78、「ヨムギは?」
ディータに出会ったのは要塞から出ようとしていたときだった。彼女は僕が訪れていたことを聞き及んでいたのか、視線がぶつかるなり、「遅いよー」と頬を膨らませた。後ろに控えているのは護衛だろうか、しかめっ面の兵士が二人、立っている。
「遅いと言われても」
「行くんでしょ、バンザッタ」
「うん、そのつもりだ。……きみが送ってくれるみたいだね」
「送る、っていうか、連れて行くって感じ」
僕は転移魔法の知識など持ち合わせていない。どのような過程を経て移動するのか、少し楽しみでもあった。前の世界では実現していなかったテレポーテーション。あの実験から三年近く経った今、僕はようやく瞬間移動の経験者となる。
「今すぐ出発するの?」
「まさか」とディータは首を振る。「ハルイスカまで行って、そこにいる傭兵の人たちを連れて行くの。ハルイスカの北に転移用の施設があってね……あ、ねえ、レプリカは一人だけ? ヨムギは? 私情を挟んだらホントはだめなんだけど、ヨムギは別」
「ああ、そのことなんだけど」
ヨムギが僕に着いてくるか、まだ決まっていない。一度、頭領たちの元を訪れ、確かめる必要がある。
それを伝えると、ディータは面倒そうに仰け反った後で、すぐに破顔した。
「ヨムギ、来るといいなあ。後ろの人たち、いっつも顔怖いし」
僕は護衛たちを一瞥する。彼らはその「怖い顔」をじっと僕へと向けていて、警戒が露わになっていた。これはもしや、と思い、訊ねてみる。
「ねえ、ディータ。……もしかして、僕、敬語使わなきゃだめだったりする?」
「ちょっと、やだ! 敬語なんてやめてよ。わたし、元は平民なんだから」
「ああ、そうなんだ」
「周りにぺこぺこされるの最初は気持ちよかったけど、もうなんか面倒なのよね」
「……らしいです」
僕は睨んでくる護衛に笑いかけたが、彼らの表情には特に変化がなかった。要人の護衛としては人数が少ないし、手を焼かされているのだろうか。彼らは僕から視線を外し、ディータへ向けて岩の転がるような低い声で進言した。
「ディアルタさま、そろそろ向かいましょう」
「はいはい」
「ハルイスカまでは転移魔法で行くの?」
「ううん、そんなのに使ってたら魔力が足りなくなっちゃうから馬車を用意してあるよ」
「じゃあ、一旦、城門の外で待っていてくれるかな。仲間にヨムギの場所を訊いてくる」
「分かった、ちゃんと連れてきてよね」
僕は開け放たれている要塞の扉を通り、外へと出た。強烈な日差しが眼球を舐める。作業音が一際大きくなり、鼓膜が痒くなる。
周囲では人々が絶えず動いていた。外から直方体に切られた石のブロックを持ってくる者、その石を積み上げる者、へらですくい上げた粘土を隙間に詰めていく者。淀みなく続く作業は幼い頃社会科見学で訪れた食糧工場を思い起こさせた。分担される作業は単純で、精神と体力をすり減らされているのが目に見えて分かる。炎天下で働き続ける男たちの全身からは汗が止めどなく流れていた。
頭領たちはどこで作業しているのだろうか。監督者に訊ねようと考え、そちらへ向かおうとする。
が、その足が止まった。
砦が太陽の光を遮り、影となっている場所、そこに樽が並べられていたのだ。中に入っている水を飲んで「味がある」と労働者たちがはしゃいでいる。その傍らでは女性たちが木の盥の中に足を入れて葡萄を潰す姿があった。
少しだけ、照れくさくなった。それ、僕が教えたんですよ、と。
権力があったのか、声が大きかったのか、僕が世話になった看護士は得た知識を早速実践しているらしい。単なる実験かもしれないが、役に立っている実感がふつふつと湧いた。
僕は、土と汗と果汁の香りの中を走り、監督者に頭領たちの作業場を訊ねた。一人一人の名前までは把握していないようで、彼らの特徴を伝えてようやく場所が教えてもらうことができた。彼らは外側で城壁の修復をしているらしい。
