第60話 神との邂逅
「見えますか、タクト様。あれがアーテミス山脈頂上の聖域……この世界の者からは『神龍のほこら』と名づけられている場所にございます」
幻龍に促されてその背から身を乗り出すと、すぐ目の前に延々と続く色素の薄い岩肌郡が見えた。そしてその頂上と思しき場所の一角だけが、鮮やかな緑に包まれている。
出発してから2時間ほどしか経っていないが、もう到着が近いようだ。ずいぶん早いな、と感じつつも、俺は幻龍に質問をぶつける。
「なぁ幻龍、どうしてあそこだけ緑が多いんだ?」
「神龍様のお力によるものです。万物を創生せしその力の一部があの場所に宿っているため、あの一角だけは永久に枯れることのない緑に覆われている……と、神龍様より聞いたことがあります」
なんだ、真相を知ってるわけじゃないのか。しかし、それほどの力を持っているとは、流石にこの世界の守護神を名乗るだけのことはある。てっきり、よく創作物にある名前負けした見掛け倒しの神様なんていうものを想像していたが、やっぱり本物は格が違うらしい。
そんな失礼なことを考えつつ、俺と仲間たちは幻龍の背に乗って、緑あふれる地へと降下していった。
「さ、お降りください。私めがご案内できるのはここまでですゆえ、ここからはその足でお進みくださいませ」
そう言う幻龍に促されて、俺たちはその背中から各々降りる。先に降ろしてもらっていたルゥ――二時間がっちり捉まれていたのに、一度も悲鳴らしい悲鳴を上げていないのはタフなのか、それともただビビッていただけなのか――を軽くなでてやり、ついで俺は幻龍に礼を述べる。
「ありがとう、幻龍。あんたがいなけりゃ、もっと時間がかかってたと思う」
「礼には及びませんよ。私は、神龍様から仰せつかった任を遂行したまでです」
それだけ言うと、幻龍は翼を羽ばたかせ、空へと飛び去っていった。どこに住んでるんだろうか、なんてズレた考え事をしながら、俺は仲間たちを伴って目の前に見えた小さなほこらに向けて歩き始める。
ただ、小さなというのは少々目測違いだったらしい。近づいてみると、その大きさがよくわかった。世界各地にあった6精霊の神殿とはスケールの違う大きさである。
もっとも、かなり昔から存在していたらしく、そのところどころが瓦礫になっており、至るところが苔むしていた。遺跡的な趣があって、いかにも神様が住んでいそうな神々しさをかもし出している。
「すごいね……ここに神様が住んでるんだ」
カノンも俺と同種の感動を覚えていたらしく、目を輝かせながらほこらの様相を観察していた。やっぱり、女の子でもこういうのには感動やら高揚感やら覚えるんだろう。
「伝承とかでは聞いたことあったが、マジであるとは思わなかったな」
「ええ、私も聞いたことはある。……すごいわね、いかにも神様がすんでそうなところ」
ゴーシュが感慨深そうに呟いて、サラが感心したように話す。二人の反応を見るに、このほこらの存在は一般庶民には知られていないらしい。三人に日本の神社や寺を見せて「神様が住んでるんだぞ」とか言ったらどう反応するだろうか。想像してちょっと口角が吊り上がってしまったのを抑えつつ、俺は観察もそこそこに中へと入っていく。
内部のほうもまた、瓦礫が散乱する廃墟になっていた。外の損傷もひどければ中もそこそこにひどく、かろうじて奥へ続く回廊だけが無事な状態である。よくもまぁこんな状態で持ってるな、なんてことを考えつつ奥へと進んでいくと、ふとドーム上に開けた空間へとたどり着いた。
「――あ」
そして、崩れた天井から差す光の合間を縫って、俺はその中心に鎮座する、真っ白な鱗を持った龍を見つけた。俺の呟きに反応したらしく、龍が片目をあけてぐぅっと首を持ち上げる。
開かれた瞳は一見銀にも見えたが、光が差し込むと同時に色鮮やかな七色へと変色した。その虹彩の美しさに、図らずも俺は見惚れてしまう。
そのまま数秒ほど退治した後、不意に龍がその大きな口を開いた。
「よくぞいらっしゃいました、神龍の騎士の力と資格を持ちし戦士、角宮拓斗。遠路はるばる、ご苦労様でした」
言葉をつむいだのは、凛とした、しかし包容力のある、女性の声だった。神たる威厳を持っているように感じて、その一方で暖かさを感じる、不思議な声。
ふわりと包み込まれるような感覚を覚えつつ、俺はふと我に帰って目の前の龍へと問いかけた。
「…………あなたが、神龍様?」
「いかにも、その通りです。わたくしの名はプラティユーシャ。この世界の者たちからは、貴方の言うとおり神龍と呼ばれています」
そう言って身じろぎし、身体を起こす神龍。動く巨大な体躯を覆う鱗が、光を反射してこれまた虹色に輝いていた。
ありていな言葉だが、その姿はとても神々しい。神、というものは得てして人の姿で描かれることが多かった――事実、この世界で読んだカインの物語でも、神龍は人の姿で描かれていた――が、それとは全く違う、重厚な威厳を肌で感じることができた。さすが、神様というだけのことはある。
「こうしてここにやって来たということは、すなわちこの世界のためにその身を動かしてくれること、と解釈します。……遅くなりましたが、お詫びを申し上げます」
と、そんな重圧感を放っていた神龍が、突如として首をたわめ、俺に向けて頭を下げてきた。いきなりのことで俺は面食らってしまい、その間に神龍は再度口を開く。
「この世界のために動いてくださっているということは、すなわちわたくしたち世界を護る者によってここへと呼び寄せられてしまったということ。……貴方にも貴方の生活が、居場所があったはずです。それをこうして奪い、あまつさえ半ば協力を強制してしまってるのは、わたくしにとっても不本意でした。ですが、そうしなければならない理由があったのです。どうか、お許しいただきたく思います」
