27、非論理的会議〈護衛団2〉
「ねえ、ニールちゃん、ごめんってばあ。怒ってたっていいことないよ?」
「怒りは酒を進ませるじゃねえか」
「セイク、それは間違いだ。飲まなきゃやってられないだけで美味くなるわけではない」
喧しい三人組を連れ、僕は城に向かっていた。彼らの身元をはっきりとさせるためだ。逃げる様子がないことから彼らが本当に護衛団の一員であることは明らかだったけれど、フェンに一言叱りつけてもらわなければ気がすまなかった。レクシナの恐れ具合を考えると何らかの効果はあるはずだ。自棄酒に逃げる可能性もあったけれど。
万が一、土壇場で逃走されることを考えて、僕は〈腕〉を展開しておく。一人くらいなら押さえつけることくらいできるだろう。
職業斡旋所から城までは二十分もかからない。早足で商業区の大通りを歩いた。その間、後ろの三人組は途切れることなく会話を続けていた。
「いやあ、でもしかし、ニールちゃん、本当に魔力ないんだね」
「ああ、初めて見たな。神の祝福、ちゃんと受けたか?」
「ヤクバ、いつもそれ言ってっけど、魔力強えやつで神の祝福受けましたって奴いねえじゃねえか」
「記憶にないだけなんだろう」
「……確かに僕は神の祝福なんて受けてはないだろうけど」
黙っているのにも疲れ、会話に参加することにする。カンパルツォも「仲間とは仲良く」と言っていたし、これ以上関係をこじらせて結局金を返してもらえなかったらどうしようもない。
ようやく話したあ、とレクシナが顔を綻ばせたのを横目に、僕は溜息を吐いた。
「たぶん、きみたちも歓迎されてないよ。神様も頭を抱えて、とりあえず祝福しとくか、って言ったんじゃない?」
「言えてるねえ、今まで随分大変だったし」
「でも、こうして今まで生きているだろう? それこそが神の祝福だ」
「別に宗教談義をする気はないよ。面倒なことの方が多いし」
「おー、ニール坊は大人だな。俺たちよりよっぽどだ。おめえ、いくつだよ」
「十七」
「十七でそれか。疲れねえか?」
「疲れさせてるのは誰だと思ってるのさ」
それからセイクは謝りもせず、俺が十七の頃はなあ、と思い出話を語り始めた。ヤクバとレクシナもやんややんやと混ざり始める。話題の舵は武勇伝だったり、下の話だったり、二転三転していたが、彼らは楽しそうにしていた。盗みはしてない、と声高に宣言していたにも関わらず食い逃げだとかはしていたらしい。「食い逃げは盗みとほとんど変わりない」と指摘したら、後でちゃんとお金払ったし、とレクシナは自慢げに反論した。そういう問題じゃないんだけれど、と呆れるが、彼らはそうかなあととぼけた返事をするばかりだった。
「あのさ、なんでヤクバたちは護衛なんてしてるの? 全然似合わないんだけど」
「カンパルツォ伯に恩があるしな」
「恩?」
僕が振り向くとにゅっとセイクが顔を出した。
「ああ、カンパっちゃんが俺たちの才能に惚れてな。軍に推挙してくれたんだよ」
「カンパっちゃん、てあまりにも無礼だね」
「そうか? カンパっちゃん喜んでたけどな」
ああ、確かにあの人は喜びそうだ。愉快そうにする彼の顔を想像して僕は思わず笑った。
「じゃあさ、みんなは軍人? とてもそうは見えないけど」
「それはそうだよ、もう軍やめちゃったし」
レクシナの、あまりにもあっけらかんとした物言いに、僕の足が止まる。
恩がどうとか、そのくだりはどこへ行ったのだ? そう訊ねると彼女は極めて軽快に答えを返してきた。
