第61話 対策会議
「落ち着きましたか?」
「うん」
感情の赴くままに泣いて、俺はいくばくか冷静な思考を取り戻せた。取り戻せたら取り戻せたで、今の状況――胡坐を掻いて座り込んでいる俺の首元あたりを、神龍が後ろから抱きしめているという状況にかなり気恥ずかしさを覚えたが、厚意でやっているのであろう手前、振りほどけないのが現状だ。ほんと、仲間たちが出てくれてよかった。
「ふふ、素直に感情を見せてくれて嬉しいです。カインもアベルもカルマも、皆この状況になるのが恥ずかしくて振りほどいていたんですがね」
俺もできれば振りほどきたいんだけどなー、なんてことを胸中でぼやきつつも、背中から感じる人……というかこの神様の温かさを感じて、身をゆだねていた。神龍も俺を優しく包んでくれる。
それからまた少し経って、ふと俺はこういうことをしに来たんじゃないのを思い出した。慌てて立ち上がろうとするが、察したらしい神龍によってその場に押し込められる。流石神様、女性の姿でも腕力が桁違いだ。
「このままでもお話はできますよ。立って話すのも、疲れるでしょう?」
「けど、神龍様……」
なおも反論しようとした俺を制して、神龍はいたずらっぽく笑う。
「プラティユーシャ、でかまいませんよ。長いなら、ユーシャだけでもけっこうです」
さっきまで慈悲の色を湛えていた神龍の目が、今度は個人に対する愛情を持ったものに変わった。からかっているのか、とも考えて警戒していたが、やがてまぁいいかと少々投げやりに思考を諦めた。そんな表情をされたおかげで、今の状況にいっそうの気恥ずかしさを覚えたからである。
「……わ、かったよ。プラティユーシャ」
神龍、改めてプラティユーシャは、俺の言葉を聞いて満足そうに微笑んで、また俺を抱きしめた。恋人みたいなその行為にちょっとドキマギしつつ、俺はやっと本題を切り出す。
「そ、その、さ。魔王とかのことの対策をしないと!俺たち、本当はそのために来たんだし……」
どもってしまったのは許してほしい。異性との友人関係――カノンとかサラとか、気兼ねなく話せる女友達というのはこっちにきてから割と増えた――はあっても、ここまで密着されることなんてなかったんだ。
で、俺の言葉を受けたプラティユーシャがまたふわりと笑って、ようやく解放してくれた。二度捕まるまいと慌てて退散し、振り返った時にはすでにプラティユーシャは龍の姿へと戻っていた。ほどなくして、眷属か何かに呼ばれたのだろう仲間たちが戻ってくる。
「さて、お待たせしました。わたくしが貴方がたを呼び寄せたのは、他でもない魔王たちに関することです」
話は伝わっていたらしく、仲間たちが皆一様に表情を引き締めた。
……なんというか、不公平というか、都合がいいというか。そんなことを考えて自然と仏頂面になる俺を尻目に、プラティユーシャは真剣味のある声で話を始める。
「ご存知のことと思いますが、魔王と魔神はこの世界に滅びをもたらす、危険な存在です。どこかの宗教ではそれが当然、と見る動きも存在しますが、彼らの存在はいわゆるイレギュラーであり、本来ならばこの世界には存在しないものなのです」
「存在しないもの……そんなものがどうして?」
サラの問いかけに、プラティユーシャは一つうなずくと続きを口にする。
「人には善悪の感情があり、それを確立するために正と負の力も存在しています。その負の感情……いうなれば、人の心の闇が長い年月を経て蓄積され、強大な力を持つようになったのが魔神、と言えば、お分かりでしょうか」
「……つまり噛み砕いて言えば、魔神ってのは人の不満が集まって、爆発した結果できた存在だ、ってことか?」
