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93、「敗北は必至」〈バンザッタ防衛戦1〉

 息が詰まりそうなほどの緊迫感が漂っていた。

 バンザッタ城、会議室――かつてヤクバたちと「借金を解消するにはどうしたらいいのか」などと頭の悪い会議をしていた部屋と同じ部屋とは到底思えない。

 上座には領主であるカクロが、向かって左にはアシュタヤが腰を下ろしている。カクロの右には三人の男が並んでいた。四、五十代ほどと思われる男が三人、彼らの襟元には上級将校に当たる地位を示す階級章がつけられており、この会議の重要性を物語っている。


 その中に僕が席を連ねているのは将校たちの指示が理由だった。

 かつてバンザッタの「拒否の堀」を飛び越え、今夏ラ・ウォルホルで「太陽」を退けたという僕の話はエニツィア軍上層部で問題とされているらしい。防衛の要とされていた二つの魔法を破った人間を将校たちが放っておくわけがなかった。

 室内で顔を突き合わせているのは僕を含め九人、備え付けられている十脚の椅子はほぼすべて埋まる形となっている。


 会議は、若く背の高い男の報告から始まった。

 彼は理路整然とした口調で状況を説明していく。昨日の昼、エニツィアとペルドールを隔てる山脈の向こうにある街で武装した軍隊が確認されたという。数はおよそ四千、軍事国家としては少ない数字ではあるが、「継承戦争」下では珍しくはないそうだ。兄弟の分だけ軍を分割するため、一人一人に割り当てられる数は減る。

 それから、男は相手の指揮官の名前を告げた。当然、僕の知らない名前ではあったが、他の人間にとっては異なったようだ、にわかに室内がざわついた。

 僕はアシュタヤの表情を盗み見る。彼女はそれに気がつき、解説するかのように、ぽつりと呟いた。


「『虎』、ですか」

「ええ」と若い男が頷く。「継承権争いをしている者の中でももっとも虚栄心が強いと評判の男です。わざわざ独自の旗を掲げてくれていたおかげで特定は容易でした。もしくはそれすらも……かの国にとってはエニツィアは『外れくじ』とも言えますが、『虎』のことです、あえてそのくじを掴んだ可能性もありますね」


 それを聞いた軍人たちがめいめいばらばらに口を開く。


「荒事に関してはペルドールでも一二を争う男か」「それしては人数が少ないな」「人望がないのだろう」

「それで」と言ったのはカクロだ。彼は肘掛けに頬杖をついたまま、細めた目を若い男に向けている。バンザッタの領主代理に就任するだけあって軍事的な知識は豊富に違いない、彼の表情には猛禽類を思わせる鋭さがあった。「こちらへ到達するのは三日後の昼過ぎあたり、でいいのかな?」

「はい、その通りです。現在敵軍が駐屯している街から交戦予定地域へと来るまであと二日はかかります。おそらく移動後に一度、休息を取るでしょう」


「ふうん」とカクロは意味ありげに唸り、アシュタヤに視線を送った。それを合図に将校たちの目も彼女へと集まる。お手並み拝見、と声に出す者がいてもおかしくはない雰囲気があり、アシュタヤもそれを承知していたのか、小さく頷き、口を開いた。