「知ってるう、ニールちゃん? 軍ってさ、規律とかめちゃくちゃ厳しいの。決まった時間に起きなきゃいけないし、お酒で起きられなくても休ませてくれないんだよ?」
「メシもまずい」ヤクバはその味を思い出したかのように舌を出して顔を顰める。
「やめた、っつうより、逃げた、の方が正しくねえか?」
「まあ、そうだねえ」
「……呆れた」
「そう言わないでよ。悪いとは思ってるし、今回はちゃんと約束守るつもりだしさ」
どうせまた途中でやめるんじゃないの、と揶揄しようとして、僕は言い淀む。三人は変わらずに笑いあっていたが、そこにはカンパルツォを蔑ろにするような気配はなかったからだ。彼らなりに真剣に考えているのかもしれない。そうでなければカンパルツォも護衛として彼らを呼ばないだろう。
宙に浮いた皮肉を持て余し、当てもなく、〈腕〉を宙で揺れ動かす。もう必要ないか、と思い直し、幽界の腕を収納した。きっと彼らは逃げない。おちゃらけてはいるが、きっと芯は通っている。
こんなに簡単に人を信用する自分がおかしくて、僕は彼らに悟られないよう、少しだけ笑った。しかし、態度の変化が明らかだったのか、レクシナとセイクが両脇から不思議そうに顔を覗きこんでくる。
なんでもない、とだけ返して、それきり僕は黙った。
おかしな初対面で、仲良くなれる気はしなかったが、悪くない関係性が築けそうだ。少し態度を柔らかくしてもいいだろうか――
――と思ったのも束の間だった。
前方から「あれ、ニールじゃない」とはきはきとした声が響いた。果物を売っている店の前にイルマの姿がある。彼女は僕に向かって手を振っていたが、後ろの三人組を見るなり、態度を豹変させた。
「ちょっと、あんたら、この前の食い逃げじゃない!」
「やべえ」
「逃げるぞ」
「ニールちゃん、後はよろしくっ」
「え、ちょ、ねえ、何を」
〈腕〉を消したのが徒となった。彼らは凄まじい速度でばらばらの方向へと逃げていく。待てよ、と僕が上げた声は往来に虚しく響き、空気の流れに攪拌されて消えていった。突き出した腕が間抜けなほどに固まっている。
怒声におずおずと振り向くと表情を強張らせたイルマが僕へと詰め寄ってきていた。
「ちょっと! ニール、あいつら知り合い!?」
「知り合い、っていうか、知り合った、っていうか」
「あいつら本当にありえないのよ! 散々飲み食いした挙げ句、皿ごと料理持って逃げたんだから!」
「え、と、あの、それは」
「あー、腹立つ! 知り合いなら今度首根っこ掴んでうちの店の前に連れてきてよ!」
イルマの剣幕に、僕はなんだかすべて諦めたくなって、頭を下げた。
「……イルマ、なんか、本当にごめん」
「別にニールが謝ることじゃないでしょ。悪いのはあいつらなんだから」
「まあ、そうなんだけどさ……、僕が立て替えておくから」
「はあ? なんでニールが払うのよ?」
「どうせ既にお金貸してるし……、少しくらい変わらないよ。それに僕の方が会う機会多いだろうし……いくら?」
イルマは納得がいかなそうにしていたが、何度か頼むと折れ、彼らの食事代を提示した。先ほど貸した額よりは少なかったもののそれなりの金額で、僕の財布はほとんど空になりかける。
「……今回はニールに甘えさせるけどさ、だめよ、そういうふうにお金貸したら。だいたい、あんな奴らと付き合わない方がいいって」
「ごもっともです……」
僕は彼らが消えた方向をじっと睨める。一瞬セイクが物陰から顔を出したかのようにも見えたが、もはやそれを確かめる気も起きなかった。
溜息を吐くと、それがあまりに盛大だったせいか、あばらが痛む。
