最終話 虹ははるか遠くまで
憔悴と憎悪に燃えているらしいニヒトが、俺めがけて咆哮した。何故ここにいるのかと。何故生きているのかと。
それに、俺は答えない。代わりに見せたのは、息づく世界から光を与えられ、まばゆく煌めくアルカンシエル、その切っ先。
ニヒトの問いに、答えてやる謂れはない。俺がやるべきなのは、この体が限界を迎えるその前に、こいつをブチのめすことだけ。
ちらりと横を見ると、そこには今まさに光の粒と化し、消えていこうとしているプラティユーシャがいる。だが完全に力を失ったわけではないらしく、その身は人に変じるだけで済んでいたことに、俺は安どした。いくら俺の力がプラティユーシャから独立しているとはいえ、アルカンシエルをはじめとした魔力などの力は、このカイ・ドレクスの神たるプラティユーシャから供給されているもの。ゆえに、今ここでプラティユーシャが完全に消滅するのは、少々憂慮すべき事態だったのだ。
しかし今現在、プラティユーシャはぎりぎりとはいえ生き残っている。ならば、俺の持つ懸念はほぼ払拭されたといっていいだろう。憂慮すべきは俺の体だが、そこに関しては問題ない。六精霊たちが全力で保護を行ってくれているので、少なくともケリが付くまでは持つはずだ。その分世界を守るためのリソースが不足しているが、プラティユーシャが死なない限りは大丈夫らしいので、そこもよし。
まさしく俺は今、心置きなく戦える状態なのだ。そのことを言外に含めて、俺は一言だけ口を開く。
「俺は――刺し違えてでもあんたを倒す」
真一文字に引き結んだ口を開いてつぶやいた、その一言。それだけで、俺とニヒトの両方が動くには十分だった。
「――――ならば、今度こそ貴様を……チリ一つ残さず、消滅させてやろう!!」
瞬間、ニヒトが両の手を俺にかざし、虚空を生み出す。空間を食いながら俺めがけて殺到する虚空が俺を飲み込み、しかしアルカンシエルが吹き飛ばす。それを皮切りに、俺は背中に力を集中して、六属性を司る色に包まれた、三対の無機質な翼を発生させた。
続けて足元に炎の力を収束させ、爆発によって飛翔する。揚力が無いので滑空のような形にこそなっているが、これでいて六枚羽はきちんと飛べるのだ。つくづく魔法ってすごいなぁと場違いな考えを巡らせながら、俺は殺到する虚空群を切り伏せていく。
「なれば!!」
「させるかよ!」
続けざまに魔力の雷を生み出し、俺めがけて放とうとしたニヒトめがけて、俺は風の力で生み出した突風をプラスしてさらに加速。雷が放たれるその前に、ニヒトの手首付近を切り裂いた。
「ち……!」
しかし、切り裂いたという手ごたえがない。見れば、ニヒトは手首を抑えてこそいるが、そこに大したダメージは入っていないらしい。さすが魔神というべきか、その肉体もまた限界まで強化されているようだ。あるいは、使い捨てるつもりでカインの体を酷使しているだけなのかもしれないが。
まぁ、攻撃が効いても効かなくても、それはどうでもいい。重要なのは、攻めること!
