76、「彼女に会わせてもらえませんか?」
翌朝、日の出とともに目を覚ました。乗馬と中途半端に柔らかいベッドのせいで身体が軋んでいる。寝ぼけ眼を擦りながら周囲に目をやると既にベッドには三つ空きがあった。
頭領と補佐役、そしてヨムギのベッドだ。その他の傭兵団は未だ夢の中にいるようで幸せそうな寝息を立てていた。
彼らを起こさないよう静かに階段を降り、そのまま外に出た。ラ・ウォルホルの居住地区には区画ごとに井戸が設置されており、冷たい水で汗を流したかったからだ。
まだ朝も早いというのに井戸端には多くの男たちがいた。荒ぶる男たち共通の文化なのか、ほとんどが全裸で井戸水を浴びている。屈強な男たちと比べると僕の身体は細枝のように思えてしまい、なんとなく恥ずかしくなった。
汗を流し終えたあと、宿舎へ戻り、着替えた。朝早く、人のいない部屋で準備を整えるのは何かから逃げているみたいで居心地が悪かったが、のんびりしていたら仲間たちの労働意欲を削いでしまう可能性もある。早く出るに越したことはない。
僕は背嚢の中にできる限り荷物を詰め込む。といっても重要なものはさほどない。最小限の着替えと金、あとは花瓶に入れておいた花束くらいだ。日頃から自分のものを最小限にしているのが幸いして、準備はすぐに終わった。
「おお、レプリカ、早いな」
「もう行くのか」
そろそろ発とうか、というときに玄関から姿を現したのは頭領と補佐役だった。水浴びをしてきたのか、二人とも髪が濡れている。いちばん近い井戸端には姿がなかったのに、と考えていると、補佐役が唸った。
「レプリカ、ヨムギを見かけなかったか?」
「いえ、起きたときにはもう」
「……そうか」
「いなくなったんですか?」
その質問に答えたのは頭領だ。「まあ、な。心配はしてないが」
嘘であることはなんとなく察しがついた。彼らの表情には娘を心配する親のような色が浮かんでいて、今まで何をしていたか、如実に表している。
「僕、探してきましょうか」と訊ねてみる。しかし、二人は揃って首を横に振った。
「大方、ここじゃ悩めないから一人になれる場所に行ったんだろう。腹を空かせたら戻ってくるさ」
「……でしょうね」
想像がつき、頬が緩む。彼女は考えることに慣れていない。そう経たないうちに戻ってくるはずだ。
「しかし、レプリカ、お前、指揮官のところに行くんだよな。こんな早くに行って意味あるのか? 会えないかもしれないのに」
「ああ、待つのは分かりきってますけど……ここにいたら僕も働かなくちゃいけない空気を醸し出されますし」
「だろうな」
「それに、あっちも僕に会わなきゃいけないから、早い方がいいです」
頭領と補佐役は顔を見合わせて、首を傾げた。理由を説明するのは憚られたため、彼らがそれ以上追及してこないことに安堵する。
指揮官が僕に会わなければいけない理由は単純だ。
ラ・ウォルホルの「太陽」。
ボーカンチ解放軍があの魔法が使用したことは大きな意味がある。もし、あれが軍に被害を及ぼしていたらその影響は今の比ではなかっただろう。再現性があるのなら要所防衛の基本が揺るがされることになる。
僕が「太陽」を止めたのは彼らにとって不幸中の幸いだったはずだ。本隊に実害が出ていたならば隠蔽するのは難しいが、負傷者が出ていない以上僕と帯同していた騎兵隊に箝口令を敷くだけですむ。
だから、あの指揮官が面会を拒否する理由はない。
僕は背嚢を背負い、頭領と補佐役に深く礼をした。
「じゃあ、一旦お別れです。お世話になりました」
「ああ、またバンザッタでな」と補佐役が頷く。
「できれば行く直前にもう一回顔を見せて欲しいが」頭領は少しだけ照れくさそうに顎髭を弄った。「そうなると締まらないか」
「それくらい別にいいですよ、どうせラ・ウォルホルにいるんですし」
「お、そうか。なら作業場にでも来てくれ。ヨムギが行くんなら拾っていって欲しいしな」
「分かりました。いつになるかは分かりませんけど」
ヨムギは僕とともにバンザッタへ向かうだろうか。彼女のためを思うなら連れて行った方がいいはずだ。そう考えた端から、おかしくなる。頭領がこの傭兵団を家族と表現していたが、それに毒されたのかもしれない。兄のような立場で考えている自分がいることに気がついた。
「じゃあ」
「ああ」
「また」