「あれ、どうしたの?」
心配そうに顔を近づけてくるイルマに強がりを見せる。「あの人たちのことを考えるとお腹がキリキリと、ね」
ごまかし方が下手だったのだろうか、イルマはしばらく不審げに観察してきたが、それ以上、探ってくることはなかった。
彼女は呆れたかのように肩を竦める。
「ならいいけど。……じゃあ、あたしダーリンが待ってるから、もう帰るね」
「うん、また」
「待ってるからさ、アシュタヤさまと店、来なよ」
「そうするよ、ありがとう」
僕は手を振りながら小走りで駆けていくイルマを見送り、あたりに視線を巡らせる。確信はなかったが、周囲に三人が潜んでいる気がしてならなかった。
「もういいでしょ、出てきなよ」
どこにともなく言ってみると、近くの雑貨屋からヤクバがそっと姿を現した。彼はふう、と安堵の息を漏らし、厳つい顔を緩めている。
「焦った」
「焦ったじゃないよ。借金、増えたからね」
「おお、悪いな。お前は心優しき神の使者だ」
「ヤクバの神は金を貸すな借りるな、って言ってなかったの?」
「言ってたかもしれんが、いかんせんその頃はまだ言葉を覚えてなくてな」
「……他の二人は?」
「あいつらの逃げ足は俺の比じゃない。ちょっと待ったら来るさ」
ヤクバは指笛を甲高く鳴らし、先に行くぞ、と僕の背を押した。不承不承ながら歩き始めるとほどなくして彼らは戻ってきた。その表情が達成感に満ちたものだったからもはや何も言えず、三人を置き去りにして城に向かうことにした。
〇
三人組の身元証明は城の前、跳ね橋の上で概ね終了した。
入り口を守る兵士が彼らに友好的な態度を取ったからだ。旧知の仲、とまでは行かないが、ともに杯でも交わしていたのか、兵士は彼らに対してにこやかに声をかけた。レクシナは粉をかけた。
とんだ茶番だ。僕は無視して城の中へと入ることにする。
城のエントランスでは侍従や小間使いたちが走っている。元の世界では暦の始まりは冬だが、この世界では春に始まる。年末というわけでもないのに忙しそうなのは正式に領主権の譲渡が行われるまでもうそれほどないからだ。
フェンがいそうな場所を考え、僕はひとまず護衛団の会議室として割り当てられた政務室横の部屋に目指すことにした。大階段を昇りながら、遅々とした速度でついてくる三人組にきびきびと動くように促す。
頭の上で手を組んでいたセイクは面倒だと隠そうともせず、大きな欠伸をした。
「よう、もういいだろ、明らかに俺たち関係者じゃねえか」
「それはわかるけど、とりあえず事情を説明しておかないといけない」
「はあ? なんでそんなことしなきゃいけねえんだよ」
「だって、きみたち、お金ないんでしょ。僕だってもう貸すつもりはないしさ。出発まで食い逃げして過ごすつもりならいいけど」
「そうは言っても」と反論したのはヤクバだ。「兵士用の食堂とかで済ませればいい話だ。あそこなら金を払う必要はない」
「そこで済ませられる自信は?」
「あるか?」とヤクバはセイクを見る。
「ねえな」
「やあん! ベルちゃんじゃない!」
脈絡のない甲高い声に身体が竦んだ。
慌てて振り返り――そして、僕の思考にぽっかりと穴が空いた。レクシナが階段の手すりを乗り越えようとしていたのだ。
「あぶな――」
手を伸ばすが、間に合わない。飛び降りた彼女は重力に従って落下していく。
まさにその真下でベルメイアの栗毛が揺れていた。
ぶつかる、その瞬間が脳裏を過ぎり、僕は慌てて〈腕〉を展開した。世界が若草色に染まり――、幽界の腕がレクシナに触れる寸前、彼女の落下速度がぴたりと止まった。遅れて猛烈な風が上へと吹き上げていく。その衝撃に身体が弾かれ、僕は尻餅をついた。
