想定外の脅威
ダンジョンのボスのピラー化。それ自体は決して珍しいことではないのだとクリスは言う。
そもそもピラー化という現象自体は、魔物の強さに大きな影響を与えるものではない――。
――そのはずだった。
「シン、逃げろ!」
クリスが叫ぶ。
焦りを隠そうともしない、そんなクリスの声を聞くのは、もしかしたら初めてかも知れない。
キラーグリズリーのときは、あくまでも「気をつけろ」といった忠告の意味が強かったような気がする。
けれど今のクリスは、本気で焦っているのだろう。
目前に存在する、想定外の脅威。
クリスはそれに対し、氷の矢の魔法を放つ。
しかし、クリスの魔法はそれに届くことはなく、目前で障壁に阻まれて消滅する。
――ドラゴン。
魔物の中でも、間違いなく最上位に位置するであろう、それ。
今、俺たちの目の前に立ちはだかる敵だった。
「逃げろって言われても……逃がしてくれないだろ、あれ」
次の瞬間、ドラゴンが大きく首を振って、口から息を吐いた。その息が灼熱の炎となって、俺を含めた周囲を丸ごと焼き尽くそうと襲いかかる。逃げ場がなかった。
「炎撃――『フレイムストライク』」
俺は咄嗟に魔法を発動して、竜のブレスにぶつける。といっても俺の付け焼刃の魔法では簡単に押し負けてしまう。
けれど炎同士がぶつかったことで、一瞬だけ逃げるチャンスが生まれた。
俺は炎を回避しながら、クリスに声をかける。
「クリス、あれはどうやったら倒せるんだ?」
「無理を言うな! あれはフォレストドラゴン。さっきまで相手にしておった魔獣種の魔物とは根本から異なる幻想種、本物の化け物じゃぞ! 生半可な攻撃は、あの魔法障壁で全て弾かれてしまうのじゃ!」
「魔法障壁……」
さっきクリスの放った氷の矢が消滅した原因はそれか。
つまり、ある一定以下の威力の攻撃は無意味ということなのだろう。
「なあクリス、お前の全力の魔法ならあの障壁は貫通出来るか?」
「それは可能じゃが、ブレスの対処に手いっぱいで、術式を準備する時間がない」
言っているそばからドラゴンのブレスが俺に襲いかかる。文字通り呼吸するような感覚で殺しに来るのだからたまったものじゃない。
何とかドラゴンのブレスに対処しながら、俺は尋ねた。
「何秒いる?」
「……おぬし、本気で倒すつもりなのか?」
「……? そんなにおかしなことか?」
「常識的に考えれば、百人が百人逃げることを選ぶじゃろうな。もちろん逃げることに成功する確率はゼロに等しいが、それでも戦おうとする者はおるまい」
「常識、か」
確かに、あのフォレストドラゴンとかいう魔物は見るからに別格だ。だからその判断はきっと正しい。
けれどそれは、あくまでこの世界の常識での話だ。
異世界から来た渡り人は、そうしたこの世界の常識に縛られない存在なのだと、クリスは言った。
――それならきっと、出来るはずだ。
「俺の世界の常識では、ドラゴンというのは空想の存在だけど……強さ、恐怖、あるいは悪の象徴ということになっていたんだ」
「それはこの世界でも大体同じじゃな」
「けど、それでも俺の世界には、ドラゴン退治の物語というのが数えきれないほど存在する」
俺は正面に目を向ける。そこには強さ、恐怖、悪。それらを象徴するように、圧倒的な暴力がそのまま形を取った化け物が鎮座している。
ただ息を吹きかければ人間なんて簡単に焼き尽くしてしまう。それだけの絶対的な差がここには存在していた。
俺はそれを理解している。理解した上で、それでも思う。
「俺にとってドラゴンというのは、必ず倒される存在なんだよ。……もちろん、俺一人じゃ無理だろうし、それはクリスだって同じだろうけど……それでも、俺たちならやれる」
「……全く、何の根拠にもなっておらんじゃろうが」
確かに俺の言葉には何の根拠もない。
そもそも俺はそこまで自分の力を信じてはいなかった。むしろ逆で、自分の力を疑っていたくらいだ。
最初、アサルトウルフに腕を食いちぎられて死にかけた時、俺は自分を弱い存在だと思っていた。簡単に死んでしまう、そんな存在だと。
けれどそれを認めたくないから、俺は騒がなかった。「死にたくない」と騒いだら、自分が今まさに死にそうだと認めてしまうような気がして。
クリスはそんな俺を見て変だと言ったが、あれは別に何でもない、ただの強がりだった。簡単に言ってしまえば、俺は負けず嫌いなのだ。
だからこそ、クリスが俺の力を頼ってくれたときは、本当に嬉しかった。次は勝てると、そう言ってもらったような気がした。
クリスにそんなつもりはなかったのだろうけど、だからこそ俺はクリスの期待に応えたかった。
――俺を信じたお前は間違っていなかったと、いつかそう言ってやろうと思った。
きっとそんなことに意味なんてない。けれど意味がないからこそ、俺はやらなければならないと強く思った。
意味も理由も根拠も、今の俺には何もない。
そんな俺だけど、それでもきっとクリスは信じてくれるだろう。
「いいから信じろよ。異世界に渡ってきていきなり死にかけるような俺を、さ」
俺は笑って、そう言った。