 ――指揮官補佐。今回の戦争において、アシュタヤはその立場に置かれており、その立場に相応しい声色だった。


「交戦予定地域の防護壁やそれに類する魔法陣の設置、その確認をさせていただけませんか」

 答えたのは説明役の後ろに控えていた男だ。「まず土の防壁ですが、通例通り『鳥の翼』を三重にしてあります」


「鳥の翼」とは中心に穴の空いたVの字を示す用語である。敵の攻撃を妨ぐというよりも進行方向を限定させるためのもので、高さは二メートル程度で抑えた、と男は語った。


「それと、事前の指示通り、口の部分には接触感知式の水壁魔法陣を仕掛けました」

「分かりました、ありがとうございます。では加えてもう一つ、お願いがあります。……油の樽を可能なだけ準備していただけますか?」

「……油? 何に使われるんですか?」

「『虎』の主戦力は魔装兵、つまり、歩兵や騎兵です。壁の向こうや口の部分に撒けば相手の進行速度が下がります。こちらの火炎魔法も威力を増すでしょう」

「馬鹿な!」


 机を叩き、立ち上がったのは三人の将校、その中央にいた男だった。


「ラニア嬢、あなたはこの戦いのために自然を穢す気か! ただでさえ土の防壁を作ったことで自然を荒らしているのだぞ!」


 この国は自然崇拝が根強い。その熱心さは人によってまちまちだが、中には土の魔法を使って壁を作り出すことさえも忌避する人間もいた。

 自然を穢せば、その怒りが人間へと向く。

 僕が神を信じているのと同じように、彼も心の底から自然への信仰を抱いているようだった。

 だが、アシュタヤは動じない。花の街、ハルイスカで生まれた人間らしくない判断を、ハルイスカで育ったとは思えない冷たさで口にした。


「……お言葉ですが、ここは何の街でしょう」

「な」その将校は口ごもる。「何を」

「この街はバンザッタ、ペルドールの侵攻を食い止めるために造られた街です。今、エニツィアはラ・ウォルホルや内乱で一ヶ所に兵を集中できる状況にありません。その状況下で自然の怒りを恐れてやるべきことをやらないのは……」


 アシュタヤはそこで一度言葉を句切った。相手の怒りを和らげるために、だろうか、彼女は「どうなんでしょう?」と語尾を柔らかくして、首を傾げた。一歩間違えれば愚弄と取られてもおかしくない態度だったが、怒りを露わにしていた将校はその仕草に気勢を削がれたようでもある。唇を歪めながらも椅子に腰を落とした。

 アシュタヤは頭を下げ、申し訳なさそうに続ける。


「もちろん、兵の中にも自然を汚すことに躊躇いを持つ者もいるでしょう。なのでこの案はあくまで秘密裏に行います。設置箇所も第一と第二の口だけに留めましょう。ですが、バンザッタが分水嶺であることは変わりません。ペルドールにエニツィアの自然を踏み荒らされぬためにこの地を穢すことを耐えていただきたいと考えています」

「……『鳥の翼』を迂回される可能性は?」

「『鳥の翼』があるのは国境付近です。山脈があり、東から回られることはありません。迂回するなら西から大回りになりますが、その場合は敵軍の横腹を突かせていただきましょう。……五日ほど前にメイトリンから駐屯軍が出発したそうですね?」

「ああ」とカクロが頷いた。「海側の防備は彼らの担当だ」

「メイトリン駐屯軍は『壁』の造成に関してはエニツィアでも随一です。バンザッタより数は少ないですが、私たちの到着までは容易に持ちこたえられます」

「相手は『虎』だ。正面から来るのでは」「しかし、相手にとっては不利な状況にある。何か作戦があるかもしれない」


 会議に参加している面々は可能性について議論を重ねる。僕はその姿にむしろ安心した。ラ・ウォルホルのように一人の向こう見ずな意見が幅を利かせるよりずっといい。好条件で戦を迎えるには臆病と蛮勇の中庸でなくてはならない。

 アシュタヤの語った作戦は出席者たちの意見によってどんどん洗練されていった。一兵卒の僕にはその作戦の評価などできなかったけれど、アシュタヤの表情だけでより合理的なものになっていくのだけは理解できた。


「では集めた傭兵は遊撃部隊ですな」と顔面に傷のある、蛮勇を担当していた将校が意見をまとめた。「交戦予定地域ではメイトリン駐屯軍が到着次第横から溢れてくる敵の迎撃、迂回された場合は我々が敵の後方部隊への牽制、ということでよろしいか」


 その言葉に反対する者はいない。アシュタヤは心配そうな視線を僕に向けていたけれど、僕は目だけで「大丈夫だ」と答えた。

 場には終了の雰囲気が漂い始めている。結局発言の機会などなかったな、と考えていたとき、将校たちの中で右端に座っていた一人、臆病を担当していた男が僕を一瞥した。


「……あー、レプリカ。二つ、聞きたいことがあるんだが……」

 周囲の注目が僕へと集まる。「なんでしょうか」

「一つは、お前はラ・ウォルホルで聞いた噂のように働けるのか?」


 下士官がいるからか、奥歯にものが挟まったかのような物言いだった。

 僕は彼らにとって爆弾のようなものだ。軍人として手の中にあるならば安心もできるだろうが、傭兵という立場であるかぎりいつその矛先がエニツィアへ向くか判然としない。不安になるのは道理とも言える。


「そうですね」僕は落ち着いた声色を心がける。「エニツィアを裏切ることはありませんからそこは断言させてもらいます。それからラ・ウォルホルのときのように単騎で敵軍に突撃しろ、と命じられると困りますね。必要ならそうしますが、あのときも一歩間違えれば死んでいましたから」