魔法――。その認識が追いつく前に階下から金切り声が轟く。
「いやあああ、頬ずりしないで!」
「やあん、やっぱりかわいーい! あたし、ベルちゃんの子ども産むぅ」
「だ、誰か、たす、助けて」
悲鳴に立ち上がり、手摺りから身を乗り出す。階段の下ではレクシナがベルメイアを押し倒しているところだった。同時にベルメイアも僕の姿を見つけたらしく、彼女は喉を絞りきった叫び声を上げた。
「ニール! 助けて!」
その緊迫した声とは似合わない鷹揚さで横の二人が笑っている。
「ベルメイアちゃんも災難だ」
「ありゃ、食われるぜ」
「なに呑気してんだよ、助けなきゃ!」
飛び降りるように階段を降りていく。何とかうつぶせになったベルメイアは這いずりながら僕へと手を伸ばしていた。何とかその手を掴み、引きはがすようにして救出する。勢いそのまま僕はレクシナを床に押さえつけたが、レクシナの力は予想以上に強く、左腕だけでは押さえ切れそうになかった。
「ああん、ベルちゃーん」
舌打ちが出る。規範意識とかそういったものを考えている暇はない。僕はレクシナの上に座り込んだ。「ひゃっ」とレクシナは一瞬だけ静かになったが、それでもなおベルメイアに蕩けた笑みを向けていた。
当のベルメイアは息を荒げてレクシナから距離を取っている。
「大丈夫ですか、ベルメイアさま」
「う、うん、なんとか」喘ぎ喘ぎベルメイアは返事をする。「ちょっと舐められたわ……お酒クサイ……」
「……レクシナ、君、馬鹿だろ」
「馬鹿って言わないでくれるう?」
「大体、いつの間に詠唱してたんだよ」
レクシナはベルメイアを発見するまでは一言も発していなかったはずだ。それに露出している身体のどこにもギルデンスのような魔法陣はない。
「早詠みが得意でさあ」彼女は唇の間から舌の先を覗かせる。唾液で光る赤い肉がちろちろと上下に動いた。「舌すごい器用なのよ」
「……馬鹿だし、教育に悪いな」
「ひどいなあ。ちょっと子ども産もうとしただけじゃん」
頭が痛くなる。まったく悪びれもしないレクシナを押さえつけながら、僕は上で呑気に眺めているヤクバとセイクへと叫んだ。
「あのさ、レクシナを取り押さえてくれないかな」
「どうする?」
「機嫌損ねたら借金の返済期限短くされるかもしれねえし、従っておこうぜ」
「裏切り者お!」
じたばたともがくレクシナを押さえ込み、だらだらと階段を降りる彼らを待つ。その歩みの遅さに焦れながら、僕はベルメイアに謝罪した。
「ベルメイアさま、本当にごめんなさい。僕が謝る理由、本当にわからないですが」
「うん、大丈夫……。別にレクシナとは知らない仲じゃないから」
「え」
「だよねー、ベルちゃん。あたしたち仲良しだもんねー」
「でも、こういうのはやめて、ってちゃんと言ったわ。なのに、いっつも襲いかかってくるんだもの。信じられない」
「知り合い、なんですか?」
「あ、ニールはまだ顔合わせ終わってなかったわよね。あたしは護衛についてもらったから、収穫祭も一緒に行ったのよ」
ああ、そうだった……。収穫祭で護衛を務めたのは僕とフェンだけではなかったのだ。彼女たちとベルメイアが面識を持っているのも当然といえた。
しかし、それにしても、と僕は顔を歪め、尻の下にいるレクシナを睨む。確かに魔法の発動までの時間が短く、護衛としては優秀かもしれない。しかし、もっとも危険なのはレクシナ自身なのではないか?