「ええ、大体その解釈で正解です」
俺の解釈を肯定したプラティユーシャは、続く言葉とともに沈痛な面持ちを見せた。
「厄介なのは、人の感情や力は時として神さえも凌駕するという性質をそのまま受け継いでいるため、たくさんの人々の感情が集まった魔神は、わたしの力だけでは到底太刀打ちできない存在になってしまっているのです。本来ならばわたしが直接出向いて事態を収拾するべきなのですが、もしわたしが敗北した場合、この世界の均衡が一気に崩壊してしまいます。そうなれば……」
「破滅は免れない、ってことか。難儀なもんなんですね、神様っていうのも」
ゴーシュが肩をすくめて、現状をざっくりと纏める。たしかに、この世界を護る神様が太刀打ちできないんじゃ、どうしようもない。とすると――
「プラティユーシャ。神龍の騎士ってのは、もしかしなくてもそのために?」
「はい、そのとおりです。神の力と同等、あるいはそれ以上の力を持つ、自然を構成する根源的な力を宿したわが眷属……つまるところの六精霊の力をその身に宿し、負の集合体たる魔神を滅することができる存在。それが、代々の神龍の騎士なのです」
なるほど、だから六精霊の神殿をめぐり、その加護と力の結晶である宝珠を手に入れなければならなかったのか。となると道中のダンジョンは、さしずめ神龍の騎士になれる資格を持つ者かどうかを試す、試練みたいなものなのかもしれない。
事実、あのダンジョン郡を攻略できたとき、少しながら強くなった実感はあった。もしかしたら何かの効力もあったのかもしれないが、今となっては特に重要じゃない。今重要なのは――
「……大体わかりました。でも、どうやって魔神を倒すんだ?ここまで戦ってきてなんだけど、俺たちそいつの居場所なんて何も知らないし」
「ええ、そのくらいは承知の上です。わたしは相反する存在……つまるところの魔神を察知し、眷属である幻龍へと伝達することができます。それを使って、幻龍によって貴方たちを魔神と魔王の根城へと送り届けようと思います」
そう言って首をもたげた――おそらくは幻龍を呼ぶためだ――プラティユーシャが、すいと首を元の向きに戻した。
「……そういえば、拓斗。貴方は確か、不思議な馬を連れていましたよね?」
「え、えぇまぁ。……ルゥがどうかしましたか?」
あの竜模様の馬がどうかしたのか、と聞く前に、かっぽかっぽと蹄鉄を鳴らしながら件の動物――ことルゥが、神殿の中へと入ってきた。驚いたことに、目の前に神龍がいるというのに物怖じ一つしない。
そのまま俺たちの近くまでやってきたルゥを、プラティユーシャの澄んだ瞳が見つめる。馬と龍が向かい合って見つめ合うさまは不思議だが、やがて何かを悟ったかのように、プラティユーシャがわずかにうなずき、その大きな手をルゥの額にかざした。
何をする気だろうか――と考えていると、不意に俺たちの視界をまばゆい光が包み込んだ。思わず腕で目をふさぐという、なんかついさっきもやったような行動をとってすぐ後、光がはじける。
何だって言うんだいったい。風の神殿でもされたけど、突然の目潰しは本当にやめてほしい――という愚痴をプラティユーシャにぶつけようと、そちらを向いたときだった。
「………………あ、れ?」
そこにいたのは、向かい合った神龍と馬ではなく――身を丸めた銀色の竜と、その額に手をかざす神龍だった。つい先ほどまでそこにいたはずのルゥの姿が、どこにも見当たらない。
動揺する俺たちを尻目に、プラティユーシャの手から離れた幻龍が、るるるぉー……と遠い空めがけて鳴いた。まるで身体をほぐすかのようにぐっと全身を伸ばし、天に向けてその鼻っ柱を突き上げる。