短い挨拶を交わし、僕は宿舎を出る。こういう別れもあるのだな、と思った。
〇
ラ・ウォルホルの砦に向かう途中で残りの花を空に捧げた。
ラニアの言葉が頭の中にあったからだ。
「善く生きるようにしなさい」と彼は言った。死者を悼むことが善であるかどうか分からなかったが、少なくとも悪いことではないだろう。
この戦いで僕は多くの人を殺した。僕だけではない。仲間も敵も、殺し、殺された。許しを請うつもりも断罪するつもりもない。あくまで事実の確認だ。
――命を礎にする、という表現は好きではないがが、その側面があることは否定できない。
今回の戦いがエニツィアという国に影響を及ぼすことは確かだし、個人という観点から見ても同様だ。壊された城壁を直すために多くの人が動員されている。戦争が公共事業であると断言できるほどシニカルではないが、それで口に糊をする者もいる。
そして、僕もその一人だ。
それを自覚した上で祈った。
敵も味方も関係なく、安らかに眠れますように。
生者が死者にためにできることなど、祈りしかない。
〇
指揮官の部屋に通されたのは作業の音が厚くなり始めた頃だった。
何層にも重なって響く槌の音は窓のない会議室でも喧しく感じる。しかし、指揮官は慣れているのか、気にしていないように振る舞っていた。
長机の向こうに座る指揮官の顔には淀んだ疲労が浮かんでいる。あまり寝ていないのだろうか、目の下には一日二日で生まれたものとは思えないくまがあり、それだけで彼の状況を察することができた。
「すまんな、わざわざ来てもらって。手間が省けた」
「いえ、僕も『太陽』のことは話しておくべきだと考えていましたので」
「……ああ」
「駆け引きは苦手なので、先に言っておきましょう。何に誓ってもいい、僕はこの一件を口外しないことを約束します」
指揮官は脅迫じみた方法で金銭を要求されるとでも考えていたのだろうか、驚きを顔に滲ませた。
「……随分、こちらの状況を慮ってくれるものだな」
「もちろん条件はありますよ。金とかそういう即物的なものではありませんけど」
「何が望みだ?」
「なぜボーカンチ解放軍が『太陽』を扱えたのか」
指揮官の表情があからさまに歪む。憎むべき敵を臨むような視線に僕は慌てて否定した。
「いえ、大規模立体魔法陣が国家機密であることは理解しています。なので、詳しく話していただかなくても結構なんです。どちらにせよ僕には魔力がないから扱えませんし、もし話していただけるなら、それも含めて口外しません」
指揮官は目を瞑り熟考してから、大きく嘆息した。帰れ、と一喝されるかと不安になったが、彼は一切の言葉を発しない。立ち上がり、机を回り込んで僕の足下にしゃがみ込む。
その手には木炭が握られている。
彼は慣れた調子で木炭を石の床へと当てた。円を描き、その中に文字らしきものを記し、図形が書き足されていく。数十秒もすると魔法陣ができあがっていた。木炭の形状のせいなのか、所々歪んではいるが、規則性のあるその模様は美しくすらある。
「その上に立て」
「『真偽判別』、ですか」
「お前が嘘を言っているとも思えないが、一応な」
拒否する意味もなく、僕は魔法陣の上に立ち、これまで言った言葉を復唱した。魔法陣に反応はない。指揮官はひとまず安心したのか、肩を竦め、座っていた席まで戻った。
僕は椅子に座り直し、再び訊ねる。
「話して、いただけますか?」
「……規則上許されることではないんだがな、お前はもっとも近くで機密に触れた人間だし、命を奪われかけた人間が真実を知りたいのは道理だ。もし何かあったらお前に脅されたことにするさ」
「脅されたくらいで機密を話すのは軍人としてどうなんでしょう?」
「それもそうだな、この話はやめるか」
彼はそう言って笑みを漏らした。声色から冗談であることははっきりしていたので僕は何も言わない。愛想笑いだけを返すことにする。
指揮官はすぐに言葉を続けた。
「とはいっても、あれに関して言えることはないんだ」
「言えることがない? じゃあ、どうして真偽判別なんて」
「分からないか? 言えることがない、というのがどれだけ危ういか」
指揮官の視線が胸を刺す。
彼の言うとおりだ。仕組みが分からないものを利用するのと利用されるとの間には大きな隔たりがある。攻撃の正体が分からない、と喧伝するのは弱点を曝け出しているようなものだ。
