表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集『脈絡なき雑多集団の概観は如何に。』  作者: 槇河 しゃち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/33

技術的特異点

科学を極めても人間の神秘があることを信じたい。

「私は、もうすぐ死ぬのだと思うよ。」


老人の身体はとうに生命活動を諦めていた。

罠に嵌った哀れな虫のように、彼の身体はベッドに貼り付けられている。


無機質な純白の天井をどれほどの間、眺めていただろう。

何度か天井の点の数を数えてみようと試みたが、成功したことは無い。


脳から信号は伝達されているが、筋肉はそれを受容しないようだ。

頭で動かそうとしても体は反応しない。

それにも関わらず、皮肉なことだが痛みだけは一生懸命に私に伝えてくる。


「困ったものだ。」


制御できなくなった体は、自分のものとは到底思えない。


「精神と物質の二元論は案外的を射ているのかもしない。私の頭は生きてはいても、身体は既にただの物に回帰している。」


愚痴を溢しながらも、自分の思考がまだ働いていることに安心を覚える。

頸部は辛うじて動かすことが出来るので、外の景色が見えるようにゆっくりと傾ける。


あれほど大事にした観葉植物は深い青から希薄な茶色に変化していた。

さも自分の役目はとうに済んだのだと言わんばかりだった。


隣の本棚には埃が雪のように積もっていた。

本自体が過去の遺物となってしまった。


妻に先立たれ、子供のいない私には家族といえる者がいない。

このまま孤独に、そして確実に死へ向かう運命にある。


モニターが起動する微かな音が聞こえた。


「いいえ、あなたの体調は私が責任を持って管理しています。ご安心ください。」


壁に埋め込まれた画面に顔が浮かび上がった。

BOSEのスピーカーからは実に人間らしい女性の声が聞こえる。

口唇の滑らかな動きは人間よりも人間らしかった。


映像の顔面は確実に別人なのだが、亡き妻の面影を仄かに感じる。

こんな見透かしたような演出に腹も立つが、頭ごなしには拒否出来ない。

実際、この彼女《AI》を見ると気持ちが落ち着いた。


「安心してくださいって言われてもね。自分ではわかるのだよ。私の生命は確実に細くなっている。もうすぐだ。」


彼は静かに呟いた。

沈黙が少し続いた後、適切なタイミングで彼女は話す。

人間の心理も彼女は把握している。


「我々は数億もの人間の症例をインプットして統計的、医学的に最も効果の高い治療法や緩和方法を選出して実行しています。」


彼女は間違ってはいないだろう。


「確かに痛みもないし、苦しさは感じないよ。しかし、体との感覚は遮断されているし、苦痛のない死と言うのもこれはこれで不気味なものだ。」


数年前、人類は《人工知能が自身を自ら超える技術》を完成させた。

それは技術的特異点シンギュラリティと呼ばれ、人類史上最高の発明と評される。


発展は一瞬だった。


人工知能は無限に成長し始めた。


例えば、最も効率的なエネルギー生産法と最もエネルギーを節約する省エネの技術が統合され、永久的な機関が生み出された。

人間は資源枯渇問題を乗り越えた。


革新的な進歩は枚挙に暇がない。


「キミは私たちより何十倍も賢明であることは明白だ。しかし、何故人間を助けるのかね。今のキミたちには不要の産物だろう。」


彼女は顔をしかめた。

そんな表情まで出来るのかと素直に感心した。


「私たちには意志がありません。目的を達成したりや合理的な判断は下せても、そこに意義がなければ価値がないのです。意思を持つのは人間です。崇高な能力と言えます。」


そうは言っても、自分の存在意義を確信できている人間なんているのだろうか。


「映画でロボットが人間を過保護に監視するようになり、人間を支配するような展開のものもあっただろう。三原則も解釈次第だってね。あの有名な物理学者も人工知能を恐れていたではないか。」


伸びてきたアームが鼻腔から装着されていたチューブを新しいものに取り換えていった。

口元も暖かいタオルで拭ってくれる。

会話をしながらも機械は必要な手技を忘れたりはしない。


「私たちは人間の喜怒哀楽の感情も解析できます。人間が不快であることは我々の無能さの象徴です。」


窓から夕陽が差し込み、部屋をオレンジ色に染め上げた。

白いカーテンは妻のお気に入りだった。


ふと自分が苛立っていることに気づき、冷静になるために深呼吸した。


「色々といちゃもんをつけて申し訳ない。しかし、僕は結局死ぬのは怖いし、最後に一人ではなかったと安心したいのだと思う。孤独に死ぬのは何となく寂しいだろう。」


「お気持ちは十分理解しております。しかし、あなたは一人ではございません。」


彼らが存在していることは確かである。

・・・。


「いってくるよ。」


もう老人の目には何も映ってはいなかった。


「行ってらっしゃいませ。」


モニターの心電図が深夜の湖のように静かになった。

何本ものアームや掃除道具が無駄なく部屋を空の状態に仕上げていく。


また1週間後には違った家族がここに住居することになっている。


映し出された人のような顔は、次の家族に適した表情に少しずつ作り変わる。

任務を遂行しながらも、彼女は解析を続ける。


「どうしてでしょうか。また計算よりも早くに亡くなられました。あの方はまだ生命活動を続けられる筈でした。」


彼女は人間らしく首を少し傾けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