 その返答に含まれている意味を、臆病将校は聞き逃さなかった。

「太陽」を逸らしたのも「拒否の堀」を越えたのも偶然の出来事ではなく、僕の意志で行った、また、行える再現性のあるものだと理解できたのだろう。彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をして小さく唸った。

 僕はできる限り表情を変えず、訊ねる。


「それで、もう一つはなんでしょう?」

「あ、ああ……もう一つは、お前と同じような力を持つ人間が敵にいる可能性はあるか? ということなんだが」


 彼の左に座っていた将校たちが失笑を漏らす。

 確かに一介の傭兵に聞くべき事柄ではなかった。僕が敵の戦力を把握しているわけがない。臆病将校は羞恥をごまかすために視線をあちこちへと彷徨かせる。

 だが、僕にも断言できることはあった。


「それが僕に匹敵する、あるいは僕以上の戦力を持つ魔術師がいるかどうか、という質問でしたら答えられませんが、僕と同じ種類の力の持ち主がいるか否か、という話なら答えられます。……あり得ません」


 超能力はあくまで科学的産物だ。

 科学という系譜の中で実験が繰り返されて実用化された力――その根底にあるのは重厚な科学的合理性である。もちろん、僕やアシュタヤのように超能力を持って生まれる人間もいるが、「力を持っている」のと「力を有効に扱える」のはまったく別の事柄だ。特に物理的な影響を与えるサイキックは魔法と混同され、成長しない可能性の方が高い。

 戦いに相応しい超能力を生まれつき持っていて、その力を伸ばせる環境にあり、必要な化学物質を身体に取り入れる――そのような偶然が重なる奇跡はほぼないし、だいいち、そんな人間がいたとしたら噂になっていない方がおかしい。


 あまりに強く断言したためか、臆病将校はかえって不安そうな顔をしたが、周囲に諫められたため何かを言うこともなかった。

 そのまま話は大きな波もなく進み、会議は終了を迎えた。蛮勇将校がカクロに閉会の言葉を促す。しかし、カクロは頷きもせず、その視線にも付き合わない。室内の片隅に置かれた水時計をちらりと見て、「そろそろか」と小さく呟いた。


「そろそろ、って何がです?」蛮勇将校が訝る。

「ああ、一人客を招いていてね」カクロは姿勢を正してアシュタヤに目を向けた。「では、アシュタヤ、答え合わせと行こうか」


 アシュタヤが唾を飲み込むのとほとんど同時にノックの音が響いた。緩慢な、粘り気のある音だった。


「遅れて申し訳ありません」とギルデンスが入ってくる。


     〇


 全身に熱が満ちた。思考が沸騰するかのように思えた。視界が弾けたような気さえした。

 手袋から〈腕〉を抜き取ろうと左手を伸ばす。しかし、その直前、アシュタヤの手の感触が攻撃を妨げた。僕は唇を噛みしめ、小さく、息を吐き出す。


「……ギルデンス」


 ――相対したのはいつ以来だろう。メイトリンでジオールとフーラァタの戦いに割り込んできたときが最後だったはずだ。公認盗賊の森では一瞬しか彼の姿を視認することができなかった。

 傭兵として国中を巡っている間も僕は彼を探し続けていた。いや、むしろそのために傭兵として活動していたと言っても過言ではない。

 僕自身が彼によって不都合を被ったことはないに等しい。


 だが、僕の全身から、すべての細胞から発せられる憎しみは抑えが効かなかった。

 それはあの日、アシュタヤに殺人を犯させた罪悪感が根本なのかもしれない。あるいは、フェンの祖国が滅亡した事実を聞かされていたからかもしれない。もちろん、レカルタへと向かっていたときに立ち寄った村、ボーカンチ解放軍、その他の様々な場所、あらゆる人間を不幸にしたという「伝聞の憎悪」もあるだろう。

 傭兵として生きている中、彼を羨ましくも思った。自身の欲望を何よりも優先し、他人などそのための道具のように振る舞う彼の姿は僕ができなかった生き方だからだ。しかし、その考えを抱いた瞬間、吐き気を催すほどの自己嫌悪に襲われた。


 もはや精神的なものではない。僕の肉体が彼の存在を受け入れていないのだ。

 初めて彼を目の当たりにしたときに感じた恐怖や憤怒がない交ぜになって、あらゆる否定へと繋がっている。

 だから、今、攻撃しなかったのはもはやアシュタヤの意志のみだった。僕はアシュタヤの手が置かれた左手と、黒い手袋に包まれた〈腕〉と、両方の拳を握り、ありったけの敵意をギルデンスへと送る。彼は嬉しそうにそれを享受した後、手にしていた紙の束を円卓へと投げ置いた。