教えられた場所では傭兵団が面々が真剣に働いていた。
昨日の言葉で気をよくしたのか、手先の器用な男が石のブロックを並べ、かつて料理の手伝いをしてくれた男が粘土をかき混ぜている。少し離れた場所にある石積み場に頭領と補佐役の顔が見えた。
だが、近くにヨムギの姿はない。他の配置に回されているのだろうか。
声をかけると、頭領と補佐役の男が腕を上げて応えた。石を運んでいる傭兵団の男は恨み言を吐いていたが、足を止めずに作業を続けている。
「お疲れ様です」
「おう」頭領は腕で額を拭う。「どうだった?」
「ええ、用事は済みました。ところでヨムギは? 別の場所ですか?」
「いや、それがな」
そこで補佐役が大きな溜息を吐いた。
どうやらヨムギは朝食の時間になっても帰ってこなかったらしい。傭兵団の中でも探しに行くべきだという意見と放っておこうという意見の二つが出たそうだが、彼らは結局後者を選択した。
理由を明かされなかったが、察しはつく。そもそも頭領たちはラ・ウォルホルを訪れる前にもヨムギに心情と事実を伝えているのだ。ヨムギの魔法の才能はこの傭兵団にいる限り芽吹くことはない、と。
だから、後はヨムギ次第である。彼らはぎりぎりまで彼女に考える時間か、もしくは決心する時間を与えたいのだろう。
その段階においてはもはや相談など無意味だ。最後に踏み切るのは自分でしかない。
「っつうわけだから、レプリカ。行く前に一応宿舎だけは見てやってくれ」
「居住地区も探しますよ」
「いや、いい。もしお前が出て行くまでにあいつを見つけられなかったら、それがあいつの選択だ」
「……厳しいですね」
「あいつは一度、約束を破ったからな」
僕たちは同時に苦笑し、バンザッタで再会することを約束した。ラ・ウォルホルの修繕作業がいつまで続くか分からなかったけれど、気にしない。僕がどこへ行ったとしても、彼らがバンザッタで暮らすならばいつでも会えるようになる。
遠くで僕を呼ぶディータの声がして、そちらへ振り向いた。城壁からやや進み出たところに高級そうな馬車が一台停まっていて、窓からディータが身を乗り出している。傭兵団の面々に挨拶をしてからそちらへと走った。
「レプリカ、ヨムギ、いた?」
僕は首を振り、馬車に飛び乗る。その振動が収まる前に御者台に座っている護衛が手綱を振るう。馬が控えめに嘶いて走り始めた。
「ここにはいなかった。宿舎の方にいるかもしれない」
「だと思った。女の子はこんな力仕事しないわよね」
「もし宿舎にいなかったら、彼女は来ない」
「……うそ、なんで?」
「元々、来るとは断言してなかったんだ。待つ必要はない」
「ええー、連れてこうよ」ディータは僕の袖を強く引いた。「ヨムギいた方が楽しいじゃん」
「彼女が家族と一緒にいたいのなら、それを引き離すのは酷だ」
家族、という言葉に反応したのか、袖を引っ張られる感触が消えた。ディータは寂しそうな表情をして、「そっか、家族か」と顔を俯けた。
平民である彼女は転移魔法を身につけて、家族と離ればなれになってしまったのかもしれない。送る、ではなく、連れて行く、と言っていたから転移魔法は術士の移動が条件となっている可能性もある。
どちらにせよ、ディータはその力のせいでこの国々を回っているのだろう。それだけに彼女は家族という存在を大事に考えているようだった。
「……そうだね、レプリカの言うとおり」
「まあ、いることを願おうか」
「うん、そうする」
馬車は魔法で固められた大地を軽快に走っていく。
居住地区まではそう時間はかからない。五分ほどで傭兵団の宿舎に到着した。
僕はディータに待っているように伝え、宿舎の中に入っていく。中には荷物番の傭兵が一人、どこかでくすねた煙草を吹かしているだけで、ヨムギの姿はなかった。話を聞いても戻った様子はないらしい。食事などで何度か外に出たらしいが、そのときも見かけていないと彼は呆れながら語った。
