銀髪の美少女に助けられる
状況は振り出しに戻ってしまった。
なんてことを考えていると、突然後ろから声をかけられる。
「おぬし、こんなところで何をしておる?」
口調とはアンバランスな、少女のように澄んだ声。
俺は声のした方に振り向いた。
そこにいたのは、純白でフードつきのローブを纏う、それこそ十二、三歳程度の身長の少女だった。樫の木を削りだして作ったような、少女の身長ほどの長さがある杖が特徴的。
しかし何よりも特徴的なのはその長い髪の、色だ。月明かりに照らされてか、どこか青みを帯びた綺麗な銀髪は、どこまでも幻想的に見える。
顔に目を向けると、すっと通った鼻筋に、形のよい唇とあごのラインは将来美人になることを保証していた。
そして吸い込まれそうなほどに大きな深紅の瞳が、真っ直ぐに俺を見ている。
そんな現実離れした美少女の問いかけに、俺は正直に答える。
「……分からない」
「分からない? ……まあよい。それよりこのあたりでアサルトウルフの咆哮が聞こえたと思うのじゃが、心当たりはないか?」
「アサルトウルフ……?」
聞きなれない単語だ。けれどウルフというからには狼の類だろう、それなら心当たりはある。
だからそう言おうと思ったが、先に口を開いたのは少女の方だった。
「アサルトウルフを知らんのか? ……おぬし、ギルド所属の冒険者ではないのか? そうとすれば何故このようなダンジョン化した森の奥におるのじゃ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな一度に質問されても答えられない」
ギルドに冒険者にダンジョン。ゲームや小説の中でしかまず見かけないファンタジーな単語のオンパレードだ。
「それもそうじゃな。……ではまず、おぬしは何者じゃ?」
「何者って言われても……俺は普通の学生だよ。気付いたらここにいて、右も左も分からないうちに妙な獣に襲われて、それを倒したと思ったら突然あんたが声をかけてきたんだ」
「倒した……?」
そう呟きながら、少女は俺の左腕辺りに目線を向けた。
「というかおぬし、それは痛くはないのか?」
「それ……?」
言われて、俺は自分の左腕を見る。そこにあるのは肉が食いちぎられて血まみれになった左腕。
どうして今まで気付かなかったのか。
ただ一つだけ分かるのは、気付いてしまった以上、これは滅茶苦茶痛いということだ。
「正直に言って死にそうなほど痛い。というか放っておくとこのまま死ぬまである」
「まあ普通に考えたらそうじゃろうな……という割には落ち着いておるが。……仕方ない、治してやるから少し大人しくしておれよ?」
「治すって、あんた医者か何かなのか?」
「医者ではないが……あんな不確かな連中よりは、よっぽど腕は確かじゃぞ?」
そういって少女は得意げに笑った。かと思うと、次の瞬間には両手に持ち替えた杖をバットのように振りぬく。
狙いは俺の左腕。当然ながら俺は後ろに跳んで避けた。
「こら、大人しくしておれと言ったじゃろ!」
「いや無茶言うなよ! 俺に止めを刺す気満々じゃねぇか!」
「確かに珍しい手法かもしれんが、これもちゃんとした治癒魔法じゃと言うのに」
治癒魔法? またファンタジーな単語だ。
まさかとは思う。けれどここまで来れば、俺にだって察しはつく。
もしかしたら、この世界は――。
「……まあよい。医者が怖い子供の気持ちというのは儂には分からぬが、そのようなものとして理解してやらねばのう。ということで杖はやめじゃ。うーむ……よし決めた。少し恥ずかしいかも知れんが、それくらいは我慢するのじゃぞ?」
そう言って優しい笑みを浮かべながら少女が近付いてくる。
いや、俺は別に医者が怖いとか、そういうわけじゃない。誰だって杖でぶん殴られそうになったら逃げる。あれは脊髄反射だ。
俺はそう反論したが、少女はその意見を瑣末なこととして、幼い子供に向けるような慈愛に満ちた笑顔で黙殺する。
いや、そんな目で俺を見ないでほしい。
だが俺のそんな気持ちを無視したまま、目の前までやってきた少女は俺に言った。
「ほれ、少しかがんでくれんかの?」
「ん、こうか?」
「うむ。ではいくぞ? ――『女神の口づけ』」
少女がそう呟くと同時に、俺の唇に彼女の唇が重なった。
その柔らかい感触に一瞬何が起こったのか分からなかったが、次の瞬間、俺の全身が燃えるように熱くなってそれどころじゃなくなる。
そうして集まった全身の熱が、徐々に左腕に集中していくような感覚。温かいとか、そんな生易しいものじゃない。腕が燃えている。焼けている。溶けている。これはそういった感覚だ。
そうして少女の唇がすっと離れていくと、俺は耐えきれず膝を折った。
「ぐっ、あ……っ!」
「今おぬしの体中から自然に治そうとする力を集めて一箇所の集中させておる。最も真っ当な治癒魔法じゃな。その分おぬしの体にも相応の負担が……ん? ……これは驚いた。まさかもう治るとは」
「はぁ……はぁ……何か、凄く疲れたんだけど……」
「まあそういう術じゃからな。というより常人なら治った後も二、三日は寝たきりになる程の大怪我なはずじゃったが……」
お前は本当に何者なんだ、という目で少女が見てくる。
けど残念ながらその答えは俺も知らない。
「何にせよ、助かったよ。ありがとう……えっと」
礼を言おうとしたが、俺は少女の名前を知らなかった。
「ん、儂の名前か? 儂は……そうじゃな、クリスとでも呼んでくれ」
「そうか。ありがとう、クリス。あんたのおかげで命拾いした」
「ふむ。……さて、それではその命の恩人である儂に、いくつか教えてほしいことがあるのじゃが、構わぬか?」
そう言ってクリスはにやりと笑う。
クリスの目的は分からないけど、俺から何か聞き出したい情報があるようだ。
もちろん俺としても、命の恩人の頼みを断るつもりはない。
何より彼女から得られる情報は俺にとって貴重だった。
「それは別に構わないけど、その前に……場所を変えないか?」
「……それもそうじゃな、とりあえず出口を目指すとしよう。それではおぬし、歩けるか? 無理そうなら背負ってやってもよいがの?」
「いや、大丈夫だって。一人で歩けるよ」
俺は反射的に断る。気だるさはまだあるが、それでも歩けないほどじゃない。
というかクリスみたいな小さい女の子に背負われるなんて恥ずかしいにもほどがある。
「それならば、行くとするか。……そういえばまだおぬしの名前を聞いておらんかったの?」
「ああそうだった。俺はシンだ」
そうして俺が名乗ると、クリスは満足そうに歩きだした。
俺にはまだ確信を持って言えることは何もない。けれど、俺の感じていることが仮に正しいのだとしたら。
――きっとここは、俺が今まで過ごしてきた世界ではないのだろう。