彷彿
フラッシュバックは海底の泡のように自然に浮上するものである。
停まっていた数台の車は一台も残っていない。
人間も日が暮れれば自然と帰路につくようにできている。
たった30分の違いでも夕陽が差せば世界は一変する。
染まった空は塗り重ねた絵具のように滑らかだった。
この公園はダムを取り巻く歩道の拠点となっていた。
新緑の山々に囲まれた溜め池を僕は一望した。
街から30分しか離れていないのに、切り離されたような感覚に陥った。
アスファルトから漂う夏の匂いに引かれて過去が掘り起こされる。
「・・・。」
僕はたまらず柵を力いっぱい踵で蹴った。
杭は靡いて微細な振動をみせた。
過去が感情を引き連れて、ありありと姿を現し始める。
静寂に包まれていたはずのダムの水面が同心円状に波を打ち始める。
ほんの小さな震源から生まれた波は離れながら高さを増していった。
波動が足元に届く頃には地震のように僕を揺らした。
僕の青白い細い脚は小刻みに震えていた。
今は令和なんだと何度も自分に言い聞かせる。
蝉の鳴き声が鼓膜から蝸牛を抜けて脳内に響き渡る。
脳から足先まで細胞に何かが轟いている。
「・・・。」
「だいじょうぶだよ。」
誰かが僕の細い身体を抱きしめた。
「・・・。」
温かい抱擁は僕の皮膚に汗が浮かんでいることを感じさせた。
「もう、大丈夫。」
その声は鳴いてもいない蝉の慟哭を僕の神経から取り除いた。
首に繋がれていた鉄球が外れたように頭がすっと軽くなる。
僕はゆっくりと顔を上げて、彼女の茶色い瞳をじっと見つめた。
瞳孔の中心に向かう無数の黒い線が見えた。
水面は嘘のように静けさを取り戻していた。
一匹の魚が悪気もなく跳ねた。
ちゃぽんと短い捻髪音が耳に届いた。
「どうかあなたからあなたを奪わないで。」
彼女は僕の唇にキスをした。
渇いた僕の唇は生気を取り戻す。
藻掻いて重ねたリップクリームは捨てた。
僕は、僕を守る君を、守りたいと強く思った。