念のため、寝室なども見てみたが、やはり、ヨムギが声をかけてくることはなかった。
まあ、そうだろう。
彼女は軍という安定から逃げてでも家族を選んだ。再び機会が与えられたとしてもそれは変わりなかっただけなのだ。僕が出発した後で心を決めたとしたら可哀想だな、とは思ったが、それならきっとそれも運命だ。
僕は荷物番に別れを告げた後、馬車へと戻る。
「ヨムギは?」
「残念だけど、いなかったよ」
「ちゃんと探したよね? わたしも見てこようか?」
「意味ないよ。荷物番の人が一人いたけど、見てないってさ」
「なら、ここの出口で待ってるのかもしれない。ねえ、急いで!」
護衛はディータに急かされ、居住区の出口へと馬を走らせる。
だが、彼女の期待は叶わなかった。居住地区の出入り口には「あれ、ディアルタさま、ハルイスカにいるんじゃなかったですか」と素っ頓狂な反応をする番兵がいるだけで、ヨムギはどこにもいなかった。
「そうだ、馬小屋は? そっちにいるかも」
「彼女は馬に乗れないよ」
「それでも行くの!」
僕はディータに引っ張られ、馬小屋へと足を伸ばす。急拵えの小さな馬小屋では麦わら帽子の壮年男性がのんびり馬に飼い葉を与えていた。声をかけると、彼は僕の髪の色とディータの高そうな衣服にわずかに目を瞠った。
「ねえ、おじさん、ヨムギ見なかった?」
「ヨムギ?」
僕は彼女の代わりに説明する。「赤い髪の、そんなに大きくない女の子なんですけど」
「いや、見てないなあ」
「そっか……」
「その子がどうかしたのかい?」
「いえ、別に何でもないんです。ほら、ディータ、行こう」
しょんぼりと俯いたまま、彼女は「うん」と蚊の泣くような声で応えた。「ヨムギ、いないんだ」と。転移術士として生活していると同年代の女の子と一緒にいることなどないのだろう。
僕たちは馬車へ戻り、ラ・ウォルホルを出発した。
「切り替えなきゃね。こういうこともあるし」
「大人だね。子どもには見えない」
「子どもって失礼ね。わたしはもう十五なんだから」
十五歳、か。
ベルメイアのことを思い出す。彼女も今年で十五歳だったはずだ。気に入らないことがあると癇癪を起こしていた彼女もこれくらい大人になっているのだろうか。
想像できず、苦笑が漏れる。
「ちょっとなに笑ってるの? レプリカだってそんな大人には見えないのに」
「僕は今年で十九か二十……かな。まあ、そのくらい」
「そう変わりないじゃない」
「そうかもね」
この世界と前の世界では季節が逆転しているため、年齢をどう数えたものか、判断に困る。それにこちらへ来てから誕生日を祝ったことなどなかった。傭兵や盗賊として生きていると時間の経過は気候の変化くらいでしか味わうことがない。
大人になった実感は薄い。まだ子どもの可能性だってある。
僕はもう一度、今度は見咎められないように窓の方を向いて苦笑を浮かべた。景色はするすると、引っかかりなく滑っていく。
その間、ディータは色々な話をし、また、様々な話を僕にせがんだ。僕の力を聞き及んでいたらしく「その力は何なの?」とか「わたしの名前はおばあちゃんのおばあちゃんのをもらったんだけど、なんでレプリカはレプリカっていうの?」であるとか、話しづらいこともあったけれど、彼女はそれでも楽しそうにしていた。
ディータが特に気に入ったのは僕がヤクバたちとデギ・グーを狩った話だった。
借金まみれになった三人が僕を脅して馬で数時間かかる村まで走り、帰りはどうしようもなくなって筏を作って帰った、という物語を、脚色を交えて話すと彼女は腹を抱えて笑った。
「その人たち、本当に馬鹿ね。一度、会ってみたいわ」
「今はたぶん王都で暮らしてるよ」
「じゃあ、いつか会えるかも」
「絶対酒を勧められるから気をつけた方がいい」
