異変
「これからは毎日、寝る前だけでもいいから今日やった柔軟をちゃんとやるのよ?」
「ああ、分かった……」
柔軟体操を終えると、ステラからそんな風に言われた。
ステラの柔軟体操は確かに効果てきめんで、全身が軽くなったように感じるし関節も柔らかくなったような気がする。もちろん一時的なものでしかないだろうから、ステラの言うように継続しないと意味はないのだろう。
「体が柔らかくなれば体をスムーズに動かせるし、怪我もしにくくなるの……まあ、渡り人のあなたには余計なお世話かも知れないけど」
「いや、そんなことはないって。ありがとう、ステラ」
渡り人の力があるからといって、他のものが要らないわけでもない。きっとどこかで役に立つこともあるはずだ。
「そういえば気になってたんだけど、ステラは何で普段ローブを着てるんだ?」
「ん、気になる?」
「見たところ一般的な服装ではなさそうなのに、クリスもステラも着てるからな、さすがに気になるけど」
「んー、クリスがどうしてなのかは知らないけど、私は肌を守るためかな。日焼けとか、かすり傷とか」
「なるほどな……でもだったらもっと他の人もそういう目的でローブを着てても良さそうだけど」
「いや、だってダサいじゃない? いくら肌を守れるって言っても、そのために常日頃からダサい格好をしなければならないなら本末転倒よ」
「……確かにそうだな」
単純にローブはダサいのだとステラは言った。
まあ確かに美容に効果的だからといって、元の世界でローブを着こんでいたら間違いなく浮くだろう。この世界ではそこまでではなくても、やはり外見的にかわいい服装ではないことは同じだった。
「私は舞台の上で最高の踊りをしたいからそうしている。ただそれだけよ」
それだけ、か。
それだけのことが、どれほど困難であるのか。
言い換えれば年頃の女の子がしたがるようなオシャレを、ステラは一つの目的のためだけに諦めているということだ。
それは踊り子として最高の状態を維持するために、その他の全てを切り捨てているという意味だった。
「凄いな、ステラは」
「ふふ、ありがと。でもそうやって、素直に他人を褒めたり認めたり出来るシンだって、私は凄いと思うわ」
「そうか? 別に普通だと思うけど」
「……そうね、やっぱり普通かも」
「何だそりゃ」
褒めたと思ったらすぐに発言を翻すステラに俺は思わず笑ってしまうが、しかしステラは真剣な表情で続ける。
「それを普通だと言えるままのシンでいてね、ってこと。この先もっと強くなって、凄くなって、偉くなっても……今のままのシンでいてくれた方が、私は好きよ」
「………………」
それはいつだったか俺が感じた不安に対する一つの明確な答えだった。
もし俺がこの先、渡り人の力によって、人間として存在し得る常識的な範囲から逸脱したとき――周囲の人間は、俺に対して何を思うだろうか?
嫉妬ならまだいい。しかし理解出来ない者に対する恐怖であったなら、それは遠からず人のコミュニティから排斥されることを意味する。もしそれが、クリスやステラといった身近な人間からの拒絶に繋がったら?
考えないようにはしていても、一度心に影を落とした不安の雲は消えてなくなりはしない。
けれど今、ステラの言葉によってその雲が、すっと晴れたように思えた。
クリスが俺の旅に同行してくれたのは、俺が渡り人だからではなく、俺という人間に興味が湧いたからだと言っていた。
そしてステラも、俺が今の俺のままでありさえすればいいのだと、そう言ってくれた。
それは何というか、自分という人間が認められているような気がして、とても嬉しいことだった。
そんな風に俺が一人で静かに感動していると、ステラはそれを知ってか知らずか、話題を変えるように口を開く。
「あ、そうだ! 明日のお祭り、よかったら三人で回らない?」
「それはいいけど、ステラは踊りの仕事があるんじゃないのか?」
「それは夜のメインイベントだから、昼間はフリーなの。まあ夕方くらいには入って色々準備しないといけないけど、踊りの方はシンたちも見てくれるでしょ?」
聞けばラドーム村の鎮魂祭は一日掛かりで行われて、昼間は露店などが並んでいて結構な人出があるのだという。そうして日が落ちてからのステージで、死者の魂を弔うための踊りをステラが踊るらしい。
「まあそういうことなら、一緒に回ろうか。たぶんクリスも嫌だとは言わないだろうし」
「ふふ、じゃあ楽しみにしているわね」
と、そんな感じで明日の話をして、適当な所で俺は自分の部屋に戻ることにした。
すると廊下で偶然、外から帰ってきた様子のクリスと出会う。
クリスの表情は少し暗いが、それ以上にクリスの体から漏れ出すマナが、普段の様子と異なることが気になった。
「クリス、どこか行ってたのか?」
「うむ、少し嫌なマナの流れを感じてのう。見に行ってみたら案の定、魔物が畑を荒らしておったので退治してきたのじゃ」
「……クリスは怪我してないんだよな?」
「もちろんじゃ」
「なら良かった……で? 本当は何があった?」
「……何の話じゃ?」
「自分じゃ気付いていないのか? クリス、今お前が体に纏っているマナ……明らかに人間のモノじゃないぞ」
禍々しいとでも言えばいいのか、今のクリスのマナは明らかに普段と違う性質を持っていた。
そしてそれは、ただでさえ優秀な魔法使いである普段のクリスのそれよりも、数倍は強大な力を持っていることが分かる。
それは今まで見たことのないものだ。クリスは魔物と戦うときでも、もっと大人しい、言ってしまえば普通の人間と同じマナを扱っていた。
それこそグランドイーターや、ドラゴンといった強力な魔物と戦っているときでさえ、だ。
命の危険がある場面であっても、クリスは今のようなマナを扱ったことはない。つまりそれは自在に扱えるものではないということで、そんなマナが漏れ出している今のクリスは、おそらく正常な状態ではないのだろう。
「……やはりおぬしに隠し事は出来ぬか。とはいえ廊下でするような話でもない、続きは儂の部屋でするとしよう」
そう言って歩き出したクリスに、俺はただついていく。
そうしながら、俺は少しだけ後悔していた。
クリスの実力は信頼していても、やはり俺はクリスの傍についているべきだったのではないか。クリスが一人でどこかに行ったなら、俺は探しにいくべきだったのではないか、と。
次回は三人称でクリスの話になります。




