プロローグ
世界はうるさい。
実に騒がしい。
誰もが「正義」を振りかざす。
耳を塞ぎたくなるような、無意味な自論。そんな戯言を抜かす奴らに限って、揃いも揃って無能だ。
許したくない。だから俺は力を持った。可能性という力を。
「ぬああああっっ!!」
とある陸上競技場。走幅跳のコースを一原 翔太は走っていた。それだけだったら力まなくても良いのだが、ただ走っているわけではない。
思い切り地面を蹴る。次の瞬間、彼の身体は四メートル先にあった。
「はい、いいよー」
三枝さんが手を叩く。139センチメートルと小柄だが声は大きい。これほど離れているのに、まるで近くに居るようだ。
「相変わらず四メートルちょうど。安定してるね、『F.M.ジャンプ』」
「まあ、ほぼ毎日使ってますから」
三枝さんの顔に怒りが見てとれた。既に大きく息を吸いこんでいる。まずい、吹き飛ばされる。彼女が口を開く。
自慢の大声が耳を貫く……ようなことはなかった。声はそのまま、実体化してきた。まるで衝撃波のようなそれは、俺の身体を浮かせ、後ろへ倒した。というか吹っ飛んだ。
どれくらい宙を舞ったか解らないが、思い切り背中を打ちつけた。一回転し、また背中からいった。
「いってええええええええ!!」
勢いが弱まったのか、転がって行く。ようやく止まったときには、激しい痛みと軽い吐き気に襲われた。
「まだ喧嘩ばっかやってんの?そんなことに『ポッシブ』を使わないで!!」
語気が強まっている。視界が回って顔は上手く見えないが、明らかな怒りを感じ取れた。
「……すみません」
「すみませんじゃないでしょ!!」
「ご、ごめんなさい……」
なんとも恐ろしい。こうなったときの三枝さんは所構わずポッシブを使ってくる。念のため、少し身構えることにした。
「いい?ああいうのは仕事と呼ばない。あんたがやってるのは、あんた自身だけじゃなく、他のポッシブホルダー全員を危険に晒す行動なの。それくらい分かってるでしょ?」
「分かってるよ。あと、俺がやってるのは喧嘩じゃなくて何でも屋っていう、立派な仕事だ」
彼女は目を伏せる。そして静かに、どこか悲しげに言い放った。
「……全ての人がポッシブを認めてる訳じゃないんだから……」
何も言い返せなかった。彼女を直視できず、自分の靴を見る。
確かに、全人類がポッシブに対し、ちゃんと理解しているとは思えない。そもそもポッシブという存在自体、知らない者もいるだろう。
ポッシブとは、人間が持つ『潜在的な可能性』のことだ。その可能性が何らかの形で具現化した現象を、そう呼んでいる。特殊能力・超能力の類と捉えて良い。
そのポッシブを所有する人間を『ポッシブホルダー』と呼ぶ。俺も三枝さんも、その種類だ。
彼女のポッシブは『破声』と言う。先にあげたと思うが、声に実際の衝撃を与え、目視可能な状態にする能力である。威力は声の大きさに比例して強まり、平常時でも屈強な成人男性が三人、吹き飛ばされるほど。
一見すると強力で、悪の組織に入ってもおかしくない。だが、三枝さん自身はその能力に悩まされてきたという。
幼少のころに威力を制御できず、家族を、友人を、傷つけてしまった。
周囲の目は冷ややかで、「悪魔の子」だとか「バケモノ」と揶揄した。
誰も彼女の抱える苦しみを理解しようとはしなかった。
ただただ彼女は避けられた。
そして、人を心から信じられなくなってしまった。
全てを悟ったような発言はそういった、未知に対する周囲の「無知と偏見」に絶望したことに起因しているのだろう。
俺はその絶望をよく知っている。だから、彼女の本音を聴くと言葉が出なくなるのだ。
「よし!!検査終了、今日はもう帰っていいよ」
「え」
「一回言われたらさっさと行動!!」
「は、はい!!」
切り替え速くね?と思ったが口にはしなかった。なんとなく、吹っ飛ばされそうな気がしたからだ。一礼し、出口へと走りだす。その間、俺は考えていた。
『……全ての人がポッシブを認めてる訳じゃないんだから……』
初めてポッシブが確認されてから十数年。一般の社会にポッシブホルダーが混ざることは当たり前となった。能力を使い、世のため人のために生きる者が増えた。
なのに一部の人間は彼らを忌み嫌う。理解しがたい存在、自分たちが持っていない可能性を持つ存在を「害悪」として避けるのだ。
何がいけない?何が気にくわない?何が怖い?
答えはあまりにも直ぐに出た。ポッシブホルダーによる犯罪。彼らによるその過ちが、不信感の出処の一つとなっている。
俺の職業・何でも屋は、その不信感を取り除き、一般人とポッシブホルダーが手を取り合って生きていける世界を作るために始めたものだ。三枝さんの言葉で改めて思い出した。
ふと脚を止める。振り返ると、彼女は空を見ていた。
「俺が変えてみせる。絶対」
小さく決意表明をすると、踵を返し、脚を動かした。