その仕草が、空めがけていななくルゥと、被った。
「……まさか、ルゥ?ルゥなのか?」
いち早く動揺から立ち直った俺が、銀の龍に問いかける。俺の言葉に反応した幻龍は、首をたわめてこちらを向き、すっと微笑んだ。
「ええ、その通りでございます。……言葉を交わすのは初めてですね、タクト様」
女性の声で、囁くようにそう呟くと、幻龍はゆったりとした動きでこちらに歩いてきた。何をするのかと少し身構えるが、やってきたのはなんのことはない、ルゥがいつもやっていたじゃれつき……鼻先を俺の頬に軽くすりつける行為だった。
元々人見知りだったルゥが心を開いて間もないころ、よく俺にやっていたスキンシップ。それを知っているのは、俺や仲間たち、そしてルゥ本人(人?)しか知らない。それを今、俺に向けてやっているということは、つまるところこいつは本当に……。
「……ルゥなんだな」
「はい。驚かせてしまい、すみませんでした」
いつもと同じように鼻先を軽く撫でてやると、ルゥは気持ちよさそうに目を細めた。そんな光景を見てしばらく和んでいたが、ふと気になったことがあってプラティユーシャに問いかける。
「なぁ、どうしてルゥがこんな姿に?……っても、ほんとはこっちが本来の姿なんだろうけど」
馬のときにあった不思議な竜模様は、このためにあったのだろう。そう考えると、ずっと馬の姿だったことがことさら気になってしまう。
言外に含む意図を察してくれたらしいプラティユーシャが、少し考えるようなそぶりを見せてから、訳を話し始める。
「元々ルゥは、わたしが魔王やその部下たちの動向を観察するために遣わした幻龍でした。幻龍には姿形を自在に変える力を持たせていた故、偵察にはうってつけでした。が、ある日魔王の一団に見つかってしまった彼女は、目を誤魔化すために近くにいた馬へと変化し、難を逃れたのです。……しかし、緊急事態だったので強く念じすぎてしまい、結果自力では戻れないほどの強力な変化の術を施してしまいました。それから程なくして馬売りに見つかり……あとはあなた方の知っている通りです」
戻れないくらいに強力な術とは、ルゥもさぞ苦労したことだろう。まぁ、荷物持ちとして使ってたのは俺なんだけど。
「タクト様にお会いできたのは、不幸中の幸いでした。神龍様も忙しい身ゆえ、私だけに気を割いてはいられませんでしたから」
うやうやしく頭を下げながら、ルゥがそう呟く。といっても、俺がルゥを買ったのはほんの偶然……もっと言えば、ただの好奇心からの購入だった。もし俺が別の馬を買っていたらどうなっていたんだろうかという懸念が頭をよぎり、どことなくこうして感謝してくれることがもどかしく感じる。
「か、感謝されるようなことじゃないさ。ただの偶然だったし、好奇心だけで振り回したりしたし……」
「それでも、ですよ。それに、あなたや皆さんとの旅は、龍の身からすればとても新鮮で楽しいものでした。その点も含めて、私はあなたに感謝しています」
まっすぐな瑠璃色の瞳で微笑まれて、少し照れくさくなる。たしかに、自由に空を飛べる龍が地上での旅を体験するなんて、めったにないことだ。そういう意味では、馬になって良かったのかもしれない……なんてことを考えてるのかなぁと思いつつ、話を再開したプラティユーシャのほうに向き直る。
「魔王たちの居城へは、ルゥを使ってください。彼女は幻龍の中でも特に強い力を有していますから、防衛網の突破はたやすいことでしょう」
刺客の手から逃れられるほどの高度な変身を行えるのだ、力が強い、という言葉には納得できる。できるのだが、元々馬として接してきていただけに、戦闘面を任せられるのか不安になってしまうのは俺だけだろうか?