「そういえば、ベルちゃん、仲直りはすんだの? ニールちゃんでしょ?」
「ええ、まあ……」とベルメイアは一度僕の目を見て、気恥ずかしげに視線を逸らした。「一応、ありがとうとは言っとくわ」
「えっと、ごめんなさい、話が見えないんですが」
「ニールちゃんに怪我させちゃったからどうしようーって言うもんだからあたしが直接謝ればいいじゃん、って言ったのよ」
「……ああ、レクシナだったのか」
「どう? あたしだってちゃんと色々考えてるんだから」
「っていうよりも考えなさすぎなんじゃないかな。とりあえずベルメイアさまが怖がってるんだからレクシナも謝ったらどうかな?」
「えー、あたし悪いことしてなーい」
「それはベルメイアさまが決めることだ」
選択権を委ねられたベルメイアはううん、と唸り、悩んでいるのか、かつかつとその場で足を踏みならした。謝れ、と一言命じればいい話だというのに、彼女はそれをしない。何か弱みでも握られているのだろうか。
「……もう二度としないなら許してあげるわ」
「ベルちゃん!」
「あと、魔法を教えてくれたらいい」
小さく呟き、それから、ベルメイアはふん、と鼻を鳴らして逃げるように居館のほうへと走り去っていった。
どうしたものか、頭を掻く。
まあ、彼女がいいというなら、それでいいか……。
そんなことを考えていると尻の下から「ニールちゃん重いよお。どいてってばあ」という声が聞こえた。これ以上うろちょろされても面倒だ。僕はヤクバとセイクに彼女を引っ捕らえるように命じてから腰を上げた。
〇
「二ヶ月分の金を十日で使い果たした、そういうことだな」
フェンの声は地を這うような低さで、僕ですら恐ろしく感じた。三人組にとっても同様であったらしく、彼らは借りてきた猫のように大人しくなっている。
政務室横の部屋にあてがわれた護衛団会議室、そこでカンパルツォやウェンビアノの事務処理を手伝っていたフェンは僕たちの珍妙な行進を目にした瞬間に眉を寄せた。
説明を求められたため、僕は包み隠さず今日の出来事を伝える。
金もないのに職業斡旋所で盛大な飲み食いをしたこと、やむを得ず僕が金を貸したこと、イルマの店でも同じ罪を働いていたこと。初めは呆れていたフェンも事情を知るにつれ、機嫌を悪くしていった。苛立たしげに指で円卓を叩いている。爪でとん、とん、と刻まれていたリズムは最後には壊れ、彼は机に拳を叩きつけた。
びくん、と三人組の肩が震える。フェンの迫力は凄まじく、「あいつがなんだってんだ」と強がっていたはずのセイクも小さく縮こまり、三人の後ろでことの成り行きを見守っていた僕も飛び上がりそうになるほどだった。
「お前ら、知ってるか? 金は使えばなくなるんだ。給金を前借りさせてやったときにもそう言ったが覚えているか?」
「たぶん、三人ともよく覚えてるよ。自慢げにそれ、教えてくれたし」
「ばっ、ニール坊、余計なこと言うんじゃねえ」
「セイク、お前は黙れ」
フェンにじろりと睨まれたセイクは静かに項垂れる。「うす……」
「結論から言おう。出立までお前らには一切の施しを与えない。王都までの旅路の間も最低限の食事だけで過ごしてもらう。正規の給金日までな」
その沙汰に狼狽して立ち上がったのはヤクバだった。彼は耐えられない、というふうに大袈裟に頭を抱えて意義を唱える。
「おいおい、それはないぞ、フェンさん。こいつらはともかく、俺は人一倍身体がでかいんだ。痩せ細っちまう。そもそも俺は反対したんだ」
「おい、汚えぞヤクバ」
「あんただって『神は肉を食えとおっしゃっている』とかわけわかんないこと言ってたじゃない! それに、肉と酒がなかったらあたしの胸だって萎むんだから」
「ヤクバ、座れ。あとレクシナ、戦いに胸が必要か?」
鞘を走る刀の音が染みるように鳴った。フェンが傍らに置いてあった二つの曲刀の一振りを掴み、鞘から抜いている。その示威行為にヤクバは勢いよく腰を下ろし、レクシナは震え上がって自らの胸を隠すように手で覆った。
「それは、えっと、肉の鎧? とか?」
「そうか、それならば切り落とせないな」
「だよねえ、まさか、そんな趣味ないよね」
「だが、得てして趣味と実益は兼ねられない」
窓からの陽光を反射した曲刀の煌めきがレクシナの肌を舐める。ひっ、と短い悲鳴。フェンの脅し混じりの冗談は聞き覚えがあったため、僕は何も言わないでおくことにした。
フェンは座ったまま器用に曲刀を回転させ、鞘に収める。
「あと、そうだな……、カンパルツォさまは慈悲深いから来月にはちょっとした小遣いを出すだろうが、それもなしだ。ニールへの借金返済に回そう」