「……すみません、軽率でした」
僕が謝罪すると、指揮官は「気にするな」と首を振った。「捕らえた者を尋問にかけてはいるが、誰も口を割らん。本当に知らない可能性もあるが」
その尋問というのがおそらく苦痛を伴うものであることは容易に想像できたが、それを批判してもどうにもならない。話を進めることにする。
「……僕は魔法に関しては門外漢です。その上でいくつか訊ねても構いませんか?」
「ああ」
僕の疑問が解決の糸口になるとも思えなかったが、可能性はある。外部からの意見が画期的な手法に繋がるのは珍しくもない。
そう思っていたけれど、僕の抱いていた疑問はすべて即座に否定された。
例えば、なぞる・写すといった行為。これらは一般的な平面の魔法陣では可能だ。魔法陣を覚えるときにもポピュラーな方法でもある。だが、大規模立体魔法陣においてはその手法は現実的ではないのだそうだ。拠点防衛用の魔法陣は巨大な岩石に刻み込まれた上で、地中深くに埋められている。それを一朝一夕で掘り出すのは不可能らしい。
それでは、と僕は訊ねる。外部から持ってきた可能性はないか。つまり、前提への疑問だ。科学技術の中でも集積回路の小型化・高性能化は一つの大きなテーマだった。魔法にも同じアプローチがされている可能性はある。大規模立体魔法陣を小さくできないのか、と。
しかし、この意見もあり得ないと一蹴された。
大規模立体魔法陣はより複雑な形状に、より複雑な魔法陣を刻むことで小型化することは不可能ではないらしい。しかし、それによって問題が発生する。「太陽」ほどの強力な魔法となると魔法陣が魔力に耐えられないのだそうだ。
他にも僕は様々な意見を出した。魔法陣から詠唱に再変換してはいないか、だとか、そもそもあれは「太陽」ではなくまったく別の魔法なのではないか、だとかだ。だが、やはりそれらも現実味が薄いらしく、指揮官が肯定することはなかった。
僕と指揮官の会話は小一時間ほど続いただろうか、彼は不可思議な力を使う僕からまったく新しい発想が生まれるのではないかと期待していたようだったが、結局、事態の解明に繋がるものが出ることはなかった。
「すみません、力になれなくて」
謝罪する理由もなかったが、時間を取らせたことに対して謝ると指揮官はそれほど気にした様子もなく「いや、いい」と答えた。
「もともとボーカンチは魔法研究が進んでいる国だ。ラ・ウォルホルに滞在している者だけで話していることが間違いなのだろう。気は進まないが、正直に上に伝えることにする」
「……大変ですね」
「責任を取らされることがなければ、後は研究所に投げるだけだがな」
顔を顰める指揮官に苦笑を贈る。彼は殊更に大きなうなり声を上げて仰け反った後、「ああ、そうだ」と言った。「もう一つお前に言っておくことがあった」
「なんですか?」
「命令、というより依頼なんだが……お前、今後の予定はあるか?」
彼が何を言おうとしているか、薄々勘づきながら答える。「いえ、特に」
「もう噂になっているから隠す必要もないが、南からペルドールが攻めてくるかもしれないらしい。腕利きの傭兵がいたらバンザッタに送って欲しいという通達が出ているんだ。転移術士の方が来ているから旅費の心配もない。行き先はバンザッタなんだが……どうだ?」
僕は思わせぶりな間を取り、答える。
「こちらの頼みを聞いてくれるのならやぶさかではありません」
「頼み?」またか、と言いたげな顔をして指揮官は続きを促す。
「捕虜と面会、っていうと変ですかね。もしかしたらその人なら魔法についても教えてくれるかもしれないし、尋問っていう名目でもいいんですが、彼女に会わせてもらえませんか?」
僕は彼女の名も知らない。特徴だけを告げると、指揮官はすぐに思い当たったのか、「ああ」と声を漏らした。
この二年半の間、戦場に出ていた僕が初めて殺せなかった人。雨の中で仲間たちに助けを求めたにもかかわらず、見捨てられた阻害魔法術士の女性。
彼女に感謝と、真実の追究をしておきたかったのだ。
大規模立体魔法陣が利用されたことへの疑問など、単なる好奇心に過ぎない。協力するふりをして心証を良くするためのポーズでしかなかった。
ここに来た本当の目的は――彼女に会うことだ。