「ぜらあっ!!」
咆哮一発、俺は光を用い、疑似的にオーバーロードさせたアルカンシエルを振るう。見た目こそ魔龍を倒したオーバーロードに似ているが、こちらは純粋に俺の中に宿った神力――つまるところの魔力だけで生成したものだ。ゆえに、アルカンシエルに負荷がかかることはないため、以前よりも気楽に使える。
一度、二度と振るい、ニヒトをその刃にとらえる。しかし、これでもニヒトの体には傷一つついていない。
「小癪なァッ!!」
だが、ダメージの蓄積はさすがのニヒトにも無視できない懸念事項らしい。憎々しげに顔をゆがませたかと思うと、最大まで威力が引き上げられた魔力の雷を放ってきた。
「その程度ォッ!!」
対する俺は、アルカンシエルを持たない腕に魔力を収束させる。イメージするのは、かつてアルカンシエルがイーリスブレイドだったころに、その全力をもってようやく破壊がかなった超巨大魔装、その腕。
収束した魔力の光が、どことなく機械的な外見を持つ巨大なこぶしを形作った。それをニヒトめがけて横なぎに振るえば、飛来する雷を纏めてからめとり、吹き散らす。
「どらあぁぁぁっ!!」
さらに振るった勢いで横に一回転し、再度ニヒトめがけてこぶしを突き出せば、魔力でできた機械拳が甲高い音を立てて発射された。不意を突かれたニヒトは即席のロケットパンチを全身で受け止め、吹き飛ばされる。
「小賢しいッ!」
しかし空中で体勢を立て直したニヒトが、その手のひらから剣を取り出した。デザイン的に言えば勇者の剣そのものだが、真っ黒く染め上げられたそれはさながら魔王の剣。洒落たことしてるなぁとか見当違いな考えを巡らせながらも、俺は飛来した魔王剣をアルカンシエルで受け止める。
ギ、ギ、ギィン!!と空間にこだまする剣戟の音を肌で感じながら、俺は魔神の剣技に内心あきれていた。
正直、素人時代の俺よりも剣筋が悪い気がする。コイツ自身は魔術師みたいなもので、剣に対する関心はあまりなかったのだろう。こうして魔王剣を手に俺へと剣戟を挑んできているのは、単純な魔法だけでは勝てないと悟ったからか。
「ぬん!!」
そんなことを考えていたせいで、ニヒトが発動させた大爆発に気付くのが遅れてしまった。至近距離で爆炎をまともに食らい、吹っ飛ばされるが、あいにくと俺に大したダメージは入っていない。
しかし、どうやら爆炎はカムフラージュだったようだ。気づけば俺の周囲360度全方位に、その中に何一つと存在していない虚空が表れていた。
「魔剣奥義――『絶剣・疾風迅雷』!!」
だが、そんなものは脅威にすらならない。あみだした剣技を持って、周囲を埋め尽くしていた虚空の全てを千地に引き裂いたのち、俺はアルカンシエルの切っ先を再び振りぬいた。
「魔剣奥義『絶剣・万物流転』!!」
横に巨大な衝撃波が2度、3度と放たれ、ニヒトめがけて殺到する。事もなげに打ち消されるかもという懸念こそあったが、俺としては当たっても当らなくても関係ない。
「その程度!!」
懸念は当たってしまったらしく、万物流転の全ては拳一発のもとに霧散してしまう。だが、プランAはこれでいい。
振るわれた拳と同時に放たれた衝撃波の数々を、バレルロールを繰り返す戦闘機のように回避しながらニヒトめがけて肉薄する。狙うは、必殺の一撃!
「――魔剣奥義『絶剣・天衣無縫』ッ!!」
後数秒でかち当たるかどうかのところで、俺はアルカンシエルをまっすぐ縦に振りおろした。真一文字の軌跡が魔力の塊と化し、超高速で回転する無慈悲な刃となる。
本当なら二刀流で繰り出す技ではあるが、前回使用した後に「剣を片方失ったら使えないのはまずい」と考え、特訓を重ねていたのだ。よもやこんなところで役に立つなど、あの時の俺はかけらも思っていなかっただろう。
「ぐっ!?」
そんなとりとめのない考えをしていると、ニヒトが俺の攻撃を食らい、うめく声。チャンスは、ここだ!!
「魔剣奥義――――『絶剣・百花繚乱・神絶』!!!」
かつては魔力の糸を無数に操り出し、相手を切り裂く技であった百花繚乱を、剣そのもので放つように改良した、無数の剣戟による乱舞攻撃。大剣から双剣へと変じたからこそ実現した、俺の剣術のみで成しえる神速の連撃!!
「だらあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
「ぬおおおああぁぁぁぁぁッ!!!」
神剣と魔剣がぶつかり合い、中空を剣戟の火花が彩る。しかし、剣の腕に関しては素人同然なニヒトと、これまでの旅で独自に剣技を磨いてきた俺とでは、天と地ほどの差があるのは歴然!