「ちょっと待ってくれ!」そう言ったのはセイクだ。「来月っつったら、メイトリンだろ? あそこで金がないのは拷問じゃねえか!」
メイトリン? 翻訳装置が機能せず、そのまま音を伝える。窺うようにフェンを見たが、彼は憤然たる面持ちで三人を睨んでいて僕を見ようともしない。話の腰を折るようで気は進まなかったが、直接訊くことにした。
どうせこの三人組の前では話の腰など複雑骨折してるようなものだったから、大して問題ではないだろう。
「その、メイトリン、ってなに?」
僕の疑問にいち早く振り返ったのはヤクバだった。彼は目を細め、かつての耽溺した日々を思い返すように鼻の穴を膨らませる。
「なんだ、ニール、メイトリンも知らない田舎者か。メイトリンはいいぞ。酒と女が集まる街だ」
「にこやかに言ったってお金がないんじゃ意味ないってば」
「レクシナの言うとおりだ。マジでツイてねえ」
「ツイてる、ツイてない、じゃないだろう。お前らの所業に対する正当な罰だ」
「なあ、フェンさん」ヤクバは顔を引き締めて、落ち着いた声色で静かに力説した。「神はこう言っておられる。『酒を飲まねば地獄行きだ』と」
「黙れ」
冷たく言い放ったフェンは二振りの曲刀を引っつかみ、立ち上がる。何をするのか、と怯えると、何のことはない、彼はつかつかと扉へと向かっていった。
「俺からは以上だ。ニール、いいか、決して施しを与えるなよ」
その憤慨は護衛団の団長として、というよりも、不正を許さぬ王族としての威厳に満ちていて、背筋が伸びた。「はい」と敬語で返事をするとフェンは小さく頷いて部屋の外へと出て行った。
僕は閉まった扉をじっと見つめる。フェンの怒りの中、かすかにあった虚飾の臭いの原因は想像がついた。人の上に立つ者として彼らの今後を心配しているのだろう。カンパルツォやウェンビアノに余計な心労を増やさないためかもしれない。本当にフェンが去ったのか確認するために扉に耳をつけている三人の性根を叩き直そうとしているのは間違いがなかった。
どれだけ効果があるのか、一切わからないけれど。
「あいつ、ありえねえ。いくら団長だからってやっていいことと悪いことがあるだろ」
僕がいるにも関わらず、セイクは罵倒の見本市が開催できるほどの言葉を並び立て、扉を蹴った。ごん、と間の抜けた音が鳴り、蝶番が軋む。セイクの怒りの臭いはとても判別しにくい。本当に怒っているようでもあり、若干の納得をしているようでもあった。
一方で椅子に戻ったレクシナとヤクバは脱力している。レクシナは机に突っ伏して唸り、ヤクバは背もたれに体重を預けて頭を押さえていた。
「なあ、ニール。本当に俺たちから給金を取り上げるのか?」
「取り上げるって……元はと言えばヤクバたちが僕から取り上げたようなものじゃないか」
「でもきついなぁ……、メイトリン行って禁欲しろってさ、砂漠行って水飲むな、っていってるようなもんだよねえ」
「つーか、死ねとほぼ同じだろ」
「言えてるな」
「どうする? さすがに今回ばっかりはやめますって言えないしさあ」
どうするって言ったって、とヤクバとセイクが口を揃える。メイトリンなる都市を知らない僕にとってはその絶望がどの程度のものかはわからない。たぶん知っていても酒にも遊女にも興味がないから理解できないだろうけれど。
それきり三人は事態の深刻さに黙りこくってしまった。ヤクバに至っては涙を流している。付き合いきれず、去ろうとして扉の取っ手に触れるとそばに立っていたセイクが僕の腕を掴んだ。
「おいおい、ニールの旦那、どこへ行こうってんだよ」
坊主から旦那にジャンプアップだ。まるで嬉しくない。
「どこへ、ってもう終わったから帰るんだよ」
「ちょっとお、ニールちゃんつれないこと言わないでよお」
「そうだぞ、ニール。お前さん、ここの部屋がどんな部屋か忘れたのか?」
「どんな部屋、って会議室でしょ?」
「ああ、そうだ」ヤクバは満足げに頷く。「なら会議をしなければならない。そうだろう? まあ、席に着け。これは重要な作戦会議だ」
「なんで被害者の僕が参加しなくちゃいけないのさ」
「ニールちゃん。落ち着いて聞いて」
初めて聞いたレクシナの神妙な声色に嫌な予感が募る。先ほどのヤクバの口調とほとんど同じだ。逃げだそうとしたが、セイクの指はがっちりと僕の腕を掴んでいて離れなかった。そうこうしているうちにレクシナは身体を起こし、指を組んで顎をその上に置いていた。どこの世界でも会議スタイルの代表であるそのポーズは変わらないんだな、と悠長なことを考えている隙を突いて、レクシナは強弁を放った。
「協力しなかったら、あたしたちどんな手を使ってでもあんたから金を引っ張るから」
どんな脅しだよ!
