨てるべきケースじゃから、冒険者ギルドは依頼を受けなかったじゃろう? ……とにかく儂が言いたいのは、この世界の一般的な命の扱いとシンの感覚には、大きな差異があるということじゃ」
確かにクリスの言う通りなのだろう。
この世界は魔物の脅威が常にあるし、言ってしまえば命というものは当たり前のように失われてしまうものだ。
この世界では人の命が軽い。だからこそ合理的な判断をしなければ生き残れない。
「じゃが、別にそれが悪いとは思わん。助けられるというなら助けて悪い道理はどこにもないじゃろう。じゃからシンがステラを助けたいと言ったことには儂も口を挟まなかったし、実際おぬしはそれをやってみせたわけじゃ。……じゃがそういった、人間の命を大切にするというシンの価値観を、盗賊団のような他者の命を脅かす存在にまで適用するとなれば話は別じゃ」
クリスの言いたいことはよく分かった。何を懸念しているのかも、全てがはっきりと。
非合理的な判断で自分たちが危険を冒して誰かを助けようすることは別にいい。その危険は自分たちに返ってくるだけだからだ。
けれど盗賊団を殺せるだけの力がありながらそれを見逃すとなれば話が違う。そのことで危険に晒されるのは他の力なき人々だ。
だからこそ、俺が人を殺したくないと言って、盗賊団を見逃すようでは困る。それはこの世界で生きる全ての人間に不利益を生むことに繋がるのだから。
ただ、クリスは一つだけ勘違いをしている。
確かに俺は人を殺したことはないし、その状況に遭遇することに関しては無意識に目をそらし続けていた。
けれど、俺は別にクリスが考えているような聖人ではない。右の頬を打たれたら俺は殴り返す。
悪人にはそれ相応の報いがあってしかるべきだと思うし、それが他人の命と財産を食い物にするような人間だというなら、俺は生かしておくつもりはない。
思想とか正義とか、そんな大それたものではないが、少なくともそれが俺の正直な心情であることは確かだ。
「クリスの言いたいことはよく分かった。何というか、結構俺のことをちゃんと観察してたんだな」
「そりゃそうじゃろう、儂の旅の動機を忘れたか?」
ああ、そういえばクリスは渡り人ではなくて、俺という人間自体に興味が湧いたとか言って旅の同行を決めたんだったか。
クリスはきっとステラの一件だけでなく、俺の普段の言動なんかからも違和感を覚えていて、その原因が命に関する俺の価値観がこの世界のそれとかけ離れていることにあると気づいたのだろう。
であれば相当な観察眼だった。クリスにはもしかしたら俺の考えていることが結構筒抜けなのかもしれない。よく心を読まれるし。
「え、クリスの旅の動機って何?」
「あー、それはまた今度話すよ」
「本当? 絶対だからね?」
話が逸れそうだったのでステラの質問は流す。とりあえずは本題を片付けるとしよう。
「確かにクリスの心配することも分かった。ただ俺は自分たちの命を狙ってくる相手に容赦できるほど、甘くも優しくもないって。そりゃ魔物を斬るときみたいに何も思わないってことはないだろうけど、だからってそれが理由で悪人を野放しにするようなことは、絶対にしないから安心してくれ」
「……ふむ。まあおぬしがそう言うなら大丈夫そうじゃな」
そう言ってクリスは俺を信頼したように微笑む。
まあ確かに俺は、人を殺したことはないし、悪人だからといって殺して平気でいられるかは、実際のところまだ分からない。
でも一つだけ、俺にははっきりしたことがある。
俺が悪人を殺すのは、クリスやステラ、ましてやこの世界のためなんかではなくて――。
――あくまでも俺は、俺のために人を殺すに違いない、ということだ。