まぁ、プラティユーシャのお墨付きもある。その辺は信頼しても大丈夫なはずだ。
「……恐らくは、戦いもこれまでとは違う激しさになるでしょう。あなた方にも、さらなる試練が待ち構えているはずです」
再びのプラティユーシャの言葉に、俺たちは一様に聞き入る。その表情は、揃ってどこか感慨深げだ。
「ですが、ここまでわたしの課した試練を乗り越えてきたあなた方ならば、きっと魔王と魔神を打ち破ってくれると、わたしは信じております」
本当に、ここまでの道のりは短いようで長かった。最初は何の力もなく、この世界に放り出されただけの子供が、仲間たちと出会い、使命を知らされて、敵を下し、旅を続けて、ようやくここまでたどり着くことができた。
こうしてここに居られるのは、ひとえに出会ってきた人々の、仲間たちのおかげでもある。だからこその確認の意味も込めて、俺は三人へと向き直った。
「……カノン、ゴーシュ、サラ。ここまでずっと一緒に旅をしてきてくれて、感謝してる。多分、俺1人だけだったら、何もできずにただ腐ってただけだった。けど、こうしてここに居られるのは、みんなのおかげだ。だから……」
言葉を切り、目を瞑って空を振り仰ぐ。目を開ければ、そこには広大な青い空。
「だから……もう少しだけ、俺のわがままに。この世界を救いたいっていう、この無茶苦茶なわがままに、付き合ってくれ。もう一度改めて、みんなの力を借りたいんだ」
一息に言い切って、俺は深く頭を下げる。ここまで一緒にいてくれた感謝と、もう少しだけ付き合ってほしいというお願いを混ぜて。
「ね、顔を上げてよ、タクト君」
しばらくしんと静まり返っていたが、不意にカノンの声が耳に響いた。言葉に従うまま顔を上げると、そこにあったのは仲間たちの、いたずらっぽい笑みだった。
「もちろん、私たちからもお願いしたいな。この世界を救いたいっていうのは、私たちも同じだもん」
明るく顔をほころばせて、カノンがそう告げる。
「ただし、お前のわがままには付き合えねぇな。……付き合わされるのは、お前の方だぜ、タクト」
悪巧みを腹に抱える子供のように、ゴーシュが嘯く。
「私たちもみんな、この世界を救いたいっていうわがままを言っている。だから、貴方もそれに付き合って」
穏やかな声音で諭すように、サラが呟く。
「私たちはタクト君をわがままに付き合わせる!」
「その代わり、俺たちはお前のわがままにつきあってやる!」
「忘れないで。この世界の命運は、貴方だけが背負うわけじゃないのだから」
示し合わせていたかのような抜群のコンビネーションで俺に言葉を投げかけた後、三人はそれぞれ俺に向けて手を差し伸べた。
――そうだ、覚悟を決めているのは、俺一人じゃない。利害の関係なく、共に戦ってくれる仲間がいるんだ。
「……勝とう、絶対に!」
「「「おう!!」」」
三人の手を取って一つに重ね合わせ、円陣を組んだ俺たちは、ひとつ高らかに唱和した。
***
「……タクト、貴方はとても幸せ者ですね」
そんなタクトたちの様子を見つめながら、プラティユーシャは1人呟く。
(どうか、カインの二の舞にはなりませんように……わたしは、貴方を心から想います)
胸中で不安を吐露しつつも、最後の休息を取るため、プラティユーシャにむけて礼を述べつつ去っていく若い勇者たちを、彼女はただ見送った。
期間にして実に約3週間、大変お待たせいたしました…。
〜以下言い訳タイム〜
(長いので飛ばしてください)
今回これだけ製作が遅れたのは、ひとえに私の計画性の無さが原因にございます。
元々この回は、60話のあとがきでも申し上げた通り60話の中に格納される形を想定して執筆しておりました。
が、この61話分(特に中盤以降)の構想に対して、思った通りの文章を形成することができずにいたおかげで、もう少し後で、もう少し後でとグダグダ引き伸ばした結果こうなってしまいました。
重ね重ね、更新がクリスマスを過ぎてしまったことをお詫びいたします。
今後ももう少しこのような状態が続くかも知れませんので、忘れる前にご挨拶を。
メリークリスマス、そして良いお年を。
年が明けても、またよろしくお願いいたします。




