クリスの目的
クリスは一呼吸置いてから口を開き、危険を伴うという頼みごとについて話を始めた。
「そもそも儂があの場所にいたのはダンジョンを攻略するためなのじゃが……まずダンジョンとは何かを説明した方がよいか。ダンジョンというのはマナの溜まった場所が、マナの影響を受けて変質した迷宮を指す。ダンジョン化することで特に問題となるのは次々と魔物が生まれてくること、そして放っておくとダンジョン自体が成長してしまうことじゃ」
「ダンジョン自体が成長?」
「文字通りの意味じゃ。ダンジョン自体が広大になったり、生み出す魔物が強力になったりな。そういうわけで、手に負えなくなる前にダンジョンを攻略して消滅させる必要がある、という話なのじゃ」
「つまり、クリスはあのダンジョンを攻略しようとしていて、その手伝いを俺に頼みたいわけか」
「察しが良いのう、そのとおりじゃ」
なるほど。確かにダンジョン攻略となれば魔物との戦闘は避けられないし、危険は伴う。
しかしそれ以上に渡り人である俺の力は強大で、手を借りられたらクリスは助かるという話だ。
俺自身にそこまでの力があるのか正直実感は湧かないが、渡り人については俺よりクリスの方が詳しいのだから、それについては彼女を信用するとしよう。
「分かった、手伝うよ」
「……そうか。儂としてはありがたい話じゃが、本当によいのじゃな?」
「正直なところどのくらい役に立てるかは分からないけど、逆に言えばそれを知るいい機会だしな」
それは俺の正直な気持ちだった。今の俺には何が出来て、何が出来ないのかに関しては、早いうちに知っておきたい。
幸いクリスは治癒魔法が使えるわけで、一緒にいてくれるなら多少の無茶も出来るだろうという打算もある。
それで一旦クリスの話は終わったらしい。
俺としては知りたいことがたくさんあるけど、とりあえずはクリスのことを尋ねてみることにした。
「なあクリス。クリスって一人であのダンジョンを攻略しようとしていたなら、相当強いんだよな?」
「ん? まあ、そうじゃな」
「それなのに俺の手を借りようとするってことは……何かが想定外だったってことか?」
クリスが一人で攻略できるなら、わざわざ俺の手を借りる必要はないはずだ。
「うむ。そもそもダンジョンの攻略は核となる魔物、ボスと呼ばれるものを倒す必要がある。ボスの強さはダンジョンの成長度で決まっておって、ダンジョンに満ちたマナの量から大体予想が出来るのじゃが……どうやら予想よりもダンジョンが成長しておっての」
それがどれくらいまずい事態なのかは分からないけど、クリスの様子を見る限りはそこまで深刻というわけでもなさそうだった。
クリスは続ける。
「おぬしを襲ったアサルトウルフクラスの魔物がボスじゃと思っておったのじゃが、もう少し上のランクの魔物がボスの可能性が出てきた、というわけじゃ」
なるほど、つまり俺は念のための保険ということか。それなら俺としても気が楽な話だった。
「……あ、そういえばあの魔物を倒したとき、こんなものを落としたんだけど」
そう言って俺はポケットから取り出した透明の石をクリスに見せる。
「ああ。それは魔石じゃな。マナが結晶化したもので、この世界では様々な用途に使われておる。その純度のものならレートにもよるが、おそらく一カ月は贅沢に暮らせる額になるじゃろうな」
「そんなに価値があるのか……」
「今じゃと魔道具の普及で魔石は動力源としていくらでも需要があるからのう」
つまり元いた世界でいうところの石油のようなものか、拾っておいて良かった。
しかし、これ一つで一か月分の生活費か。ダンジョンには魔物が結構な数いるという話だし、本格的に攻略するとなったらかなりの稼ぎになりそうだ。
「そうじゃ、魔石で思い出した。ダンジョン攻略中に得た魔石の分配についてじゃが……」
