依頼
俺と神村さんは、≪かふぇ あんろっく≫のソファに座っていた。
抱きつきを終え、元のウェイトレスに戻った柚姫がホットコーヒーを差し出す。
「こちら、胸チラ見コーヒーと能天気刑事コーヒーですー」
あれ?今、物凄く、ナチュラルに、気に障る発言を受けた気がする。
しかし神村さんはさも、平気なように容器を口に当てる。
どうやら聞き流したらしい。まさに能天気。
さて、俺もまずは一杯。そっと啜ると、かなり苦かった。
青汁を20倍濃くした。そう言っても過言ではない。
自分でも分かるほど顔が歪む。神村さんも同じだった。
「よし、苦いもん飲んだし、本題行くか」
賛成だ。とりあえず、口に広がるこの感覚を忘れたかった。
心なしか、気が引き締まる。
彼は右手でVサインを作ると、こう切り出した。
「報告と依頼、どっちからがいい?」
「じゃあ、報告から」
即答だった。まずは彼が訪ねてきた理由、それを知りたかったのだ。
中指を折る。報告とは、予想の斜め上をいったものだった。
「三枝 美鈴さんの姿が監視カメラに映っていた」
心臓が跳ねる。三枝さんの情報。俺はそれを何よりも欲していた。
半年前、それまで何回もさぼり続けていた、能力検査を受けた。
検査は年一回、ポッシブホルダーが受診を勧められる。通常の健康診断に加え、ポッシブに異常がないか、前年と比べて大きな変化がないかを調べられるのだ。
丸一日潰れるので俺は積極的ではなかった。しかしその時はなぜか、受診しようと思った。
いざ会場へ向かうと検査員は三枝さんだった。その日は俺だけが受診者だった。
二つ上の彼女とは高校時代から面識があったから、すぐに意気投合し、スムーズに事は済んだ。
あの日、俺が帰ってから間もなく、彼女は姿を消した。理由は、分からない。
「いつ、どこで、どんな状況だった!?」
身を乗り出していた。鼓動が治まらない。
むしろ速まり、まだかと焦りに駆られる。
「落ち着け、翔太」
鋭い目つきで睨まれる。目先に捉われ、速まりすぎた。
深呼吸する。
「悪い、焦っちまった」
「じゃ、続けるぞ」
それは、俺も予想外のことだった。
「まず、監視カメラだが、競技場のものだ」
「それって…………?」
「能力検査会場。それも、お前と彼女がいた所のだよ」
どういうことだ?あの場には当時、俺がいた。
つまり俺自身が、彼女のいなくなる瞬間を見ていなければならないことになる。
ん?いなくなる?何かが引っ掛かる。
消えた三枝さん。
会場の監視カメラに映っていた。
俺は見ていない。そこから出される結論は……。
「ポッシブホルダーに、誘拐されたのか……?」
「そうなる」
「カメラに映ってないのか?犯人の姿は?」
「残念ながら。しかし」
神村さんはスーツの内側から、タブレット端末を出した。
テーブルに置いて操作する。
映像が流れだした。画質はそれほど良くない。
それがカメラの映像であることは、容易に分かった。
三枝さんが、そこにいた。斜め上の方向を見ている。
すると突然、彼女の視線の先が揺らぎ始める。
空間に波紋が出来た。次に空間が、こじ開けられるように拡がる。
拡がった中心部は円形に黒く、変色している。
その黒い円から、人間の両腕が出てきた。
腕は彼女を掴むと、円の方へ引き寄せていく。
突然のことだからか、抵抗することもなく、空間に近づく。
そのまま飲みこまれる。じわじわと。確実に。
そして、腕が消え、三枝さんが消え、空間が元に戻った。
「なんだよ、これ?」
「だから言ったろ、犯人は映ってないって」
「いや、そうじゃない。今のは『空間移動』のポッシブだよな?」
「ああ。そうだな」
「空間同士を繋げず、空間『そのもの』を歪ませて、移動するなんて、聞いたことあるか?」
神村さんは首をひねる。それもそのはず。
通常の空間移動は、空間と空間を繋ぐ方法をとる。
その際、繋いだ部分、つまり交点には、もう一方の景色が見えるのだ。
トイレットペーパーの芯を覗くようなものと考えればいい。
だがこの犯人は、繋げるのではなく直接、歪ませたのだ。
こじ開けられる空間と波紋が、それを物語っている。
でなければあんな状態にはならないはずだ。
「これである程度、絞り込めそうだな」
「空間移動のポッシブホルダーはそんなにいないからな」
一歩前進だ。少しだが三枝さんに近づいた。
さて、とりあえずこの件は置いておこう。
「よし、神村さん。次、行こう」
「急に元気になったな。さっきとは大違いだ」
「さっさと依頼を言え」
「はいはい」
それは先ほどと同等の驚きだった。
「実はな、三日前、警察官が撃たれたんだ」