氷解
「≪災厄≫?」
「≪災厄≫というのは、簡単に言えば移動するダンジョンのようなものじゃ。詳しいことは何も分かっておらんが、とにかく事前の観測が困難で、気付いた時には迷宮の中に取り込まれているパターンがほとんどじゃというのう」
普通であればダンジョンはマナが溜まりやすい場所に発生するのみで、ダンジョン化するほどの多大なマナが一体となって移動することはまずありえない。
しかし≪災厄≫と呼ばれるそれは、マナの塊が発散することなくダンジョンとなったまま移動を続けている、まさしく異常な現象なのだという。
しかもマナの塊であるはずなのに、何故か高位の魔法使いでも観測することが出来ないというおまけ付き。
見つけられないのであれば、避けようも無い。
だから≪災厄≫に襲われたとしたら、それは運が悪かったと言う他ないのだろう。
「冒険者が攻略しようにも、そもそもどこにあるのか分からんので事前に準備が出来ん。とまあそんなこんなで、この数十年誰にも攻略されることなく、≪災厄≫は今もこの世のどこかを彷徨っておるのじゃ」
そんなクリスの説明のおかげで、俺は≪災厄≫がそう呼ばれる理由をなんとか理解した。
「とりあえず≪災厄≫というものが厄介で危険だってことは分かった。……けど、ステラは≪災厄≫から生き延びたんだよな?」
「ええ、そうよ。五年前……私が十二歳のとき、私を含めた一座の仲間十三人と、護衛のCランク冒険者五人の合わせて十八人が災厄に巻き込まれた。そして、そこから脱出出来たのは冒険者一人と、あとは私の二人だけ」
そもそもステラが災厄に巻き込まれた時点で、仲間たちとは離れ離れになっていたらしい。その時たまたまステラは一人の冒険者と一緒で、その冒険者の先導でマナの薄い方向を目指して何とか脱出に成功して生き延びたのだという。
ちなみにその冒険者はベテランの男性で、ジョブはスカウトだったという。足手まといのステラを連れてながら、徹底して戦闘を避け、どうしても戦わなければいけない場合も安全で確実な方法を選んでいたそうだ。
そうして何とか生き延びたステラは近くの街の冒険者ギルドに一旦保護され、その後は踊り子や演奏者などの芸を持つ人間が所属するギルドに登録し、一人で踊り子として世界中を回って活動したのだという。
「後で聞いた話では、≪災厄≫に巻き込まれた場合の生還率は二割近くあるらしいわ。まあ実際は、実力のある冒険者が数字を引き上げているだけらしいけど……それでも、もしかしたら私以外にも生き延びた一座の仲間がいるかもしれないと考えるには、充分な数字よね」
「ふむ。つまりおぬしが踊り子として世界を回っておるのは、仲間の生き残りを探すためなのじゃな?」
「ええ、そうよ。踊り子として活動して、世界中で有名になって私の名前を轟かせれば、一座のみんななら気付いてくれるはずだから……生きていたら、だけど」
そうしてステラは≪舞姫≫と称えられるまでになった。それがどれほどのものなのか俺には分からないけれど、きっと生半可なものではないのだろう。それこそかつてのステラの仲間なら気付かないはずがないくらいには。
けれど今に至るまで、ステラの元には誰からの連絡もないままだった。それは、言い換えればつまり――。
「まあ、分かっていたんだけど、ね。きっと、私だけがどうしようもなく幸運で、本当は冒険者でも何でもない人間が生き延びられるはずはなくて。だって、私を助けてくれた冒険者の仲間ですら、生還していないんだから……だから、分かってはいたの」
分かってはいた。ステラのかつての仲間は、もう誰一人として生きてはいないことを。
分かってはいて、それでもステラは今でもこうして踊り子として世界を旅していた。
本当は全て分かっているのに、ひたすら自分を騙して分からない振りをしていた。
自分自身を騙し通せるはずなんてないのに、それでもステラはその欺瞞を抱いて歩き続けていたのだ。
「それでついこないだ、ギルドに私宛の連絡が一つ届いたの。差出人は、≪災厄≫から私を助けてくれた冒険者の奥さんで、中身は仕事の依頼だった」
そこまで聞いて俺はようやく、ステラがラドーム村で何をすることになっていたのかを理解した。
そうしてこそ、今までのステラの行動が全て一本の線に繋がる。
「依頼内容はラドーム村の鎮魂祭で踊ること。鎮魂祭っていうのは年に一度行われる亡くなった人たちを弔うためのお祭りね。そして今年亡くなった人には私の命の恩人である、あの冒険者のおじさんも含まれていたわ。病気だったんだって」
「……なるほどな。つまりステラは命の恩人の鎮魂祭だから、霧を越える危険を冒してでも依頼を全うしたかったと」
「そういうこと。この依頼だけは、何が何でも完遂したかった。だからこそ命の危険でさえ二の次だったの……まあそれでも、いざとなると死ぬのは怖かったんだけどね」
ステラはそういって強がるように笑う。
俺はそんなステラを見て、彼女の心の奥深くにある悲しみと絶望を、一瞬だけ垣間見た気がした。
だからと言って、俺に出来ることなんて、たかが知れている。
俺はステラの、両親を失った悲しみの大きさを知らない。仲間を失った悲しみの大きさを知らない。恩人を失った悲しみの大きさを知らない。
想像は出来ても、理解には程遠い。分かった振りなんて、そんな偽りの共感に価値は無い。
だから俺はステラの心を理解しない。共感もしない。ただ一言、心から思ったことを言うだけだ。
「そうか……ステラは、頑張ったんだな」
俺の口から出たのは、そんな小学生並みの感想だった。
もっと気の効いた言葉だって、もしかしたら言えたのかもしれないが。
しかしそんなシンプルでストレートな俺の言葉は、ステラの心の何かに触れたらしい。
それまで気丈に振舞っていたステラの目からは、気付くと大粒の涙がこぼれていた。