俺の考えを見透かしたように、そんなことをクリスは口に出した。別に報酬が目的ではないけれど、少しでももらえるというなら俺としてもありがたい話だった。
どこの世界でも、生きていくなら必ず必要になるものに違いない。
「シンに全部くれてやる。おぬしが今後どうするにせよ、先立つものは必要じゃろう?」
「は、全部? それはいくらなんでも……」
……お人好しが過ぎる。
俺は少し不安になった。
それは話がうますぎるだとかではなく、単純にクリスという人間のことが、だ。
「おっと、勘違いするでない。もちろん儂にも目的があるのでな。……もしダンジョンのどこかで光り輝く白い花を見つけたら、それは儂に譲ってくれ」
「光り輝く白い花、か」
クリスの様子を見る限り、おそらくそれは魔石なんかよりも、ずっと価値のあるものなのだろう。
そしてそれを確実に手に入れるために、クリスのような少女がわざわざ一人でダンジョン攻略という危険なことをしていた。
その花の価値を尋ねれば、きっとクリスは正直に答えてくれる。自分が不利になる情報であっても、決して嘘を吐いたり隠したりはしない。そんなお人好しの性分。
俺はそんなことを考えながら尋ねる。
「その花が見つからなかった場合は、どうするんだ?」
「その場合も魔石はおぬしが全部持って行ってくれて構わんよ。儂の目的は最初から一つじゃからな」
「……よし、こうしよう。手に入った魔石は折半。花は見つかったらクリスの物だ」
「……ん? それはおぬしが損をしているだけではないか?」
「まあそうなんだけど……俺はクリスに借りがあるしな、それくらいで丁度いいんだよ。代わりに、もっとこの世界のことを教えてくれよ」
「ふむ……シンも、存外にお人好しじゃのう。おぬしならもう少し賢く生きられそうなものを」
「うるせぇよ、というかクリスがそれを言うのか?」
そう言って俺たちは笑いあう。
同時にクリスと仲良くやれそうだという感覚は確信に変わった。
「……さて、まだおぬしは聞きたいこともあるはずじゃが、夜も更けてきたことじゃし、続きは明日にせぬか?」
「ん、ああ、もうそんな時間なのか」
俺はこの世界にやってきた段階で時間の感覚は無くなっていて、今がどれくらいの時間なのか分からない。
この家の中に時計は見当たらないが、クリスには時間を知る方法があるのだろう。
もしかしたら単に眠気で判断しているのかもしれないけれども。
「うむ。それで寝床じゃが、そっちの部屋を使ってくれ。家全体に暖房の魔道具を使っておるから大丈夫じゃとは思うが、寒ければ収納に亜麻の布がいくつか入っておるから重ねがけでもしてくれるかの?」
「ああ、分かった」
俺の返事を聞くと、クリスは奥の自分の部屋へと歩いていく。クリスが部屋の中に入ったのを確認してから、俺もクリスに言われた部屋を確認する。
部屋の中は窓際にベッドが一つ、小さな机と椅子に、収納棚がポツンと置かれているだけだったが、今の俺にはそれで充分だ。
寝台の上に干し草を重ねて亜麻の布をシーツとしてかけたベッドは、思いのほか寝心地がいい。
そこに寝転がりながら、俺は考え事をする。
何について、というよりは取り留めのない雑多な思考だった。
異世界に来たこと、魔物のこと、大怪我をして死にかけたこと、それをクリスに救われたこと。
そして俺はこの世界では常識外れな力を持つ『渡り人』という存在だということ。
正直自分にどういう力があるのかはまだよく分からない。だから実感もないし、自信もない。
けれど、クリスはそんな俺の力を買ってくれている。異世界にやってきて、いきなり死にかけるような俺のことを。
それだったら俺も、少しは信じてみてもいいのかもしれない。
自分の持っている力を。
そして――自分という、人間のことを。