精一杯の叫びは虚しく宙に溶けていく。
〇
十人掛けの円卓を贅沢に使い、僕たちのくだらない会議はすぐに始まった。
上座に座らせられた僕は鋭い視線を一身に受けており、逃げることもできずに黙っていた。窓から飛び降りようにもここは三階だし、怪我も治りきっていない。
これは事実上の監禁だ。
嘆いていると、ヤクバがこれまででもっとも厳かな声で「提案のある者」と訊ねた。手を上げたのはセイクだ。
「フェンに反旗を翻して護衛団の実権を握る」
「却下」あまりに荒唐無稽で乱暴なアイディアに僕は即座に首を振った。「そんなことして何になるのさ」
「あいつを通して俺たちに給金が来るんだろ? なら下克上しちまえばいい話じゃねえか。そうなったらニール坊、おめえが団長やってもいいぜ」
「嫌だよ」
「まあ、現実的じゃないよねえ。それにセイク、あんた手合わせするってはしゃいで訓練場にフェンを引っ張ってったけど、帰ってきたとき死ぬほど暗かったじゃない」
「そうだけどよ……四対一なら楽勝だろ」
「僕を勘定に入れないでくれ」
「レクシナ、お前は何かないか?」
「あるある! お金が入ればいいんでしょ? なら簡単よ。カンちゃんかウェンビアノくんを色仕掛けで落としてさあ!」
「おめえが落としたところで俺らのとこまで金が来る保障がねえじゃねえか」
「カンパルツォさんは無理だろう。ウェンビアノさんも確か妻帯者だし、あの顔は身持ちが堅そうだ」
「え」
ウェンビアノに奥さんがいるだなんて初耳だった。確かに出会ってからと言うもの彼はいつでも忙しく、直接話す機会は少なかったが、それでも教えられる機会は何度もあったはずだ。
不満に思ったものの、しかし、ウェンビアノがにやけながら「妻がいる」と自慢する姿を想像することもできなかった。むしろ教えてくれなかったころよりも、結婚している方が不思議でもある。常に仏頂面で、眉間に皺を寄せている彼が熱を上げた女性とはいったいどんな人なのだろうか。
そんなことを考えていると、セイクが鼻で笑った。
「なんだ、ニール坊、知らなかったのか? おめえは何にも知らねえな」
「きみたちよりきっと常識は知ってるよ」
「でさ、ヤクバは何かないわけ? 神さまお金ください、てのはなしで」
「ああ、もちろんある」
「んだよ、もったいぶってねえで話してみろよ」
「……誠意だ」
レクシナはその単語を初めて聞いたかのように繰り返した。「誠意? 具体的に言ってくれる?」
「フェンさんの前で頭を地面に擦りつけて金くださいって頼むんだよ」
ヤクバの言葉に会議室が静まりかえった。彼は「どうだ、名案だろう」とほくそ笑んでいる。しかし、セイクとレクシナは顔面の筋肉が軋むほどに顔を歪めた。
「だめだ、こいつ真性の馬鹿だ、つきあってらんねえ」
「地面とじゃれてるからあんたハゲなのよ」
彼らは吐き捨てるように言う。気持ちとしては僕も同じだった。
頼んでどうにかできるなら初めから問題になっていない。大体、それを一度やったからこそ給金を前借りできたのではないのか? どのような思考を経ればその結論に達するのだろう。元の世界の科学者に脳を解剖してもらえば莫大な金が手に入る気がした。
「なんだお前ら、ろくな案も出さずに人を馬鹿にして」
「おめえのよりはましだよ」
「ねえ、ふざけてるなら僕、もう帰ってもいいかな」
「ちょっと、こっちは大真面目に話してるのに、なーに、その言い方」
「大体、おめえ、黙って聞いてるばっかで案すらだしてねえじゃねえか」