「ぬ、ぐああぁっ!?」
数瞬の間、空を彩っていた火花だったが、それは少しの間しか持たなかった。俺が叩き込んだ数十連発の剣戟が、ニヒトの体を抉ったのである。
体を焼く剣の摩擦熱を引き連れて、ニヒトが墜落していく。それを見つめながらゆっくりと効果飼育俺は、細く息を吐いた。安堵ではなく、憔悴の意味で。
これだけの攻撃を浴びせたのにもかかわらず、ニヒトの体にはかすった程度の傷しかついていないのだ。このままでは、あいつの堅牢な身を砕くことはかなわない。
それに、俺の体もいつまで持つかわからない。いくら六精霊たちが全力を尽くしているとはいえ、それも永遠に続くわけではないのだ。早くケリをつけたいところだが、攻撃が通らない以上どうすればいいか――という俺の思案は、予想だにしない声で中断させられる。
『聞こえますか、タクト』
「っ……プラティユーシャ?!」
小さくつぶやいて、俺はプラティユーシャが倒れている方角を見やる。そこには、ボロボロの様相を呈しながらも、確かな生気を宿す人型の神龍の姿があった。どうやら、声そのものは念話で送っているらしい。
『よく聞いてください、タクト。……これより、この世界に生きる人々の希望を力に変えて、貴方に送り届けます。その力を魔神へと打ち込めば、必ずやかの魔神を討滅することができるはずです』
プラティユーシャから聞かされたのは、目の前で苦しげにうめく魔神を倒す、ただ一つの方法だった。ならばと身構える俺だが、プラティユーシャの話には続きがあるらしい。
『ですが、力となった希望は、貴方の体に甚大な負荷をかけることでしょう。最悪、命を落としてもおかしくありません。……それでも』
「やるよ」
さらに何かを続けようとしていたプラティユーシャを、俺は一言つぶやいて制した。次いで、にやりと口元をゆがませる。
「もともと、今の状態だって限界ギリギリなんだ。今更死ぬかもなんて言われたって、大したことじゃないさ。……だからプラティユーシャ」
そこでいったん言葉を切り、俺めがけて飛び立たんとするニヒトを見つめる。――こいつを倒して大好きなこの世界を救えるんなら、こんな命など惜しくないのだ。
「頼む!」
一言だけの、懇願。それは、俺がこの世界の明日を望むからこそ、腹の底から絞り出せた一言だった。
『その決意、確かに受け取りました。』
そう言ったプラティユーシャが、音もなく両の手を天へと掲げる。
『――――この世界に生けとし生きるすべての命よ。わが名はカイ・ドレクスを総べる神、プラティユーシャ』
同時に、プラティユーシャが世界に向けて語りかけ始めた。当然ニヒトも気づいているのだろうが、しかし奴はプラティユーシャを、さらに俺を無視して、天高くへと飛んでいく。
『あなた方が知る通り、この世界は今危機に瀕しています。……しかし、希望を捨てないで』
天空の一角でとどまったニヒトは、さらに天空めがけて両手を突き上げ、吼える。その手には、すべてを飲み込まんとする虚空が生まれようとしていた。
『その希望は力となり、大いなる希望へと注がれます。だから、祈ってください』
憎々しげに俺を見下ろすニヒト。何事かを呟いているようだが、あいにくと遠すぎるために俺の耳には入らなかった。
『この世界を救う希望である勇者に――――神龍の騎士タクト・カドミヤの勝利と、希望ある明日を!』
この世界全てを見下すニヒトを、俺は真っ向からこの眼で射抜く。ここまでやってきたのだ、後は――勝利するだけ。
そして数秒が過ぎたとき、世界に異変が起こった。
――違う、異変ではない。力に変換された希望が天へと昇り、それが世界中を埋め尽くしているから、空が見えないほどのまばゆい光に世界がつつまれているから、そう見えるだけなのだ。
「すごい……こんなにたくさんの光が」
いや、考えてみればこれは必然なのだろう。この世界に生きる人々は、基本的に生きたいからこそ日々を営んでいるのだ。そんな人間ばかりなこの世界だからこそ、この光景は生み出されているのだろう。
そうして天を埋め尽くしていた光は、やがて轟音とともに俺めがけて降り注ぐ。
「ぬ、ぐっ……!!」
重い。だけど、優しい。人々の希望を一手に担う神龍の騎士たる俺は、そう感じていた。
