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意見の対立

「――とまあ、そういうわけじゃ。このマナも、言ってしまえば元に戻っただけ、というのが正確じゃな」


 クリスから事の顛末を聞いた俺は、少しだけ考える。


 ヴェロニカはクリスの死の未来を変えるために行動を起こし、そしてその目標は達成された。


 俺を殺すとクリスを脅して、という手段は褒められたものではないが、まあ実際に俺を殺すつもりはなかったようだし、クリスの身を案じてのことだというなら俺からも感謝したいくらいだ。


 ただその代償はクリスが今まで必死に、それこそドラゴンと戦うときでさえも封印し続けてきた、魔族由来のマナの封印が解けてしまったことだ。


 魔族のマナには特有の、人間に言い知れぬ不安や嫌悪感を与える禍々しさがある。人間の社会で生きていくには、明らかに邪魔になるものだ。考えるまでもなく、ほぼ確実に差別や迫害の対象となるだろう。


 そして今後もクリスがこの旅を続けていけば、それは遠からず現実のものとなるのだ。


「……なあクリス」

「なんじゃ?」

「お前はその、魔族のマナについてはどう思っているんだ?」


 俺は言いたいことがまとまらず、曖昧で無意味な質問をしてしまう。


 ……いや。言いたいことはまとまっていたが、それを口に出す勇気が持てなかっただけか。


「こうなってしまったものは仕方ない、という感じじゃな。簡単には再封印も出来んし、仮に出来てもそれで死の未来を招くのでは何の意味もないしのう」

「そうか」


 クリスからは予想通りの言葉が返ってきた。まあ、だから意味のない質問だったのだけど。


「というか、おぬしは平気なのか? 儂のマナを身近で感じていて、何も思わんということもないじゃろう?」


 今度はクリスからの問いかけだ。


「まあ普段と違うから違和感はあるけど、別にそれだけだな。言われた不安とか嫌悪感というほどのものは全くない」

「ふむ。まあおぬしは優しいからのう……事実がどうであれ、そう言うのじゃろうな」

「………………」


 さすがにクリスは鋭い。

 実際俺はクリスとこうしている間にも、拳銃を突き付けられているような居心地の悪さを感じていた。

 それに耐えられているのは、ひとえにクリスは引き金を引かないと信頼しているからでしかない。


 そしてそれは信頼関係があるからどうにかなるものであって、そうでない人間にとっては到底我慢できるものではないだろう。


 だからこそ、クリスならきっと考えているはずなのだ――今後、この旅をどうするのかについて。


 俺はクリスがどう考えているのかが知りたかった。さっきは言えなかったが、今度は勇気を持って、それを尋ねることにする。


「クリス、単刀直入に訊くが……この旅は、続けるんだよな?」

「………………」


 クリスは少し俯いて口ごもる。

 そうしてしばらく沈黙してから、ようやくクリスが口にした言葉は、残念ながら俺の望んでいた言葉ではなかった。


「……儂も、可能であるならおぬしとの旅は続けたいと思っておる」


 それは言い換えるなら、クリスは旅の続行が現状不可能だと思っているということだ。

 もちろん俺は反論する。


「可能であるならって、どこに不可能な要素があるんだよ。クリスは何も悪いことをしてないんだから堂々として、周囲に何かを言われても無視すればいい。直接的な嫌がらせがあったら俺が守ってやる。それでいいだろ?」

「全然良くない。それでは儂と共におるせいで、おぬしまで周囲から白い目で見られてしまうじゃろう? 正直に言えば儂は、おぬしにはこの世界の良い所を知ってもらいたいし、この世界を好きになってもらいたいと思っておる。儂のせいでそうしたこの世界の醜い部分を見せてしまうというのは、本意ではないのじゃ」


 クリスはそんなことを言った。

 この世界の良い所を知り、俺にこの世界を好きになってほしいというクリスの思いは、イニスカルラの露天風呂の時なんかにも感じられたことだ。


 その気持ちは素直に嬉しいと思える。けれど――。


「――あのな、そういう風にこの世界の醜い部分を必死に隠して取り繕えば、俺が惑わされるとでも思ってるのか? 綺麗なところだけ見せていれば、俺がこの世界を好きになるとでも? もしそう思っているならクリス……あまり俺を舐めるなよ?」


 俺だってガキじゃない。世界が綺麗なだけでないことくらい知っている。


 北の三国で人間同士の戦争が起きているという話を聞いた。

 魔族には人間に対する差別意識があり、逆に人間は魔族のマナから本能的に不安を感じてしまうという、両者の間には深い溝があることだって理解した。

 冒険者としてしか生きていけない人間が、危険な依頼で今日もどこかで命を落としていることだって想像できた。


 ここは剣と魔法のファンタジー世界ではあっても楽園ではない。


 人が生きているんだ。綺麗事だけでは成り立たない。そんなことは最初から、それこそいきなり死にかけたときから俺は知っていた。


「そういうつもりは……いや、そうじゃな。知らぬうちにおぬしに要らぬことまで押しつけがましくしてしまっていたかも知れん。決しておぬしを軽んじていた訳ではないのじゃが……すまぬな」

「……いや、俺も少し言い過ぎた。悪い」


 そうして少し居心地の悪い空気になる。


 とりあえずまとめれば、クリスの言い分は「自分のせいで俺にまで迷惑をかけたくない」である。

 そして俺の言い分は「クリスと一緒に旅するためならそれは些末なこと」だった。


 この場合のクリスは優しいというより、他人に甘えることを良しとしない性格といった方が正しい。

 俺としてはそれくらいのことは甘えたり頼ったりされた方が、信頼されているとより実感できて嬉しいのだけど。


「……すまぬが、もう少し考えさせてくれぬか? 一度一人で冷静になって考えてみたいのじゃ」


 ふとクリスはそんなことを言った。

 夜も更けてきたし、確かにこれ以上は今のまま話をしても平行線だ。


 俺は首肯すると、おやすみとだけ告げてクリスの部屋を後にした。

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