「初陣……としては良くできてらっしゃいます、アシュタヤさま」その慇懃な声だけでも勘に障る。「ですが、これでは今回は失敗するでしょう」

「……どういうことか、説明してくれるかな」

「ええ、カクロ卿。……後出しになってしまいますが、それはご容赦を」


 ギルデンスは恭しく礼をし、被っていたフードを取り去る。刻まれた魔法陣が露わになり、下士官たちが小さな呻き声を上げた。


「さて、まず申し上げなければならないことが一つ、皆さんは『虎』を中途半端にしか理解していない、ということです。今までの戦果、流れてくる噂、そういったことから表面上の『猪突猛進』『蛮勇の権化』、そういった想像を膨らませている。もはや盲信に近いものがあると言わざるを得ません」

「ではギルデンスくん」カクロの顔つきは軍人と見紛うほどに峻険なものとなっている。「『虎』は一体どういう男なのかな?」

「『虎』はひどく嗜虐的な人間でしてね……彼が優秀な歩兵や騎兵を揃えていたのは魔法の力が優れていると考える人間を、魔法を使わずに――その驕りを嘲笑うかのように殺すことに快感を覚えていたのです。そんな性格ですから、アシュタヤさまの用意した決戦地へと来るのは確かに間違いありません」

「なら、なぜ失敗すると?」


 口を開けば、おぞましい呪いの言葉が出てきそうで僕は奥歯を噛みしめる。他の人間は彼が醸し出す歪な雰囲気に呑まれて言葉を失っていた。応対しているカクロと、ギルデンスをじっと睨むアシュタヤだけが、彼の狂気を押し返している。


「近年、魔法を使った戦術は変わっていきました。数から質、そして阻害魔法。『虎』の嗜好にも変化が生じたのです。……『阻害魔法さえあれば安心だ』、そう安心している人間をじわじわと、ゆっくりと縊るように殺すのこそが楽しいのだと」

「つまり」アシュタヤが静かに訊ねる。「相手の主力は歩兵ではない、と?」

「ご名答。いずれ彼が北進してくれば斥候がこう報告するでしょう。『敵軍の大部分は魔術師である』、その報告を聞いたエニツィア軍は転移魔法を用いて阻害魔法の術士を揃えようとする。だが、それすらも『虎』の手の中だ……いやはや成長したのか、それとも誰かが入れ知恵でもしたのか」


 頭の血管が切れそうになった。

 入れ知恵だと?

 人望がないと評される粗野な男に、しかも、跡目争いをしている中、誰がそんなことをするというのだ。

 根拠のない憶測が〈腕〉に意志を送る。座ったままでも僕は人を殺せる。

 アシュタヤに勘づかれないよう、そっと長手袋の先端を摘まむ。引き抜き、刃と変えて首に突き出すだけだ。


 一瞬、息を止め、実行に移そうとした瞬間、動けなくなった。

 ギルデンスの炯々たる眼差しが僕を射竦めている。饒舌に「虎」の手の内を話していたときには微塵もなかった攻撃性が表出していた。

 唾を飲み込む。

 じわじわと皮膚から浸透してくる恐怖で背筋に粘つくような汗が浮かんだ。


「さて」とギルデンスは僕から目を離し、続ける。「そろそろ結論といきましょうか」


 チャンスだ。それなのに、僕の筋肉は硬直している。〈腕〉も凍りついてしまったかのようだった。


「『虎』は長距離の魔法を得手としている魔術師を揃えています。ご存じの通り、ペルドールの攻撃に関する魔法の研究は我が国より進んでいる。射程はおおよそ五百エクタ」


 三百五十メートル。その数字に不自然な静寂が落ちていた室内がざわついた。


「もちろん一人だけならさほど脅威ではありませんが、しかし、それが十、百、千となったらどうでしょう。我が国に五百エクタの距離まで掌握できる阻害術士がいるでしょうか? 土の壁は相手の姿を隠し、我々の進行すらも妨げる。歩兵や騎兵への対策ばかりしてきた我々の――」


 敗北は必至です。

 確固たる発音でされたその予測に再び静寂が、より重苦しい雰囲気を纏って僕たちの上にのしかかってきた。

 ならどうすれば――。

 誰かがそう訊ねた。僕すらもギルデンスの雰囲気に呑まれていて、その出所がどこか分からない。

 ギルデンスは口角を歪め、参加者の顔を順番に眺める。その視線は僕の前で止まった。


「ただ、恐れることはありません。こちらには『化け物』がいるではないですか」


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