見知った懐古、知らぬ現実
「間宮」
僕を呼ぶのは誰だ?
「間宮くん」
あれは、中学のときに付き合っていた女だ。名前は、なんて言ったっけ?
「まーみやっ」
あいつは、高校のときに付き合っていた女だ。僕を呼ぶ呼び方が特徴的で…
「涼河先輩」
あれは、高校の卒業式のときに告ってきた女だ。あのとき初めて、三股までいったんだっけ。
「涼河」
あぁ、こいつは。俺が、初めて、結婚を意識した女だ。
***
「りょーがっ」
脳に直接音声が流れ込み、その違和感にハッと意識が覚醒する。
「あ…?」
一瞬状況が飲み込めず、しかしすぐに思い出し、非現実的な現実に辟易とした思いを抱かずにはいられず、思わず枕に顔を埋める。
「ていうか悪夢すぎんだろ、夢も、これも」
寝ぼけた頭でぼやくと、先程俺を起こした声が、また脳を刺激する。
「涼河、いつまで寝てんの。ほら、起きて起きて」
約半年前の冬の日、俺は目の前で死んだ元カノの幽霊に取り憑かれる、という妄想に取り憑かれた。
妄想なのは、取り憑かれたという部分だけだ。アイツはー有村巴は、神社の石段から転落して、間違いなく俺の目の前で死んだ。妄想に翻弄され始めたのは、その直後からだ。
巴は、あれから半年間、ずっと俺のそばに憑いてまわっている。いくら消えろと言っても念じてみても消えず、俺はこんなにこいつを好きだったかと首を傾げるほどだった。そのうち、そうか気にしすぎるから逆に意識してしまうのかもしれないと思い至り考えないようにしてみるものの、巴はうるさいくらいに俺に話しかけてきて、作戦は失敗に終わった。
思えば、巴は生きているときからこういうやつだった。喋るのが好きで、なんでもかんでも俺に報告してくる。俺はそうして巴を監視している気になり、その優位性に満足していたのだが、そのうち巴が俺の話を聞きたがるようになるにつれて逆に束縛感と煩わしさを感じ、別れたのだった。
そのことを俺はすっかり忘れていたのだが、取り憑いた巴がふとしたときに懐かしむようにこういった思い出話をするので、「そんなこともあったなぁ」「あぁ、だから別れたんだっけ」と少しずつ思い出していった。
巴は今、俺から離れることはない。だから、報告魔の報告は、ほとんどが過去への邂逅、思い出話だった。
あのときはこうだったね、あぁだったね、と楽しそうに嬉しそうに懐かしむ巴を見ていると、気が付けば俺は、また巴が好きだと思うようになっていた。
思えば、過去に嫌煙していた「俺の話を聞きたがる」という行為を今のこいつはしない。嫌いになった原因が消失しているのだ、なるべくしてまた同じ気持ちを抱くようになったのかもしれない。
だからこそ、現実は悪夢だった。好きな女に触れられない。好きな女を抱けない。なんでかって、それは俺の妄想の産物だから。そんな精神状態の自分がここに存在してしまう、そのことが悪夢だった。
「…なぁ、今日本当に出掛けんの?」
歯を磨く俺の後ろにいる巴に、巴が映らない鏡越しに問いかける。
外は小降りの雨が降っていて、出掛けるのは少し億劫に思えて、巴に打診してみるのだが。
「出掛けるの。涼河が動かないと私も移動出来ないんだから」
どうやら俺の作り出した幻想は、死んで半年も経った今更、自分がかつて住んでいた家に帰りたくなったらしい。勿論家の中に入るなど出来やしないのだが、それでもいいから、外から見るだけでいいからと数日前からねだられて、俺はそれに渋々ながら了承した。自分の妄想の産物なのだから放置すればいいのだが、放置すれば延々文句を垂れ流すので、そう簡単にはいかないのだ。願いはさっさと叶えてしまうに限る。そうすれば、巴は笑顔になり、俺も苛立たなくて済む。円満解決だ。
俺は支度を整え紺色の傘を手にして、電車で5駅離れた巴の実家へと向かった。
「…あ」
巴の実家に着くと、家の前に人の姿があった。その姿には見覚えがあった。
「ばあちゃん…」
隣の巴が声を漏らす。その声で、俺はその人が誰なのかを思い出した。
その人は、巴の母方のお婆さんで、俺が巴を送り迎えした際に何度か顔を合わせたことがあったのだった。
巴のお婆さんは俺の視線に気が付いたのかこちらを向き、俺を認識するや否や、鬼のような形相になって睨みつけた。
「あんた…何しに来たんだ」
その反応に、俺は戸惑いを隠せない。こんな人、だったか?
「うちの子を…孫をあんな目に遭わせておいてノコノコと!何しに来た!帰れ!!」
俺はその迫力に押されて、何も言えなかった。何も言えず後退りし、その場を後にするしかなかった。
隣にいる巴は、ずっとお婆さんを見つめていた。無表情で、ずっと見つめていた。




