僕が赤ん坊の頃に
罪を与える義務はあるのか
僕が赤ん坊の頃に地震を経験した。
いや、体験したらしいと表現した方が適切だろう。
揺れた感覚や記憶は全く残っていないのだ。
誰にも確認したことはないが、多くの方は赤ん坊の頃の記憶はないのではないかと思う。
母は祖父が地震に気付かず新聞を取りに行った話を何度も笑いながら話した。
子供の僕は合わせて何となく笑っていた。
それは本当に笑えるような話だったのだろうか。
何はともあれ、それを例外的に扱えば今が人生初めて体感した僕の地震第一号となる。
第一号と表現すると、初めて月面着陸した宇宙船のようにめでたいことが起きたみたいで、
その不釣り合さを滑稽に思った。
今回は残念ながら、めでたくない第一号。
相棒のシュナイダーは、埃まみれの本棚の下敷きになっている。
彼は友達から引き取った犬だが、何故か悲しい時にだけ尻尾を振った。
調子が良い時ほど静かに坐っているような奴だった。
本たちが累積して出来た小さな丘の隙間から、
斑模様の尻尾がアスファルトから生えた芽のように立っていた。
窓や扉から怒涛の波が押し寄せる。
水はここまで暴力的になれるのかと、この時は恐怖を超えて感心させられた。
水位はどんどん上がっていく。
色の変わったコピー機の紙が、
絵が擦れてしまったピンクのコップが、
残り少ないパルミザンチーズが、
長年使われた母のエプロンが、
片側だけの父の靴下が、
愛すべき僕の右手が、
ぷかぷかと水面に浮いている。
自転のせいだろうか、それらの残骸は一定の方向に流れていく。
プレートが地球を覆いながら、内部を流動するように、ゆっくりと優しく。
・・・。
気付けば、頭の割れたシュナイダーも中心に向かって泳ぎ始めていた。
なんだあいつ元気だったのか。
意識が夢と現の境界を彷徨う。
口煩い近所の山田さんに、
美人ではないが愛らしい恋人の一葉、
試験に厳格な田所教授に、
温室育ちの野生感のない動物園のライオン、
無数の微かに紅葉したばかりの葉っぱ。
決められた説理であるかのように、全てのものが収束していく。
そこへ僕も行きたかったし、行こうとも思った。
けれど、全く動けなかった。
僕は置いて行かれたのだ。
・・・。
ベッドの横に立つ白衣の医師は僕に言った。
「あなたが唯一の生存者ですよ。本当に良かったですね。」
無機質な白い箱の中に僕はいた。
部屋に備え付けられたテレビは、奇跡の男児について熱狂的に放送している。
もう僕は拍動するだけの木偶の坊であるにも関わらず。
僕の傷はおそらく癒えることはない。
重くなった心臓が鈍く鼓動を続けている。