『タクトーっ、頑張れよぉーっ!世界を救って、また俺たちの家に帰ってこぉーい!!』
『信じてるからね!タクトが、あたしたちの世界を救ってくれること!!』
『俺の前でした宣言、果たしてくれよタクトーッ!!』
『私を幾度も打ち負かしたのだ。魔神程度に負けてもらっては困るぞ、タクト!』
『カノンを救ってくれたその優しさに、私たちは賭ける。全力でやってくれ、タクト君!』
『頑張れよタクトー!また、お前らと一緒に旅したいからなぁーっ!!』
『あんたや世界のためなら、いっくらでも希望を持ってやるわ!だから、思いっきりやんなさい!!』
『絶対に、この世界救って帰って来いよ!異世界人同士、話したりないことがまだまだあるからな!』
『このくらいでしか役に立たぬ弱小国の王だが……せめて、君とこの世界のために祈ろう!!』
『タクト様、貴方にこのような重責を押し付けて申し訳ありません。……ですが、私たちは願っています。あなたがこの世界を救い、無事に帰ってくることを!!』
流れ込んでくるのは、たくさんの人々の生きたいという意思。その中には、俺が知る声もたくさん存在している。皆、この世界で生きたいのだ。その意思が、ありありと伝わってくる。
希望を受けるアルカンシエルが、一つの命のようにまばゆく脈打った。そうしてなお増し続ける力の中に、不意にそれは紛れ込んだ。
『頑張ってね、タクト君!私、君がこの世界を救ってくれること、信じてるから!』
『加勢できねぇのは癪だが、まぁいい!タクト、俺たちの思いも、全部纏めてぶつけてやれ!!』
『私たちは、あなたの優しさに惹かれた。だから、この世界を救ってくれるということ、信じてるわ!』
それは、泣きたくなるほどに聞きたかった声。アルカンシエルに集う力を介して聞こえたその声で、不意に熱くなった目頭を押さえてしまう。
「……わかってるよ、みんな。絶対、あいつはぶっ飛ばす」
収束する希望の力の塊に向けて、俺はそうつぶやく。――――だが、足りない。
今集まった分だけでは、あいつを討つことはできても、完全に滅ぼすことはできないだろう。俺の感が、そう告げているのだ。
後少し。誰でもいいんだ――――そう願う俺に、突然巨大な力が降り注いだ。
ニヒトの攻撃ではない。これは、命の力だ。注がれる命の出自を探すのは、案外と簡単だった。ニヒトに討たれ、倒れたはずのアベル。その命が、俺めがけて惜しみなく注がれているのだ。
命を捨てる真似はよせ。そうやって制止する前に、アベルの声が――ある意味誰よりも希望に満ちた彼の声が、俺の頭に流れ込んできた。
『……君は止めろと、そう言っているのだろうな。だが元はと言えばこの惨状、私に責があるのだ。……それに、この命と引き換えに、魔神に食われたカインを開放できるというのだ。なればこの命など、この魂など惜しくはない』
『頼む、神龍の騎士……タクト君。君の手でこの世界を……そして、カインを救ってやってくれ』
そう懇願する声は、そこで聞こえなくなった。見ずともわかる。アベルはその肉体も、魂も、命の一滴までも、俺に捧げてくれたのだ。
「……そうまで言われちゃ、なおさら負けられないよな」
自嘲気味にそうつぶやいて、俺はまっすぐにニヒトを見上げた。すでにニヒトの手には、溢れんばかりの虚空が渦巻いている。チャンスは、一回だけ。
「その希望を絶望に変え……永久の闇に沈むがいい、神龍の騎士!!!」
「この世界は明日に進み続けるんだ。だから――――どいてもらうぞ」
虚空と極光。絶望と希望。神と人の意志。それが、ぶつかり合う――――。
「消えろ」
呟いたのは、俺だった。虚空を切り裂き、なお微塵も勢いを衰えさせない希望の光は、そのまま空を覆う虚空を切り裂き――ニヒトを焼いた。
「ぐううおおおあああああああぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁ―――――」
溶けていく虚空にこだまする、どことなく喜んでいるようにも聞こえる断末魔を聞きながら、俺は急激に襲ってきた恐ろしいほどの痛みにあらがう暇もなく、意識を闇に落としたのだった。
――もう、限界が来たんだなと。そう確信めいた予感を脳裏に浮かべながら。