反対にディータは戦争の話を好まなかった。男児が聞きたがるような血湧き肉躍る武勇伝は話の先端で終止符を打たれることになった。嫌な思い出があるのかもしれない。彼女は何か言いたげにしていたが、その中に思い出したくないものがあるのでは、と考えると聞くこともできなかった。
その後もしばらく会話は続いたが、眠気を訴えると彼女は呆気なく僕に就寝の許可を与えた。それから間もなくして僕は眠りに落ちる。蓄積された疲れが頭を包み込み、まばたきと同時に意識が遮断された、そんな感じだ。
どれほど眠っただろうか、目を覚ましたのはディータの叫び声のせいだった。
「ちょっと、止まって、お願い!」
空から降ってくる日差しはまだ高い。トイレだろうか、きっとそうだろう。そう断じて目を瞑ろうとしたが、ディータは僕の肩を掴み、強く揺らした。
「ちょっと、一体、どうしたの」
「レプリカ、起きて、起きてってば! ヨムギがいるのよ!」
「は?」
「後ろに、ほら、そうでしょ? ねえ、ヨムギ!」
ディータは左側にある扉を開けて飛び出した。まだ馬が完全に歩みを止めていないせいで、彼女は慣性に足をかけられて、転ぶ。護衛が狼狽した叫び声を上げた。
すっかり目が覚めた僕は彼女の後を追って馬車から飛び降りる。ディータの走って行く先、背嚢を背負った赤い髪が見えた。
呆れの混じった笑いが鼻から漏れる。
ヨムギは僕とディータを見て、心底驚いた顔をしていた。いつラ・ウォルホルを出発したのだろう、汗で髪が額に貼りついている。馬車の近くまでつれて来られた彼女の表情には微かな安堵が混じっていた。
「レプリカ、お前、どうしてここに」
「それはこっちの台詞だ。ハルイスカまで歩いて何日かかると思ってるんだよ。大人しく僕を待ってればよかったのに」
「だって」と彼女は唇を尖らせる。「みんながメシを食っている隙に戻ったらお前の荷物はないし、番兵に聞いたらディータはハルイスカにいるって言うし、馬なんて乗ったことないし……」
「だから、歩いて、か。なるほど、きみは馬鹿なんだな」
「ヨムギは馬鹿ねえ」
「なんだと、馬鹿にするな」
「まあ、いいや」
「そうね」
「おい、ちょっと待て」
ディータが馬車に乗り込み、僕もそれに続く。ヨムギは拳を握り、しばらく突っ立ったままこちらを睨んでいたが、やがて疲れに負け、顔を落とした。
「ほら、行くよ」
――僕がこの世界へと来たとき、頼れる人など誰もいなかった。ワームホールから深い闇の中へと投げ出された僕は必死に人を探し、平原を彷徨った。とぼとぼと魔法で均された道を歩いていたときに出会ったのがフェンとウラグだ。
そのとき、フェンがしてくれたように、馬車の中から手を差し伸べる。
「オヤジさんには僕が手紙を書いておく」
日に焼けて顔を赤くしたヨムギは珍しく素直に僕の手を掴み、馬車に乗り込んだ。ディータは顔を明るくさせ、はしゃぎ始める。
その後、僕たちは夕暮れになる前にハルイスカへ到着し、集まっていた傭兵たちと合流した。どこかで見た顔も多い。それだけ腕利きということだ。彼らは僕を目にした瞬間、「分け前が減る」と嘆いた。
転移魔法のために作られた施設はハルイスカから北へ一時間ほど進んだ先にあるという。
僕たち以外は全員食事を済ませていたらしく、そのまま出発することになった。どちらにせよ今のハルイスカではまともな食事など摂ることはできない。
街を出る際、ラニア夫妻が感謝と激励の言葉を送ってくれた。
ラニアは「アシュタヤが王都で待っている」と言っていたけれど、彼女に会うわけにはいかない。謝罪の意味も込めて頭を下げると、彼は苦みの混じった微笑みで手を振った。
……随分、長い間、この地にいた気がする。
ここに来られてよかった。荒んでいた心は確かに癒やされた。カチリ、と音が聞こえる。僕の内側から発せられた音だ。
狂っていた歯車が一つ、かみ合う音。