「そうだニール。お前は会議出席者として意見を言う必要がある」
無理矢理参加させておいて、何が意見だ。だいたい今だって案と評されるべき案なんて出てなかったじゃないか。
そう考えたものの何か言わなければ許されそうにもない。僕は呆れながら盛大に溜息を吐いた。
「三人はさ、なんで裏口ばっかり探して正門を無視するの? まだ酔いが残ってるなら仕方ないけど……真っ当に稼げばいいだけじゃないか。それで僕にお金返せばすむ話だろ」
そう言った瞬間、部屋の中の空気が一変した。三人は顔を見合わせ、大きく頷いて立ち上がった。拍手を始めた彼らの目の輝きに狼狽える。レクシナに至っては机の上に乗って両手で僕に握手を求めてきた。
「ニールちゃん、頭いいね!」
「お前さては天才だな」
「全然思いつかなかったよねえ。抱く?」
「抱かないよ。馬鹿じゃないの」
「つまんなーい」
「ニール坊に金返すついでに前金分稼げばチャラだな」
「だが、道中の質素極まりない食事はどうする」
「ヤクバは馬鹿だね、その分も稼げばいい話じゃない」
「フェンの鼻面に叩き付ければあいつも考え変わるだろ」
ヤクバは「魔法劇はどうだ」と言い、「筋書きなんて覚えてないよ」とレクシナが答える。セイクが「魔獣でも狩ればいいんじゃねえか」と鼻息を荒くすると、他の二人がそれだ、と声を合わせた。
三人の決定はとんとん拍子に進んでいく。もはやついて行く気すら起きなかった。
フェンは浪費そのものではなく、日常的に浪費を重ねる彼らの態度に怒っていたのだ、だとか、そもそも稼げる当てがあるなら給金を前借りする必要などなかったのではないか、と色々指摘したいことがあったが、僕は口にしないことに決めた。
どうせ彼らの思考など理解不可能だ。アシュタヤにこの三人の心の形を見せてやりたいものだ。さぞ滑稽な形をしていて、アシュタヤも嫌な夢を忘れてしまうに違いない。
「じゃあ、明日は朝からだな。朝一で斡旋所行って依頼を吟味することにしよう」
ヤクバのまとめに僕はひらひらと手を振る。「せいぜいがんばって」と。
金そのものにそれほどこだわりはなかったが、早く返済される分には何の文句もない。どうぞ勝手に稼いできてくれ。そして、稼ぎを使い果たさないでくれ。
だが、その願いは即座に却下された。
「おっと、自分は関係ないみたいな顔をするな」
「そうだぜ、ニール坊、おめえも一緒に行くんだよ」
「ちょっ」思わず口ごもり、僕は立ち上がった。「なんで僕まで行かなきゃいけないんだよ!」
「だってニールちゃんじゃん、稼げって言ったの」
「それとこれとは関係ないだろ」
怪我をしている僕は長時間馬に乗れないから、魔獣の発見される地区まで遠出をすることなんてできない。それにアシュタヤのことが不安だった。彼女は悪夢に怯え、僕のいた医務室へとやって来ることがあったからだ。僕にできることは震える彼女の手を握ることくらいしかなかったが、せめてそれくらいはしてやりたかった。
その感情を吐露するのも憚られ、色々理由をつけたが、彼らは納得する予感すら感じさせない態度でにべもなく僕の意志を無視した。
三人の主張は論理性の欠片もなく、よく思い返せばこの一日彼らが真っ当な判断をした覚えもない。明朝、待ち合わせ場所に行かなかったとしても三人は僕の寝込みを襲いに来るだろう。実際、レクシナはこんなときだけ勘が鋭く、思考を読んだかのように警告した。
僕と三人のどちらがこの舌戦に勝利したか、言うまでもない。