神龍が語り終えた後、たっぷり数秒間の間を空けて、ようやく俺の頭は再起動した。同時に、傍から見たら可笑しく感じるくらいに慌てふためきながら口を開く。
「え、あ、えっといや、うん大丈夫だ。……えーと、ともかく大丈夫!俺は俺がやりたいようにやってきたわけで、それが結果的に神龍様たちの助けになってるって、そういうアレだし……」
まさか神様から直々に謝られるなんて微塵も思ってなかった――もうちょっと独善的だと思ってたのは秘密である――ので、動揺して全然言葉がまとまらなかった。ようやく出せた俺の考えも、たぶんアレの一言じゃ微塵も伝わってない。もうちょっとまともに反応できるとか考えていたが、これは流石に予想外だった。
ただ、一応意味的には伝わっていたらしく、今一度深く頭を下げてから神龍は頭を上げた。その虹色の瞳には、慈愛の色がありありと映っている。
「……さて、わたくしが貴方をここへと呼んだのは、魔王たちとの戦いの前にやりたいことがあったからです。申し訳ありませんが、お連れの方たちには少し、ほこらの外で待っていて頂けませんか?」
ようやく本題に入った直後、神龍はそんなことを切り出した。何をする気なのだろうか、と少し怪訝に思いつつも、三人にほこらの外へ出てもらうように促す。
三人の足音が遠ざかり、やがてドームの中が静寂に満ちたところで、神龍がその全身から光の粒子らしきものを吐き出した。いきなりだったのと、その光景の美しさに面食らい――今回はやたら面食らう機会が多いな、なんてことも考えてたのもあるが――、動けない俺を尻目に、神龍は光に包まれる。
そして神龍を包んでいた光がふわりと散り、その中から姿を現したのは――人だった。
いや、厳密には人の姿をした神龍、というべきだろうか。今の現象から見ても、神龍が人の姿に代わった……と受け取って間違いはないだろう。そのままゆっくりと降り立った女性が、俺に向かってふわりと微笑んだ。
「こちらのほうが話しやすいでしょう。さ、こちらにどうぞ」
手招きされて、俺はドームの中心にある台座らしき場所へと歩いていく。数歩ほど前で止まり、さて何を話すのだろうかと思考に浸ろうとした、そのときだった。
「――っ、っ?!」
いきなり進み出てきた神龍に肩をつかまれて、そのまま引き寄せられる。当然、警戒の一つもしていなかった俺はその行動に反応することもできず、神龍のほうめがけて倒れこんだ。ぶつかる――と思ったが、むしろ神龍はそれが目的だったらしい。そのまま俺を受け止めて、その両腕でぐっと俺を抱きしめてきた。
無抵抗だった俺は当然何か行動できるはずもなく、なすがままにされる。すぐ近くで女性特有の鼻につく甘い匂いが漂ったために、今更ながら俺は抱きしめられていることに動揺した。
普通青少年なら興奮か何かするんだろうが、俺……というかこの神龍から感じる感情は、どこか何かが違う。うまいこと言い表せないが、あえて形容するなら――母親の匂い、というべきだろうか。
もっとも、俺の母親は俺が小さいころに他界しているため、俺は母さんのぬくもりというものをよく知らない。おぼろげな記憶こそあるが、はっきりとした愛情そのものは生憎と覚えてないのである。
ただ、この人(?)からはそれに似た――としか形容できないが、そういった類の感情を覚えたのだ。しかし、俺はどうしてそんなことを考えたのだろうか……と考えをめぐらせたとき、不意に神龍が俺のそばでやさしく呟いた。
「――よく、がんばりましたね」
「え……?」
予想をはるかに超えた、ねぎらいの一言だった。それも他人行儀な言葉だけのものとは違う、明確に感謝と祝福の感情をこめた、本当のねぎらい。
「貴方の苦労とこれまでのがんばりは、眷属やわたくしの力で常に見守ってきたつもりです。……貴方は、こうしてこんな目に遭うには若すぎます。ゆえにどこかで貴方の気が振れてしまわないか、不安な気持ちもありました」
いっそう俺を強く抱きしめて、神龍は俺に優しく語り掛ける。いまだ混乱している俺に言い聞かせるような声色で、神龍はそのまま言葉をつむぎ続けた。
「頼もしい仲間や、このカイ・ドレクスに生きる者たちに助けられて進んできたとはいえ、世界を救うという重責を、貴方は常に一人で背負っていました。誰にも託すことをできない使命を背負うのがどれほど辛いことだったのかを、わたくしには知りえる術はありません。ですが、こうして貴方をねぎらうことはできます。……どれだけ安い言葉でもいい。わたくしは、貴方にこうして感謝したかったのです」
「――ありがとう、拓斗」
そんな言葉を聴くために頑張ってきたんじゃない。そう言い返そうとして、俺はできなかった。なぜか込み上げた感情が形になった嗚咽に、かき消されてしまう。
もしかしたら、俺はこうして誰かに感謝してほしかったのかもしれない。こうして誰かに悩みを打ち明けたかったのかもしれない。こうして、暖かく包んでほしかったのかもしれない。
後から後から、感情が押し上げてくる。考えをまとめられない。反論して、強がりたいのに、それもできない。
溢れてくる涙と嗚咽を抑えきれずに、俺はそのまま神龍にすがり付いて、ただ泣きじゃくった。
久しぶりに週一更新をしたかったので、書いていた後半部分を少し切り詰めました。
そちらは完成しだい61話として公開しますので、しばしお待ちくださいませー。




